物語がつまった宝箱
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  • 第一回 2015年6月15日更新
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 私の悩みは天然と言われることだ。
 この前、駅前の駐輪場に自転車をとめる機会があった。黄色くてよく目立つ自転車を見つけて、そのとなりに置いた。あざやかな黄色は目立っていたし、遠くからでもすぐにわかったから、目印になるとおもったのだ。
「どこにとめたのか、すぐにわかるでしょう? でも、用事をすませてもどってみたら、黄色い自転車がどこにも見当たらないの。ひどいとおもわない? おかげで、あるきまわることになっちゃった。自転車をさがして、あっちに行ったり、こっちに行ったり」
 教室で私がそう言うと、友人Aはため息をついて「天然だねえ」と言う。彼女によれば、移動するものを目印にした私のほうがわるいらしく、たしかになるほどと納得させられる。
 高校の教室で私は天然キャラに分類されていた。天然キャラには威厳というものがない。グループ内で何かを主張しても、まるでちいさな子どもを相手にするように「はいはいそうですね」などとあしらわれる。まるで本気にしてもらえないし、活発な男子などは私の頭を無断でなでる。「やめろバカ!」と怒っても男子はわらうだけだ。さらにひどいことに、私が天然を演じていると言い出す女子もいた。男子にかまってもらうための計算だというのだ。
 だけど、まあいい。世界人類だれとでも仲良くなれるわけがない。ともかく仲良しの友人たちを私は大切にしておこう。クラスメイトのうち、友人と呼べる相手が私には十人前後いる。半数は男子だ。この仲良しグループで放課後にあそぶことがある。休日にみんなと遊園地へ行ってジェットコースターに乗ったり、記念の集団写真をおかしなポーズで撮ったこともある。それなりに充実した日々ではないか。しかし、おもいもよらなかった。この大切な友人たちを、私自身の行いにより、全員、登校不能な状態に陥らせてしまうなんて。
 事の発端は、とある日の放課後のことだ。友人が教室であつまって、幽霊というものがはたして存在するのか、それとも存在しないのかという議論をおこなっていた。おもわずあきれてしまう。この年齢になって議論するようなことだろうか。
「幽霊なんて、いるに決まってるじゃん」
 自信満々の私の発言は、みんなに嘲笑されてしまう。
「星野はそう言うとおもった」
「サンタも信じてるっしょ」
「え? でもみんな、お化け、こわいでしょ?」
「こわいのと、いるかいないかは、ちがうっしょ」
「根拠は? 幽霊がいるって根拠はあんの?」
 私は問い詰められる。幽霊の存在を肯定する理由はあったのだが、その場で言うわけにはいかず、黙り込むしかなかった。幽霊なんてものはいない。議論はそのように収束し、お化けを信じている私のことは「かわいい」の一言で片付けられてしまう。胸の内に憤りのようなものさえ生じた。しかし後からかんがえると、その怒りは、単純に幽霊を否定されたことへの反応ではなかったようにおもう。日頃から天然あつかいされて、主張を吟味してもらえず、そのことへの鬱憤がたまっていたのだ。天然キャラに分類された者は、そうでない者から見下されがちなのである。思考が劣っていると勝手に誤解されることがおおいのだ。
 よし、わかった。それならこちらにも方法がある。その日の晩、私は決心する。彼らに幽霊を信じさせるためのいたずらを仕掛けてみようじゃないか。身の回りで心霊現象としかおもえない不可思議な出来事がおきれば、彼らも私の言葉に耳をかたむけてくれるかもしれない。心霊現象を演出することくらい私にはかんたんだった。だれにも言ったことはないけれど、私は透明な腕を持っていて、遠くの物体をさわってうごかすことができるのだ。
 母方の家系は全員、似たようなことができた。年に何度か親戚であつまって会食を催すときなど、この力を利用して遠くの席のおじさんにビールを注ぐこともある。日頃、私がこの能力を最大限に発揮するのは、きらいな数学教師の眼鏡をずらすときである。授業中、教壇に立っている教師にむかって、透明な腕をのばす。特別に意識を集中させるひつようはない。だれにも見えない私の手が、クラスメイトたちの頭の上を、すーっとのびていく。その指先で数学教師の眼鏡をつまみ、ちょいとひっぱってやるのだ。私はその間も、真面目な顔つきで自分の席にじっとしている。数学教師は、なぜこの教室で授業するときだけ眼鏡がずれてしまうのかと不思議がっていることだろう。
