物語がつまった宝箱
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  • 八 宇田巡(うためぐる) 巡査 2018年1月15日更新
 たぶん一般の人たちは警察官の休みには非番と休日の二種類があるとは知らない。
 非番、というのは、基本的には当直の二十四時間勤務明けの日のことだ。
 つまり、たとえば朝の九時から次の日の朝の九時まで当直として交番勤務したとして、その勤務が終了した日が〈非番〉だ。朝の九時に終わって家に帰ればその日一日は休みになるけれど、ほとんど寝ていないんだから帰ってすぐに眠ってしまうという人も多い。
 もちろん、二十四時間勤務といっても休める時間はある。仮眠できる時間帯はあるものの、何かがあればすぐに起きて対処しなきゃならない。その他にも実は書類書きの仕事がたくさんある。警察官の業務の三分の一は書類を書いていると言ってもいいぐらいだ。だから、当直の場合はほとんど寝られないことが多いんだ。
 そして休日は、文字通りの〈休日〉だ。
 前の日の勤務を午後六時に終えたとしたら、家に帰って「明日は休みだ!」と、ごく普通の会社勤務の人たちと同じ気分を味わいながら休める一日。
 友人と酒を飲みに行ってもいいし、一日中部屋でゴロゴロしていたっていいし、日帰りで小旅行に行ったっていい。まったくの自由なんだ。
 でも、そうは言っても、警察官だ。
 非番の日でも呼び出しが掛かることもあるし、休みだからと言って飲み歩いていると突然事件が起こって招集が掛かることもある。
 地元で事件が起こったら、第一報で一番最初に駆けつけなきゃならないのは、その所轄署の交番勤務の警察官の場合がほとんどだ。
 事件は殺人とか強盗とかの大きなものではなくても、繁華街で喧嘩をしているとか、路上で寝ている人がいるとか、空き家なのに電気が点いているとか、そういうささいな案件であっても通報があれば駆けつけなきゃならない。市民の安全を守り不安要素に対処していく。それが、警察官の仕事なんだ。
 小さな交通事故が三件も四件も重なって、手が足りなくなって非番、休日関係なくほぼ全員が呼び出されるなんてこともないわけじゃない。
 そして、何せ〈東楽観寺(ひがしらっかんじ)前交番〉の若手警察官の住まいはその交番の真裏なのだから、ほとんど交番に住んでいるも同じ。
「気分的には駐在所と同じですよね」
 僕の横に座ったあおいちゃんが言う。
 東楽観寺の境内(けいだい)には大きな石が四つある。何でもこの寺を建立(こんりゅう)する際に地面の中から出て来たもので、子牛ぐらいの大きさがあるんだ。これがまた二人で並んで座るのにはちょうどいいような感じで、お寺の東西南北を守る四神のように置くことになったとか。
 それで、それぞれが東牛、西牛、南牛、北牛と呼ばれて、誰でも自由に座って休憩していいようになっている。門にいちばん近い、つまり僕の住む家の玄関を出てすぐのところにあるこの西牛は座る人も多くて表面もつるつるになっている。
「そういうことだね」
 あおいちゃんが作ってきてくれたお弁当、今日の朝ご飯は五目おにぎりとチーズおかかのおにぎり。おかずにはレタスとタマネギにカリカリに焼いたベーコンのサラダ、昨日の晩ご飯の残りなんだというカボチャの煮物、そしてだし巻きたまご。デザートにリンゴ。
 晴れた日の境内で二人で食べる非番の日の朝ご飯も、すっかり日常になってしまった。
 そもそもは、警察官が高校生と表立ってデートするわけにはいかないので、お寺の境内でお話をしている分には何の問題もない、っていうところから始まった〈朝ご飯デート〉だけど、これはこれでずっと続いてもいいよなぁと個人的には思う。
「駐在所って、基本夫婦で行くんですよね」
 ちょっとなんか嬉しそうな顔をして僕を見て言った。
「そうだね。夫婦が基本というか、家族でだね」
 奥さんと子供たちも一緒にその勤務地の駐在所に引っ越ししていく。通常は三年とか五年とかいう期間で転勤があるので、子供たちも転校が多くて大変なんだという話は、先輩警察官から聞いたことがある。
「最近は、両方とも警察官というのもあるんだよ」
「夫婦で警察官ですか?」
