物語がつまった宝箱
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  • 6th marriage(1) 2018年3月1日更新
1
 仕事には波がある、というのが十年ウェディングプランナーとして働いているこよりの実感だった。
 誰もが知っているように、世の中晩婚化が進んでいる。この十年で、結婚に対する意識も大きく変わった。
 結婚そのものが減っているし、結婚式を挙げる意味さえ感じない男女が増えている。結婚ビジネスは明らかな斜陽産業といっていい。
 その逆風の中、ベストウェディング社はどうにか毎年前年度比で収益をプラスにしていたが、毎月そうなるということではない。会社そのものにも、そしてウェディングプランナー個人にも波がある。
 土日のたびに複数の結婚式が入り、平日は相談カップルが続々と押し寄せてくる月もあれば、はっきりした理由もないまま、ただ時間だけが過ぎていくような月もある。どんな業界、どんな仕事でもそうだろうが、ウェディング業界ではその上げ下げが顕著(けんちょ)だった。
 幸か不幸か、こよりは今年に入ってから大きな仕事をいくつも担当し、それ以外にも多くの案件を抱えている。忙しいのはいいことだが、何しろ自分の結婚式を控えている身だ。周りからのフォローがあるから、何とか回していくことができているが、そうでなければいったいどうなっていたか。
 先週、長谷部英春(はせべひではる)と金沢美由希(かなざわみゆき)の結婚式があった。こよりは直接の担当ではないが、美由希の義姉である金沢エリカと親しかったため、祖父母の結婚写真を撮影するというプロジェクトに加わり、ようやく無事に終わらせたばかりだ。
 ちょっと休ませてほしいというのが本音だったが、そうもいかない。戸狩洋一(とかりよういち)と恒松奈美江(つねまつなみえ)というカップルの式が二週間後にある。その調整のため、駆け回らなければならなかった。
 洋一と奈美江の結婚式自体は、特別なものではない。招待客も全部で約五十人だから、どちらかといえば規模としても小さい。
 だが、奈美江の父親が挙式の一カ月前に病気で亡くなり、結婚式をキャンセルしたいと申し出があった。ただ、新郎の洋一、そして奈美江の母親からの要望もあって、とりあえず保留にしていた。
 こより自身は、結婚式をキャンセルするべきではないと考えている。会社の利益のためではなく、洋一と奈美江、更には周囲の人たちのことを考慮した上での判断だ。
 今、奈美江は妊娠六カ月で、九月には出産ということになる。それまでに籍は入れるから、出産に問題はないが、子育ての期間を考えると、結婚式を挙げるのは早くても一年以上先になるだろう。
 最近では子連れの結婚式も珍しくないし、それはそれで微笑ましいものだが、洋一と奈美江のようなケースでは、なし崩し的に結婚式を取りやめてしまう場合も多い。それがいいことだと、こよりには思えなかった。
 結婚式は儀式に過ぎないし、自己満足のためのイベントかもしれない。だから挙式を挙げない、というカップルが増えているが、儀式にはそれなりの意味がある。だからこそ、世界中あらゆる国のあらゆる民族が、文化や宗教とは関係なく、結婚式というセレモニーを執(と)り行うのだろう。
 余計な心配だが、結婚式を挙げなかった夫婦は離婚率が高いというデータもある。洋一と奈美江が別れるとまではこよりも思っていないが、結婚式を挙げることが離婚のストッパーになるケースもあるのだ。
 とはいえ、父親を亡くした奈美江が、それどころではないと思う気持ちはわからなくもない。無理に説得するのではなく、本人が望んで結婚式を挙げるようにしなければならなかった。
 新郎の洋一とその両親、そして奈美江の母親は予定通り結婚式を挙げた方がいいと考えている。こよりにとって心強い援軍だったが、とにかく奈美江と直接話さなければ前には進めない。いろいろ大変だ、とこよりはため息をついた。

2
 大変なのは、自分の結婚式まで約ひと月半となっていたためもある。例えば今日がそうだ、とこよりは隣に立っている幸雄(ゆきお)に視線を向けた。
 五月二十一日、月曜日。二人はベストウェディング社のチャペルで結婚式のリハーサルを行っていた。