 身体測定のとき、すこしでも体重を軽くするためにも使用する。透明な腕を自分の脇の下にさしこんで、体をそっと上方向に持ち上げてやるのだ。体重計にかかる私の重さは軽減され、本来の数字よりもいくらかすくなくなるというわけだ。
 透明な腕はだれにも見えないし、触れることもできない。腕をのばせる範囲は教室一個分くらい。あまりにも遠くのものをうごかすことはできないが、天井の蛍光灯を取り替えるのにわざわざ脚立にのぼったりするひつようはない。このような超能力を、テレキネシスとかサイコキネシスとか言うらしい。遠い祖先がこの力のせいで迫害されたらしく、このことはだれにも話してはいけないことになっている。自宅以外での使用も本来なら禁止だ。この力のことをだれかにしられた場合、大変な罰則が待っている。罰則の内容については幼い頃から言い聞かされており、あまりのおそろしい内容にふるえあがったものである。
 せっかく生まれ持った能力なのに、私はこれを自由に使うことができない。こんなにおもしろい特技があるのに、だまっていなくてはならないのだ。
 幽霊を肯定する根拠もここにある。こうして超能力が実在するんだから幽霊がいたとしてもおかしくないではないか。だってどちらもオカルトだ。親戚みたいなものだ。しかし友人に根拠を聞かれたとき、超能力者が実在する証拠を提示できなくて結局はだまりこむしかなかった。だってこの力のことはひみつにしておかなくちゃいけないから。
 というわけで、私は念力を利用して仲良しグループに心霊現象をしかけることにしたのである。幽霊を信じさせるための作戦行動だ。まず準備段階として私は彼らに宣言した。
「実はさあ、私って霊感があるんだよねえ」
 すると友人Aが目をまばたきさせて「ん? ん?」と聞き返す。突飛な発言すぎて理解できないからもう一回言ってみて、という表情だ。
「霊感があるから、道をあるいてたら、ついてきちゃうんだ、幽霊が。みんなのところにも行くかもしれないけど、ごめんね」
 友人たちは困惑していた。ギャグなのか、本気なのか、それともまた別の意図があるのかと。私たちの会話が聞こえていたらしく、ヤンキーの女子たちが「天然バカ女」とささやいているのがわかった。
「そうなってほしくないよ、星野」
 仲良しグループのイケメン、藤川が心配そうな顔つきで言った。
「いるよな、注目をあびるために、霊感があるとか言う奴。おまえにそうなってほしくないんだよ」
「よく言うよ。ひろった財布のお金でジュース買ってたくせに」
「ゆるせ、おまえのだってしらなかったんだ」
 以前、みんなでゲーセンに行ったときのことだ。私が財布を落としてこまっていると、こいつが自販機でジュースを買ってもどってきた。「いいもんひろっちまった、ラッキー!」とうれしそうにしているこいつの手には私の財布が握りしめられていたのである。ちなみに友人Aだけは本気で私のことを心配していっしょに財布をさがしてくれた。仲良しグループで彼女との交流が密なのはその一件があったからだ。
「私の財布としらなかったからって、勝手にジュース買っていいわけないでしょ。それより、ほんとうにあるんだよ、霊感」
 私は咳払いして、教室の天井の一点を見つめ、はっとするような演技をする。友人たちは私の視線を追いかけるが、もちろん何も見えていないはずだ。だって何もないのだから。
「幽霊と目が合った! みんなも気をつけて。……何か、いやな予感がするの!」
 全員が懐疑的な顔をしていたけれど、授業時間に発生した出来事が、私の言葉に真実味をもたらす。
 英語の授業中のことだ。友人Aは私からすこしはなれたところにある自分の席で黒板の文字をノートに書き写していた。しかし突然、悲鳴をあげて立ち上がる。全員の視線が彼女にあつまった。友人Aはおびえた表情で足下を見ていた。
「今、だれかが、私の足に……」
 彼女の足首を何者かが強い力でつかみ、ぐいぐいとひっぱったという。その手は、ぞっとするほどひんやりとしていたらしい。
「寝ぼけていたんじゃないのか?」
 友人Aの話を聞いて先生はわらった。周囲のクラスメイトたちも同調する。しかし彼女は、靴下の内側をのぞきこんで悲鳴をあげた。足首の皮膚に、何者かがつよく握りしめたような手の跡が、うっすらと赤くなってのこっていたのである。
