物語がつまった宝箱
祥伝社ウェブマガジン

menu
  • Carnaval(カルナヴァル)の一日(1) 2016年5月1日更新
  1
 女性はほっそりした白い指でサイドの髪を押さえ、メニューに視線を落とした。
「このお店は、ガトーショコラが有名らしいんですよ。でもこっちの、『季節限定・イチゴのムース』もおいしそう」
「両方オーダーして、シェアしましょう」
 白いクロスのかかったテーブルの向かいから、直哉(なおや)が告げる。女性は顔を上げ、目を輝かせた。
「いいんですか?」
「おいしいものをちょっとずつ、って楽しいじゃないですか」
「はい。私、デザートビュッフェとか行くと、『全部一口ずつ食べられればいいのに』って思っちゃうんです」
「わかります」
 頷く直哉を、女性はさらに目を輝かせ、笑みも浮かべて見返した。髪は毛先を軽く巻いたセミロングで、メイクは控えめ。身につけたワンピースもデザインはシンプルだが、衿のカットや袖口のフリルのデザインが凝っている。
 店員を呼んでオーダーを済ませ、直哉は女性に向き直った。
「でも安心しました。少食アピールの割には、しっかり完食されたから」
 笑顔のまま、女性が黙った。傍(かたわ)らには腰に黒いエプロンを巻いた若い男性のギャルソンが立ち、メインディッシュのカモのコンフィが載っていた皿を下げている。直哉と女性、どちらの皿も空(から)で、とくに女性の方はカモにかかっていたバルサミコソースまで綺麗(きれい)になくなっていた。
「どうかしました?」
 怪訝に思い訊ねると女性は、
「いえ。今夜はごちそうさまでした」
 と笑顔をキープしたまま返し、ソファ席の脇に置いたバッグを引き寄せた。

 店を出て、女性が乗ったタクシーを見送ってから十分後。直哉のスマホが鳴った。
「はい」
「お世話になっております。ラ・ブレクラブの関田(せきた)です」
 中年女の声がクールに告げる。歩道の端に寄って足を止め、直哉はスマホを構え直した。
「どうも。こんばんは」
「先ほど、今夜白木(しらき)様がカップリングされた斉藤(さいとう)様よりご連絡がありました。『今後のお付き合いは、遠慮させていただきたい』とのことです」
「マジですか!? 会話も弾(はず)んでいい感じだったのに。てか、返事が早すぎ。ちょっと前に別れたばっかりですよ」
 思わず声を上げた直哉を、行き交う人が振り向いて見る。淡々とした口調を崩さず、関田は返した。
「斉藤様は、大層ご立腹でしたよ。『少食アピールの割には、ってなに? あり得ない』だそうで」
「だって今夜会う前に何度かメールした時、『食べるのは大好きだけど、すぐお腹がいっぱいになっちゃうの』って書いてあったから。でも僕が選んだビストロのコースを全部食べてくれて、安心したし嬉しかったんです」
「それはわかりますが、『少食アピール』はどうかと。斉藤様も『痩(や)せててか弱い私、って自慢してるみたいじゃない』とおっしゃってました」
 納得できず反論しようとした矢先、キャッチホンが入った。スマホの画面には「徳川(とくがわ)さん」とある。関谷に断って通話を終え、直哉は応(こた)えた。
「もしもし」
「あ、白木くん? 今どこ?」
「駅前の濱賀(はまが)通りです」
「じゃあ近くだ。悪いけど、来てくれる?」
「事件ですか」
 声を小さくし、周りを気遣いながら訊ねる。
「そう。殺人事件(コロシ)ね。住所はメールするから。よろしく」
 のんびりと告げ、徳川は電話を切った。

