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  • 第7回〝親日国″〝知日国″の隠れ世界ナンバー1はポーランド(中編) 2015年3月1日更新
 4年前の2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生しました。マグニチュード9.0は日本観測史上最大であり、岩手、宮城、福島など東北地方から関東までの広範囲にわたり、自然災害そして原発事故での放射能漏れによる甚大な被害をもたらしました。死者・行方不明者数は、震災関連死を合わせると2万人を超えています。
 大震災発生直後から、世界中の眼が日本に釘づけとなりました。日本列島が悲しみに包まれる中、不幸中の幸いだったのは、避難所で助け合う被災者たちの姿、組織的かつプロフェッショナルな救援活動など、冷静さ、真面目さ、我慢強さ、秩序を重んじる心、公共心などについて、日本人があらためて世界各国から賞賛されたことかもしれません。また、千羽鶴を折ったり『ふるさと』を歌ったり、世界各地で日本文化を体験してもらう機会にもなったようです。
 募金活動やチャリティーイベント、追悼行事が次々と催され、世界中から物心両面でのサポートが続く中、ポーランドでも日本語を学ぶ若者たちが動き出していました。しかも、それが後に〝日ポ史上初″となる交流事業へと繋がっていったのです。

被災地へ届いたボロボロの段ボール箱
 2011年の秋、仙台白百合学園中学・高等学校(宮城県仙台市泉区)にボロボロの段ボール箱が届きました。その送り主は、同学園にとっては見知らぬポーランド共和国の南部に位置する古都クラクフ市の日本語学校でした。箱を開けてみると、手紙がびっしり入っていました。1通1通の手紙には、「皆さんお元気でしょうか?」「日本のことを心から心配しています」といった手書きの日本語文と名前や年齢などが記され、テディベアの携帯ストラップも同封されていました。
 200通ほどの手紙を収めたこの段ボール箱は、ポーランド郵便が「安全が担保できない」と陸上郵便で送ったことにより、シベリア鉄道、ナホトカ(ロシア連邦の極東部、沿岸地方に面した商港都市)、日本海から新潟を経て仙台へ。実に5カ月近くユーラシア大陸を〝旅″しながら、目的地に届いたのでした。

 サンスター日本語学校の生徒。 「漫画家を目指しています!」(著者撮影)