 だけどそれは幽霊の仕業などではない。授業中に私が見えない手をのばし、席にすわっている彼女の足首をつかんだのだ。彼女の足首にできた手の跡と、私の手を重ねてみれば、ぴったりとそのおおきさが一致しただろう。念力と言っても、形のないエネルギーを自由自在にあやつっているわけではない。私の両腕が拡張して距離をのばしたようなものだ。透明な手でだれかをばちんと平手打ちすれば、そこには手の形の痕跡がのこる。
 その後も教室で不可解な現象がつづいた。授業中、突然に耳をくすぐられた者がいるかとおもえば、髪の毛をひっぱられた者もいる。だれも触れていないのに筆記具が持ち上がり「タスケテタスケテタスケテ……」とくり返しノートに文字を書いたかとおもえば、黒板に無数の手形が出現することもあった。
 怪異は私の仲良しグループを中心に発生した。透明な手をのばして彼らの体にさわりまくる。彼らは「冷たい手が触れた」とおびえる。私の念力は熱の交換をともなった。透明な腕がもたらす仕事は私の生身の腕にもはねかえってくる。そいつで何かを受け止めれば私の腕は衝撃を感じ、そいつで焼けたフライパンにさわったら私の生身の手も火傷を負う。授業中、私はひそかに机の下でアイスノンを握りしめていた。冷凍庫で凍らせておいて発熱時に額にのせておくゲル状のやつだ。生身の手を冷やしておいて、透明な手で友人の首筋に触れたなら、そこで熱の交換がおこなわれる。透明な手を経由して、友人は熱をうばわれ、「冷たい!」と首筋に感じるわけだ。
 心霊現象が生じるたびに、私は教室で顔をこわばらせ、「霊がいる霊がいる霊がいる……」とつぶやいた。だれにも視線をあわせず、心を閉ざした少女みたいにふるえながらうつむく。はじめのうちはその演技がたのしかった。仲良しグループの友人たちが顔を蒼白にさせて私に相談する。
「星野、どうしたらいい? どうやったらこの現象はおさまるんだ?」
 私は深刻な表情をして首を横にふる。わからない。だけど、霊が教室に住み着いているのは確かだ。そのうち勝手にいなくなってくれるのを待ったほうがいい。そんな風にアドバイスをしておいた。これはなかなか気分がいい。私が彼らの優位に立つことがこれまでにあっただろうか。図に乗って何日もそんな感じで演技をつづけていたら、友人Aは暗い顔をすることがおおくなって学校に来なくなった。他の友人も似たり寄ったりだ。学校には来るけれど教室がこわくていつも保健室に逃げ出す子もいる。やりすぎてしまったのだ。友人たちは不可解な出来事に疲れ果て、悩み、人知れず心を折ってしまっていたのである。心霊現象のいたずらをしかけるようになって一週間、仲良しグループのみんなは教室からいなくなっていた。

 私の母は専業主婦である。おっとりとした性格で、天然という言葉は本来、母にこそ似合う。視力がわるいのでいつも眼鏡をかけているのだが、洗顔するときに眼鏡をはずしわすれ、そのまま水をばしゃっと顔にかけてしまったことは一度や二度ではない。
「お母さんって、天然だよね」
「ちがうよ! 失礼ね!」
 そう言いながら母は目薬をさす。眼鏡のレンズに目薬の水滴がのっかった。
 ある日、私がマンションのエレベーターを降りて自宅の玄関扉を開けて「ただいまー」と口にすると、つよい力で首をつかまれる感触があった。廊下の先で母が仁王立ちになって眼鏡越しに私をにらんでいる。
「ちょっ、まっ……」
 私はおどろいて、自分の首に両手をやり、圧迫している力を取り除こうとする。しかし私の首には何も巻き付いてはいない。首の皮膚が指の形にへこんでいるのがわかる。
「学校のこと、聞いたよ。泉、あんたの仕業でしょう」
 首を圧迫しているのは母の透明な手だ。ふりほどこうとしても、私の指はそれをすり抜けてしまうので引きはがせない。教室で起きていた怪奇現象の件が母の耳にも入ってしまったらしい。それが私の念力によるものだと理解したのだろう。
「わかったから! これ、はずして!」
 咳きこみながらそう言うと、母は念力による首への締め付けを解いてくれた。自由になり、私はほっと安堵する。母は頬をふくらませ、怒った顔のまま腕組みをしていた。その状態で一歩もうごくことなく、私の腕を念力でつかんでひっぱる。抵抗むなしくリビングのソファーに座らされた。
「乱暴しないで!」
 私は透明な腕を突き出して、数メートルはなれた位置にいる母の肩を押す。母はよろめいた。「やったわね!」と母が言った直後、私の頭にバチンと衝撃がくる。子どものころみたいに念力ではたかれてしまったのだ。私は頭をおさえてうめく。事情をしらない第三者がこの場にいたら、母は勝手によろめいただけに見えただろうし、私の頭が唐突にバチンと音を発したように感じられただろう。まさかこんなマンションの一室でサイキックバトルがおこなわれているとはだれも想像するまい。
