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  • 連載第29回 2017年6月15日更新
エリュアール『詩と真実 一九四二年』  ダリとガラが亡命先のアメリカでセレブとなり、豪華絢爛たる生活を送っていたそのころ、ポール・エリュアールとニュッシュ夫妻はナチ占領下のパリで暗く惨めな毎日を過ごしていた。食糧や石炭の欠乏もひどかったが、それ以上にエリュアールを苦悶させたのは、独ソ不可侵条約の締結以来、ナチには抵抗しないよう説き続けるフランス共産党の煮え切らない態度だった。スターリンが独ソ不可侵条約を遵守(じゅんしゅ)しているため、フランス共産党は支持者たちに隠忍自重を呼びかけていたのだ。共産党シンパだったエリュアールもひたすら暗い時代を耐え、沈黙を守るしかなかった。  愁眉を開いたのは、一九四一年六月にヒトラーが不可侵条約を破棄してソ連領内に攻め込んでからのことである。 エリュアールは翌年、非合法の共産党に再入党し、レジスタンスの合言葉となる「自由」を含む詩集『詩と真実 一九四二年』を出版する。  「ぼくの生徒の日のノートの上に   ぼくの学校机と樹々の上に   砂の上に 雪の上に   ぼくは書く おまえの名を   読まれた 全ての頁の上に   書かれてない 全ての頁の上に   石 血 紙あるいは灰に   ぼくは書く おまえの名を (中略)   そしてただ一つの語の力をかりて   ぼくはもう一度人生を始める   ぼくは生まれた おまえを知るために   おまえを名づけるために   自由(リベルテ) と」(安東次男 訳)  エリュアールは最初、この詩をニュッシュのために書いたという。ところが、最後の最後になって、「自由」という言葉がペン先からほとばしり出たのである。 『詩と真実 一九四二年』はわずか一〇〇部印刷されただけだったが、またたくまにレジスタンス参加者の間で書き写され、ついには反ナチの人たちに共有される意思表明(マニフェスト)となる。  エリュアールは旧友アラゴンとともに全国作家委員会を組織し、非合法出版の組織化に取り組むが、当然ながらゲシュタポに付け狙われ、ニュッシュとともに隠れ家を転々とする日々を送ることになる。  だが、こうしたレジスタンスの生活にも終わりがやってくる。一九四四年六月六日、いわゆるDデイに、連合軍がノルマンディー海岸に上陸したのだ。八月二十六日には、自由フランス軍のルクレール将軍率いる戦車部隊がシャンゼリゼに凱旋し、パリは解放された。  対独協力者(コラボ)狩りが続く中、エリュアールはニューヨークのガラの連絡先を突き止め、往復書簡を再開する。エリュアールは一九四五年三月十八日付けの手紙でガラに書き送る。 「こちらでの生活はたいへん厳しく、大勢の人が病に倒れています……わが家には火の気がありません……例年になく寒いです」「ほとんどいつも恐怖が目の前にありました。ぼくたちは力の限りをつくして希望し、絶望し、怒り、闘い、そして年老いました。ぼくにはもう、うまく笑うことができません」(ドミニク・ボナ『ガラ 炎のエロス』岩切正一郎訳 筑摩書房 以下、引用は同書)  しかし、食糧難の続く戦後の辛い日々にあってもエリュアールはガラへの愛を語り続ける。 「過去はみな遠い、君をのぞいては、というのも、君はいつだってぼくのなかにいるはずなのだから、可愛いガラ……」(同書) エリュアールの記憶の中では、ガラは永遠に若く、美しく、十九歳の新妻のままなのだ。いまではガラとの間に生まれた娘セシルも結婚し、離婚し、再婚しているというのに。セシルはガラからまったく愛されずに育ったせいか、愛に飢え、そのため、恋愛では失敗を繰り返していたようだ。さすがのエリュアールも娘に対するガラの冷淡な態度をそれとなくとがめるような手紙を送ることもあった。 「セシルは君を郷愁のように愛しています」「あの子は、長い年月ひとりぼっちだった」「わりと気丈な子なのに、君のことを口にするといつも泣いているんだ」(同書)  とはいえ、戦後、エリュアールにも明るい未来が開けたように思える瞬間もあった。 ゲシュタポの弾圧に屈しなかったレジスタンスの神話が人々の間に浸透するにつれ、エリュアールの詩集はベスト・セラーとなり、世界中のファンに親しまれるようになる。エリュアールはガラに率直に書いている。 「ぼくの本はたいへん売れ行きがいい、注文に追いつかないほどです」「解放以来、詩で悪くない小遣い稼ぎをしています。こんなにもうかるとは思ってもいなかった」(同書) ガラへの最後の手紙 だが、明るい陽光が差し込んできたと思ったのもつかの間、大きな悲劇がエリュアールを襲う。