物語がつまった宝箱
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  • 第十回 2015年4月15日更新
 午後九時過ぎ。タクシーが表参道の交差点に停車した。
「降りて」
 静岡みどりが、運賃を払いながらサンデーに言った。
「ここは……」
「表参道も覚えてないの? いいから早く出てよ」
 サンデーを無理やり降ろす。信じたくないが、重度の記憶喪失だ。タクシーの中でみどりが質問してもほとんど答えられることがなかった。
「だからどこに行くかを教えてくださいよ」
「愛生の職場よ」
「アキ?」
「はいはい。どうせ覚えてないでしょうよ」
「その方は何者なんでしょうか」
「松尾愛生。私たちの仲間よ。普段は料理教室の講師をやってるけどね」
「はあ……」サンデーが、首を傾げる。「その……あなたは、普段は主婦をなさってるんですよね?」
「そうよ。文句ある?」
 軽い自己紹介はタクシーで済ませた。長年組んできたパートナーに自分のことを話すのはとんでもなく抵抗があった。
 だが、肝心のところはまだ話していない。サンデーにパニックを起こされても一人では対処できないからだ。みどりよりも説得力がある松尾愛生に手伝ってもらう。
「文句はありますよ。もっと詳しく教えてください。僕は一体何者なんですか」
「そんな怯えた顔しないでよ。こっちまで不安になるじゃない」
「怖いに決まってるじゃないですか。お願いします。教えてください」
 サンデーがすがるように腕を掴んできたので、思わず振り払った。
「とにかく、愛生に会って。話はそれからよ」
 有無を言わせず、みどりは246沿いの商業ビルに入っていった。
 冷蔵庫借りられるかしら……。
 この期に及んでまだ鯖の心配をする自分に苦笑する。笑っている場合ではない。作戦決行の日はあと六日後に迫っているのだ。
 せっかく巡ってきた獲物を奪うチャンスをみすみす逃してなるものか。