 そうなんだ。
「夫婦で警察官というより、いわゆる職場結婚だね。たまたま同じ署で勤務していた警察官同士で付き合って結婚して、そして上の方から駐在所勤務をやってみないかって言われるパターン」
「それ、いいですね!」
 また嬉しそうにあおいちゃんが言った。
「まぁ、どのみち駐在所勤務の警察官の配偶者には、駐在の仕事を補佐してもらわなきゃならないからね」
「電話番とかですか」
「そう」
 電話番から、旦那さんがパトロールに出かけている間の留守番などの付帯業務。
「大昔の話だから今はないだろうけど、拳銃の手入れも奥さんに任せてたなんて話も聞いたことがあるよ」
「スゴイ! でもどっちも警察官ならカンペキですよね」
「そうだね」
 確かに駐在所で夫婦で警察官というのは、仕事としては理想形に近いだろうけど。
「結婚したことはないからわからないけど、警察官の仕事はよく知ってる。だけど、それを夫婦でやってるっていうのは、想像つかないなぁ」
 本当にいいんだか悪いんだか。
「マンガ家さんでもご夫婦でやってらっしゃる方がいますよ!」
「あ、そうなんだ」
「けっこう楽っていうか、お互いにお互いの仕事がわかっているから、生活はしやすいってエッセイマンガで描かれてました」
 そう言いながら、あおいちゃんはいつも持っているデジタルカメラを構えて何枚か風景を撮っている。
 見慣れた〈東楽観寺〉からの景色なんてどうするんだろうと思うけど、マンガ家さんの背景の資料なんだろう。
「まぁ家で商売をやっている人なら、それがあたりまえなんだろうけどね」
「杏菜(あんな)の家もそうですよ。お母さんも車の整備ができるんですよ。普段は経理なんかをやっているけど」
「あ、そうだったんだ」
 それは知らなかった。
 また、写真を撮る。
「締め切りが近いの?」
 訊いたら、あおいちゃんが軽く首を横に振った。
「もう三話分描きためてあるから、ヨユーですよ。どうしてですか?」
「いや、随分写真を撮っているから、資料かなと思って」
 あ、と、言って照れくさそうに笑った。
「ごめんなさい」
「いや、いいんだよ」
 あおいちゃんと付き合うようになって、本当にマンガを描くことが好きで好きでしょうがないっていうのはよくわかった。
 そして、どんなことをしていても常に意識がマンガのためになることを探している。探しているというか、呼吸をするのと同じぐらいあたりまえにそういうものを吸収している。
 マンガ家に限らず、表現をする人たちってそういうものなんだろうなぁとつくづく思った。きっと僕とこうやってデートしているときも、無意識のうちにカレシとしてではなく、警察官という職業に就いた人間として観察している部分もある。
 それは、実は警察官と同じようなものじゃないかなって思う。
 警察官になるような人間の多くは、警察官になるべくしてなった部分があると思う。それは、無意識のうちにその人を観察してしまうことだ。そうしようと思っていないのにやっている。
 観察して、判断する。それは警察官にとって重要な資質だ。
 そしてマンガ家さんは、観察して、描く。
 本物のマンガ家さんっていうのは、描いた表情ひとつでその人間の本質の部分を読者に伝えられるものだろう。それぐらいの観察眼がないと本物にはなれないんじゃないか。絵の上手い下手は別にして、そこに込めたニュアンスが読者に伝わってこないとプロにはなれないだろう。
「巡(めぐる)さん」
「うん?」
 あおいちゃんがお弁当のタッパーの蓋を閉じながら言った。
「もう刑事には戻ろうと思わないんですか?」
 ちょっと首を傾げながら、微妙に唇をふにゃふにゃさせる。思わず苦笑してしまった。たぶん、ずっと疑問に思っているであろうこと。
「戻れるなら、戻ってもいいなぁとは思うよ」
「それは、やっぱり刑事の仕事がやりたいから?」
「うーん」
 唸ってしまった。そう真っ向から訊かれると少し困るけど。
「交番勤務のお巡りさんの仕事を軽んじているわけじゃないよ」
 それは、断じて違う。どんな仕事であろうと、それは警察官の本務だ。
「むしろ、犯罪を予防したり、市民の皆さんの役に立ったりすることが実は警察官の主たる役目だって思ってる」
「抑止力ですよね」