一九四六年十一月二十八日、オルドネール通りの旧宅でグランデル夫人の看病に当たっていたニュッシュが脳溢血に見舞われ、そのまま帰らぬ人となったのである。 悲しみから立ち直れないでいるエリュアールに代わってセシルが母のガラに手紙を書き送る。 「どうしてあげればいいのか分からないんです……どうすれば笑顔を取り戻してくれるのでしょうか……」(同書) 普通の母親だったら、実の娘からこう訴えられたらすぐにでも帰国して元の夫を励ましてやりたいと思うだろう。だが、ガラはちがった。普通の母親ではないから、娘の訴えにも通り一遍の返事を返しただけで、孫が生まれたという知らせに心を動かすこともなかった。 いっぽう、エリュアールはというと、ニュッシュを失った悲しみから立ち上がれないままでいた。「ぼくのガラ、こんな調子ですみません。あまりに打撃が大きすぎました。ぼくの人生は空虚です」「ニュッシュの墓だけがぼくに残された彼女のすべてです」(同書) だがそんな悲しみの中、ガラに宛てた一九四八年二月二十一日付けの最後の手紙においてさえ、エリュアールはガラへの愛を語るのを忘れてはいない。 「可愛いガローチカ、なんて君に会いたいんだろう!」(同書) 最後までエリュアールはガラを深く愛し続けたのである。 冷たい炎 フランスに留まってレジスタンスに加わったエリュアールとアラゴンを別にすると、ブルトン、マックス・エルンスト、イヴ・タンギー、フェルナン・レジェなど、シュールレアリストの多くはアメリカに亡命し、さえない流謫(るたく)の日々を送っていた。とくにブルトンはほとんど英語を解さず、アメリカの社交界や美術界とも付き合あわず、亡命したシュールレアリストたちをグリニッジ・ヴィレッジの自宅アパルトマンに集めて、あたかもパリでの生活の延長のようにしようと試みていた。 それもあって、シュールレアリスムの輪はアメリカでは大きく広がらず、生活も苦しいままだった。  では、無一文に等しいブルトン夫妻を援助していたのは誰かというと、これがエルンストだった。エルンストはグーゲンハイム財閥の娘ペギー・グーゲンハイムと結婚したために金回りがよく、ブルトンに援助の手を差し伸べることができたのだ。  しかし、だからといって流謫の生活がバラ色に変わるというわけではなく、ブルトン自身にも思うに任せない鬱屈がたまっていた。 それは当然、 夫婦関係にも影響を及ぼすことになる。ブルトンよりも英語を解した妻のジェルメーヌは夫のもとを去り、ブルトンは離婚に同意する。エルンストもドロテア・タニングという新しい恋人ができたためペギー・グーゲンハイムと別れてしまう。  このように、亡命したシュールレアリストたちはアメリカ滞在中に離婚に追い込まれるケースが少なくなかったが、ダリとガラだけは例外で、世にも稀な強固な絆で結ばれていた。なぜなら、ダリにとってガラは妻であり、ミューズであり、母である以上に、生命の根源、エネルギーの源だったからである。ドミニク・ボナは次のように書いている。 「彼女にはなにか神秘的なところとおびき寄せるところがある。美しくもなければ魅力的でもないのに、興味をかきたて、そこにいるだけで事件となる。ダリは忠実にその本性にひそむ磁力を描きだしている。ガラの磁力とは、それが絵を貫通し、みるたびに鑑賞者へ伝わるのである。エネルギーと意志とが感じられるこの人の中心には炎がある。けれどもこの炎は奇妙だ。ガラの炎は冷たい」(同書)  そう、ガラの炎はダリにだけは燃え盛る生命の炎と映るのだが、ダリ以外の人間には冷たい炎としか感じられない。なぜなら、それは金銭の冷たさを持った炎だからである。 「ダリはダリのままでいる、どんな疑いをも越えた芸術家でいるのだ。彼は生きるために描くというよりはずっと、描くために生きている。夫婦のうち、深く物質主義的なのはガラのほうなのだ。成功へむかうダリの狂熱的な疾走において、彼女こそはその真の原因になっている。編集者、ジャーナリスト、広告業者、彼のスタイルの愛好者、といった顧客の要求をみたすためにせっせと仕事しているのは、彼女がそれを望むからであり、彼女が尻をたたくからであり、彼女みずから注文を出し、契約をきびしく検討しているからなのだ。マネージャーの厳しさでもって、彼女はつねにもっと多くを求める」(同書)  では、こんな苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)なマネージャーに搾取されているダリはその軛(くびき)から脱しようとは思わなかったのだろうか?  