「たしかに、まるで別人みたいな顔してるわね」
 花柄のエプロン姿の松尾愛生が腕を組んで、サンデーの顔を眺めた。ショートカットの愛生は三十代後半の年齢よりも若く見える。背が高いし、声も太いので宝塚歌劇団の男役のようだ。実際、性格も男前で頼もしい。
 料理教室は終わったばかりのようで、生徒は誰もいない。理科の実験室を思わせる教室内にはビーフシチューだかビーフストロガノフだかの香りが残っている。
「は、初めまして。村上です」
「マジなん? これ?」
 愛生が呆れた顔でみどりを見る。
「大マジなのよ」
「嘘やろ……」
 京都出身の愛生は、冷静さを失うとつい関西弁が出てしまう。
「早く、僕の正体を説明してください」
 サンデーが興奮した口調で愛生に詰め寄った。
「とりあえず、座ってや」
 愛生に勧められたパイプ椅子に、サンデーは納得のいかない顔で腰を下ろした。よほど記憶のない現状が応えているのだろう。疲労感が全身から滲み出ている。
 みどりは愛生の横に並び、同じように腕を組むポーズを取った。
「じゃあ、愛生、よろしく」
 説明を押し付けられた愛生が横目でみどりを睨みつけたあと、口を開いた。
「私は松尾愛生」
「お名前はみどりさんから教えてもらいました」
「鍵師よ」
「はい?」
「三分貰えれば、どんな鍵でも開けるわ。金庫なら十五分ね」
「あの……」
 困惑したサンデーが助けを求めるかのようにみどりを見る。
「料理の腕よりも鍵をこじ開けるほうが上よ」
 みどりは、愛生にさらに睨みつけられるのを覚悟で答えた。決して嘘ではない。愛生の祖父は関西では有名な天才鍵師だった。愛生は幼いころから祖父の英才教育を受けてきたのだ。
「何の鍵を……開けるんですか?」
「だから、家の鍵や金庫の鍵やんか」
 愛生がぶっきらぼうに答える。
「料理教室の講師なのに?」
「こっちは世間の目を誤魔化すための副業や。本業は違う」
「本業は何ですか……」
「何回も言わせんとってよ。人様の家や金庫の鍵を勝手に開けるねん」
「ど、泥棒じゃないですか」
 サンデーが目を丸くする。酷いコントを見ているみたいで、みどりは具合が悪くなってきた。
「そうや。それがあんたの仕事やんか」
「はあ?」
「泥棒はあんたやの。ウチらはアシスタント」
「意味がちょっと……」
 サンデーの顔色がみるみるうちに青ざめる。
「毎回、あんたが盗むターゲットを決めて、計画を立てて、ウチらがサポートして盗んできたの」
「う、う、嘘ですよね?」
「こんな嘘をつく意味がある?」
 愛生が苛つきを隠さず、エプロンを乱暴に外す。白いノースリーブのシャツの胸元が盛り上がっている。顔は男役のくせにスタイルが抜群なのだ。
「毎回って……今まで何回……その……泥棒を……」
 サンデーは酸素をうまく吸えないのか、言葉が途切れ途切れでうまく話すことができない。
「九回よ。次で記念すべき十回目」
「そんなに!? 一度も警察には……」
 みどりは鼻で笑った。「失敗はゼロ。サンデー村上は、裏の世界では早くも『天才的な大泥棒だ』と評判なんだから」
「サンデー村上って……僕ですよね」
「他に誰がいるのよ」
 冷たく突き放す。茶番はもう懲り懲りだ。
「僕は中学校の教師じゃないんですか?」
「表の仕事はね。月曜日から土曜日までは授業や学校の仕事があるから、裏の仕事を決行するのは日曜日にしかできない」
「それでサンデーって通り名は……あまりにも短絡的ではないですか」
「私に言われても知らないわよ。どこの誰が名付けたかは知らないんだから」
「みどりさんの裏の仕事はなんですか?」
 サンデーが青い顔のまま質問を続ける。
「みどりは経理や」
 愛生が代わりに答える。相変わらず口調は荒い。
「経理? 泥棒のチームなのに?」
「旦那が大金持ちやから軍資金を用意してくれるねん。まあ、経費の立て替えやな」
「大金持ちなのに、泥棒をしているんですか」
 サンデーが信じられないという目で、みどりを見る。
「私たちが裏の仕事を続けるのはお金が理由じゃないからよ」
 声が震えてしまう。苛つきや怒りだけではない感情に圧し潰されそうになる。
「じゃあ、何が理由なんですか」
「それは……」
「みどり、待って。全部教えるのはまだ早い」
 愛生が、鋭い声で制した。
「教えてくださいよ!」
 サンデーがパイプ椅子から立ち上がって食い下がる。
「あとでちゃんと教えるから、やいやい言わんとって」
「いつ教えてもらえるんですか。僕、こんなの耐えられないですよ」
「もう少し、落ち着いたらな。一気に教え過ぎても逆効果になるやろ。ショックで二度と記憶が戻らんかったらどうすんの?」
「……困ります」
「記憶がないのは一時的なものやと思うから、まずは後頭部の傷を治そうね」
 愛生の声が急に優しくなる。厳しさと優しさの緩急が抜群にうまいから、常に彼女は会話のペースを握る。
「わかりました」
 みどりも愛生の対応に賛成だった。サンデーが泥棒になった理由は今ここで言うべきではない。とんでもないパニック状態になる可能性がある。
「あの……」サンデーがおずおずと訊いた。「次の仕事は……僕は何を盗むつもりだったんですか」
 みどりと愛生は顔を見合わせた。愛生が頷く。
「蛍よ」
 みどりの言葉に、サンデーが過敏に反応した。眉間に皺を寄せて、宙を見つめる。
「どうしたん?」
 愛生が心配そうに声をかける。
「蛍とは何ですか」
「絵画のタイトルや。明治時代の無名の画家が描いたものやねんけど莫大な価値があるのよ。大手の製紙会社の社長が所有してるねん。ただ、どこに隠してるかはわからへんから、日曜日までに隠し場所を特定せなあかんけどな」
「昨日、僕を襲ったスキンヘッドの男も、『蛍はどこだ』って言ってました」
 サンデーが、ぼそりと呟いた。
「スキンヘッド? 誰?」
「わ、わかりませんよ」
「今、どこにおるんよ、そいつは?」
「いや……あの……」
「はっきり喋らんかい!」
 愛生がステンレスの机を殴る。サンデーがビクリと体を震わせた。
「僕がスキンヘッドを失神させて……マンションの前に……たぶん、死んでないとは思うんですけど……」
「放置したの?」
 みどりは、ため息交じりで訊いた。記憶がないのだからしょうがないが、サンデーからすれば信じられないぐらいハチャメチャな行動だ。
 冷静沈着で取り乱すことはない。慎重さと大胆さを兼ね備え、何よりも抜群に頭がキレる。だからこそ、みどりたちは仲間になったのだ。
「僕……どうしたらいいんですかね」
 サンデーが涙目になっている。
 みどりと愛生は、同時に深いため息を漏らした。

