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  • 5th marriage(2) 2018年2月15日更新
5
 翌日の土曜、午前十時、ゆりかもめのお台場海浜公園駅近くのエメラルドホールで、長谷部英春(はせべひではる)と金沢美由希(かなざわみゆき)の結婚式が始まっていた。
 形式は人前式で、集まっているのは両家の両親、親族、そして友人たちだ。英春は二十九歳、美由希は二十七歳で、友人たちも二十代がほとんどだった。和やかな雰囲気の中、式は進んでいる。
 今回、ウェディングプランナーを務めているのは牧原(まきはら)で、アシスタントには久美(くみ)がついていた。式に関して、こよりは立ち会っているだけだ。問題は式の後に行われる、金沢エリカの祖父母の写真撮影だった。
 チャペルに入る前、エリカと話した。御祝儀袋を忘れたって電話したとエリカが囁(ささや)いた。
「おじいちゃんの家が品川(しながわ)で助かった。こっちへ来る前、品川に寄ったの。わかりやすく玄関の棚に置いてきたから、あっさり見つけてくれた。お金はともかく、中に新婦宛ての大事な手紙が入ってるから、すぐ届けてほしいって頼んだの」
「どうなった?」
 二人でタクシーで行くって、とエリカがおかしそうに笑った。
「あんなに簡単に引っ掛かってくれるなんて、逆に不安になっちゃったよ。何とか詐欺にすぐ騙(だま)されそう」
 祖父母の自宅は泉岳寺(せんがくじ)だという。タクシーなら早くて二十分、遅くても三十分で着く距離だ。
 人前式が始まって十分経ったところで、こよりはチャペルを出て、エメラルドホールのエントランスで待機していた。
 人前式もキリスト教式や神前式と同じで、三十分前後で式は終わる。エリカもそのタイムスケジュールは把握していたから、式が始まる直前に祖父母に電話をかけたのだろう。
 チャペル内にいる久美に進行状況を確認すると、司会者による結婚成立の宣言が終了し、新郎新婦の挨拶が始まったところだという。その後の流れは立会人でもある列席者による結婚承認、そして新郎新婦が退場するだけだ。 
 三十分の休憩を挟んで、全員が披露宴会場に移動する。写真撮影のチャンスはそこしかないが、エリカの祖父母は間に合うのだろうか。
 時計を睨(にら)みながら待っていると、一台のタクシーが目の前で停まった。降りてきた背広姿の老人に、若林昭三(わかばやししょうぞう)様でしょうか、とこよりは声をかけた。若林はエリカの旧姓だ。
「奥様の幸(さち)様もご一緒ですね?」
 あなたは、と昭三が鋭い目でこよりを見つめた。七十六歳と聞いていたが、矍鑠(かくしゃく)としている。
 ベストウェディング社の草野(くさの)と申しますと二人に名刺を渡すと、助かったというように昭三がこよりの腕を摑(つか)んだ。
「今日、こちらで私の孫が結婚式に出席しておるのですが、祝儀袋を忘れたと……」
 聞いております、とこよりはうなずいた。
「エリカさんに頼まれて、お二人のご案内をさせていただきます。式場のチャペルは奥ですので、こちらへどうぞ」
「いや、私はこれを持ってきてくれと頼まれただけで」昭三が背広の内ポケットから祝儀袋を取り出した。「まったく、お恥ずかしい話ですが、どうもエリカはちょっとその、粗忽(そこつ)なところがあって……渡していただければ、それで構わんのですが」
 申し訳ありませんが、それはできかねますとこよりは頭を下げた。
「現金が入っている御祝儀袋を、わたくしどもがお預かりするわけには参りません。会社の規則で決まっておりますので」
 もちろんそんな規則はないが、老人は規則やルールという言葉に弱い。申し訳ありませんともう一度頭を下げると、仕方ないというように昭三が歩きだした。少し足を引きずっている。妻の幸がその後ろに続いた。
 チャペルに入り、そのまま控室に回った。ドアを開けると、中年の女性が立ち上がった。今、式が執り行われています、とこよりは言った。
「失礼ですが、お着替えいただけますか? 厳粛な式ですので、礼服でないと入場できません」
「着替え?」
 結婚式ですので、とこよりは思いきり低い声で言った。ここが正念場だ。
「チャペルは神聖な場所です。お入りになるためには、礼節とマナーがあります。エリカさんは中におられますので、退席できません。早くしないと式が終わってしまいます。その前に御祝儀袋をお渡しにならないと、エリカさんが恥をかくことになりますよ」
 あなた、と幸が着ていたウールのカーディガンを脱いだ。
「この方のおっしゃる通りですよ。早くエリちゃんに御祝儀袋を渡さないと、あの子が最後に読む手紙が入っているんです。それがなかったら、困るのはエリちゃんですよ」
