物語がつまった宝箱
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  • 8th marriage(1) 2018年5月1日更新
1

 六月二十一日の木曜日、いつも通り朝六時半にアラームが鳴り、こよりは目を覚ました。やや低血圧の気(け)があるので、目覚めは決してよくない。
 意味不明の呻(うめ)き声をあげながら、洗面台で顔を洗った。10、という数字が頭から離れない。来週土曜日、自分と幸雄(ゆきお)の結婚式まで、ついに十日を残すのみとなっていた。
 きりのいい数字、というのは誰にでもあるものだ。節目と言ってもいいのかもしれない。
 例えば五月末頃、あとひと月かと思ったことを覚えている。あるいは三月の終わりにも、あと三カ月かと思ったものだ。
 今までは月単位だったが、六月に入ってからは一日が単位になっている。そして、残り十日というのは、まさにカウントダウンの始まりだった。
 ニューイヤーズイブでも何でも、十からカウントダウンを始めるのが普通で、“あと十日”という数字が目の前にちらついている。明日になれば残り九日、いよいよひと桁になってしまう。
 今までどこかぼんやりしていたものが、手で触れることができるほど、リアルにわかるようになっていた。十日後、あたしは幸雄と結婚する。
 最初の出会いから数えれば、ここまでおよそ一年九カ月が経っている。プロポーズされたのは去年の九月で、そこからゴールに向かって前進し続けた。
 長い長いマラソンだったようにも思える。そして十日後、いよいよゴールのテープを切る。胸を感慨がよぎった。
 ただ、こよりは結婚についてプロフェッショナルだ。ベストウェディング社に入社し、ウェディングプランナーとして十年働いてきた。その間、約千組の結婚式、披露宴のプロデュースを担当している。
 変な言い方になるかもしれないが、結婚に対して普通の新婦とは違い、客観的になっているところがあった。悪い意味ではなく、冷静に考えることができる。少なくとも、昨日まではそうだった。
 だが、あと十日というカウントダウンが始まった今日、さすがに落ち着いてはいられなくなっていた。あと十日、あと十日、あと十日。
 結婚式は葬式と違って、予定を立てることができる。その場になって、あれを忘れた、あの人に連絡を取っていなかった、ということは基本的にあり得ない。
 プロポーズを受け、結婚式の日取りを決めた。時間の余裕もあったから、結婚式と披露宴の流れは何度も確認している。
 自分だけではない。同僚のプランナーたち、課長の太田原(おおたわら)、部長の植草(うえくさ)のような二十年以上の経験を持つ者もチェックしていた。絶対に漏れはない。
 それでも、残り十日というのはプレッシャーだった。海外旅行に行く日の朝のような感じだ、とタオルで顔を拭(ぬぐ)いながらこよりは苦笑を浮かべた。
 すべて準備は終わっている。確認もしている。でも、何か忘れているような気がする。その何かが何なのかわからないけれど、何かを忘れているのではないか。
 十年、ウェディングプランナーという職に就いていても、そういう心理状態になってしまう。そこが結婚の面白いところかもしれない、と小さなため息が漏れた。