 仏滅なので客がいないから、この日を選んだ。リハーサルに仏滅も大安もない。
 式そのものは人前式で、厳しい決まりがあるわけではないが、それでも一定の流れとルールがある。常識というものもある。そこは守らなければならない。
 リハーサルはそのためにあり、どんなカップルでもどんな形式の式でも行うことになっている。仮にウェディングプランナー同士が結婚する場合でも、リハーサルはしなければならない。
 千組のカップルの結婚式のプロデュースを務めてきたこよりでも、自分が新婦になるのは生まれて初めてだ。他人として見ている式と、自分の結婚式は絶対的に違う。
 更に言えば、ウェディングプランナーというプライドがあるから、どんな些細なミスもできない。そのためにも、リハーサルは必要だった。
 もっとも、難しいことがあるわけではない。式全体の流れの説明、立ち位置の確認を太田原(おおたわら)が指示し、こよりは幸雄と並んで神妙にうなずいているだけだ。
 人前式に限ったことではなく、キリスト教式でも神前式でも、挙式の過程で特別なイベントを行うカップルはほとんどいない。年々シンプルな形になっている、という感覚がこよりの中にある。
 こよりも幸雄も、特別なことをしようとは考えていない。ただ、式の際にBGMを流すことだけは決めていた。
 キリスト教式であれば賛美歌があるし、神前式でも雅楽(ががく)の演奏があるが、人前式の場合は結婚する二人が好きな曲、あるいは思い出の曲を会場に流すのが一般的だ。経験上、こよりは音楽があった方がいいとわかっているし、幸雄も賛成していた。
 ただ、何の曲を流すかについては、まだ決めていない。こよりは無難にクラシックがいいと思っていたが、幸雄にも考えがあるようだ。それはこれから話し合って決めればいいだろう。
 リハーサルは一時間足らずで終わった。何か実感が湧いてきたよ、と幸雄が大きく伸びをした。
「いろいろバタバタしてるみたいだけど、大丈夫か? ぼくの方は通常通りだけど、何だか疲れた顔をしてるぞ」
 体は全然平気だけど、とこよりは洋一と奈美江のことを簡単に説明した。
「何ていうのかな、みんないい人だから困るんだよね。奈美江さんが結婚式を延期したいって言うのもわかるし、新郎や親が、やっぱりこのまま式を挙げた方がいいんじゃないかって言うのも、その通りだと思う。ウェディングプランナーって、精神的に板挟みになっちゃうから、そこはちょっとキツいかも」
 こよりにはそういうところがあるよな、と幸雄が微笑んだ。
「あんまり抱え込むなよ。こんなことを言ったらあれだけど、今は自分たちのことを優先してもいいんじゃないか? 人生で最初で最後の結婚式なんだ。仕事も大事だろうけど、プライベートも重要だろ?」
 ありがとう、とこよりは幸雄の腕に軽く触れた。幸雄の優しさには、いつも助けられているという思いがある。
 親切の押し売りではなく、こよりを気遣う気持ちが誰よりも強い。それがわかっているから、幸雄と結婚したいと思った。その気持ちは変わらない。
 照れたように笑った幸雄がこよりの手を握った。こよりも笑みを浮かべて、二人一緒にチャペルを出ると、初夏の太陽が辺りを照らしていた。
 今から幸雄は外苑前(がいえんまえ)の店に戻らなければならない。仕事があるのはこよりも同じだ。
 三十分だけお茶を飲み、慌ただしく別れた。落ち着かないが、それがあたしたちには似合ってるかもしれない、と台場(だいば)の駅へ入っていく幸雄を見送りながらこよりはうなずいた。

3
 午後から三組のカップルがベストウェディング社を訪れ、打ち合わせと相談の時間が長く続いた。
 ウェディングプランナーはシフト制で、相談受付は順番で受け持つことになっている。ただし、指名が入る場合もあるし、むしろその方が多いぐらいだ。
 ベストウェディング社はウェブ上で宣伝をしているが、後はウェディング雑誌に広告を載せるぐらいで、それ以外大きな宣伝はしていない。大手の会社やホテルの結婚式場とは違って、そこまでの予算はないし、ウェディング業界ではその方が普通だ。
 会社には営業部もあるが、個人相手の営業をすることはない。会社や法人に向けてパンフレットを作ったり、企業の総務部に対し、新しいプランの説明会をしたり、最近ではベストウェディング社主催の婚活パーティを開くなど、そういう形での営業活動はしているが、そもそも個人相手の営業が難しい業界なのだ。