 そうか、と意外と素直にうなずいた昭三の後ろに回り、背広の上着を受け取ったこよりは、お願いしますと中年の女性に囁いた。二人の着付けのために待機させていたスタイリストだ。
 外でお待ちしていますと言って、こよりは控室を出た。同時に、久美から着信があった。
「聞こえてます? 今、結婚の承認が終わりました」
 拍手とハンドベルの音が響いている。こっちは今着替え中、とこよりはスマホに口を寄せた。
「スタイリストさんには三分で終わらせるように言ってある。ここからチャペルまでは一分。五分保(も)たせて」
 了解、と久美が通話を切った。本当なら、立会人による結婚の承認が終われば、列席者はチャペルから退場して披露宴会場へ向かうが、今回、式に立ち会っている者たちには、事前にエリカの祖父母の記念写真撮影について説明して、了解を取っている。その意味で問題はない。
 ただ、エメラルドホール側には時間の都合があった。今日は午後からもう一組結婚式が入っており、そのための準備時間が必要だ。遅延は許されない。この三十分が勝負だ。
 四分後、控室のドアが開いた。タキシード姿の昭三、幸は黒のフォーマルドレスだ。何でこんな格好をせにゃならんのかね、と不機嫌そうに昭三が唇を突き出した。
「年寄りにこんなものを着せて、いったい何の意味がある? まるで手品師じゃないか」
 今にも怒りだしそうだ。おめでたい席ですからとなだめすかして、二人をチャペルに案内すれば、それでこよりの役目は終わる。その後については、エリカに一任していた。
 火曜の打ち合わせの後、エリカと電話で何度か話した。牧原も加わったが、結局解決策は見つからなかった。
 最終的に、自分が何とかするとエリカが言い、こよりも牧原もそれしかないとうなずいた。今回の件は身内の問題で、ウェディングプランナーが関与するべきではない。協力できるのは、あくまでも状況を整えることだけだ。
 チャペルに近づくにつれ、拍手の音が大きくなっていた。どうぞお入りください、とこよりは両手で大きく扉を開いた。

6
 新郎新婦を中心に、人の輪ができていた。拍手をしている者、ハグしている者、それをスマホやカメラで撮影している者。
 その輪から抜け出したエリカが、昭三と幸の手を取って、ゴメンねありがとうと早口で言った。ずいぶん賑(にぎ)やかだなと苦笑した昭三が、祝儀袋を差し出した。
「まったく、お前はそそっかしいにもほどがあるぞ。一番大事な物を忘れてどうする? おじいちゃんとおばあちゃんがいなかったら、どうなっていたと思ってるんだ。もういい歳なんだから、そろそろ落ち着いてもらわんと――」
 ストップ、とエリカが唇に指を一本当てた。
「お説教は後で聞きます。せっかく来たんだから、新婚カップルにおめでとうぐらい言ってあげてよ。おじいちゃんたちにとっては、義理かもしれないけど、美由希ちゃんは孫なんだし」
「あの男の妹だろう?」近くに立っていた博巳(ひろみ)に、昭三が鋭い眼を向けた。「どうもあの男は好かん。エリカ、大事にされてるのか? あの男がお前を幸せにしていないというなら……」
 十分幸せです、とエリカが微笑んだ。いつの間にか拍手やお祝いの言葉が静まり、その場にいた全員の視線がエリカと昭三、そして幸に向いていた。
 辰哉(たつや)、と昭三が名前を呼んだのは息子でありエリカの父親である若林辰哉だった。並んでいた妻の恵美(えみ)に促され、辰哉が頭を下げた。
 お父さんとおじいちゃんはあまり仲が良くないとエリカが言っていたが、本当のようだ。何か不穏な雰囲気を察したのか、昭三が険しい表情になっている。
「これはどういうことだ? 何かあるのか」
 さあ、と肩をすくめた辰哉が後ろに下がった。横では幸が不安そうに首を振っている。
 司会を務めていた英春の友人が、では最後に、とマイクを握った。
「新郎新婦に新婦の兄夫婦、金沢博巳様と奥様のエリカ様から、お祝いのメッセージがございます。お二人とも、こちらへどうぞ……皆さん、拍手!」
 列席者全員が手を叩き、歓声を上げる中、エリカと博巳が結婚したばかりの二人の正面に回った。
「英春くん、美由希のことをよろしくお願いします」前置きも何もないまま、博巳が頭を深く下げた。「ぼくは……美由希にとって、いい兄だったとは思っていない。子供の頃はケンカばかりしていたし、構ってやったこともなかった。ぼくはぼく、妹は妹、そう思ってた。だけど、やっぱり妹は妹で、たった一人しかいない妹で、だから幸せになってほしい。ぼくにできることは何もないけれど、全部英春くんに託すよ。だから、よろしく頼む」
 取り出したハンカチで、博巳が目元を拭った。
