物語がつまった宝箱
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  • 6th marriage(2) 2018年3月15日更新
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 それから二週間、忙しい日々が続いた。幸いにというべきか、五月二十七日の日曜が仏滅だったため、その日結婚式の立ち会いはなかったが、それでも相談のためベストウェディング社を訪れる者も多く、その対応もしなければならなかった。
 ウェディングプランナー課には課長の太田原(おおたわら)以下、十人のプランナーがいる。当然だが、全員がこよりの結婚を知っているし、協力態勢も整っている。具体的には、新規の仕事をこよりに回さず、それぞれが代わりを務めてくれていた。
“ウェディングプランナーの仁義”という言葉がある。結婚式の大変さを身に染(し)みて感じているプランナーは、同僚が結婚する際には一致団結して事に当たる。これは大手のウェディング会社やホテルでも同じだ。
 ベストウェディング社は業界でも中堅レベルの会社で、十人のプランナーがいれば派閥とまでは言わないが、それなりにグループがある。こよりも普段はそれほど意識していないが、ランチに行く者は決まっているし、オフの日に会ったり、飲みに行くのは久美(くみ)も含め四人だけだ。
 上司である太田原とは、仕事とプライベートを分けざるを得ないし、他の課員とはどこかで一線を引いている。仲が悪いということではなく、会社員なら誰でもそうだろう。
 だが、同僚が結婚するとなると、個人的な感情は抜きにして、全員が協力する。お祝い事だからということもあるし、それ以上に自分の時に助けてもらわなければならないと考えているからだ。仁義というより、互助精神に近いのかもしれない。
 とはいえ、顧客の側から「草野(くさの)こよりさんにお願いします」と指名されれば、断わるわけにはいかない。こよりが担当を受け持つしかないが、四月に入ってから、わざとかのようにその数は増えていた。忙しい人のところに仕事は固まるというが、そういうことかもしれない。
 戸狩洋一(とかりよういち)と恒松奈美江(つねまつなみえ)の結婚式についても、今までのいきさつから、こよりがプロデュースしなければならなかった。一人では手が回らないので、太田原に頼んで久美と中途採用で去年の秋に別のブライダル会社から移ってきた西川和歌(にしかわわか)という二十七歳のプランナーをアシスタントにつけてもらい、準備に取り組んだ。どうにか形がついたのは、六月二日土曜日の夜だった。
 こよりのプランは洋一と奈美江も賛成している。協力もしてくれているし、久美も和歌も事情はわかっていた。
 何か文化祭みたいですね、と準備を終わらせた流れでパレットタウンの中華料理店に入った久美が言った。
「一年ちょっとしか経験がないですけど、ウェディングプランナーってこんなことまでするんだって……ちょっと楽しくなってきました」
 メニューを開き、いくつかの点心と名物の土鍋シュウマイをオーダーし、後は好きな物を頼んで、とこよりは二人に言った。
「何かゴメンね、付き合わせちゃって……特に和歌ちゃんは、明日別の式も入ってるんだよね? 申し訳ない。だから、今日は何でも食べて」
 時間が違いますから、それは構わないんですけど、と和歌がメニューに手を伸ばした。
 約五年の経験があるだけに、この仕事には慣れているが、線が細く、消極的なところがある。もっと前向きに取り組めばいいのにもったいない、と常々こよりは思っていた。
「草野さんのプランはすごくいいと思うんです」カニチャーハンをお願いしますと言った和歌がメニューを閉じた。「ただ、心配なことがひとつだけあって……天気予報は見ましたか? 明日は一日雨らしいですよ」