 その送り主は、前編でもご紹介したサンスター日本語学校(以降サンスター)でした。  テレビが報じる大津波の映像に驚き、自分のことのように憂いたサンスターの生徒たちが、「自分たちにできることは何なのか?」を時に涙しながら話し合い、「日本語で手紙を書いて被災地へ送ろう」と決めたのでした。手紙の送り先については、宮城県や福島県など被災地にあるカトリック系の学校に焦点を定め、インターネットで検索したそうです。    シャルトル聖パウロ修道女会を母体とするカトリック系のミッションスクール、仙台白百合学園中学・高等学校の阿部和彦教頭は、2011年の当時をこう回顧しています。  「不幸中の幸いは、生徒から死傷者が出なかったことです。学園の体育館やホールの天井が落ちるなど結構な被害があり、学内の様々な仕事に追われ正直なところキリキリしていました」  東北最大の沿岸都市、仙台市は海岸平野部で多数の死者・行方不明者を出し、津波浸水地域の面積は石巻市に次ぐ広さでした。ただ市街地は内陸の平野部に発達しており、仙台白百合学園も市内北西の内陸部にあり、津波の被害からは逃れることができました。  とはいえ、同学園の生徒の自宅は方々にあります。大震災から5カ月ほどを経ていても混乱が続いている状況でしたが、青木タマキ学校長が音頭を取り、生徒たちと教師が手紙をおみくじのように無作為に選び、各々宛ての返事を書くことになったのです。  これを契機に、サンスターと同学園との文通が始まり友好を温め合うことになりました。そして翌2012年6月下旬より、第1弾として日本語力が比較的高い高校生女子の8人、同学園の生徒宅で2週間ホームステイしながら同学園に体験入学をすることが決まりました。  ホームステイ受け入れの名乗りを上げた1人は、宮城県のほぼ中央、太平洋岸に位置する宮城県塩竈(塩釜)市在住の佐藤梓さん(2015年2月末現在、慶應義塾大学・法学部政治学科に進学予定)でした。海沿いに建つ家の半分が津波に持っていかれ、改築工事が完了していない時期だったのにもかかわらず、受け入れを決めたのでした。世界4大漁場に数えられる三陸沖を望み、生マグロの水揚高は日本一、かまぼこなど魚肉練り製品の生産地としても著名な塩釜で、佐藤さんのお父さんは漁師を海に派遣する会社を経営しています。大震災が発生した瞬間、その漁師たちは震源地のほぼ真上の海上で漁をしていたそうです。船体が折れるほどの巨大な力で下から突き上げられたのですが、沖に出ていたことで岸に向かう大津波に呑み込まれることなく九死に一生を得たのでした。  ポーランドからの女子高校生8人は、仙台白百合学園で同世代と共に授業に参加し、課外活動を楽しみ、宮城県中部の東松島市矢本にある仮設住宅を慰問し、帰国前には東京に数日滞在し、東京スカイツリーや浅草、アキバこと秋葉原周辺、新宿を観光するなど、計3週間の日本滞在を経験しました。これは、日本とポーランドの間で史上初となる高校短期留学プログラムとされます。   ナマの日本人を見たことがなくても日本が好き!  サンスターの兵頭博代表(校長)がこう語っています。  「大震災直後の3月中旬、生徒約150人がつたない日本語を駆使して、被災地の同世代の若者たちに自発的に手紙を書いてくれたことは本当に嬉しかった。ポーランドの生徒たちは、日本の同世代との交流を心から望んでいます。その一方、正直申し上げてポーランドの学校との交流を希望する日本の中学校や高校など皆無に等しいのです。事実、大震災が起きる前までの数年間、50校ほどの日本の高校に、交流のご案内をクラクフのガイドブックや生徒たちの写真などを添えて郵送したのですが、返事が来たのは2校だけ。それも『誠に残念ですが……』という内容でした。ですから被災地で大変な時期でありながら、お返事をいただき、翌年には短期留学プログラムという形につながるなんて、奇跡であり感謝の一言です」  アメリカとイギリスの大学で学びポーランド人女性と結婚、ポーランドに移り住みクラクフ第2高校で英語教師をしていた兵頭氏が開校したサンスター日本語学校は、2015年現在、中学生から社会人まで約250人が通っています。教師時代、学校からの提案で部活動の「日本語部」が立ち上がり、それが評判となったことで一般市民にも開放され、1998年からは独立した日本語学校(日本語塾)として現在に至っています。  確かに、日本の中学や高校で国際交流や海外修学旅行を企画するなら、英語圏以外では隣国の中国や韓国、台湾などアジア諸国を対象とするのが一般的です。物理的距離はもちろん、民族、言語、宗教といった違い以外、情報量の乏しさから旧東欧・中欧あたりは「遠い」イメージがあります。  クラクフは約270万人のユダヤ系ポーランド人が亡くなったとされるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に近く、旧市街のまさにヘソの部分がいち早く世界文化遺産に指定されたこともあり、欧州有数の観光地といえます。「最も美しく、最も好きな都市」の1都市として、西洋社会からの評価は今日に至るまで絶大です。なのに、首都ワルシャワを含め日本人の観光客、居住者含め多くありません。