 現場は、駅近くの繁華街の外れだった。夜の十時近かったが、既にテレビカメラや照明機材、ごついデジタル一眼レフカメラを構えた報道陣が集まっていた。野次馬も大勢いて、サラリーマンや学生に交じって近くのアパートやマンションの住人と思しき部屋着の人々、コックコートや肩と脚をむき出しにしたミニのドレスを着た飲食店の従業員もいる。
 野次馬をかき分け、ルーフで赤色灯を回転させているパトカーの脇を抜けて現場の前に出た。黄色地に黒で「立入禁止 濱賀警察署」と記されたテープが張られ、警察官が立っていた。四月も半(なか)ばだが夜はまだ冷えるので、制服の上にナイロンジャンパーを着ている。
「お疲れ様です」
 声をかけ、会釈する。親しくはないが顔見知りなので、直哉が警察手帳を見せる前に会釈を返し、警察官はテープを持ち上げてくれた。礼を言い、テープをくぐる。
 現場は、ビルとビルの間の広い空き地だった。敷地内を囲む金網のフェンスは中央部分が取り外されているので、そこから中に入る。徳川が近づいて来て、白い布手袋を差し出した。
「悪いね。デート中だったんでしょ。例の結婚相談所の女(ひと)?」
 薄く太い眉を寄せて訊ね、白手袋をはめる直哉を眺める。直哉は流行の衿の細いグレーのスーツ姿で、ワイシャツと革靴は新品だ。
「ええ。でも構いませんよ。フラれたし」
「また!? おかしいなあ。前にうちの署でその、サブレクラブ? の会員だった人は、みんなすぐに相手を見つけてたよ」
「サブレじゃなく、ラ・ブレ。僕もそう聞いたから、入会したんですけどね」
 言葉を交わしながら、左右に立てられた投光器の明かりを頼りに古タイヤや冷蔵庫、自転車などの上を進んで行く。金網のフェンスで囲まれてはいるが乗り越えられる高さなので、空き地は格好のゴミの不法投棄(ふほうとうき)場所となっていて、市役所や濱賀署には度々「異臭がする」「ハエやトンビが多い」等の苦情が寄せられている。
「それに白木くん、イケメンだし背は高いし、一流大学卒なのに。しかも安定の象徴・公務員。二年以上婚活(こんかつ)して、なんでダメなの?」
 足をふらつかせ、軽く息も切らしながら徳川が問う。直哉とは反対に小柄で小太り。身につけているのも、着古したカーディガンとシャツ、スラックスだ。官舎で家族とくつろいでいたところを呼び出されたのだろう。歳は今年三十六になる直哉と二つしか違わないのに、四十代半ばに見える。
「僕が訊きたいですよ。ラ・ブレクラブの担当者には、『ご自分でお考えいただくのも、ご成婚への近道です』とか言われるし」
「まあ、元気出して。のど飴いる? テレビ通販を見た娘が『黒酢(くろず)とにんにくエキス入りだって。パパの健康にいいかも』って言って、嫁が注文してくれたんだ」
「ありがとうございます。相変わらず、ご家族仲良しですね。羨ましいです」
 差し出された細長く小さな袋を受け取り、直哉はジャケットのポケットにしまった。「黒酢とニンニクって、すごい味がしそうだな」とは思ったが、「羨ましい」は本心だ。婚活を決意したきっかけの一つが、ことあるごとに聞かされる徳川ファミリーのほっこりエピソードだ。
 二十メートルほど進むと、投光器に囲まれた一際(ひときわ)明るい場所に出た。
「よう」
「ご苦労さん」
 十人ほどの男が声をかけ、会釈もしてきた。濱賀署の同僚で、みんな白手袋をはめ、刑事課は「捜査」、鑑識(かんしき)課は「鑑識」の腕章をつけている。
「吐くなよ」
 地面にかがんで写真を撮っていた一人が顔を上げ、薄い唇を歪(ゆが)めて笑った。直哉と同期採用の鑑識課員・芹沢(せりざわ)だ。中背の痩せ形で、フレームの下半分が縁なしの細いメガネをかけている。濃紺のジャケットとスラックスの制服に身を包み、頭には同じく濃紺のキャップを後ろ前にかぶっている。
 言葉を返す前に芹沢が仕事に戻ってしまったので、直哉は鑑識課員たちの邪魔にならないように進み、地面を覗いた。
 まず目に飛び込んできたのは、茶褐色の長く乱れた髪だった。その下に首から下を切断された女の頭部。太めの鼻筋と張り気味の頬骨、わずかに開いた口から白い歯が覗く。しかし肉はところどころ腐敗して崩れ、引きはがされたような痕(あと)もあって骨が見えていた。開かれた大きな目には蛆(うじ)のほかに名前のわからない羽虫がびっしりとたかり、眼球は確認できない。顎の下の切断面にも大量の虫がたかり、脇に「1」と書かれた鑑識課のプレートが置かれている。
「1」があるってことは・・・・・・。みるみる顔が強(こわ)ばっていくのがわかり、体も固まってしまったのに目だけが勝手に動き、直哉は女の顔の周りを眺めた。
