物語がつまった宝箱
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  • 第四回 2016年11月15日更新

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  真壁に呼び出されたのは、日もすっかり短くなった頃のこと。秋の長雨が朝から途切れることなく降り続ける、夕暮れ時のことだった。
  真壁が待ち合わせ場所に指定したのは、私の家の近くのファミレスだった。店に着く頃には、クリーニングに出したばかりのコートの裾がびしょびしょに濡れていて、出し直しだ、ってため息を吐いたのを覚えている。
 店に入ると、窓際のテーブル席にちょっと緊張した面持ちの真壁がいた。真壁は私を見つけると、「こっち」と言ってぶんぶん手を振った。
「ごめんね、急に呼び出して」
 いいよ、家の近くだし、と答えると、真壁は、「奈々子はやさしいね」と言って小さく笑った。夕暮れ時のファミレスは、近所の主婦達や学校帰りの学生で混み始めている。随分先に着いていたらしい真壁の目の前には、飲みかけのオレンジジュースが置かれていた。
 どうしたの、と話を切り出そうとすると、やる気のなさそうな若いウェイトレスがやって来て、「ご注文は」と首を傾げた。私も真壁に倣(なら)って、ドリンクバーをひとつ頼んだ。真壁にメニューを向けて、ビールもあるよ、と言ってみたけど、返事はなかった。
 しばらく待っても、真壁はオレンジジュースをちゅうちゅう吸っているだけで、なかなか話し出そうとしない。私は仕方なく、飲物取って来るね、と声を掛けて席を立った。ドリンクバーの近くで、ブレンドにしようかカフェラテにしようか迷っていたら、ふいに、「先生」と声を掛けられた。
「先生、何やってんの」
  声の主は、塾の前に予習しに来たという、勤め先の学校の男子生徒だった。ふざけて、女子会、と答えたら、「おばさん会の間違いでしょ」なんて憎まれ口を叩かれた。うるさい、早く家に帰りなさい、と腕を振り上げると、「暴力だ」「教育委員会に訴えてやる」と冗談にもならないようなことを言って、店を出て行った。
  戻って来た私に、さっきの様子を見ていたのか、真壁は「おかえり、先生」と言ってふざけるように笑った。その笑顔にほっとして、思わず口が緩んだ。
  それから少しの間、私達は話をした。私が学校で企画した、読書会のこと。不登校の子だとか、クラスに馴染めない子を集めて、おすすめの本を紹介し合うっていう会。軌道に乗せるまでが大変だったけど、今では、保健室よりも図書室に来る子の方が増えてきたってこと。意外と児童文学もなめたもんじゃないっていう、そんな話。
  私が一通り話し終えると、真壁は、ふーん、と気のない相槌(あいづち)を挟んで、こう呟いた。
「まだそんなことやってるんだ」
 真壁に他意はなかったのかもしれない。でも、私はなんだか猛烈に腹が立った。そんな言い方することないじゃないか。そう思った。私は、真壁に「すごいね」って言って欲しかった。「奈々子、やるじゃん」って、そう言って、褒めてもらいたかった。子どもみたいに。 
  でも、いくら待っても欲しい言葉は返ってこなかった。真壁は、氷で薄まったオレンジジュースをたいして美味しくもなさそうな顔で啜(すす)っている。それがいやに気に障って、気付けば私は今まで一度もしたことのない質問を真壁にぶつけていた。
「真壁の方はどうなの? 最近、仕事続いてる?」
  すると、真壁は途端に目を泳がせた。それを見て、正直すっとした。しばらくして、真壁は唇を噛んだまま、もごもごと呟いた。本当は聞こえていたけど、わざと聞き返す。真壁は小さな声で、「辞めちゃった」と答えた。
「また?」
 追い立てるような口調でそう返すと、真壁は俯いたまま、こくりと頷いた。
「こんなこと言いたくないけどさ、私達いい齢なんだし、いつまでもふらふらしてらんなくない?」
 私さっき、生徒におばさんとか言われちゃったよ。
  そう言って肩をすくめると、真壁はぎくしゃくと笑い返した。私のご機嫌を窺うみたいなその表情に、すごく苛々した。
「仕事、ちゃんと一年以上続けたことある? 社会人一年目とかじゃあるまいし、もう人間関係が、とか言ってらんないじゃん。いつまでもやりたいことだけやって生きていけるわけじゃないんだから。誰だって、どこかでは我慢して頑張ってるんだしさ」
 私の言葉にいちいち反応して体を縮める真壁は、惨めで情けなかった。そんな真壁の姿を見るのは初めてで、そうさせているのが自分だってことに、心のどこかで興奮していた。
 最初は弱々しく相槌を挟んでいた真壁が、次第に何の反応も見せなくなっていった。それでも私は、べらべらと喋り続けた。真壁はいつのまにか私ではなく、店内の大きな窓ガラスに目を向けていた。雨に煙る町の景色は、真っ白に霞んで何も見えやしないのに。
 ふいに、真壁が口を開いた。
「奈々子はさ」
 え、と問い返すと、真壁はゆっくりと私の方に向き直って、「なんで、まだ私なんかとつるんでるの?」と聞いた。
「私が、かわいそうだから?」