その上で、ポーランド人の(たとえ一部かもしれませんが)日本を熱烈に〝片思い″している空気があるのです。  サンスターの講師も、優秀なポーランド人が担っています。つまり兵頭代表以外、ナマの日本人をおそらく1人も知らない、ヨーロッパの外にも出たことがない、サンスターの女子高校生8人が、「夢にまで見た」日本で何を感じたのでしょう?  「日本人は親切で、礼儀正しい」「学校に様々なルールがあることに驚きました」「学校生活で、先輩を尊敬していることが分かりました。ポーランドには、先輩という表現がありません」「ホームステイ先で経験した『行ってきます』『行ってらっしゃい』『ただいま』『おかえり』『いただきます』といった表現は、ポーランドにないので新鮮でした」「とても安全で、トイレにカバンを置き忘れたけれど何も盗まれませんでした」「ウォシュレットに驚きました(笑)」「工事現場に、車や歩行者を誘導するための人員がいるなんてすごい!」「車内では携帯ばかり見ていますね」「山、森林、海、自然の美しさに感動」など。  兵頭代表は、「生徒たちが感じた日本人の素晴らしさは『思いやり』『礼儀正しさ』『美しさ』の3つの表現に集約されます」と語っています。  ちなみに、自分用の土産として何を買ったかについては、「少年少女青年漫画を、ブックオフで買った。ポーランドでは値段が5倍以上するから」「コピックマーカー(漫画家が使うペン)を30本買った」「Jポップ、Jロック、KポップのCD」「箸と扇子」「下駄」「カロリナと書いたハンコ」などでした。  短期留学プログラムの終盤、筆者が都内のホテルで会ったポーランド人女子高校生8人は、控えめながら充実感そして感無量といったオーラがムンムン。疲れた様子はまるでなく、それどころか瞳はキラキラと眩しいまでの輝きを放ちながら、「日ポ交流のスタート地点にようやく立てた。これからが本番♪」と言いたげな、晴れ晴れとした姿が印象的でした。 手紙にどれほど励まされたか  翌年の2013年3月18日から27日まで、今度は仙台白百合学園の生徒23人と阿部教頭先生を含む引率の教師3人が、ポーランド共和国の首都ワルシャワとサンスターの生徒たちが待ちわびるクラクフに滞在するプログラムが組まれました。  ワルシャワ到着時は3月だというのに猛吹雪で、翌日のワルシャワ散策時には氷点下15度にまで下がりました。それなのに日本からの女子高校生が薄着で素足で、なおかつ薄い靴(北欧や東欧ではスノーブーツを履くのが普通)で歩くつわものだらけだったことに、地元ガイドを含む関係者たちは仰天したそうです。  参加した生徒の1人、山内乃子さん曰く、「ハリー・ポッターの映画に出てくるような」コンパートメントのレトロな雰囲気の列車にワルシャワから乗り込んだ同学園一行は、クラクフ駅での光景に驚きました。日が沈みあたりは薄暗く、何より凍える寒さの中を大勢が待ち構えていたのです。「クラクフへようこそ」という横断幕を掲げて。  一行にまず配られたのは、ひと切れのパンと塩でした。1つまみの塩をパンにつけて食べるよう促されました。これは、遠路はるばる到着した旅人をもてなす昔からの儀式なのだそうです。そしてクラクフの駅は、ホストファミリーと対面し握手やハグを交わす熱気に包まれました。  翌日は、さっそく文化交流の舞台の1つとなるクラクフの中心部にある私立のカトリック校、聖プレゼンテーション学院へ。同学院は、ポーランドで最も伝統のある学校の1校で、過去に数々の著名な聖職者や文化人を輩出しています。そして夕方からは、サンスターの生徒が待つ校舎を訪れました。  仙台白百合学園の生徒たちが、手紙に対するお礼を述べ、その手紙にどれほど励まされたかを伝え、そして、被災した生徒はその報告をパワーポイントで行ない、津波の場面を記録した映像も見てもらいました。  会場はしんと静まり返っていました。しかし、その後、校歌や手話入りの歌を披露すると会場は交流ムード一色となりました。  「習字教室、生徒たちによる日本語教室も、サンスターの方々は心から楽しんでいる様子でした。茶道、サムライ、ニンジャなどの日本の伝統文化に対する興味や、漫画やアニメなどがきっかけになっているようですが、ポーランド人がなぜここまで日本に興味を持ち、日本語を楽しんでいるのか不思議でした」と阿部教頭が回想しています。  クラクフ滞在中、仙台白百合学園の生徒たちは〝初手紙″の中に同封されていたテディベアの携帯ストラップを扱っているショップも訪ね、同学園100周年イメージソング『広がる愛 未来へ』をお礼の気持ちを込めて披露しました。感激したテレサ・ピエトルハ店長(大変、上品なマダムと地元では評判)は、高価なテディベアを日本からの若き客人たちにプレゼントしてくれたのでした。  実のところ、このショップのテディベアは〝ただもの″ではありません。クラクフ出身で現在はスウェーデンにアトリエを構え、世界に熱狂的なコレクターを持つバーバラ・ブコウスキーさんの商品だったのです。バーバラさんの姉妹であるテレサ店長は、この4年余り、日本とポーランドの若者交流を陰から応援してくださる1人でもあったのです。   設立から800年、史上初めてとなる日ポの合同ミサ

