物語がつまった宝箱
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  • 2nd marriage(1) 2017年11月1日更新
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 四月第一週の火曜、こよりは表参道のビストロで高校時代からの友人、里中志保(さとなかしほ)とランチを摂(と)っていた。
 晴れていたので、オープンテラス席を選んだ。風が爽やかで心地よかった。
 テーブルに届けられた温かいバゲットに続き、ワンプレートに盛り付けられたサラダと三種類から選べるパスタ、そして牛肉のラグーを食べ終えたタイミングで、食後のドリンクとプチケーキが出てきた。
 いい店だね、と志保が周りに目をやった。青山通りから一本奥に入った通りにあるので、それほど目立たないが、カジュアルフレンチが楽しめるビストロとして、ネットや情報誌で時々紹介されている。
 評判のワンプレートランチは、子羊のクスクスや豚のテリーヌなどバリエーションも豊かだ。パスタの量が多少物足りないが、これで千円ならコスパとして悪くない。
 改めておめでとう、とナプキンで口の周りを押さえた志保が微笑んだ。ありがとうございます、とこよりはコーヒーに口をつけた。
 幸雄(ゆきお)と交際を始めたことを、最初に話したのは志保だ。プロポーズされたこと、お互いの両親も賛成していること、そして結婚式の日取りが六月三十日の土曜に決まったことなど、経過はその都度LINEで報告済みだった。
 この数年は年に一、二度しか会っていないが、高校時代の親友との絆は深い。志保とは大学も同じだったし、誰よりも親しい女友達だ。
 半年ぶりに会うことになったのは、二次会についてLINEしているうちに、幹事はあたしがやる、と志保が言い出したためだった。相談も兼ねて一度会おうということになり、ランチの約束をしていた。
「そっちはどうなの。お子ちゃまは?」
 こよりの問いに、可愛くもあり可愛くもなし、と俳句を詠むように志保が言った。
 長男の岳(がく)は今年ちょうど十一歳、長女の沙弥佳(さやか)は二歳下だから九歳のはずだ。
 大学三年の夏、二十一歳の時に志保は大学を中退した。交際していた男性の子供を身ごもったためだ。
 妊娠したと最初に打ち明けられたのはこよりで、志保は結婚して大学を辞めるとその場で宣言したが、考えてみるとあれが大学四年間を通じて、一番衝撃的な出来事かもしれなかった。
 可愛いのは小学校三年生までだねえ、と志保がハーブティーをひと口飲んだ。そういうものですか、とこよりはうなずいた。
 高校時代から、志保は将来の目標をはっきりと決めていた。CAになるつもりだ、と口癖のように言っていたのはよく覚えている。大学に入ってからも、夢のために日々頑張っていた。
 妊娠と結婚について、こよりはもちろん賛成だったが、中退しなくてもいいんじゃないかという想いもあった。そんなに簡単に夢を諦めていいのかと思ったのだ。
 だが、幸せそうな志保の笑顔を見ていると、それが正解なのだとわかり、応援するからとうなずいた。もう十年以上昔のことだ。
 卒業後、こよりはベストウェディング社に入社し、志保は専業主婦となり、それぞれの道を歩むことになった。連絡こそ頻繁に取っていたが、ほとんど会うことがなくなっていたのは、子育てに忙しい志保に時間の余裕がなかったためだ。
 やっと落ち着いたかなって、と細い銀のフォークで器用に志保がプチシュークリームを半分に切った。
「岳は五年生だし、沙弥佳も今月から三年生。今までは目が離せなかったけど、三年になればそれなりに何とかなるでしょ」
 だからいいタイミングだった、とプチシューを口にほうり込んだ。本当に頼んでいいのかな、とこよりは小さく首を傾げた。
「二次会の幹事って、何だかんだいろいろあるし、打ち合わせはともかく、当日は夜だし……あたしとしては、もちろん志保にお願いしたいんだけど、迷惑だったらはっきり言ってもらった方がありがたいかもって、思わないでもないんだよね」
 コヨリーヌにはお世話になったし、と志保が高校時代のあだ名で言った。
「ほら、あたしは結婚式を挙げられなかったじゃない? 二十歳そこそこの女子大生が妊娠して、大学を辞めて結婚するって言い出したら、まともな親なら反対するのが当たり前で、結婚式どころじゃなかった。あの時、どんだけ父親が怒ったか……でも、こよりとかマコとか、高校や大学の友達が、お祝いしたいってパーティだけやってくれたでしょ? あの時のことは感謝してます。恩返しさせてよ」