 結局は口コミが勝負で、過去にベストウェディング社が手掛けた結婚式の評判を聞いたり、紹介されて訪れる者が圧倒的に多い。そして、指名が入るのは評判のいい結婚式を手掛けたプランナーだ。
 もうひとつ言えば、経験年数が長いプランナーに指名は集中する。当然の話で、人生最大のイベントとも言える結婚式のプロデュースを、入社一年目の新人プランナーに全面的に任せたいと希望する者はいない。
 スムーズな進行、行き届いた気配り、完璧な段取り。ベテランのプランナーにプロデュースを頼みたいと、誰でも考える。結局、評判になるような結婚式をプロデュースするのは経験が長い者なのだ。
 もちろん、カップルとプランナーの間には相性があり、ベテランでも合わないことがあるし、新人を配したら、それがうまくいったという例もある。その意味では人間性が問われる仕事でもあった。
 経験年数が五年を越えた辺りから、顧客に信頼されるようになったとこよりは思っている。ウェディング業界において、若さはむしろ不利だ。どうしてもある程度の経験値が必須とされる。五年がひとつの目処(めど)だ、というのは多くのプランナーが同意するところだろう。
 この二年ほど、こよりの顧客の半数ほどが紹介だった。すべてが完全にうまくいった結婚式をプロデュースできたことはないが、どんな式でも真剣に向き合ってきた。その姿勢が信頼感に繋(つな)がり、紹介者が増え、指名されることが多くなっている。
 ありがたいことだと思っているが、それだけに気は抜けない。三件の相談を受けた頃には、疲れきって食事をする気にもなれなかった。幸雄とお茶を飲んだ時、何か食べておけばよかったと思ったが、今となってはもう遅い。
 久美(くみ)に買ってきてもらったサンドイッチをアイスカフェラテで流し込むと、四時になっていた。ひとつため息をついて、応接室へ向かう。戸狩洋一と奈美江が待っている。最終の打ち合わせをしなければならない。
 十日前、戸狩家と恒松家をベストウェディング社に招き、話し合いを行った。結婚式場のキャンセルを保留にしていると説明した上で、こよりはそれぞれに確認をしていった。
 洋一とその両親は、奈美江の気持ちはわかるけれど、やはり結婚式を行った方がいいのではないか、という意見だった。その前にこよりは奈美江の母、加奈子(かなこ)と面談した際、奈美江の気持ち次第ではあるけれど、なるべくなら中止にしたくないと頼まれていた。
 あえてその時は結論を出さず、もう少しだけ考えてみてはいかがでしょう、と奈美江にアドバイスした。ただし、それほど時間があるわけではない。式場を押さえておく問題もあるし、中止すると決めたら、すぐにでも招待客に対し連絡しなければならなかった。
 既に招待状は発送済みで、ほとんどが出席すると返答している。地方から来る親戚や、会社の上司などに中止を伝えるリミットが今日だった。
 応接室のドアをノックし、入っていくと、洋一と奈美江が立ち上がった。そのままで結構です、とこよりはソファに腰を下ろした。
「わざわざお出でいただき、ありがとうございます。いかがでしょう、奈美江さん、考えていただけましたか?」
 普通なら世間話のひとつもするところだが、十日前より大きくなっている奈美江のお腹を見て、あまり時間を取らない方がいいと思った。
 迷ってます、と奈美江が口を開いた。表情を見れば、それはわかった。
「先日、両家のご両親、そしてお二人との話し合いで、それぞれの意見は伺っています」こよりはファイルを開いた。「結婚式を挙げた方がいいと皆様がお考えなのは、奈美江さんもご理解されていると思います。ただ、これもまた全員の意見ですが、奈美江さんの気が進まないまま、無理に結婚式を挙げることはできない、ということです。ウェディングプランナーとして、わたしもまったく同意見です。誰が何と言っても、結婚式の主役は新婦です。奈美江さんがどうされたいか、そこが最も重要なポイントなのは考えるまでもありません」
 迷ってます、と同じ言葉を奈美江が繰り返した。
「洋一さんやお義父様、お義母様が、式を挙げた方がいいと考えているのはわかっていますし、うなずけるところもあるんです。わたしと洋一さんは職場結婚で、招待する方々も会社関係が多いので、今から取り消すと、皆さん迷惑することになるでしょうし……」