聖マリア教会の大聖堂で行なわれた東日本大震災追悼ミサ (提供:サンスター日本語学校)

 クラクフ滞在の2日目は、日ポの歴史に刻むべく1日となりました。中央広場の一角にある聖マリア教会の大聖堂で、仙台白百合学園とクラクフ市民合同による東日本大震災を追悼するミサが行なわれたのです。  前編そしてこの度も前述した通り、クラクフ歴史地区は1978年、ユネスコの世界遺産に登録された第1号の世界遺産(文化遺産)であり、1222年に同地区に建造されたゴシック建築の聖マリア教会も世界遺産に含まれています。12年の歳月を費やして完成された中央正面のヴィオレットストウオシ聖壇は、国宝にも指定されています。ショパン没後150年の1999年5月には、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(ベルナルト・ハイティンク指揮)によるヨーロッパ・コンサートが大聖堂で行なわれ話題となりましたが、同教会に限らずポーランドの教会は観光地化されておらず、国民の約95%を占めるカトリック教徒がミサに参加し、お祈りを捧げる神聖な場です。  「東日本大震災で甚大な被害を受けた、宮城県の女子高校生たちがクラクフを訪れる!」 このニュースが早々にアンジェイ・イェレン神父の耳に届き、「ポーランドの高校生たちと共に、私の教会で追悼ミサを捧げましょう!」と決断、司式を務めてくださることになったのでした。  それに伴い、日ポ両国の高校生による準備も始まりました。アンジェイ神父は聖マリア教会で奉職する10数人の神父の1人で、しかも若手の神父ですが〝重鎮扱い″なのだそうです。社会主義体制から民主化へ移行し、90年代以降、ポーランド国民が堂々と教会へ通えるようになりましたが、若者層にとって少なからず宗教離れ現象が起きている中、地元の若年層から圧倒的に支持されているためです。一般的に神父は5年単位で他の教区へ移動するそうですが、アンジェイ神父はすでに10年以上、聖マリア教会に奉職しています。  追悼のための合同ミサの参列者は1200人ほど、サンスター日本語学校と地元クラクフ第1高校の生徒他、中央広場に面した大聖堂の前にも多くの市民が集まりました。  「津波の困難を乗り越え、今ここで合同のミサをあげられることを嬉しく思う」という神父の日本語での挨拶の後、〝キリエ″が聖堂に静かに響き渡りました。聖歌隊を務めたのは欧州の高校合唱コンクールで優勝の常連校、クラクフ第1高校の合唱団です。  美しい荘厳な歌声でした。  設立からおよそ800年、史上初めてとなるポーランドと日本の合同ミサです。大聖堂に厳かなパイプオルガンの音が響き渡る中、第一朗読、答唱詩編、福音朗読と続きます。仙台白百合学園の生徒が聖書を朗読し、ポーランド語で聖歌も歌い、また「ポーランドからの手紙に勇気づけられた」ことへの感謝の報告など皆、次々と大役をこなしていきました。  この大聖堂のパイプオルガンの演奏も、同学園の生徒、齋藤華子さんが務めました。アンジェイ神父から事前に、「日本の高校生に弾いてもらいましょうか?」との提案があったのです。プロ奏者以外、誰もこのパイプオルガンを弾いた者がいない中、史上初の掟破りを許されたのが日本人で、しかも素人の女子高校生でした。  大役に選ばれ、仙台白百合学園のお御堂にあるパイプオルガンで猛練習をした齋藤さんですが、前日のリハーサルではわずか30分ほど弾くことを許されただけ、つまり、ほぼぶっつけ本番となりました。「実際弾いてみると鍵盤が意外と硬くて大変だったけれど、弾き始めると全くプレッシャーなく自然に弾けました」と本人はケロリ。ノーミスでの素晴らしい演奏に、ポーランド側も感動したそうです。  『主は水辺に立った』を同学園の生徒がポーランド語で歌い、クラクフ第1高校の合唱団が日本語で歌い、ミサは閉祭しました。日本語とポーランド語で追悼のための合同ミサが進行するよう、両国の言語が半分半分になるよう、進行表の作成にも1カ月ほど苦心したのでした。  東日本大震災からの苛酷な日々が、それぞれの脳裏に走馬灯のように蘇ってきたのでしょうか……。同学園の生徒たちは皆、泣いていました。  すると突然、聞き覚えのあるメロディを、クラクフ第1高校の合唱団が歌い始めました。それは、仙台白百合学園100周年イメージソング『広がる愛 未来へ』でした。  まさにサプライズでした。日本語の歌詞をサンスターの生徒たちがポーランド語に翻訳し、それを第1高校の合唱団が3カ月の練習を重ね、本番に挑んだのでした。  「初めて聴くポーランド語での『広がる愛 未来へ』は優しく我々を包み込み、色々な思いが込み上げ涙が溢れてきました」と阿部教頭も回想しています。家族や親戚、友人や知人を亡くし、九死に一生を得ても大地震や津波の恐怖などにより、心に大きな傷を抱える人々が周囲にまだ大勢いる中、一行は異国のこの地で〝癒し″に包まれたのです。  余談ですが、第1高校の合唱団は10代の日本人女性のキーの高さに「宇宙人レベルの高音!」と驚いたそうです。オリジナルの日本語バージョンのままのキーでは、賞を取るなど活躍している合唱団ですら歌うことが難しく、指揮者が変調してキーを下げて練習を重ねたのでした。  さて、第2次世界大戦では奇跡的に戦渦を免れたクラクフですが、この地には多くのユダヤ人が住んでいました。中世時代、西欧で迫害を受けたユダヤ人ですが、彼らに対して寛大だったポーランドへと流れ込んできたのです。