 明日のことは明日考えればいい、とこよりは言った。隣では久美が海老のオーロラソース煮と北京ダックをオーダーしている。
 でも、雨だったらどうするんですか、と和歌が眉をひそめた。
「結婚されるお二人はもちろんですけど、式の後、招待客を外の庭に誘導しなければなりません。でも、雨が降ったら……」
 代替案は考えてある、とこよりは言った。
「天気次第だけど、その時は指示する。今日のところは食べるだけ食べて、ゆっくり休んで。久美、あんた高い物ばっかり頼んでない?」
 どうせ経費じゃないですか、とフカヒレの姿煮を頼もうとした久美の口を塞(ふさ)いだ。
「まだ二十三歳でしょ? バブルの生き残りでもないのに、そんな贅沢(ぜいたく)したらバチが当たる」
 その分働いたじゃないですかと言った久美を無視して、こよりは頭の中で明日の流れを改めて確認した。洋一と奈美江は有明(ありあけ)の多目的ホール、サンズゴッデスで式を挙げる。元飛鳥院(あすかいん)伯爵邸だったサンズゴッデスは、庭園の美しさが有名だ。
 形式は神前式で、多くの場合神社で行われるが、施設さえ整っていれば、場所はどこでも構わないとされている。ホテルや結婚式場でもいいし、サンズゴッデスのようにどんな宗教の結婚式でも対応できるホールも増えていた。
 今回、神前式を希望したのは奈美江の側だった。生前、父親が娘の白無垢(しろむく)姿を見たいと言っていたこともあったようだ。先月、リハーサルを行っているので、段取りについては二人ともわかっているはずだった。
 十年前、こよりがベストウェディング社に入社した頃と比べると、神前式は増加している。九〇年代にはチャペルでのキリスト教式でなければ結婚式にあらず、という風潮もあったというが、最近はそんなこともない。
 とはいえ、全体的に言えば昨今の結婚式の主流は人前式だし、キリスト教式ももちろん人気だ。増えたといっても、神前式の割合は一、二割ほどだろうか。
 こより自身も、やはりキリスト教式、人前式の方が慣れている。神前式が一時期敬遠されたのは、祝詞(のりと)など独特の言い回しを使う言葉が多く、お神酒(みき)をいただくなど、決まり事があるためだ。いわゆる三三九度(さんさんくど)を神前式の時以外で経験したことのある者はいないだろう。
 短い時間の中、参列者は神主の指示で立ち、座るという動作を何度も繰り返さなければならないが、高齢者にとっては辛いこともある。無理をする必要はないのだが、厳粛な儀式という意識があるため、ほとんどが神主の指示に従う。
 結婚年齢の高齢化に伴い、参列する親族の側にも高齢者が増えている。この辺りが人気の落ちた原因とも言われるが、最近では配慮も行き届き、座ったままでも構わないとする式場が多くなっている。昨今の和ブームもあり、伝統的な神前式を希望するカップルが増加しているのは事実だった。
 こよりが不慣れだというのは、比較すればというだけのことで、神前式の流れは体に染み付いている。ウェディングプランナーとして、その場に立ち会い、必要ならサポートもできる。
 だから、式そのものに不安はなかったが、こよりのプランでは式が終わった後、通常と違う流れを取ることになっていた。サンズゴッデス、そして神主やスタッフの了解は取れているが、心配があるとすればそこだ。
 とはいえ、重要な問題ではない。ポイントになるのは和歌の指摘通り、天候だった。
 朝から雨が降り続くようなら、対応策はある。一番まずいのは、式の途中から降り出した時だ。
 前菜がテーブルに揃い、箸(はし)を伸ばした久美の手を止めて、まずお祈りをとこよりは言った。
「明日、晴れますように。ほら、あんたも祈って祈って」
 お腹空いてるんですけどと言いながら、久美が両手を合わせた。和歌もだ。妙な三人組に見えるだろうと周囲の席を見回しながら、こよりは頭を垂れた。

6