なんと、ダリは常々、「私はガラに支配されることを熱烈に好んでいる」と公言し、事実、その通りにこの金銭神の奴隷となって嬉々として働いていたのである。まさにマゾヒスムの極みである。 しかし、それにしても謎は残る。ガラはなにゆえにかくも貪欲に蓄財に励んでいたのだろうか、という疑問である。 「ガラの人格の底には、鎮めることのできない不安がある。二重底の不安だ。(中略)じっさいにはいたって健康に恵まれているのだが、つねに体調をくずすことを恐れている。移動するときにはトランクいっぱいの薬をもち歩き、足繁く医者に通い、黴菌を恐れてしょっちゅう手を洗っている。この病的な恐れは、年とともにますます強くなり、サルバドール・ダリにもうつるのだが、そこには貧乏にたいする大きな恐れがともなっている。ガラはいつも、不足することが怖い。裕福になっても安心するどころか、逆に、いつか貧しくなる、貧乏に逆戻りするのではないかという強迫観念が強まってしまう。貧乏になるとは、医者にかかるお金がもうなくなってしまうということなのだ」(同書) なるほど、一文なしになって誰からも見向きもされなくなり、病気になっても医者にもかかれないという不安がガラをして極端な吝嗇(りんしょく)へと駆り立てたのである。たしかに、ガラは、エリュアールがエルンストの三人所帯に耐え切れずに出奔(しゅっぽん)したとき、また、エリュアールの家を飛び出してパリでダリと同棲を始めたころ、いずれもシュールレアリスト仲間から助けてもらえずに孤立無援の闘いを余儀なくされたことがある。 おそらくそのときに、ガラは貧困というものがもたらす恐怖と不安をいやというほど味わったにちがいない。そして、そのときのトラウマが心の奥深く居座り、蓄財すればするだけ失うものへの不安が大きくなっていったのだ。 欲望  ところで、普通の夫婦だったら、異常な蓄財欲に駆られた妻が夫を駆り立てて奴隷のように酷使したなら、夫はどこかで音を上げて逐電を試みるだろうが、まことに幸いなことに、先に指摘したようにダリはマゾの塊だったから、締め上げられれば締め上げられるだけうれしくて創作に励んだのである。この意味では、捩(ねじ)くれた関係にあるとはいえ、ガラは紛れもないダリのミューズであったのだ。 では、ダリのほとんどの絵の中でモデルをつとめていたガラは性的にはいかにして欲望を満たしていたのか? というのも、SM関係というものは、Mは常に欲望の充足を得るが、Sはサーヴィスにこれつとめるだけで自らの欲望を満たすことはできないというのが定理だからである。  おまけに、ダリは精神的なマゾヒストではあっても、肉体的にはむしろ覗視症のオナニストであった。つまり、ガラの裸体を覗きながら自らを慰めるのが最高の欲望充足であり、肉体的接触はできるならこれを避けたいというのが本音であったのだ。 「彼は自分の性的なかたむきを隠さない。自分は覗きをする者だと定義し、ガラよりほかの女の体にさわりたいという欲望を感じたことはないのだと説明し、なによりも、視線とマスターベーションの快楽をたのしむのだと明言する。(中略)ダリによれば、見ることと想像することだけがエロティックな機能なのだ」(同書) いっぽう、ガラはというと、こちらは極め付きの変態であるダリがファンタスムを充足する手助けには協力を惜しまないが、しかし、だからといって自分の肉体の要求を抑圧するということはなかったのである。  ガラが欲求を満たすために選ぼうとした若者の一人に、かつての恋人マックス・エルンストの息子のジミー・エルンスト(ウルリッヒ)がいた。父とともにアメリカに亡命していたジミーはさるレセプションでダリ夫妻と知り合った。翌日、一緒にショッピングに行かないかと誘われて、ジミーが待ち合わせの場に赴くと、ガラが一人でやってきた。ダリは体調が優れないので来れなかったのだという。  ロシア風ティー・サロンで休憩したとき、ジミーはガラがしきりに膝や太ももやふくらはぎを擦りつけてくるのに気づく。果たせるかな、帰り際、ガラは一緒にホテルまで来てくれないかと誘った。ダリはもう眠っているからというのだ。ジミーは挨拶もそこそこに辞去したが、しばらくして、別のレセプション会場でガラに再会した。 ガラはつかつかと歩みより、「なにさ、糞ったれ」と露骨な言葉でジミーをののしったのである。  同じような証言はまだたくさんある。ダリ作品の熱烈な収集家であるレイノルズ・モースは一九四二年にダリのアトリエを訪ねたが、そのときガラはエロティックなデッサンをたくさん見せてから、おもむろに誘いをかけてきた。ガラは一八九四年生まれだから、このとき四十八歳。肉体の疼きはより激しくなっていたのだろう。   