ユダヤ人が多く暮らしていたカジミェシュ地区、その先に続くポドグージェには戦時中、ゲットー(強制的に収容した居住区域で、壁に取り巻かれていた)が設置されていたこともありました。  クラクフの中央広場にたたずむと、毎定時、ラッパの音が聴こえます。これはヘイナウと呼ばれる、クラクフの名物の1つになっています。伝承によると、タタール軍の襲撃を知らせるため、ラッパ吹きが聖マリア教会の窓から吹いていたのですが、吹き終わらないうちに弓矢で殺されてしまいました。そのことを悼み、現在も毎定時に聖マリア教会の窓でラッパが吹かれます。しかも、往時を偲んでメロディは途中で終わるのです。  侵略や迫害、ジェノサイド(1つの人種・民族・国家・宗教 などの構成員に対する抹消行為)、戦争、そして自然災害……。  両国、両地域で暮らす人々が背負ってきた歴史、宿命なのか運命なのか辛い体験は異なります。しかしながら聖マリア教会での合同ミサは、時空を超えて共鳴、共感するという崇高な時を刻むことになりました。 日本のお嬢さんを、あと1年ほど面倒見させてください!  仙台白百合学園の生徒たちによる、ポーランドのホストファミリーの印象について、フィリピンや台湾においての交流経験もある前出の山内さんは、「ポーランド人は家の中でもとても静かで、つつましやかでそして気遣いの人たちでした。フィリピンでは週末、地元の教会が会場となっているダンスパーティーに参加したり、日曜日はホストファミリーと一緒に教会でお祈りを捧げたりしましたが、ポーランドのホストファミリーは、日本人は教会へは行かないだろうから今週はやめましょうと、どうやら遠慮をしたようでした。食事は味付けに癖がなく、どれも美味しかったです!」とにこやかに語っていました。  一方、受け入れ側のポーランドでは、事前からその後まで〝密かなる大騒動″が続いているようです。  「是非とも、我が家にホームステイしていただきたい!」と名乗りを上げる家族が殺到し、ホストファミリー候補の倍率が3倍に膨らんだことで、面談を行なうことになったのです。中には、「日本の女の子のために、父親がはりきって家のリフォームを始めてしまいました。先生、日本人を我が家にください!」と面談で直訴してきた生徒もいました。  クラクフ駅に到着後、家に預かる予定の女子の薄着ならぬ〝薄足″に驚き、「寒いだろうから」と、さっそく重く頑丈なスノーブーツを買ってプレゼントしたホストファミリー、自由行動にあてられていた日曜日、氷点下20度近い極寒だったにもかかわらず終日、ピクニックに連れ出したホストファミリー、あまりの可愛らしさに思いつく限りの親戚に紹介して自慢してまわったホストファミリー(その度、殺人的な量のご馳走を半強制的に食べさせられた主役=仙台白百合学園の生徒は「大変だった……」というおまけ付き)などなど。  「ホームステイ後、本気で『この日本のお嬢さんを、あと1年ほど面倒見させてください!』と直訴してきた保護者もいました」と兵頭代表。ホストファミリー、日本語講師などポーランド側の関係者たちは、その他、以下のような感想や後日談を述べています。  「礼儀正しさに感動しました。ランチの時、紙ナプキンを手渡しただけなのに『ありがとうございます』と丁寧に頭を下げて受け取る姿に、素晴らしさを感じると同時に改めて驚かされました」「日本の社会に根強いと聞いていた『先輩・後輩』の文化が、それほど感じられなかったのは逆に新鮮でした」  「ポーランドの生徒たちは、仙台白百合学園の生徒さんの可愛らしさに『まるで、よく見ているアニメのキャラクターみたい!』とキャーキャー騒いでいたのは面白かった」「普通の男子生徒なのですが、日本人の女の子に『キャー、イケメン!』『かわいい!』などと連発されたことで、自分に自信を持てたのか、ポーランド人の彼女ができましたよ(笑)」など。  「日本人男性と交際したい!」と恥ずかしそうに語っていたサンスターの若き女性講師に、以前、筆者は「どんなところがステキですか~?」と聞いたことがあります。  その意外な答えに驚きました。「ふーん」「へぇー」といった、日本人男性の頷くリアクションがとても好きなのだそうです。ネットやDVDで日本の恋愛ドラマを観ていての印象のみならず、日本を訪れた際の〝ナマの日本人男性″からも、その頷きに「包容力のような優しさ」を感じたとか。  「日本人男性、オジサンたちは妻や女性の話をただ聞き流しているのか、深く考えていないから、『へぇ~』と言うのだろうし、若者はひたすら優しい草食系(草男)だらけ」との言葉が頭に浮かんだのですが、夢を壊してはいけない!と、その言葉を呑み込みました。 日本人はコーンスープが大好き!?  この後、仙台白百合学園から正式な招待を受ける形で、同年の2013年12月、サンスターの生徒10人が、再び短期留学することになりました。被災地でのボランティアを含め、約3週間を日本で過ごすプログラムです。  「巨大な津波が押し寄せる動画を、ポーランドの現地メディアが繰り返し報じたこともあり、私を含む日本語学校関係者は、大震災発生当初、『日本語を勉強する価値を見失うだろうから、生徒数は激減するのでは……』などと語り合っていました。しかもウクライナのチェルノブイリ大事故の際に隣国ポーランドもパニック状態に陥ったことから、放射能に対しても大人には少なからずトラウマがあります。福島の映像を観たことで、『日本へはもう行くことができない』と意気消沈したのではないかとも危惧しました。ところが現実はその真逆で、生徒数は減るどころか増加しています」と、サンスターの兵頭代表が笑顔で語ります。