 顔の少し奥に「2」のプレートがあり、脇には軽く拳を握った右手。手首から下は、切断されている。その隣に「3」のプレートと、左右どちらかはわからないが脚があった。どちらも付け根から切断されたようで虫がたかり、半分は骨だけになっている。
 ぼこっ、と胃の中でなにかが湧くような気配があり、喉に酸っぱいものがこみ上げてきた。
「フルコース、六千円×二人分。ワイン、一本四千八百円」芹沢と同僚たちにバカにされたり叱られたりするより、ビストロで飲み食いしたものと支払った代金がもったいなくて、直哉は必死に吐き気を堪(こら)えた。
「大丈夫? さっき隣のビルの人が、『最近いつにも増して臭くて、トンビやハエが多い』って通報してきたんだ。パーツごとに袋に入れられてて、奥にもう片方の脚と胴体があるよ」
 後ずさりして俯(うつむ)いた直哉の背中をさすりながら、徳川が説明する。手つきは優しくゆっくりで、口調もさっきの電話同様のんびりしている。
「被害者(ガイシャ)は日本人じゃないですね」
 無理に体を起こし、訊ねる。背中をさする手を止めず、徳川は頷いた。
「うん。ぱっと見じゃ、人種を特定できない感じだけど・・・・・・しかし、ひどいよね。刑事人生それなりに長いけど、バラバラ遺体なんて初めてだよ」
「俺も俺も。濱賀署始まって以来らしいですよ」
 再びカメラから顔を上げ、芹沢が会話に入ってきた。
「なんでちょっと嬉しそうなんだよ」
 治まる様子のない吐き気を紛(まぎ)らわそうと、直哉は振り向いて冷たい視線と言葉をぶつけた。動じる様子もなく、芹沢は顎で傍らを指した。
「遺体の頭を見てみろ」
「なんで?」
 返事がないので仕方なく、他の部位はなるべく見ないようにして遺体の後ろに廻って頭部を覗いた。徳川も一緒に来て、同僚から借りた懐中電灯で頭部を照らしてくれる。
 半分近く骨になっているが、残った頭皮に傷があり、出血の痕もあった。
「殴られたんでしょうか。これが死因かも」
「だね。でも変わった形だよね」
 傷は浅く丸みを帯びたクレーター状のへこみで、等間隔で複数カ所にあった。
  2
 濱賀は、神奈川県南東部・蜂須賀(はちすか)市の東の外れに位置する。東京湾に面していて小高い山や丘が多く、道もアップダウンに富んでいる。人口は四千人弱。最近は京浜(けいひん)地域のベッドタウンとしてマンションなどの建設が進んでいるが、漁港や海岸沿いにある大手重工業会社の造船所で働く人も多い。
 濱賀警察署は、濱賀駅から三百メートルほど北に進んだメインストリート・濱賀通り沿いにあり、敷地内には署員のための官舎も建っている。
 事件の翌朝。直哉は昨夜遅くに設置されたバラバラ死体遺棄(いき)事件の捜査本部で会議に出席してから、徳川とともに車で三十分ほど離れた、遺体の司法解剖を依頼している大学病院に出向いて結果を聞いた。
 被害者女性は中南米系の外国人で、年齢は二十代から三十代。身長一七〇センチ弱の痩せ形だ。殺害されたのは、五日から一週間前で、腐敗が進んでいるため断定はできないが、死因は恐らく後頭部の外傷。切断面の形状と出血量から、撲殺後ナイフまたは斧等でバラバラにされたようだ。
「中南米系って、たぶんブラジルですよね。ここ二年ぐらいで、港の造船所で働く人が増えてるから」
 署に戻り敷地裏の駐車場に車を停め、直哉は言った。シートベルトを外し、乱れたスーツのジャケットの前を直しながら、徳川が返す。
「うん。うちや近隣の署で捜索願いが出されてる人の中には、該当しそうな女性はいなかったそうだけど」
「観光や留学ビザで入国した、不法就労者の可能性も高いですね」
 車を降り、二人で裏口から署の建物に入った。横長の古い鉄筋三階建てで、屋上には日の丸と蜂須賀市の旗がはためいている。濱賀通りの向かいには背の高い鉄塀が伸び、その奥は埠頭なので常に湿気と磯の匂いを含んだ風が吹いてくる。
「左手はどうしたんでしょう。他の部位は、昨夜(ゆうべ)現場で発見されたのに」
「トンビの仕業じゃない? 驚くほどデカくて重たいものを運ぶんだよね。前に結納(ゆいのう)や地鎮祭(じちんさい)に使えそうな立派なタイをくわえて飛んでるの、見たことあるよ」
 廊下を進み、階段で二階に上がった。刑事課は廊下の奥だ。
 ドアを開けて部屋に入ると、手前の席に座った事務職員の若い女性が振り返った。
「お帰りなさい。お客様がお待ちですよ」
 手のひらを向けたのは、壁際。パーテーションが等間隔でいくつか立てられ、それぞれのスペースにテーブルと椅子が置かれている。その一つに女性がこちらに横顔を向けて腰かけ、スマホで話していた。
「あ~、忘れてた・・・・・・すみませ~ん!」