 翌日、六月三日土曜日、天気予報通り、空には厚い雲がかかっていた。今にも雨が落ちてきそうだが、とりあえず踏ん張っている。そんな空模様だった。
 朝七時、有明に集まったこよりと久美、そして和歌の三人で相談し、とりあえず予定通り準備を始めることにした。サンズゴッデスの係員も手伝ってくれることになっている。時間は十分にあったし、準備そのものに問題はない。
 何とか昼まで保ってくれれば、と空を見上げながらこよりはつぶやいた。神前式は午前十時に始まり、三、四十分で終わる。
 その後、披露宴は十二時から、同じサンズゴッデス内の会場で行われる。それまで降らなければいいのだが。
 七時半、新郎新婦と親族が着いたと連絡が入った。こよりは準備を久美と和歌に任せ、まず新婦控室に向かった。
 白無垢の場合、メイクに多少時間がかかる。鬘(かつら)をつけなければならないし、衣装全体の重量は五キロ以上だ。
 奈美江自身、和服を着慣れているわけではない。事前に衣装合わせはしているが、ドレスと違ってどこから袖に手を通せばいいかさえわからないようだった。
 もっとも、着付けはプロがするし、奈美江は指示に従っていればいい。挨拶を済ませ、時間厳守でお願いしますとだけ言って控室を出た。
 洋一の方も同じだ。ウェディングプランナーとはいえ、女性である以上新郎控室に入るのは憚(はばか)られるものがある。本人ではなく、両親に頭を下げ、同じく時間の確認をした。結婚式で最も重要なのは時間だ。
 人前式やキリスト教式と違い、神前式では親族以外の参列を断わる神主もいる。神社で式を挙げる場合は、スペース上無理なこともあった。
 だが、サンズゴッデスは友人や会社の同僚などの参列について、了解している。この辺りは多目的ホールの強みで、厳しいことは言わないし、融通も利いた。
 九時過ぎには親戚たち、そして九時半には友人たちがサンズゴッデスのエントランスに到着していた。この時には準備が終わっていたので、こよりは久美と和歌と共に彼らを控室へアテンドしていたが、式の始まる直前、雨が降ってきましたと和歌が耳元で囁(ささや)いた。
「ぽつぽつって感じですけど、ちょっとどうなるかわかりません。調べたんですが、十時から十二時までの、大田(おおた)区と有明付近の降水確率は七〇パーセントでした。どうしますか?」
 タイミングとしては最悪だった。準備は全部終わっている。今からホール内に場所を移して作業をするとなると、間に合うかどうかぎりぎりのところだ。
 だが、本降りになってしまえばどうにもならない。奈美江が着ている衣装は白無垢で、純白だ。雨に濡れることはもちろん、泥のひとつでもつけるわけにはいかない。
「和歌ちゃん、式が始まったら外で天候を確認して。判断は任せる。本降りになると思ったら、即ホール内で作業を始めて」
 式が始まってしまえば、こよりは新郎新婦のフォローに回らなければならない。報告を聞いて、判断を下す余裕もない。和歌に一任するしかなかった。
 今すぐすべてをホール内に移して、作業をするべきだと思います、と和歌が首を振った。
「本降りになるような気がするんです。陽の光も全然見えませんし……」
 まだわからない、とこよりはエントランス越しに外を見た。
「こだわってるわけじゃない。でも、最善の結果を目指すのがウェディングプランナーの仕事だと思ってる」
 駆け込んできた久美が、式が始まりますと声をかけた。任せるから、と言い残して、こよりは式場へ向かった。

7
 雅楽奏者が三管(さんかん)を鳴らしている。厳(おごそ)かな雰囲気の中、新郎新婦、そして両親と親族、その後ろに参列者が続き、所定の位置に座った。
 結婚式は儀式であり、そこには決まり事がある。どんな文化、どんな宗教でもそれは同じだ。無宗教であっても決まった形式はあるのだ。