「お化けのいたずらは、あんたがやったのね? ばれたらどうするの!」
「ばれないようにやってるよ!」
「自分のしたこと、わかってる? もしもみんなが、この力に気付いたら……」
「わかってるよ……」
 母の家系には大昔から掟がある。念力のことをだれかにしられたら、口封じのために相手を殺さなくてはいけないのだ。私たちにはそれがかんたんにできる。たとえば重要な血管をぷつんとちぎってしまえばいい。透明な腕は物質をすり抜けて作用する。相手にさとられずに体内の血管をちぎることなんて、数学の宿題よりもやさしい。もしもクラスメイトの全員が私の念力に気付いたとしたら。その場合、親族中に連絡がまわり、人手があつめられ、クラスメイトの全員が口封じのために一晩のうちに消されてしまうことだろう。自然災害や事故を装って、村や町がまるごと消された例をしっている。
 それでも私がついこんなことをしてしまったのは、自分の能力を利用してみんなにぎゃふんと言わせたいという気持ちがどこかにあったからだろう。ところで、念力のことをしられても、相手を殺さなくてもいい唯一の例外がある。それは相手が配偶者か、もしくは配偶者候補の場合だ。
 父が会社から帰ってきて夕飯になる。ダイニングのテーブルで料理を囲み、母が父に学校の心霊騒動の件を相談する。父は念力こそつかえないが、母の家系のことや、私にもその力があることは把握している。父は私をしかった。
「泉、外でその力をつかったらだめだ。ばれたら、たいへんなことになってたんだぞ」
「わかってるよ……」
 脳天気なバラエティ番組でもながめてわらいたい気分だった。テレビをつけようとしたらリモコンがはるか遠くにある。リビングのローテーブルの上だ。私は魚のフライをかじりながら透明な腕をのばしてリモコンを操作した。テレビの画面が明るくなる。
「こらっ、まじめな話をしてるのよ」
 母がテレビのリモコンをちらりと見る。ぷつんと画面が暗くなった。私は再び念力でテレビをつける。それからリモコンをソファーの下に逃がした。母は食事の手を休めずに、リモコンをソファーの下からひきずりだす。室内をリモコンが飛びかい、行ったり来たりする。父にとっては見慣れた光景なので、気にせずビールを飲みながらテレビ画面を見ている。ふと、父が言った。
「これ、しってるやつだ。前に親戚であつまったとき、みんなで見たんだ」
 私は母とのリモコンの取り合いを中断してテレビに見入る。放送中のバラエティ番組は、ネットに投稿された話題の動画を紹介するという内容だった。スマートフォンで撮影されたものらしい手ぶれのひどい映像が取りあげられている。動画共有サイトに投稿されて何百万回も世界中で再生されているものらしい。不思議な映像だった。椅子がふわりとうかびあがって室内を飛び回っている。それを見上げている白人の赤ん坊も、重力から解き放たれて天井ちかくまで上昇する。空中で一回転し、飛び回る椅子にすわってしまう。赤ん坊はたのしそうにわらいながら空中遊泳をたのしんでいる。ついに超能力のことが世間にばれてしまったのだろうか。
 ナレーションによれば、それは本物の映像ではないらしい。CGアニメのスタジオではたらいているお父さんが、子どもの映っている映像に細工をほどこしたものだという。
「なあんだ、そういうこと」
 私は理解する。つまり作り物だったというわけだ。
「この動画を作らせたのは、大叔父さんだよ。海外のCG制作会社に出資して制作したんだ」
「どうしてわざわざ?」
「超能力者が実在するってことをかくすためだ。CGの技術でこういう動画がかんたんに作れるってことを世間に印象づけたいのさ」
 父は私を見る。
「たとえば、泉が超能力をつかってるところを隠し撮りされたとする。その動画をネットの動画共有サイトに投稿されたとしても、【どうせCGでしょ】としか人々はおもわないはずだ。そうなってくれれば、口封じのひつようもなくなる」
 テレビ画面の中で、まだ赤ん坊が空中遊泳をたのしんでいる。大叔父は心配性なんじゃないか、と私はあきれたものだが、後にこの動画のおかげで秘密は守られることになる。

この続きは、好評発売中『私は存在が空気』(四六版)でお読みになれます。 (※この原稿は、連載時のものです。刊行に際し、著者が加筆・修正しています)

著者プロフィール

  • 中田永一

    2008年、『百瀬、こっちを向いて。』で単行本デビューするや、各方面で話題に。14年には映画化され、再び注目を集める。著書『吉祥寺の朝日奈くん』『くちびるに歌を』もまた、映画化されている。