 それは関係ありません、とこよりは強く首を振った。
「式を挙げなくても、結婚されるわけですし、赤ちゃんも生まれます。それは祝福されるべきことで、迷惑と考える人はいないでしょう。お父様が亡くなられて、奈美江さんがショックを受けていることは、誰でも理解してくれるはずです。ですから、そこを考える必要はありません。奈美江さんがどうしたいのか、それが一番大事なことだと思います」
 どうすればいいのかわからないんです、と奈美江が隣に顔を向けた。前にも言ったけど、と洋一が口を開いた。
「君のお父さんが亡くなられて、結婚式なんかしてる場合じゃないって考えるのは、娘として当然だよ。だけど、お父さんはあんなにぼくたちの結婚式を楽しみにしてたじゃないか。ぼくは一人っ子で、姉も妹もいないから、父親が娘にどんな感情を抱いているか、わかると言ったら嘘になるけど、男として何となくわかるところもある。娘に幸せな結婚をしてほしいって、心の底から願っていたと思う」
 うん、と奈美江がうなずいた。お父さんが亡くなったのは、ぼくも残念だと洋一が言葉を継いだ。
「病気のことはわかっていたし、こういう言い方は良くないかもしれないけど、そんなに時間が残っているわけじゃなかった。君の花嫁姿を見せてあげられなかったのは、申し訳ないと思ってる。でも、あれほど結婚式を楽しみにしていたんだ。お父さんは式を中止してほしくないと思ってるんじゃないかな」
 だよね、とため息をついた奈美江がお腹をさすった。数分、沈黙が続いた。
「どうしても決められないというのであれば、それも構いません」こよりはファイルの付箋(ふせん)を剥(は)がした。「迷いながら形だけ式を挙げるというのは、亡くなられたお父様も、洋一さんも納得できないでしょう。わたしも賛成できません。ただ、タイムリミットがあるのは事実です。今日中にご返事いただけないのであれば、式場をキャンセルせざるを得ません」
 結婚式はしたいんです、と奈美江が顔を上げた。
「父もそうですし、家族全員がそれを願っているなら、迷いはありません。でも……不安もあります。あたしたち二人にとって、いい結婚式、いい思い出になるでしょうか」
 そのためにウェディングプランナーがいるんです、とこよりは微笑を浮かべた。
「奈美江さんの中に迷いがないのなら、素晴らしい結婚式をプロデュースするとお約束します」
 どんな式になるんでしょうと尋ねた奈美江に、こよりは考えていたプランを説明した。聞いていた二人の顔が明るくなっていく。
 お任せいただけますかと言ったこよりに、よろしくお願いしますと二人が揃って頭を下げた。

4
 帰宅したのは夜十時過ぎだった。バッグとジャケットを椅子の上に放って、そのままベッドに倒れ込んだ。疲れていた。 
 オーバーワークだと、自分自身でもわかっている。真剣に取り組むのは、ウェディングプランナーという仕事が好きだからで、中途半端なことはできない性格だ。それにしても、とため息が漏れた。
 手を抜くというのではなく、肩の力を抜くべきだろう。すべての案件に全力で向き合っていれば、どこかで体か心が壊れてしまう。
 わかってはいたが、それができれば苦労はしないと体を起こした。ウェディングプランナーは顧客に対し、どうしても感情移入してしまう。人生で一度きりの晴れ舞台なのだから、絶対に成功させなければならない、というプレッシャーもある。ビジネスライクに割り切って考えることなど、できるはずもない。
 結局、この仕事が好きなのだ、とこよりは苦笑を浮かべた。今だけだ。自分の結婚式を目の前に控えている今の時期だからこそ、平常心で臨(のぞ)めなくなっている。
 幸雄との式が終われば、この異常な忙しさにも一段落つく。それまでは、とにかく前進あるのみだ。
 そうだろうか、という思いが一瞬頭をかすめた。結婚式が終わっても、その後には結婚生活が待っている。そして、それは一生続く。
 幸雄との結婚について、迷いはない。彼を愛しているし、愛されている実感もある。結婚相手としてお互いを選んだのは、妥協でも諦めでもなく、必然だった。