 徳川が小走りに近づいて行くと女性は会釈し、「ちょっと待って」と言うように右の手のひらを立てて見せた。歳は二十代半ばだろうか。黒く長い髪を後ろで一つに束ね、深紅のニットにスキニージーンズ、茶のロングブーツという格好で、脚を組んでいる。
 机の脇に立つ徳川の斜め後ろで、直哉も女性が通話を終えるのを待った。家族と話しているのか、「お母さん」「無理しないで」といった言葉が耳に入った。
 三分ほどで通話を終え、女性は赤いスマホをテーブルに置いた。
「幾田(いくた)さんですよね? 遅れて申し訳ありません。濱賀署の徳川です」
 テーブルの脇に立ってぺこぺこと頭を下げる徳川を、幾田というらしい女性が見上げる。赤いグロスで飾られた唇が薄くてやや大きめの口の端を上げて微笑んではいるが、座ったまま。徳川が名刺を差し出すとようやく腰を浮かせ、
「よろしくお願いします」
 と会釈して片手で名刺を受け取り、腰を椅子に戻して当然のように脚を組み直した。やり取りを眺めている直哉を、徳川が手招きする。
「こちら、通訳の幾田アサさん。彼は僕の後輩兼相棒の、白木直哉巡査長です」
「幾田です。よろしく」
「はじめまして・・・・・・捜査の通訳人(つうやくにん)ですか? なら、署内にポルトガル語を話せる者がいますよね。民間にも、契約している人が他にも何人か」
「なんで俺には、『よろしく』の後に『お願いします』がないんだよ。しかも、なにげに偉そうだし」心の中で突っ込み、徳川に問う。
「そうなんだけど、ブラジルには独自の言語を話す少数民族が二十以上いて、濱賀にはそういう人たちも多いらしいんだ。で、つてを辿(たど)って紹介してもらったのが彼女。運良く鎌倉(かまくら)にいて連絡が取れたから、来てもらったの。ブラジルの、ほとんどの少数民族の言葉を話せるんだって。すごいよね」
「はあ。白木です。よろしくお願いします」
 嫌味のつもりで必要以上に深く頭を下げ、直哉は名刺を差し出した。
「どうも」
 またもや片手で受け取り、アサはテーブルの端に置いた黒革で横長のバッグを引き寄せた。使い込まれてはいるが、革は上質でシンプルなデザインも直哉の好みだ。名刺入れを探しているらしく、アサはバッグの中を引っ掻き回したが、がちゃがちゃと音がするだけで見つかる気配はない。
「あれ。おかしいな」
 首を傾(かし)げて呟き、アサは勢いよく、バッグを上下逆さまにして中身をテーブルにぶちまけた。
 バッグ同様使い込まれた黒革の財布、クマのファンシーキャラクターもののタオルハンカチ、化粧ポーチ、表紙にペンを挿(さ)した手帖。そこまでは普通だ。しかしほかに縦三センチ、横七センチ、厚さ一センチほどの箱のようなものが五、六個あり、それぞれがビーズやファンシーキャラクターのイラスト、シールなどで派手に飾られている。おそらくはミントキャンディーのケースで、若い女が同じようにデコレーションしたものを持っているのを、直哉も見かけたことがある。しかし、一人でこんなに持っているのは初めてだ。それに反してスマホはいわゆる「デコ電」ではなく、ケースすらつけていなかった。
 違和感とともに、テーブルの品々とそれを「おかしいな」「確かこの辺に」等々呟(つぶや)きながら引っ掻き回すアサを、直哉は呆然と眺めた。細身だが骨格はしっかりしていて、肩幅と腰回りはごつめ。顔も彫りが深くまあ美人だが、ニューハーフ風と言えなくもない。身につけたニットはたっぷりしたつくりだが深めのVネックで、大きな胸の深い谷間が半分近く覗いていて、つい視線が向いてしまう。
「県警本部からお偉いさんが来てそっちの対応をしなきゃならないし、当分は二人で動いてもらうから、よろしくね・・・・・・あ、幾田さん。これ、待たせちゃったおわび。黒酢とニンニク入りだよ」
 徳川がのんびり告げ、アサに昨夜直哉に渡したのと同じのど飴を差し出した。
「えっ、二人!?」
 我に返り、直哉は徳川とアサを交互に見た。気にする様子もなく、アサは「いただきます」と飴を受け取り、騒々しくがさつな動きでテーブルの品を探り続けた。

(つづく)

この続きは好評発売中『ゴールデンコンビ 婚活刑事&シンママ警察通役人』(文庫判)でお読みになれます。この原稿は連載時のものです。刊行に際し、著者が加筆・修正しております。

著者プロフィール

  • 加藤実秋

    2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。「インディゴの夜」シリーズはテレビドラマ化、舞台化され話題に。
    著書に『モップガール』『ご依頼は真昼のバーへ』『風が吹けば』『アー・ユー・テディ?』『桜田門のさくらちゃん』などがある。