「そういうこと」
 人間は、皆が善人じゃない。善人の心の中にだって闇はある。その闇を穏やかな光で包み、表に出さないようにして皆が平和に暮らせるようにすることが、警察官の存在意義だと思っている。
「でも、何もかもそんなふうに上手くはいかない」
 言うと、あおいちゃんも頷いた。
「犯罪に走ってしまう人がいる。他人を傷つける者がいる。そういう人間を見つけ出して捕まえる。それを毎日毎日ずっと仕事として続けていけるのは、ある程度限られた人間だけなんだ」
 マンガを描いてたくさんの人を楽しませることのできる人が、ほんの一握りしかいないのと同じように。
「自分が刑事というまさしく猟犬のような仕事をずっとやっていける人間の一人だとは、自覚している」
「じゃあ、やっぱり、巡さんは刑事に戻るべきなんですよね」
「どうかな」
「戻れないんですか?」
 今度は真っ直ぐに僕を見て訊いた。今日はその話をしたかったのかな。
「戻れない、かな?」
「かな?」
 苦笑いでごまかすしかない。あおいちゃんは、マンガ家としての正しい資質を備えている女の子だ。頭が良くて、知識欲も旺盛で、そして観察眼も鋭い。
 でも、まだ高校を卒業したばかりの女の子だ。
 警察という組織の中にある闇は、そういうものが存在すると、マンガのネタとしてはわかっていてもいいけれど、本当のそういうものにあおいちゃんを晒(さら)すわけにはいかない。
「ヘマして飛ばされたようなものだって、前にも言ったけど」
「うん」
「それは本当なんだよ。僕は、ヘマをしたんだ」
 考えが甘かった。
「僕を刑事に推(お)してくれた人がいるんだけどね。その人のためになるかと思ったんだけど」
 その人の立場が危うくなるようなものを、僕は見つけて、そしてそれを隠さなきゃならなかった。
 その人のために。


九 天野(あまの)さくら 金貸し

 時の流れは残酷だって言うけど、本当さね。
 あんなにも時代の最先端を走っていたはずの〈団地〉ってものも、何十年も経つとまるで巨大な墓の群れみたいに見えてくるってのはね。
「文明の皮肉ってものかね」
「何ですか、それは」
「家も墓も結局は同じってことだよ」
 人が入っていくものを四角四面で作ろうとした文化文明は、結局は人間ってものを箱に押し込める形で終わらせちまうことになったってね。
 浜本晋一郎(はまもとしんいちろう)が、唇を歪めて首を横に振った。
「相変わらず、難しくてわけのわからんことを言いますね」
 そう言いながら慣れた手つきで急須(きゅうす)を軽く回すように揺らして、湯飲みにお茶をそっと注いだ。
〈飯島(いいじま)団地〉の浜本の家。ここに暮らしていたのは知ってはいたけれど、今も一人で住んでいたとはね。
「何十年になるんだい」
「何がです?」
「ここで暮らしたのは」
 さて、と、湯飲みをそっと置きながら首を捻(ひね)った。ありがとね、と言いながら湯飲みを持ってお茶を一口飲む。あら、美味しいじゃないか。旨いお茶を淹(い)れられるんだね。
「結婚してすぐでしたからね。もう六十年じゃないですかね」
「六十年かい」
 それだけ経ちゃあ、コンクリートもぼろぼろになっていくってものだね。
「しかしまぁ」
 浜本も湯飲みを持って、少し笑った。
「まさか生きている間にまたお会いできるとは思いませんでしたね」
「なんだいそりゃ。そんなにあたしに会いたくなかったかい」
「そうじゃないですよ」
 お茶を一口飲んだ。
「むしろ、嬉しかったですよ。昨日、電話を切った後に、久しぶりに一人でにやにやしている自分に気づきました」
「何でにやにやできたんだい」
「昔馴染みと話して、ここにね」
 胸の辺りをぽん、と軽く右拳で叩いた。
「温かいもんを感じている自分がいてね。あぁまだこんな思いを味わえるぐらいには生きてるのかってね」
 まぁ、そうかね。
 浜本の人生を考えたら、そんなふうに思ってしまうのもわかるね。善人なのに可哀想な人生を送っちまったよね。
 それにしても。
 部屋の中を見渡してみた。
「世捨て人のわりには、なんだい、部屋に少しは活気があるんじゃないか」
 古いから間取りは広くていいんだよねこの団地は。確かに何の手入れもしていないから壁紙は煤(すす)けているしあちこちくすんでいるし、長居はしたくないって思うけれども。