 お父さん、まだ怒ってるのとこよりは尋ねた。志保の父親は高校の体育教師で、娘の妊娠を聞いて激怒し、大学に乗り込んで管理不行き届きだと学長に抗議したのはあの頃の友人なら誰でも知っている。
「裕一(ゆういち)のことは、まだ怒ってる」夫の名前を言って、志保が小さく舌を出した。「一生あんな男の顔は見たくないってね。でも、孫は強いよ。もうおじいちゃん丸出しでさ、連れてくと甘々で、前と比べたらずいぶん平和になった」
 それならいいけど、とこよりは自分のガトーショコラを薄く切って口に運んだ。幹事、やらせてもらいます、と志保がフォークを振った。
「裕一もオッケーしてる。土曜は休みだから、岳と沙弥佳は俺が面倒見るって。たまにはいいでしょ、それも」
「幸雄の後輩が、彼の側の幹事やることになってる」“エア/ホワイト”の美容師、設楽譲司(しだらじょうじ)くんって子、とこよりはテーブルに字を書いた。「二十五って言ったかな? 若いしヒマそうだし、大体のことはあっちに任せておけばいい。なるべく志保には負担かけないようにする」
 遠慮すんなって、と志保が半分残っていたプチシューを名残り惜しそうに口にほうり込んだ。
「大丈夫だよ、こっちだって十年ガマンしてたんだから。それぐらいやらせてくださいよって話で」
 よろしくお願いします、とこよりは頭を下げた。マジでよかったね、と志保がテーブルに肘(ひじ)をついた。
「高二の時だっけ。テキトーに借りてきたDVDをマコん家で観てたら、あんたがモロに影響受けちゃって、その場でウェディングプランナーになるって言い出して……でも、仕事なんて意外とそんな簡単なきっかけで決まるもんかもね」
 若かったなあ、とこよりは男の子のように頭を掻(か)いた。タイトルもろくに覚えていなかったが、主演女優が演じるキャリアウーマン然とした立ち居振るまいに、自分もこういう仕事がしたいと思ったのだ。
 正直、心配だったと志保が小さく息を吐いた。
「あんたって要領良く見えるけど、ホントは真逆だからさ。働くようになったら仕事浸けになるってわかってた。実際、その通りだったでしょ? 恋愛も結婚も後回しになっちゃうんだろうなって……悪い意味じゃないよ。それはそれで素敵なことだと思うけど、やっぱ恋愛や結婚もあった方がいいじゃない?」
 おっしゃる通りでございます、とこよりは深くうなずいた。今でこそ“ダンドリ十段”と呼ばれるほど、仕事の手際は良くなっていたが、最初の何年かは無我夢中だった。
 大学の頃から付き合っていた村西(むらにし)と別れた理由のひとつは、仕事が忙しかったためだし、その後二年半交際していた見習いシェフの徳井(とくい)と別れることになったのも、結婚すれば仕事を辞めなければならなかったからだ。
「それでも結婚相手を見つけたんだから、立派なもんだって」あんたなら幸せになれる、と志保が何度も首を縦に振った。「あたしが保証するよ」
 どうなんだろう、とこよりはかすかに視線を下げた。幸雄のことを好きだし、幸雄もこよりのことを愛している。だから結婚する。
 それは自然な流れだったし、どこにも問題はない。ただ、ウェディングプランナーとして、結婚のリアルを誰よりもよく知っていた。
 統計的に言えば、十組の成婚カップルのうち、二・八組が離婚しているという現実がある。三組に一組が離婚していると言っても過言ではない。
 自分と幸雄はどうなるのだろう。実態をよく知っていることも、こよりのマリッジブルーの原因のひとつだった。
 それは考えてもしょうがない、と志保が落ち着いた顔で言った。
「どんな熱愛カップルでも、別れる時は別れる。うまくいってるように見える夫婦だって、心の中はどうなのか、そりゃわかんないって。うちだってそうだよ。二人の子供がいて、いい感じに見えるかもしれないけど、ピンチは何度もあった」
 四年ほど前、真夜中に志保から電話がかかってきて、もうやっていけない、別れると二時間以上泣かれたことがあった。
子育てについて、意見が違い過ぎると志保は切々と訴えたが、よほどストレスが溜まっていたのだろう。そうだよねえ、と明け方までうなずき続けていると、ようやく落ち着いたのか、やっぱり別れないと言って志保が電話を切った。
 あの時は疲れたとため息をついたこよりに、いろいろご迷惑おかけしました、と志保が両方のこめかみを指で押した。高校の時から変わらない、照れた時の癖だった。
「でも、あの時半分は本気だったよね」どうやってそのピンチを乗り越えたの、とこよりは志保の顔を覗き込んだ。「岳くんと沙弥佳ちゃんがいたから? それとも、やっぱり裕一さんを愛しているとか、そういうこと?」