 兄妹だな、とこよりは思った。仲のいい兄妹もいる。不仲な兄妹もいる。それぞれに事情がある。
 博巳と美由希の関係がどうだったか、他人であるこよりにはわからない。ただ、今までの経験から、本当にどうしようもないほど関係の悪い兄妹はめったにいないことを知っていた。
 結婚式で泣くのは、新婦の父より兄の方が多い。心の中に、さまざまな想いがあるのだろう。
 拍手が起こり、博巳がマイクをエリカに渡す。英春さん、美由希ちゃん、本当におめでとうございますとエリカが一礼した。
 これからどうするつもりなのか、こよりは聞いていない。あたしに任せてというエリカを信じるしかなかった。
「美由希ちゃんのことは、夫の妹さんですから、前から知ってました。すごく性格がよくて、明るくて、一人っ子のあたしにとって、本当の妹も同然です。英春さんのことは、正直言って半年前に紹介されたばかりですけど、美由希ちゃんが選んだ人だから、必ず幸せにしてくれるはず。ですよね?」
 マイクを向けられた英春が頭を搔(か)いて、頑張りますと言った。会場内から笑いが起きた。
「二人が幸せになると信じています」エリカが祝儀袋から折り畳んだ手紙を抜き出した。「すいません、何を言ったらいいのかわからなくなっちゃったんで、書いてきた手紙を読みますね。おめでとうございます……はさっき言ったばっかりか」
 心配そうに見つめている博巳に、エリカが小さくうなずいて、手紙を読み上げ始めた。
「本当に、二人には幸せになってほしいと願っていますけど、そのために忘れてほしくないのは、今日、式に出席してくれた方たちを含め、周囲の方々への感謝の気持ちです。皆さんのおかげで、今、あなたたちはこの場にいます。お互いへの愛情はもちろんだけど、お友達や会社の人たちが祝福してくれたことを、忘れずにいてほしい」
 はい、と美由希と英春が同時にうなずいた。そして家族にも、とエリカが続けた。
「あなたたちはそれぞれご両親がいて、兄妹がいます。博巳さんがあんなに泣くなんて、あたしも思っていませんでした。それはきっと、他のご家族の方も同じ気持ちだと思います。特にご両親はあなたたちのことを愛し、慈(いつく)しんで育ててくれたはずです」
 こよりはエリカの性格をよく知っている。明るく、天真爛漫で、何事にもポジティブだが、逆に言えば天然なところがある。そのため、何も考えていないように見えることもあった。
 チャペルにいる者のほとんどがエリカのキャラクターを知らないはずだが、伝わるものがあったようだ。最初は笑いも起きていたが、だんだんと全員が真剣な表情に変わっていった。エリカの言葉が、結婚と家族の本質に触れているとわかったためだろう。
 ご両親がいたから、あなたたちが生まれた、とエリカが言葉を継いだ。
「当たり前のように聞こえるかもしれないけど、それってすごいことだと思います。あなたたちがここにいるのはご両親のおかげだし、ご両親にも親がいて、そんなふうに命って繋(つな)がってるんだなあって」
 エリカが顔を昭三と幸に向けた。
「昭三おじいちゃん、幸おばあちゃん。二人がいてくれたから、お父さんが生まれた。お父さんとお母さんが出会って結婚したから、あたしが生まれた。あたしは博巳さんと結婚して、とても幸せです。ありがとうございます」
 こよりはそっと昭三と幸の肩を押した。二人が一歩前に出た。
「おじいちゃんとおばあちゃんとあたしでは、世代が違います。生きてきた時代も違うから、わからないこともたくさんあります。だけど、今よりいろんな意味で大変だったんだろうなって、想像することはできます。今は今でいろいろ大変なのもホントだけど、二人はもっと苦労してきたんだろうなって」
 単純に比較はできない、とこよりはうなずいた。昔は良かったという言い方もあるだろうし、今の方がいい時代だという考え方もあるだろう。
 こより自身は現代のことしか知らないのだから、どちらがいいとは言えない。それはエリカもわかっている。本当のところはあたしにもわからないけど、と手紙を折り畳んだ。
「ただ、おじいちゃんとおばあちゃんが結婚式を挙げていないことを、この前初めてお父さんから聞きました。小さい頃から、ずっと不思議だったの。どうしておじいちゃんとおばあちゃんの結婚式の写真がないんだろうって……きっと、いろんな事情があったんだろうなって思ってる。それが知りたいわけじゃない。でも、五十年以上連れ添ってきた二人が記念写真の一枚もないっていうのは、寂しいんじゃないかって」
 別にいらんと首を振った昭三に、あたしが必要なの、とエリカが言った。
「今さらって思うかもしれないけど、記念写真はあった方がいい。お父さんやお母さん、そしてあたしや博巳さんにとってもそうだし、あなたのひいおじいちゃんとひいおばあちゃんだよって、子供に見せることもできる」