  そう聞かれて、言葉に詰まった。頭が真っ白になる。真壁がかわいそうなんて、そんなことあるはずがない。だって真壁はいつだって、私の憧れだった。
  昔から、やりたいことがあって、行きたい場所があって。好きなものは好きで、嫌いなものは嫌いで。自分の夢があって、意志があった。だから、憧れた。真壁みたいになりたかった。だって、私と正反対だったから。
  なのに、なんで答えられないんだろう。真壁をかわいそうだなんて思うはずがない。その理由をどうして、過去形でしか語れないんだろう。
  その瞬間、いつかの真壁の言葉がフラッシュバックした。中学生の時、私が小宮さんを一緒のグループに入れようとした時の、真壁の台詞。
  奈々子は『かわいそう』が好きなんでしょ。
  あの時の真壁の、怒ったような顔が頭に浮かんで。思わず、口にしていた。
「真壁だって昔、石川君と遊んでたじゃん」
 言葉にしてから、思った。私、何を言ってるんだろう。だって真壁からしたら、もう覚えてすらいないことかもしれない。何小学生の時のこと持ち出してんのって。石川君って誰? って。そんな昔のこと言われたって思い出せないよ、って。一蹴(いっしゅう)されてしまうかもしれない。でも真壁は、こう答えた。違うよ、って。
「私はあの時、石川君と遊びたかったから遊んだの。自分がそうしたかったからそうしただけ。私は一度も、石川君を『かわいそう』なんて思ったことない。そういうのって、違うと思う」
 そう言って、真壁はようやく私の顔をしっかりと見据えてくれた。
「だから私、色紙も書かなかった。絶対書くもんか、って思った。だってあんなの、嘘だもん」
 真壁はそう言って、すぐに私から顔を背けた。私はあの時、少しだけ嬉しかった。真壁がそれを、覚えていたこと。  少なくとも真壁にとってあの出来事が、取るに足らない、記憶に残す価値もないようなことじゃなかったんだって、わかったから。
「なんで、禁煙席にしたの?」
 長い長い沈黙の後、私から口を開いた。
「子どもでもできた?」
  いつもと違う、ファミレスでの待ち合わせ。先に入っていた真壁が選んだ、禁煙席。真壁は今日、煙草もライターも出していない。真壁はようやく顔を上げて、首を振った。
「ただ、煙草止めようと思って」
 なんで、って聞いたら、真壁は消え入りそうな口調で、「色々ちゃんとしようと思って」と答えた。
「結婚したい人がいるから」
 それから私の返事を待たず、言い訳するみたいに、「だから、家のことも仕事のことも、一からやり直してみようと思ってて」とか「ずっと、奈々子に相談しようと思ってたんだけど」なんて、意味のないことを言い続けていた。
「今度は、煙草吸わない人なんだ?」
 真壁の言葉を遮り、わざと平坦な口調でそう問いかけると、真壁は一瞬だけ目を見開いた。何か言いたそうに唇が震えて、でも、真壁は何も言わずにきゅっと口を結んだ。いつか見たことのある、寂しそうな笑顔で。
 外では、さっきよりさらに勢いを増した雨が、ザアザアと窓を打っていた。
 それからどうやって真壁と別れたのかは、よく覚えていない。私が先にファミレスを出たのか、それとも真壁から席を立ったのか。わかっているのは、私が真壁に、祝福の言葉を言いそびれてしまったこと。「おめでとう」だけじゃない。たくさんの「ごめんね」も「ありがとう」も、どうしてあの時私を呼び出したのか、その理由を聞くことも。
 あの出来事以来、私達の連絡は途絶えた。当然だ。私はそれだけのことをした。本当は、謝りたかった。あれから何度も何度も、メールだけでも送ろうとした。でも、できなかった。送ってみて、もしエラーメッセージが返ってきたらどうしよう、って。それを確かめるのが怖くて。
 でもやっぱり、真壁は真壁だった。それから何度か季節が巡り、苦い記憶も薄れかけた頃、その手紙は届いた。身に覚えのない、結婚式の招待状。最初、それが真壁からのものだと気付かなかった。名字が変わっていたから。一緒に入っていた手紙には、昔と変わらない懐かしい文字で、「奈々子へ」と書いてあった。
 久しぶりだね。お元気ですか。学校はどうですか。先生は大変ですか。私は元気でやってるよ。
 手紙の最後には、あの時言えなかったけど、の枕詞とともに、「友人代表のスピーチをお願いします」の文字があった。「お願いできますか」じゃなくて、きっぱり「お願いします」なのが真壁らしいな、って思ったら、笑ってしまった。笑った後、たまらなくなり、少しだけ泣いた。
 封筒には、式の返信用ハガキの他に、一枚の写真が入っていた。それは、とある街の風景だった。飾り窓に彩られた、玩具じみた建物の前には、大きな運河が横たわっていた。そこで、ボートに揺られながらピースする、真壁がいた。 写真の端にはマジックで、「人生で初めてのボーナスは、海外旅行に消えました」というメッセージが添えられていた。
 カメラの主に向かって、くつろいだ表情で笑う真壁は、本当に幸せそうだった。私がいつも真壁に対して感じていた寂しさは、微塵も感じられなかった。だから、決めることができた。このスピーチを引き受けること。