卵の夢  一九四八年七月、戦後の秩序がようやく落ち着いたと判断したダリとガラはアメリカを去ってスペインに戻る決心をする。 スペインはフランコ政権下だから、 心ある芸術家は亡命を続けたが、熱烈な王党派でありフランコ支持者であるダリ夫妻にとって強圧政治はなんら帰国の妨げにはならなかったのである。 戦後、航路を復活させたトランザトランティク(大西洋横断汽船)でル・アーヴルに降り立った夫妻は、パリのポール・エリュアールにも娘のセシルにも会おうとせずに、まっすぐにキャデラックでポルト・リガトに向かう。  ポルト・リガトで、夫妻はアトリエに使っていたあばら家を改装・増築してシュールレアリスムそのもののような「ダリの家」をつくりあげるが、その象徴となったのはダリが「ガラの卵」と呼んでいた卵形のサロンである。装飾としては白くて丸い大きな暖炉と壁に張られた円形の鏡、それに壁際に配されたベンチがあるだけでほかにはなにもない。 「ガラは、ひとりの時はこの卵形の部屋にいるのがいちばん多い。ここに来て読書し、夢み、縫い物をし、手紙を書く……さらに階段をのぼると……迷宮の最上部、ふたつの巨大な麦の粒と、エスカルゴの殻を調度にもつ、サフラン色の椅子のあるサロンをみおろして、ダリ夫妻の寝室が、ロフトのような案配で宙に浮き、鏡をつかって海をみつめている。(中略)それは絶対的なきょうだいの結合の夢、卵といっしょになりたい卵の夢。愛しあうために生まれながら結ばれることのできないふたりの存在がみる不可能な結合、近親相姦の結合の夢なのだ」(同書) 世にも不思議な最強のカップル こうして、自分たちのファンタスムを象徴したようなインテリアの家に身をおちつけたダリとガラは世にも不思議な「最強のカップル」として戦後の世界を生き抜いていく。  そんなとき、エリュアールの死の知らせがポルト・リガトにもたらされる。一九五二年十一月十八日、狭心症の発作に見舞われてポール・エリュアールは突然、世を去ったのである。享年五十六。一年半前にドミニック・ルモールという若い娘と結婚したばかりだった。共産党や左派勢力が強い時代だったので、葬儀はペール・ラシェーズ墓地で盛大に行われ、全左翼人が葬儀に参列した。  エリュアールの死後、セシルはポルト・リガトまで出掛けてガラを訪ねたが、その鼻先でドアは閉じられた。ガラはセシルの母であるよりもダリの妻であることを断固として選択していたのである。  一九五〇年代を通じてガラはマネージャーとして敏腕をふるい、より激しく蓄財に励むが、一九六〇年代に入って、シュールレアリスム再評価の機運が高まると、逆に差配の情熱を失う。若者文化の隆盛でポルト・リガト詣でをするダリ信者が増え、「儲からない客」ばかりが次々に訪れてきたかららしい。あいかわらず、金銭を溜め込むことは大好きだが、あまりにも巨大になりすぎた「ダリ商会」の管理は彼女一人の手には余るようになった。  そこで、ガラは敏腕のイギリス人秘書とフランス人カメラマンを雇ってマネージメントと雑務を任せる。スタッフはどんどん増えてゆき、ダリ・ファミリーを形成する。現代のスーパー・スターを囲むいわゆる「プレスリー・ギャング」や「マイケル・ジャクソン・ギャング」の走りである。 「彼らの愛は巨怪であり、銀行預金も巨怪、実り多いふたりの結びつきの特徴も巨怪だ。栄光の上昇率もまた巨怪である。このあまりにも求めすぎた栄光のために、ついには、かつてあれほど愛し合っていたこのカップルが、神話にふさわしい怪物的な夫婦になったのだった」(同書) かくて、このモンスター・カップルは、世界を驚かせ、呆れさせ、楽しませながら、三〇年間にわたって世界の美術市場に君臨し続けたが、一九八二年にガラが動脈硬化からくるケガが原因で六月十日に息を引き取ると、ダリは完全に生きる気力を失い、さながら羊水の中に眠る胎児のようにポルト・リガトの「ダリ城」に引きこもって七年間生きたあと、一九八九年一月二十三日に永眠した。  エリュアール、エルンスト、ダリという二十世紀を代表する詩人や芸術家に熱烈に愛され、「最強の女」のグラン・プリに輝いたガラ。  だが、その本当の魅力はいったいどこにあったのか?  これこそは、どうしても解きあかすことのできない「二十世紀最大の謎」の一つなのではなかろうか?

(完) この連載は加筆のうえ、2017年に祥伝社から出版の予定です

著者プロフィール

  • 鹿島茂

    仏文学者。明治大学教授。専門は19世紀フランス文学。『職業別パリ風俗』で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。新刊に『ドーダの人、森鴎外』、『ドーダの人、小林秀雄』がある。