仙台白百合学園の学校長と生徒たちと、 第1回短期留学に選ばれたマリア・ミグダウさん (提供:サンスター日本語学校)

 日本留学プログラムへの参加希望者を募ったところ、40人以上の女子の応募が殺到しました。全校生徒数は250人ほどで、下は中学生から上は社会人まで学んでいる共学校なので、この数字がどれほど大きい割合かが分かります。  選考会の面接は、まさに〝笑いと涙″でした。40度ほどと異常な猛暑の中、博物館でしか見られないような重さ20キロほどもある本物の分厚い民族衣装姿で面接会場に訪れ、そのまま汗だくで中世舞踏を披露した生徒、「伝統的なお菓子です」と数キロ分のクッキーを自宅で焼いてきて面接官に振る舞った生徒、着物姿で面接会場に現れた生徒、果ては、面接中にいきなり涙を流して、「行かせてください」と土下座をする生徒などもいました。  「日本へ行きたい気持ちを必死でアピール」する女子生徒たちの中から、兵頭代表はじめ面接官が選んだのは中学生3人を含む日本語習得レベルも異なる10人で、その中の5人は、同年3月、仙台白百合学園の生徒のホストファミリーをした家庭の子女になりました。  チャンスを得た女子たちは、訪日までの4カ月をかけて、ポーランドに関する発表会の準備や歌の練習やビデオ製作などに取り組みました。  12月7日に東京へ降り立ち、翌8日、仙台駅に到着する寸前には、兵頭代表曰く「あまりの緊張から、皆、大理石で造られた彫刻のような表情だった」そうですが、仙台白百合学園の関係者や見知った顔がお出迎えしてくれたことですぐに解けました。  ポーランドからの10人は、同学園の生徒たちに連れられ気仙沼でのボランティアを経験したり、仙台白百合学園幼稚園を訪問したりしています。そして全員が、「絶対、日本へ帰ってきたい!」と語っているそうです。    2014年1月からは、第1回仙台白百合学園短期留学プログラムを実施しており、ポーランドの高校生、マリア・ミグダウさんが同学園での3カ月の留学を経験しました。前述した、「日本の女の子を受け入れるため、はりきって家のリフォームを始めた」パパの娘です。  第2回の短期留学プログラムで、同年10月~12月まで参加したパオリナ・ザスクウァラさんは、クラクフから120キロほど離れたリマノバという小さな町の生まれで、日本の漫画とアニメが大好きで、しかも歴史好きな〝歴女″だそうです。日本語は前年10月より勉強を始めたばかりですが、「日本語は本当に美しい言語。いつか日本語で、日本の漫画や本を読んでみたい」と留学前に豊富を語っていました。  「学校、ホームステイ、ボランティア、観光を通じて嬉しかったこと、驚いたこと、感動したことを教えてください」「日本語は今も勉強中ですか?」の2問、メールでインタビューをしてみたところ、以下のようなお返事が届きました。なかなかの日本語力です。原文ママでご紹介しましょう。パオリナさんは2015年2月現在、16歳で、ミッション系の高校に通う1年生です。