2

 結婚式が十日後に迫っていても、毎日の仕事は変わらない。土曜日が結婚式なので、前日の金曜は休ませてほしいと申告しても、それを許す会社はめったにないだろう。ベストウェディング社も同じで、来週の火、水の休日を除き、こよりは通常通り仕事をすることになっていた。
 だが、式まで十日となった今日、出社してまず命じられたのは自分の結婚式の確認だった。ベストウェディング社ではRCと呼んでいるが、レビュー・カンファレンスの略で、すべての顧客の結婚式と披露宴に関して、最終的な確認会議が行われる。
 メインのウェディングプランナーを中心に複数名が参加し、通常だと課長職の者が責任者となるが、今回は自社の社員の結婚式ということで、部長の植草も加わっていた。
 あくまでも社内の確認会議なので、通常新郎新婦が参加することはないが、本人も出席した方がいい、というのが太田原の判断だった。
 こよりと幸雄の結婚式のウェディングプランナーを務めるのは太田原で、その下に久美(くみ)をはじめ数人がアシスタントにつく。予定表を広げた太田原が、日時、場所について読み上げ、それを久美たちがチェックしていった。
 日時、とひと言で言うが、今回の結婚式は六月三十日土曜日、午前十時からと決まっている。ただし、それは結婚式そのものの開始時間で、実際の新郎新婦の集合時間はもっと早い。
 プランナーたちが配置につく時間は、更に早くなる。分単位で流れを把握しなければならないため、確認すべき内容は多岐にわたった。 
 繁雑な作業だが、実のところルーティンでもある。ポイントを押さえておけばいい、と誰もがわかっていた。一時間ですべての確認が終わったが、問題は何もなかった。
「草野(くさの)さんにこんなことを言うと、それこそ釈迦(しゃか)に説法だけど」植草が印のついたチェックシートを回収しながら笑みを浮かべた。「朝、何か食べるのはマストだからね。予定だと、朝七時にうちのチャペルの控室に入ることになっている。ヘアメイク、ウェディングドレスの着付けの間は、何も食べることができない。結婚式後の披露宴でも、花嫁がばくばく食べるわけにはいかないし、緊張で食事に手をつけられない人だっている。下手すると、朝七時から二次会が始まる夕方五時まで、何も食べられないことだって有り得るからね」
 それでもアルコールは口にしなければならない、と落ち着いた声で太田原が言った。
「乾杯だってあるし、勧められたら形だけでも口をつけるのがマナーよ。空腹のままシャンパンやワインを飲むと、普通では考えられないほど早く酔いが回る。部長の言う通り、何か食べておかないと、最悪の場合披露宴で倒れてしまうことになるかもしれない」
 わかってます、とこよりはうなずいた。過去に極度の緊張や酒に酔って倒れた花嫁を何人も見ている。貧血を起こす者も少なくない。ただ、十年の経験を持つプランナーとして、その辺りは常識でもあった。
「後はとにかく寝ておくこと」回ってきたチェックシートに太田原がサインをした。「逆算すると、当日草野は五時半起きになる。睡眠不足は花嫁にとって最大の敵だからね」
 それもまた常識だったが、こればかりは自分の意思ではどうにもならない。早くベッドに入ったからといって、すぐ眠れるものではない。どんな花嫁でも、結婚式前夜はうまく寝付けないものだ。
 一応、これを渡しておく、と太田原がテーブルに小さな箱を置いた。市販されている睡眠導入剤だ。
「正直、気休めに過ぎないんだけどね。でも、お守り代わりにはなるでしょう」
 こよりは箱を取り上げた。医師が処方する睡眠薬とは違い、気分を落ち着かせる程度の効力しかないが、ないよりはあった方がいいだろう。
「これで草野と遠藤(えんどう)さんの結婚式、披露宴の予定はフィックスとします」植草が確認したチェックシートを太田原が受け取った。「問題ありません。突発的な事態が起きたとしても、現場で解決できるレベルです」
 お任せしますよ、と植草が微笑んだ。太田原の実務能力はベストウェディング社のみならず、業界でもトップスリーに入る。
「もちろん、まだ十日あります。何らかの意味で想定外のことが起きるかもしれません。草野、変更があれば事前に伝えるように。態勢は整っている。何が起きても必ず対応できる」
 後はよろしく、と植草が会議室を出て行った。草野と赤星(あかぼし)は残って、と太田原が命じた。
「ついでと言ったらあれだけど、二十四日の結婚式の打ち合わせをする。準備は?」
 できています、と久美がファイルを取り出した。三日後の六月二十四日、倉沢潤一郎(くらさわじゅんいちろう)という二十九歳のサラリーマンと、緑川美樹(みどりかわみき)という二十五歳のナースの結婚式が港区の区民ホールで挙げられることになっていた。担当は久美だが、こよりもそのフォローに入ることが決まっている。
 四月から久美はアシスタントからウェディングプランナーとして、一人で仕事をするようになっていたが、経験不足は否めない。まだ周囲のフォローが必要だ、と太田原が判断しているのはわかっていた。
 もともと、倉沢と美樹が相談のためにベストウェディング社を訪れたのは去年の十月で、応対したのはこよりだった。その時点で、こよりは幸雄との結婚式の日取りを決めていたが、倉沢と美樹の結婚式が六日前の日曜日になったため、久美がメインのプランナーになったという経緯があった。
 独り立ちして三カ月に満たない久美に自信がないのは当然で、こよりも慣れるまで二年近くかかっている。これまでもアドバイスを求められれば答えていたが、結婚式当日まであと三日となり、久美が緊張しているのは、傍(はた)から見ていてもよくわかった。
「進捗状況について、報告するように」
 座り直した太田原が男のように腕を組んだ。資料を読み上げ始めた久美を横目で見ながら、頑張れ、とこよりはうなずいた。