 ただ、ぼんやりした不安があるのは否(いな)めない。今、幸雄とは週に一、二度お互いの部屋を行き来しているし、泊まることも多い。二人の休みが重なれば、丸一日一緒に過ごすこともある。のろけるわけではないが、幸雄といる時間が一番楽しい。
 だが、夫婦としての生活はまったく違ってくるだろう。一日二日、一週間でもひと月でもない。同じ部屋で寝起きし、そこには日々の暮らしがある。
 過去、それなりに男性と付き合ってきた。同世代の女性と比べれば、平均レベルより多かっただろう。それでも、同棲はほんのまね事ぐらいしか経験はなかった。
 大学三年の夏、当時交際していた五歳上のサラリーマンと二カ月一緒に暮らしたが、夏休みが終わるのと同時に、お互い何かが違うと感じ、自然と離れていった。
 彼のことが嫌いだったわけではない。いい人だった、と今も思っている。
 ただ、毎日の寝食を共にしていると、つまらない小さなことが気になった。ご飯を食べ終わると、お茶で口をゆすぐ。耳かきを使った後、拭きもせず引き出しにほうり込む癖。
 それは彼の方も同じだったろう。お互い気が緩(ゆる)んで、素の姿を見てしまい、幻滅することもあった。
 二人とも若かったから、そういう些細(ささい)なところが許せなかったのだ、と振り返って思う。こよりはその時二十歳を過ぎたばかりだった。理想と現実が違うということを、わかっていなかった。
 一緒に暮らしたら、もっと楽しいと思ってたのに、と別れた時つぶやいたことを、今もはっきり覚えている。その辺りは、年齢や経験の問題でもあり、どちらが悪いとか、そういう話ではない。
 今、自分も幸雄も三十代だ。無意味に夢や理想を追い求める年齢ではない。
 それでも、得体の知れない怯(おび)えはある。結婚生活は少なくとも三、四十年は続くはずだが、今のこよりにとっては想像もつかないほど長い時間だ。その間、どういう意味合いにせよ、お互いに不満を持つことがないはずがない。
 もちろん、結婚とはそういうものだとわかっている。普通の女性より、理解度は高いだろう。何しろウェディングプランナーなのだ。
 この十年、数え切れないほどのカップルを見てきた。結婚式の後も会うことがある夫婦もいる。あるいは、離婚してしまった妻と、友人としての関係が続いている場合もある。
 結婚の実態について、直接聞いている。理解度が高くならなかったら、その方がおかしい。
 離婚した場合はもちろん、円満に夫婦生活を送っていても、不満がまったくないという女性はほとんどいなかった。何らかの形で夫に失望したり、前とは違うと愚痴をこぼす者の方が、圧倒的に多い。
 それは夫の側も同じはずで、どちらの責任とも言えない。結局、順応性が高い夫婦ほどうまくやっていける、という当たり前の結論が導き出されるだけだった。
 幸雄との相性はいい、とこよりは思っている。最初はぎこちなくても、すぐ慣れるだろう。
 その意味で不安はなかったが、もっと違う次元で恐怖に似た感情があることに気づいていた。誰もが言うように、それは環境の変化に対する怯えなのだろう。
 一人暮らしと、夫婦として二人で暮らすのは、大きく違う。それは未知の領域であり、こよりに限らず誰でも怖い。
 考えても意味がないのはわかっている。どんなカップルでも、それまでに結婚生活を経験したことはない。
 仮に十年同棲していたとしても、結婚すれば何かが違ってくる。二人で手を携(たずさ)え、人生に立ち向かっていくしかない。
 そのパートナーとして、こよりは幸雄を選んだ。それ自体は正しいと信じているが、幸雄にどこか頼りなさを感じているのも本当だった。
 今回、二人の結婚式と披露宴について、彼が一歩も二歩も引いていることからもわかるように、幸雄にはやや決断力に欠けるところがある。式や披露宴が新婦のためにあるもので、しかもこよりはその道のプロだから、任せておいた方がいいと考えているのは確かだが、それにしてももう少し積極的でもいいのではないか。
 それは自分のわがままだと、こよりもわかっている。新婦がウェディング会社に勤めていて、スタッフも含め関係者全員と親しいのだから、新郎が余計な口出しをする必要はないし、混乱の元になるだけだろう。
 だからこれ以上不平不満を言うつもりはなかったが、他にも言いたいことはあった。例えば、結婚した後どこに住むか、それもまだ決まっていなかった。