第2回の短期留学者パオリナ・ザスクウァラさん (提供:サンスター日本語学校)

 メールありがとうございます。  質問にお返事を書きました。悪かったら言ってください。  日本で面白くてすごい物を沢山見ました!私は一番感動したことは日本のバス停の前に立っている行列です。あの光景にはとても驚きました!それに日本人はコーンスープがこれほど大好きだと知りませんでした。ラジオ体操とか次々と新しいスポーツをする体育の授業とか学校のスクールバスの多さなどにも驚きました。それに皆さんがいつも優しくて笑顔で私に接してくれたことは本当にうれしかったです。仙台では人は私を見てはよくびっくりしていましたが、いつも優しく微笑んでくれました。それに日本の秋の紅葉は素晴らしいと思います。ポーランドの秋より長くて紅葉がきれいです!私は日本の料理はとても美味しいと思います!特にうどん、ギョウザ、ラーメンと焼肉が好きです!  今私のポーランドの学校で忙しいので、日本語の勉強は3月から戻るつもりです。    「コーンスープが好き」の意味について、ポーランドでのホームステイを経験した仙台白百合学園高校の生徒に尋ねたところ、「自動販売機に、ジュースに混ざって缶入りコーンスープがありますよね。それに驚いたのでしょう。それから、お弁当にコーンスープを持ってくる生徒が割と目立ちます。ホームステイ先でも、その家庭が気遣って朝食をご飯とお味噌汁ではなくパンにして、コーンスープを出したのかもしれません」と語っていました。  なるほど! 日本人にご飯と味噌汁のイメージはあってもコーンスープのイメージは無いはずで、パオリナさんの印象に強く残ったのでしょう。確かに言われてみれば、スーパーやコンビニでも、陳列棚にはインスタントのコーンスープ類が目立ちます。  逆に、同学園の生徒たちは、「ポーランド人は、とにかくカルピスが大好物ですよ」「日本から持参したり、送ってあげたりしています」と語っていました。知る限り、抹茶ミルクもポーランド人の口に合うようですが、およそ1世紀もの間、日本人に愛され続けてきたカルピス、彼の国の人々との相性は抜群のようです。 「日本で、日本を学ぶことが最大の夢」である娘をサポートしたい  娘を日本へ送り出した保護者たちにとっての「日本」も、少し聞いてみました。  3カ月の短期留学から帰国したパオリナさんのお母さん、アンナ・ザスクウァラさんは、「娘はお陰さまで、素晴らしい日本を体験することができました。3つのホストファミリーにお世話になり、日本の伝統に直接触れることができ、娘は興奮しっ放しだったようです。特に、1つのご家庭は由緒ある武家屋敷だったそうで、先祖代々伝わる甲冑、刀を見せてもらい大興奮したそうです。出会った全ての皆さんの優しさと友情、一生忘れることがない貴重な3カ月を過ごさせてもらいました」と謝意を記しています。  ちなみに、お母さんは「日本は男尊女卑の伝統が根強く残っている国」とのイメージを持っていたそうです。ところがパオリナさんの帰国後、それが一変し、「今の日本は、家の中では男性より女性の方が強いそうですね!」と笑っていました。  「機会があれば私も日本を訪れ、娘が話してくれた美しい伝統や習慣を、この目で見て感じてみたいと思っています。娘が日本で再び勉強したいということになれば、経済的な問題も考慮しなくてはなりませんが、それが本人にとっての将来、幸せの糧になるのでしたら喜んで背中を押してあげたいと思っています」とも語っていました。  2012年6月下旬からの第1回の日本訪問プログラムに参加したカロリナさんのお母さん、アンナ・ヤグワさんはこのように語っています。  「帰国後、娘は日本で撮った写真を何度も何度も見せてくれ、ありとあらゆる日本の物事を話してくれました。その中で一番、面白かったのは、どこかの街角でいきなり見知らぬ日本人男性から娘が求婚された、という話でした」  さらに、「実は、私の家族の多くが世界中に散らばって生活をしていますので、娘に対して国や民族に対する偏見を植え付けないようにしてきたつもりです。日本とポーランドとは随分、色々な意味で異なりますが、熱狂的に親日な娘の影響で、私自身かなり勉強をさせてもらっています。日本に興味を抱き、日本で日本語を学ぶことが最大の夢の1つになっていた娘は、日本の地を踏むことが叶いましたが、母親である私にとっても、それが長年の夢になっています。もし、その夢が叶う時が来れば、娘がお世話になったホストファミリーの皆さんに、是非ともお会いしたいです。私たち夫婦は、一人娘の夢と将来設計にできる限り協力と理解をしてきたつもりです。娘が再び『日本で学びたい』と言うのでしたら、残された私たちは寂しくなります。でも、これからも娘の幸せのためなら喜んでサポートをし続けたいと思っています」とのことでした。  ポーランドの現地取材をした際にも、複数の保護者と直接、話をしていますが、中国や韓国、後進国では比較的に多い「子どもには将来、○×になってもらいたい」という親の夢を押し付けるパターンではなく、上記2人の母親のように、「娘(や息子)の夢をできる限りサポートしてあげたい」という縁の下の力持ち的な〝無償の愛″を表現する大人が目立つようです。  さて、サンスターの生徒から仙台白百合学園へは、定規を使って書いたかと見まごうような丁寧な筆跡の、漢字が混ざった手書きの文章によるクリスマスカードなどが届きます。  内容は大枠、自身の名前にはじまる自己紹介文で、つまり「まだ会ったことがない」同学園の生徒との文通を求めての手紙です。そのため、図書館前にはポーランドにつながる専用ボックスを設置しており、手紙の返事を書いた生徒たちはそこに投函します。もちろん、日本やポーランドで直接、交流した生徒たちは、各自SNSなどを使って連絡を取り続けています。  安倍総理夫妻がポーランドを訪問した2013年6月、昭恵夫人との面談にサンスターの生徒10人が特別に招待されました。その経緯は、日本の某テレビ局からの依頼を受けたサンスターが『地球の反対側から小さなメッセージ』という学校紹介ビデオを作成したものの、「話が硬すぎて結果的にほぼボツになったのですが、外務省の方が偶然ご覧になったそうで招待につながったのです」と兵頭代表が語っています。  また、日本とポーランド、両国での交流を経験した同学園の生徒3人(前出の佐藤さん、山内さんら)が、仙台で開催される第3回国連防災世界会議(2015年3月14日~18日)に招待され、2校の交流に関するプレゼンテーションを行なう予定です。  卒業を間近に控えた佐藤さんたちは、「東日本大震災はとても辛い、痛ましい出来事でしたが、被災地になったことで宮城県が世界中から注目され、被災者として、これまで想像すらしていなかった様々な経験をさせてもらえたことは幸いでした。充実した高校生活を過ごすことができました」とすがすがしい表情で語っていました。