 私はそこで筆を止め、机の置時計へと目を遣った。壁越しに聞こえた騒音は、隣人のポストに朝刊が投げ込まれた音だったらしい。ここ一帯を担当している新聞配達員の男の子は、いつ来ても体力が有り余っている。今日も、怪獣みたいな音を立てて元気にアパートの階段を駆け下りて行った。
 時計の針は、午前四時四十三分を指していた。外では、カラスの鳴く声が聞こえ始めた。窓の向こうには、夜が明けたばかりの、雲一つないきれいな空が広がっている。きっと、今日も一日よく晴れるだろう。結婚式日和だ。
 眠気でぼんやりとした頭で、ふと思う。真壁は今、何をしてるんだろう。朝に弱い真壁のことだ。まだベッドの中だろうか、それとももう目を覚ましているだろうか。でも、本当は考えるまでもない。花嫁の朝は、とても早いらしいから。
 真壁は今日、どんなドレスに身を包んで、バージンロードを歩くんだろう。そう言えば私達、結婚式でどんな衣装を着たいかなんて、そういう話は一度もしなかったね。でも、大丈夫。真っ白なウェディングドレスを着たあなたは、今まででいちばん美しいはずです。その隣にいるあなたの旦那さんは、きっとやさしい人でしょう。だって、あなたが選んだ人なんだから。
 そういえば、式にはご両親が揃って出席すると聞きました。よかった。素直にそう思えました。同時に今更ながら、真壁は真壁の人生を生きているんだと、とても当たり前のことに気づきました。いつかその一部分を、あなたの口から聞くことができるかな。
 私は今もまだ、手紙を書いています。あなたに向けての手紙です。あれからあなたに何を言おうか、何を伝えようか、考えるのに何日かかっただろう。何枚紙を無駄にしただろう。でもそれも、今日で終わり。
 私がずっと書きあぐねていたのは、永遠にお披露目することのない、私だけのスピーチです。だって本当の気持ちなんて、二人の親族の前でも、旦那さんの前でも、ましてやあなたの前でなんて、言える訳がないじゃない? だからこの手紙が、あなたの元に届くことはないでしょう。
 私は今日、あなたの前でスピーチをします。冠婚葬祭のマニュアル本から盗み見た、つまらない定型文に満ちたスピーチを。本当は、なんて絶対言わない。親友だけが知っている打ち明け話なんて、してあげない。だって今度こそあなたに、きちんと「おめでとう」を言いたいから。そのスピーチの中でなら、ちゃんと上手に、「おめでとう」を言える気がするんです。

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 では、最後に。真壁、結婚おめでとう。幸せになってね。そして末永く、幸せにお過ごしください。山口奈々子より。

(了) ご愛読ありがとうございました。

著者プロフィール

  • こざわたまこ

    1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で第11回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞、デビュー。著書にデビュー作を収録した『負け逃げ』がある。