 今、こよりはゆりかもめの竹芝(たけしば)駅近くのマンションに住んでいる。幸雄は表参道(おもてさんどう)だ。それぞれ、職場への通勤の利便性から場所を選び、交際を始めた時から住まいは変わっていない。
 だが、結婚するとなれば話は別だ。二人で暮らすのだから、ワンルームや1Kというわけにはいかない。そして、それ以上に場所をどこにするかが大きな問題だった。
 こよりは結婚しても今の仕事を続けるつもりだし、それは幸雄も了解している。だが、ベストウェディング社がある台場と、幸雄の勤務先である美容院“エア/ホワイト”外苑前店は、通勤という観点から考えると、まったく別方向と言っていい。どちらかに合わせれば、どちらかが確実に不便になる。
 どちらにとっても都合がいいのは、新橋(しんばし)駅近辺ということになるだろう。新橋から外苑前までは銀座(ぎんざ)線で一本だし、台場まではゆりかもめで直接行くことができる。
 だが、新橋に新婚夫婦が住むにふさわしい賃貸物件はほとんどなかった。完全なオフィス街で、サラリーマンとOLの街だから、生活するとなると、むしろ不便ですらある。
 分譲マンションの類は少なくないが、そこまでの経済的余裕はない。賃貸物件にしても、家賃は高かった。
 とはいえ、普通なら結婚するカップルが新居を決めなければならない時期はとっくに過ぎている。決めかねている理由のひとつに“エア/ホワイト”が新たに出店する高円寺(こうえんじ)店の店長候補に幸雄の名前が上がっているということもあったが、こよりの中では幸雄の決断力不足が原因だ、という不満があった。
 比べることではないが、どうしても孝司(たかし)のことが頭に浮かんでくる。孝司は少し強引な性格で、それはそれで困るところもあったが、決断力は売るほど持っていた。
 フランスへ修業に行くことを決めた時もそうだったが、こよりに相談は一切なかった。結論だけ決めて、こよりに伝え、一緒に来てほしいと一方的に告げられただけだ。
 本音を言えば、あのやり方はないと思っている。フランスへの修業は、一人前のシェフになるために必要な過程で、孝司が行くと決めたのは当然だ。
 だが、それならそれで事前に相談してほしかった。話を聞いていれば考えることもできたし、答えも変わっていたかもしれない。
 独断で決定し、ついてこいというのはあまりにも強引過ぎた。結局、はっきりした答えが出せないまま、自然と別れてしまうことになった。
 孝司は孝司で問題がある。決断力があり過ぎる、ということなのだろう。理想としては、幸雄と孝司を足して二で割ったぐらいがちょうどいいのだが、世の中なかなかそんな男はいない。
 修業を終えた孝司が帰国し、“シェ・イザワ”のスーシェフとなってから、会う機会が増えている。こよりが結婚を控えているのももちろん知っているし、祝福もしてくれた。
 だが、どこかに違う想いがあるのを感じていた。未練というと少し違うかもしれないが、こよりに対しまだ気持ちがあるようだ。もし幸雄との結婚をやめると言えば、もう一度やり直さないかとすぐにでも言ってくるだろう。
 それに対し、心が動くというわけではない。幸雄との結婚はゴールイン直前だ。幸雄を愛しているし、結婚しないという選択はあり得なかった。
 ただ、もし、と考えてしまう自分がいた。幸雄との結婚をやめて、俺と結婚しようと孝司に言われたら、自分はどう答えるのか。
 三十を過ぎているのに、とこよりは額に手を当てて苦笑した。これではまるで少女マンガだ。乙女の妄想に近い。
 つまらないことを考えるのはやめよう、と立ち上がった。今日は早く寝たい。必要なのは睡眠だった。

(つづく) 次回は2018年3月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 五十嵐貴久

    1961年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。2002年『リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞を受賞し、デビュー。警察小説から青春小説まで幅広くエンターテイメント小説を手掛ける。著書に『For You』『リミット』『編集ガール!』『炎の塔』(以上すべて祥伝社刊)など多数。