仙台白百合学園の廊下などに貼られているポスター (提供:サンスター日本語学校)

 「傷だらけの段ボール箱から、このような交流に発展することになるとは思いもしませんでした」と阿部教頭は驚きの気持ちを隠せないというようにポツリ。クラクフから5カ月を経て届いた〝ボロボロの段ボール箱″の手紙200通から始まった日ポの交流は、神様が両国の若者に与えた偶然のような必然だったのではないでしょうか。  今年3月には、第2回ポーランド友好訪問(仙台白百合学園の生徒21人と引率教師2人が10日間クラクフに滞在)が行なわれます。両国(学校)から隔年で訪問団を送り、またポーランド人女子生徒が同学園で3カ月の短期留学をする。今後、両学校との間ではこの2本を柱とする交流事業を続けていくことになっています。一期一会のご縁を〝宝物″と感じるポーランド人の熱き想いが日ポの絆を深め、派手さ、ニュース性には乏しいかもしれませんが、着々と未来につなげていく礎、試金石になっていると確信します。

(敬称略) 次回は2015年4月1日更新予定です。

著者プロフィール

  • 河添恵子

    ノンフィクション作家。1963年、千葉県生まれ。名古屋市立女子短期大学卒業後、86年より北京外国語学院、遼寧師範大学へ留学。主な著書に『だから中国は日本の農地を買いにやって来る  TPPのためのレポート』『エリートの条件-世界の学校・教育最新事情』など。学研の図鑑“アジアの小学生”シリーズ6カ国(6冊)、“世界の子どもたち はいま”シリーズ24カ国(24冊)、“世界の中学生”シリーズ16カ国(16冊)、『世界がわかる子ども図鑑』を取材・編集・執筆。