 すべてがシステム化されているため、しきたりに従えばそれでいい。ごく稀(まれ)に、約束事や作法に縛られたくないと言い出すカップルがいるが、実際には形式に則(のっと)った方があらゆる意味でスムーズなのだ。
 今回もそれは同じだった。神主による祝詞奏上(そうじょう)、三献(さんこん)の儀、巫女による神楽奉納(かぐらほうのう)、そして誓詞(せいし)奏上と玉串奉奠(たまぐしほうてん)。
 人前式やキリスト教式と比べると、多少繁雑(はんざつ)だが、基本は変わらない。誓詞奏上はその一例で、いわゆる誓いの言葉を新郎新婦が述べるのは、どんな結婚式でも同じだろう。その後に続く指輪の交換や親族杯(しんぞくはい)の儀もそうだ。
 洋一も奈美江も、流れをきちんと覚えていた。何かあればサポートするつもりだったが、こよりが口添えする必要もなく、順調に式は進んでいった。
 最後に神主が挨拶し、それで式は終わった。普通ならこのまま退場するだけだが、こよりは立ち上がって、その場にいた全員に声をかけた。
「皆様、本日は戸狩洋一様、奈美江様の結婚式にお集まりいただき、ありがとうございました。披露宴はこちらのサンズゴッデス内にあります芙蓉(ふよう)の間で行われますが、多少時間がございます。よろしければ、控室にお戻りになる前に、お庭をご覧になられてはいかがでしょうか。こちらの庭園は元飛鳥院伯爵邸からそのまま移築したもので、景観の素晴らしさは雑誌、テレビなどマスコミにも取り上げられるほど有名です」
 どうぞこちらへ、と先に立って通路を進み、廊下から庭へ出た。笑顔の和歌が両手で丸を作っている。雨は降っていなかった。
「洋一様、奈美江様、どうぞ外へ……皆様もどうぞ。カメラをお持ちの方は、記念撮影をなされるのもよろしいかと存じます」
 和歌が空を指さしている。あれほど厚かった雲が切れ、陽光が降り注いでいた。
 こちらへどうぞ、と庭先で手招きしている久美の方に、洋一と奈美江が歩きだした。その後に続いていた参列者全員の口から、驚きの声が上がった。
 庭園内にあるすべての木に、パネルの写真が飾られている。奈美江の父親、恒松徳郎(とくろう)の笑顔がそこにあった。
 久美と和歌が先に立ち、案内している。パネルの写真は徳郎が二十代の頃から始まっていた。一枚目と二枚目はモノクロで、背広姿と参加していた草野球チームのユニフォーム姿だった。
 三枚目は結婚式の記念写真だ。徳郎と妻の加奈子が、和装で一枚の写真に収まっている。衣装は今日の洋一と奈美江と同じだった。
 四枚目の写真からは、奈美江が一緒に写っていた。揺り籠(かご)の中にいる赤ん坊の奈美江、つかまり立ちをしている奈美江。小学校の入学式、運動会の写真。常に奈美江の隣には笑顔の徳郎がいた。
 お父さんが笑ってる、と奈美江がつぶやく声がした。その手をしっかり握ったまま、洋一が何度もうなずいている。
 参列していた親族の間から、いい顔しとるなあ、という声が上がった。奈美江の成長と共に、少しずつ徳郎も年齢を重ねていく。そして、笑い皺(じわ)は年ごとに濃くなっていた。
 それぞれの写真の前で、記念撮影が始まった。徳郎のことを直接知らない会社の同僚や友人たちも、事情がわかったのか笑顔になっている。
 こよりが考えたプランとはこれだった。恒松家を訪ね、奈美江の母、加奈子と話しているうち、写真が趣味だったと聞いて、浮かんできたアイデアだ。
 加奈子が妊娠した時、徳郎が真っ先に買ったのは一眼レフのカメラだったという。まだ携帯電話やデジカメもなく、今と違ってフィルムの時代だ。
 徳郎はどこへ行くにもカメラを持ち歩き、毎日のように奈美江の写真を撮った。加奈子のことも撮影したし、家族写真も数多く残っていた。奈美江と写っている時の徳郎は、いつも笑顔だった。
 こよりは数千枚残っていた写真を預かり、ベストショットを選んで二十枚のパネルを作った。文化祭みたいですねと久美が言っていたように、すべて手作りだ。