第三章 火曜日

「お待たせしました。モーニングセットです」
 皿を置いた中年女性のウェイトレスが、軽く会釈をしてテーブルを離れる。
 午前七時。高田馬場駅前にある純喫茶。
 西郷はトーストの横に添えられていたゆで卵を取り、殻を剥き始めた。
 いつもどおりの朝だ。毎朝、この店でiPodのイヤホンで音楽を聴きながら朝食を摂るのが日課となっている。
 音楽の好みは、古いジャズやポップスだ。激しいロックは朝から聴きたくない。
 ベニー・グッドマンを聴きながら、ゆで卵を丸裸にした。ひと口、アメリカンを飲み、トーストにバターを塗る。
 西郷は独身だった。その昔、妻がいたがあまり思い出したくない。結婚生活のほとんどの時間が苦痛に満ちていた。
 ゆで卵とトーストを食べ終えたのを見計らったかのように、一人の男が店に入って来た。ベレー帽を被った老人だ。腰が曲がり、ステッキを突いている。
「おはよう。素敵な朝だね」
 老人は、おもむろに西郷の向かいに腰を下ろし、注文を取りに来たウェイトレスにアイスコーヒーを頼む。
「おはようございます」
 西郷は、コーヒーカップに視線を落としたまま答えた。百年以上は生きている猿みたいな老人の顔はなるべく見たくない。
「渋谷の件はご苦労様だった。相変わらず、見事な手際だな」
 老人が封筒をモーニングセットの横に置いた。西郷の仕事に対する報酬である。
「ありがとうございます」
 西郷は封筒を受け取り、セカンドバッグに滑り込ませた。この老人との付き合いは長い。褒められたところで、まったく喜びは感じない。
 ウェイトレスがアイスコーヒーを運んできた。老人がミルクを入れて静かにかき混ぜる。
 二人の間に余計な会話はない。喫茶店の奥にある隅の席。気にしているものなど誰もいなかった。
「次の仕事が入った」
「……随分と早いですね」
「すまないね。急に入った依頼だ」
 老人がステッキを撫でる。持ち手が銀製で馬のデザインが彫られていた。
「納期はいつまでですか?」
「次の日曜日までに済ませて欲しい」
 五日後までに、ターゲットを始末しろというわけだ。
「考えさせてください」
「返事はこのアイスコーヒーを飲み終えるまでにしてくれ」
 静かな口調ではあるが、有無を言わせぬ迫力がある。
 困った。いつもはものわかりのよい老人が言うからには、余程の緊急を要する相手なのだろう。
 旅館の予約をキャンセルしなくては……。
 週末は伊豆の温泉に行って、海が見える露天風呂で疲れを癒やす予定だった。頻繁にリフレッシュしなければ、このハードな仕事は継続できない。
 数年前までは海外の一人旅を楽しんでいたが、最近はもっぱら温泉だ。食事は部屋食にしてもらい、波や虫などの自然の音を聴きながら日本酒とともにゆっくりと味わう。予約していた宿は鯵のタタキが絶品なのだ。
「予定があるのか」
 老人がカランと氷を鳴らす。
「プライベートの用事なんですが……」
「いつもの一人旅か」
「……はい」
 老人に旅の話をしたことはない。だが、西郷の日常が筒抜けになっていることは前からわかっている。老人の力をもってすれば容易いことだ。
 老人との出会いは十五年前に遡る。西郷自らが売り込んだ。それまでは、フリーで仕事を受けていた。取引相手は、主に暴力団や政治家だった。
 現在は老人からの仕事しか引き受けない。裏切られるリスクはないし、何より報酬が桁違いなのである。
「家族を持とうとは思わないのか」
 初めての質問である。これまでの老人は絶対に西郷のプライベートに踏み込んでは来なかった。
「どうなんでしょうか……」
 返事を濁したが、この仕事を続ける限り無理なのはわかっている。

(つづく)

著者プロフィール

  • 木下半太

    「劇団ニコルソンズ」主宰。映画専門学校中退後、脚本家、俳優として活動を始める。2006年『悪夢のエレベーター』で作家デビュー。同作品はテレビドラマ、舞台、映画化されベストセラーとなり『悪夢シリーズ』が人気を博す。他の著書に『オーシティ』『サンブンノイチ』『宝探しトラジェディー』『女王ゲーム』など多数。