3

 何なのそれ、とスピーカーホンから志保(しほ)の大きな声が響いた。
「新居が決まってないなんて、そんなの聞いたことない。どうするつもり?」
 夜九時、竹芝(たけしば)のマンションに着くのと同時に、スマホが鳴り出した。着替える間もないまま電話に出ると、二次会のことだけどと志保が話す声が耳に響いた。
 既(すで)に二次会の場所は決まっているし、招待するゲストには、志保と幸雄の後輩のジョージが幹事として招待状を送っている。幸雄と相談して、それぞれ四十人ずつ呼ぶ予定だったが、全員が来るわけではない。
 最終的に、ゲストの総数は約六十人と聞いていた。これは二次会の平均的な数字だし、会場もそのつもりで選んでいる。
 志保が電話をしてきたのは、人数の確定を報告するためで、その後はいつものお喋りになった。どこに住むかまだ決めていないと言ったこよりに、どういうことよ、と志保が不機嫌な声で唸(うな)った。
「理由があるの。彼が“エア/ホワイト”の別の店に移ることは決まってたんだけど、それがどこになるかつい最近までわからなかったから、どこに住むか決めようがなくて……」
 聞いたことないんですけど、と志保が声を低くした。
「こより、あんた結婚のプロなわけでしょ? 普通、逆じゃない? どこに住むか、それを決めておくのが先でしょ。新居が決まったからって、それで終わるわけじゃない。家具だって何だって、揃(そろ)えなきゃならない物もあるし、電化製品みたいな物はどうするわけ? 結婚するから、全部新品に買い替えなきゃならないってことはないけど、それだって考える必要がある。間取りっていうか、部屋のサイズによっていろいろ違ってくるんだよ」
 さすが先輩と手を叩いたこよりに、冗談で言ってるんじゃないんだって、と志保が鋭い声で言った。
「どうする気なの? 新婚早々、いきなり別居婚でもするつもり?」
 幸雄の仕事場が高円寺(こうえんじ)に決まった、とこよりは答えた。
「タイミングが悪いのは本当で、現在協議中。とりあえず、しばらくは今、幸雄が暮らしている表参道(おもてさんどう)のマンションに住むことになると思う。別居婚なんてちょっと嫌だし、向こうの方が竹芝より広いから、そこは合わせようかなって。ここまで来たら焦ってもしょうがないし、ゆっくり探そうって思ってる。彼が高円寺店に移るのは九月だっていうから、それまでに決めれば問題ないんじゃないかな」
 高円寺ねえ、と志保がうなずく気配がした。
「でも、こよりは結婚しても仕事を続ける訳でしょ? 高円寺から台場(だいば)のベストウェディング社まで通うつもり? よくわかんないけど、遠いんじゃない?」
 ドアトゥードアで一時間かな、とこよりは答えた。
「通勤時間としては、普通そんなものでしょ。ただ、乗り換えが二回あるんだよね。それが面倒臭くてさ」
 別に高円寺に住む必要はないんじゃないの、と志保が言った。
「うちは子供もいるし、あたしが専業主婦だから、旦那に合わせればそれでいいけど、共働きなんだから、お互い譲歩するっていうか、二人がそれぞれ便利なところに住むべきだと思うけど」
 本音を言えば、そういうことになる。平等な立場で結婚するのだから、すべてを幸雄に合わせるのは違うだろう。
 ただ、幸雄がそこまで深く考えていないこともわかっていた。自己中心的な性格ではないから、自分の職場に近いところに住みたいと自然に思っているのだろう。それだけに、正面から反対はできなかった。
「どっちにしても、なるべく早く新居を決めた方がいいと思うけど」志保が小さくため息をついた。「幸雄さんの部屋で一緒に暮らすことになったら、今こよりが住んでる竹芝のマンションの家賃を払うのは無駄だもんね。結婚すると、余計な出費が嵩(かさ)むんだよ。こよりが大金持ちなら、こんなこと言わないけどさ」
 おっしゃる通りでございます、とこよりはうなずいた。竹芝のマンションの家賃は八万円だ。
 よく言われるように、東京の家賃は高い。決して便利とは言えない竹芝でも、八万円前後は普通だ。三十二歳のこよりにとって、決して安くない金額だった。
 そうは言っても、今のところどうしようもない。結婚式まで後十日。ここで焦っても始まらないだろう。すべては式が終わってから、というのが幸雄との暗黙の了解だった。
「ジョージくんはどう? うまくやってる?」
 何だかねえ、と志保が愚痴を言い始めた。前にも聞いていたが、とにかくイベント的な方向に持っていこうとしているようだ。
 二次会ってそういうものじゃないでしょ、と志保がまた大声になった。
「新郎や新婦が昔の友だちと久しぶりに会って、いろいろ話をする時間をたっぷり取るべきだと思うんだよね。中学とか高校とか、全然会ってない人もいるでしょ? この歳になると、そんなに頻繁(ひんぱん)に会えるわけでもないんだし、土曜だ日曜だって言っても、家のこともあるしさ。あたしはそっちにポイントを置くべきだと思うんだけど、彼はいろいろ仕掛けたいみたい。フラッシュモブとかどうですって言われた時は、さすがにやめた方がいいって言ったけどね」
 その後も志保の不平不満が延々と続いた。普通、結婚式前は新婦が愚痴を言う方なのではないかと思いながら、こよりはただ黙ってうなずいていた。