 年代順に並べ、サンズゴッデスの庭園にある木に飾り付けた。外の方がいいと思ったのは、多くの写真が戸外で撮影されたものだったからだ。
 サンズゴッデスの庭園の美しさには定評がある。できれば室内ではなく、外で見てほしいと思った。
 どこからか、ギターの音色が流れてくる。ユー・アー・マイ・サンシャイン。マイ・オンリー・サンシャイン。
 生前、徳郎がギターを弾き、歌っていた曲だ。ギターはともかく、歌声ははっきり言って下手だったが、何とも言えない雰囲気がある。加奈子、そして親戚の中には涙を浮かべる者もいた。
 誰からということではなく、拍手が起こった。いい結婚式だ、という声が飛び交う。洋一と奈美江が微笑みながら深く頭を下げた。
 よく晴れましたね、と近づいてきた和歌が首を振った。奇跡は努力をした人だけに与えられた神様のプレゼント、とこよりはうなずいた。
 それって『猟奇的な彼女』の名台詞ですよね、と久美が言った。そうだけど、とこよりはうなずいた。
「でも、これは奇跡なんかじゃない」
「どういう意味ですか?」
 お父さんは彼女の幸せを誰よりも願っていた、とこよりは奈美江に目を向けた。
「そんなお父さんが、娘の結婚式に水を差すはずがない。たとえ降水確率が百パーセントでも、絶対に雨を降らせたりしない。あたしはそう信じてた」
 努力が報われるかどうか、それはわからない。もし雨が降れば、パネルを回収して廊下の壁に飾るつもりだった。
 ただ、できれば奈美江にも加奈子にも、そして洋一や参列者にも、外で見てほしかった。室内より、その方が百倍似合っている。そんな写真ばかりだったからだ。
 自分に奇跡を起こせる力などない、とこよりは知っている。願っていたのは、徳郎が力を貸してくれることだけだった。娘の幸せを願わない父親などいない、という思いがあった。
 おめでとう、という声がいくつも重なった。そのたびに、洋一と奈美江が頭を下げている。
「何ていうか……本当にいい結婚式だなって」素直にそう思いました、と和歌がこよりを見つめた。「前の会社で、どこへ向かって仕事をしているのかわからなくなって、それで転職したんですけど、正解だったみたいです」
 まだ終わっていない、とこよりは首を振った。
「和歌ちゃん、お疲れ。あなたは次の現場へ行った方がいい。市ケ谷(いちがや)だったよね?」
 それじゃお先に、と和歌が庭から出て行った。あたしたちも、とこよりは久美の肩を叩いた。
「まだ披露宴がある。それはそれで、やらなきゃならないことがたくさん残ってる」
 ちょっとぐらい休みましょうよ、と久美が手近のベンチに座り込んだ。
「朝からずっと立ちっぱなしだったんですよ? たまには後輩にも愛の手をプリーズ!」
 夕方には終わるから、とこよりは久美の腕を引っ張った。
「有明駅の近くに、シェイブアイスの新しい店ができたんだって。台湾直輸入。マンゴーシャーベットが美味しいらしい」
 おごりですよねと立ち上がった久美が、皆様一度控室にお戻りください、と両手でメガホンを作った。
 こよりは空を見上げた。ひと筋、太陽の光が射している。きれいだと思った時、頬に水滴が落ちてきた。雨だ。
 お戻りください、と久美と声を揃えて叫んだ。ぽつぽつと雨粒が落ち始めていた。

(つづく) 次回は2018年4月1日更新予定です。

著者プロフィール

  • 五十嵐貴久

    1961年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。2002年『リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞を受賞し、デビュー。警察小説から青春小説まで幅広くエンターテイメント小説を手掛ける。著書に『For You』『リミット』『編集ガール!』『炎の塔』(以上すべて祥伝社刊)など多数。