 生きた人間が暮らしている匂いはしているね。
 浜本が、あぁ、と同じように見渡した。
「最近、居候がいるんですよ」
「居候?」
「そうなんです。若いのが二人。男ですよ」
 若い男の居候。
「どこで拾ったんだい」
「向こうから来たんですよ。団地の子です」
「自分の家にいたくない不良息子たちかい」
「まぁ、そんなようなもんです」
 なるほど。
「あんたは昔っから若いのに好かれたよね、不思議と」
「そうでしたかね」
「忘れたかい。グンペイとかタイジとか、なんだっけね。ヨシアキだったかい。あんたの周りでうろうろしていたじゃないか」
 あぁ、と言いながら自分の腿(もも)の辺りを叩いて笑った。
「グンペイね、タイジにヨシアキね。いましたね」
 懐かしいなぁと言う。
 まだお巡りさんと町の不良どもが、身体でぶつかり合ってコミュニケーションみたいなものが取れた時代だったね。思えば単純でバカみたいな時代だったよ。
「今は、まったく付き合いはないのかい」
「ありませんね」
 昔の知り合いたちとの縁は何もかも消えてしまったと言う。消えたというより自分から切っていったんだろうけど、それはまぁ言っても詮無(せんな)いことだね。
「ヨシアキなら今も元気だよ」
 思わず、といった感じで笑顔になった。
「生きてますか」
「生きてるよ。今は七十ぐらいかね。一人息子の家で、孫を可愛がるおじいちゃんになってのんびり暮らしているよ」
 そうですか、って頷く。
「嬉しいですね。さくらさんと会えて、昔の知り合いの消息も聞けるなんて」
 今日はいい日だ、ってお茶を飲む。
「あんたも年の割には元気じゃないか。まだ頭もしっかりしてる」
 何よりも眼に光があるよ。もう死んでいくだけの希望も何もない、ただ生きているだけの老人の眼じゃないね。
 一緒に住んでいるという若者のお陰かね。
 年寄りは若い連中と一緒に過ごすと元気になるっていうけど、本当だね。実際このあたしもそうなんだろうけど。
「今日はね、聞きたいことがあって来たんだよ」
 うん、と、頷く。
「何でしょう。もっとも、ただ家に閉じこもっているだけの老人は世間のことなんか何もわかりませんけど」
「安心おし。大昔の話だよ。思い出してくれればそれでいい」
 大昔、と、繰り返して呟いた。
「宇田源一郎(うたげんいちろう)を覚えているかい」
「宇田源一郎」
 あぁ、やっぱりね。眼の奥の光がまた大きくなったよ。
「忘れるもんですか。宇田巡査部長」
「だろうね。近頃はまったく縁がなくなったのかい」
 いいえ、と、少し首を捻った。
「何年前まででしたかね。年賀状やらのやり取りはありましたよ。それも、私の方から止めてしまいましたが、何でも施設に入られたというのは聞きました」
「じゃあ、孫が警察官になったのは知ってるかい」
 こくり、と、頷いた。
「話には聞いていました。大変優秀なお孫さんだと」
「その孫が、この町にいるのは?」
「え?」
「〈東楽観寺(ひがしらっかんじ)前交番〉にいるんだよ。宇田源一郎の孫の宇田巡巡査が」
「あそこに?」
 眼を細くしたね。何故? という顔をした。
「知らなかったかい」
「いやまったく知りませんでした」
「でも、知っていたんだね? 宇田巡巡査が優秀だったことは」
 そりゃあ、と、頷いた。
「話に聞いただけですが、いきなり刑事畑に持っていかれたってことは知っていました。それはさぞかしと」
「その辺の事情は、わかるかい?」
 既に引退して久しい元警察官。
 それでも、人徳ってやつだよね。あんたにいろいろと感謝している後輩たちは、いまや大ベテランか、お偉いさんばかりだろうさ。

(つづく) 次回は2018年2月1日更新予定です。

著者プロフィール

  • 小路幸也

    1961年北海道生まれ。広告制作会社を経て執筆活動へ。2002年『空を見上げる古い歌を口ずさむ』で第二十九回メフィスト賞を受賞しビュー。 「東京バンドワゴン」シリーズはベストセラーとなり、ドラマ化もされた。著書に『うたうひと』『さくらの丘で』『娘の結婚』『アシタノユキカタ』(以上すべて祥伝社刊)など多数。