4

 金曜の午後一時、こよりは久美と共にベストウェディング社の応接室にいた。
 向かいの席に、少しだけ白髪が目立つ女性が座っている。明後日、結婚式を控えている緑川美樹の母親、静子(しずこ)だった。
 相談したいことがある、と静子から連絡があったのが昨日の夕方だ。どうしても会って話したいということだったが、いい話ではないだろう。
 クレームなのか、新たなリクエストなのか、いずれにしてもプランナーにとって負担になることに違いない。最悪、キャンセルになるのかもしれない。
 ただ、式は明後日の昼と決まっている。今になってできることはほとんどない。何を言われても、難しいですと返事をするだけだ、とこよりは腹をくくっていた。
 だが、メインのプランナーである久美はそうもいかないだろう。過去、挙式の二日前に新郎新婦いずれかの親から、どうしても相談したいことがあると言われた経験はないはずで、それだけにどう対応していいのか困惑しているのが伝わってくる。太田原には報告していたが、草野がフォローするように、と言われただけだった。
 結局、ウェディングプランナーは経験を積む以外ない、というのがこの十年でこよりが学んだことだった。総合的な人間力が要求されるこの仕事は、多少失敗したとしても、そこから学んでいくしかない。
 お茶を勧めると、静子が細い指を伸ばした。表情は落ち着いている。クレームではないようだ、と察しがついた。
 目配せすると、本日はどういったご用件でしょうか、と久美がタブレットを開いた。お恥ずかしい話ですが、と静子が話し始めた。
「わたしは離婚しています。理由があってのことで、それ自体に後悔はありません。娘の美樹はわたしが引き取り、育てました」
 ご事情は伺っています、と久美がうなずいた。前夫が結婚式に出席すると、赤星さんにはお伝えしたのですが、と静子が一瞬目をつぶった。
「美樹はあの人の娘です。わたしと別れた後、再婚しましたが、子供はいないそうです。離婚したのは十五年ほど前で、わたしとの縁は切れましたが、美樹とは繋(つな)がったままですし、それは一生変わりません。過去のいきさつは抜きにして、出席してほしいと頼みました。美樹にとっても、あの人にとっても、それが一番いいと思ったからです」
 新婦のお父様のために親族席を取っています、と久美がタブレットの画面に目をやった。前夫から昨日連絡がありました、と静子が座り直した。
「いろいろ考えたが、結婚式に出ることはできないと……三カ月前、出席すると本人から返事がありましたし、わたしも娘もそのつもりでいました。突然キャンセルされても、いろんな人に迷惑がかかりますし、一度決めたことだから出席してほしいと頼みましたが、どうしても無理だと……」
 それは仕方ありません、こよりは言った。
「お母様の責任ではありませんし、前のご主人の側にも事情がおありなのでしょう。できればもう少し早くおっしゃっていただきたかったとは思いますが、変更は可能です。式場に伝えますので、一名キャンセルということにさせていただきます」
 申し訳ありません、と静子が頭を下げた。気にすることはありませんと久美が言った。
「わたしは別に構わないんです」顔を上げた静子が、まばたきを繰り返した。「ただ、美樹のことを思うと残念で……わたしたちが離婚してからも、美樹は父親と定期的に会っていました。関係は悪くありませんし、むしろいいぐらいです。一緒に暮らしていないことが、かえってよかったのかもしれません。先ほども言いましたが、三カ月前に出席すると返事があったことを伝えた時、美樹は喜んでいました」
 素敵な娘さんですね、と久美が言った。今日お伺いしましたのは、とハンカチを取り出した静子が額に当てた。
「前夫が欠席することをどう美樹に説明すればいいのか、相談したかったからです。当日になれば、前夫が式場にいないことはすぐにわかるでしょうから、事前に伝えておくべきだと思っています。ただ、何を話せばいいのかわからなくて……」