「子供?」
 目を丸くした昭三の前で、エリカがお腹を軽くさすった。
「今、三カ月。年末、二人にはひ孫ができるの、その子が大きくなった時、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんのおかげで、あなたは生まれてきたのよって、言ってあげたい。だから、今日、記念写真を撮ってほしい。結婚式を挙げてほしいぐらいだけど、昭三おじいちゃんが照れて、絶対に嫌がるのはわかってる。でも、写真ぐらいならいいでしょう?」
 そういうことか、と眉をひそめた昭三がタキシードの袖(そで)をつまんだ。ここには家族全員がいる、とエリカが声を大きくした。
「美由希ちゃんも英春さんも、今日家族になった。参列してくれている人たちにも、全部説明してある。みんな、喜んで協力するって言ってくれた。それでも駄目? まだ意地を張る?」
 知ってたのか、と昭三が隣を見た。いいえ、と幸が首を振った。
「でも、お父さん……一緒になって五十七年経ちました。恥ずかしくて言えませんでしたけど、写真ぐらい撮っておけばよかったって、今になって思うんですよ。あの頃、式を挙げる余裕なんてありませんでしたし、そんな夫婦の方が多かったのも本当です。それは仕方ないことで、お父さんのせいじゃありません。でもね、やっぱり思い出があった方がよかったかもしれないって……」
 孫に騙(だま)されるとは思わなかった、と憮然(ぶぜん)とした顔で昭三が言った。
「どうも話がおかしいと思ってた。義理の妹の結婚式の朝になって、いきなり家へ来て、祝儀袋を忘れたと電話してきたり……草野さん、あなたも一枚噛(か)んでるわけですな? タキシードなんて、今日まで一度も着たことがない」
 申し訳ありません、と頭を下げたこよりの肩を昭三が強く叩いた。
「ここまでされたら、嫌とは言えんでしょう。夫婦の結婚写真なんかいらないと思ってました。思い出に浸(ひた)って、昔を懐かしむより、今を生きることの方が大事だと」
 おっしゃる通りだと思います、とこよりはうなずいた。志保(しほ)がそうであるように、結婚式を挙げていないカップル、一枚も写真を撮っていない夫婦もいる。だから不幸かといえば、そんなことはない。
 昭三も幸も、今を懸命に生きてきたのだろう。写真などいらないという昭三の気持ちもわからなくはなかった。
「ですが、エリカさんのお気持ちに応えてもいいのではないかと、わたしは思います」
 エリカは私のことをよく知っていますから、こうするしかなかったんでしょうと昭三がチャペルの天井を見上げた。
「よろしい、きれいに騙されましょう」
 幸、と名前を呼んだ昭三が手を伸ばした。
「いろいろ済まなかったな。人様の前でこんなことを言うのはあれだが……ありがとう」
 チャペル内に拍手が起こった。牧原がカメラマンを所定の位置につかせている。ゴメンゴメンゴメンと三回繰り返したエリカが、美由希と英春を新郎新婦席から外させた。
「おじいちゃん、おばあちゃん、ここに並んで。まず、二人だけで写真を撮って。その後、家族全員の記念写真よ」
 参列者の拍手に押されるように、昭三と幸が並んだ。恥ずかしいぞとつぶやいた昭三に、黙っててと命じたエリカが、お願いしますと叫んだ。フラッシュが数回焚(た)かれ、記念写真の撮影が始まった。
 うまくいきましたね、と近づいてきた久美が囁いた。冷や汗ものだけど、とこよりは時計を見た。
「時間がない。牧原さんと二人で、ゲストを披露宴会場に移動させて。ここはあたしが残るから」
 了解です、と久美がうなずいた。同時に、披露宴会場にお急ぎくださいという牧原の声が聞こえてきた。
 撮影が続いている。あと五分はかかる、とこよりはつぶやいた。披露宴全体の時間を、多少巻くことになるだろう。
 結婚式や記念写真は形式に過ぎないと言う人もいる。でも、と笑顔を浮かべている家族の顔を見ながらこよりは思った。
 形が重要なこともあるし、必要な時もある。結婚とは何か、またひとつわかったような気がしていた。

(つづく) 次回は2018年3月1日更新予定です。

著者プロフィール

  • 五十嵐貴久

    1961年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。2002年『リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞を受賞し、デビュー。警察小説から青春小説まで幅広くエンターテイメント小説を手掛ける。著書に『For You』『リミット』『編集ガール!』『炎の塔』(以上すべて祥伝社刊)など多数。