 難しいところですね、と久美がかすかに首を捻(ひね)った。結婚式、そして披露宴において最も重要なのは円滑な進行だ。アクシデントが起きれば、式そのものが台なしになってしまうことも有り得る。
 静子もそれはわかっているのだろう。父親が欠席するという事実を事前に娘に伝えておくべきだと考えている。
 それは正しい判断だが、問題は伝え方であり、タイミングだった。下手なことをすれば、素晴らしい思い出になるはずの結婚式が、嫌な記憶として残ってしまうだろう。
「お母様からではなく、わたしたちの方からお伝えしてはどうでしょう」久美がこよりと静子の顔を交互に見た。「仕事の関係とか、病気とか、何か理由をつけてはいかがですか。それなら美樹さんもわかってくれると思いますが」
 嘘は良くない、とこよりは首を振った。モラルの問題ではなく、その種の欺瞞(ぎまん)が一番人の心を傷つけるとわかっていた。
 結婚についての嘘は、どういうわけかいずれ誰もが知ることになる。どんなやむを得ない事情があったとしても、嘘をつかれた側の傷は深い。
 結婚式という人生最大のイベントにおける嘘には、それだけの力がある。その場しのぎでごまかすべきではない。
「お母様の方から、美樹さんに話した方がいいと?」
 そう思う、と小さくこよりはうなずいた。どう説明すればいいのでしょう、とすがるような目を静子が二人に向けた。
「あの子には肩身の狭い思いをさせてきました。離婚したのは美樹が十歳の時で、まだ小学生でした。いきなり母子家庭になったことで、傷ついた時もあったはずです。経済的にも余裕がありませんでしたから、わたしが働くしかなく、一人にさせてしまった時期もあります。せめて、結婚式だけは両親が顔を揃えて、おめでとうと言ってあげたかったのですが……」
 お気持ちはわかります、と久美がタブレットに目を落とした。こよりは何も言わなかった。ここは久美がウェディングプランナーとして、自分で解決しなければならない。
 結婚式に正解はない。ウェディング会社としては、トラブルが何もなく、無事に終わることが望ましいが、プランナーの立場は違う。
 結婚する新郎新婦、その両親、親族、そして招待客が笑顔で式場を出ることができるなら、ルールに縛られることはない。しきたりや前例に囚(とら)われなくてもいい。予算と時間という制約だけは守らなければならないが、それ以外はプランナーの判断がすべてだ。
 そうでなければ、マニュアルだけで結婚式は成立することになる。ウェディングプランナーという仕事も不要になるだろう。
 どうすれば式に関わるすべての人が幸せになれるのか。今、久美に問われているのはそれだった。
 意見を言うのは簡単だが、それでは本人のためにならない。先輩として後輩を育てるためにも、これ以上の口出しは余計だろう。
 太田原からフォローを任されたのは、明らかに間違った対応をした場合を想定してのことだ。久美が自分で考えて、答えを出さなければならない。
 三十分が過ぎた。考えがまとまったのか、こういうことではどうでしょう、と久美が提案を始めた。

(つづく) 次回は5月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 五十嵐貴久

    1961年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。2002年『リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞を受賞し、デビュー。警察小説から青春小説まで幅広くエンターテイメント小説を手掛ける。著書に『For You』『リミット』『編集ガール!』『炎の塔』(以上すべて祥伝社刊)など多数。