 あんたは変わらないねえ、と感心したように志保が言った。
「そんなマジな顔して……愛してるとか言われても、答えられないよ。もう三十二だよ? 愛だの恋だの、そんなこと言ってる場合じゃないのはお互い様でしょうに」
 志保だから言ったの、とこよりは口元を曲げた。
「いい歳だっていうのは、言われなくたってわかってます。だけど、こっちだっていろいろ考えることがあって……この先、名前だって何だって全部変わることになるけど、それも面倒だなあって。幸雄がいきなりDV男になるかもしれない。あたし、結婚したことないんだから、先輩に意見を聞くのは当たり前でしょ」
 彼は大丈夫なんじゃないかな、と真面目な顔で志保が言った。交際を始めた直後、こよりは志保に幸雄を会わせていた。
「いい人そうだし、何となくだけど結婚に向いてるタイプだよ。とにかく、先のことを気にしてたら、結婚なんてできない。女にとって、人生最大のギャンブルだもん。リスクなんか考えず、持ってるチップを全部賭けるしかないって。結婚の先輩としてのアドバイスっていったら、そんなところかな」
 うまくいくよ、と志保が肩を軽く叩いた。だといいけど、とこよりは最後のガトーショコラのかけらを飲み込んだ。

2
 二週間後の水曜、午後二時、こよりは幸雄と並んで“シェ・イザワ”のテーブルに着いていた。向かい側の席には志保と設楽譲司、そしてテーブルの横にオーナーシェフの伊沢本人が立っていた。
 志保と会った後、伊沢と相談して披露宴のメニューを決めた。“シェ・イザワ”はベストウェディング社と契約しており、土日はレストランウェディングに店を使うことも多い。
 ウェディングプロデュース会社に勤める者の役得として、一〇パーセントの社員割引があったが、今回は二万円のコースを一万五千円で招待客に供することになった。二五パーセントのディスカウントは伊沢の好意によるもので、こよりとしても感謝するしかなかった。
 改めてメニューの説明を、と伊沢がテーブルを指した。結婚式当日に出す予定の料理が、すべて載っていた。
「アミューズは野菜とオマール海老のプレッセ」こよりの手前の皿だ、と伊沢が独特の嗄(しゃが)れ声で言った。「スープはフォアグラのロワイヤルコンソメ。魚は真鯛のロティか、オマール海老のスフレグラタン。アミューズと海老が被るんで、ちょっと迷ってる。とはいえ、縁起物だからな」
 プレッセって何ですかと尋ねた譲司に、黙ってろと幸雄が目配せした。口直しの氷菓子を挟んで最後は肉料理だ、と伊沢が太い指でテーブルを叩いた。
「牛フィレとフォアグラのマリアージュグリル。うちの定番だから、これは決まりでいいだろう。そしてデザートは紫芋とマロンの折り紙仕立て。リクエストがあれば、パフォーマンスも兼ねてフルーツのスフレグラッセをその場で作ってもいい。その辺のことはまた相談だな」
 コーヒーを飲んでいた志保が、かすかに首を傾げた。オレンジリキュールをちょっと入れてあるんだ、と伊沢が微笑んだ。
「全体のバランスは悪くないと思ってる。派手過ぎるってわけでもないしな。四月中にメニューを確定してもらえれば、厳選した食材を準備できる。それじゃ、一回皿を全部下げて、アミューズから食べてもらうことにしよう。何かあれば、食後に言ってくれ」
 黒服のボーイがワゴンにテーブルの皿を載せて、厨房に戻っていった。入れ違いにコック帽をかぶった男が出てきて、いらっしゃいませと挨拶した。
 うちのスーシェフだ、と伊沢がその肩に手を置いた。
「スーシェフって何ですか?」
 譲司の問いに、副料理長だよと伊沢が答えた。
「徳井孝司(たかし)といって、昔この店で働いてたんだが、五年ほどフランスへ修業に出ていた。半月前に戻ってきたばかりなんだが、本場仕込みのバリバリで、腕は確かだ。こよりんぼの披露宴だから、俺と徳井で全員分の料理を作る。最高の味を保証するよ」
 いろいろありがとうございます、と幸雄が頭を下げた。こちらこそ、と徳井が白い歯を見せて笑った。
 よろしくお願いします、とこよりは囁くように言った。そうしなければ、声が裏返っていただろう。
 こよりと幸雄はお互いに過去の交際相手について、すべて話していた。隠し事はしないと決めていたし、嘘をつくのも嫌だった。
 確かに隠し事はなかったが、話していないことはあった。孝司について、レストランで働いていた見習いシェフ、と最低限の説明しかしなかったし、名前も言っていない。
 名前や職業については、他の男性についても、全部話したわけではなかった。だから、嘘をついたつもりはなかったが、孝司に関してはどうしても詳しいことを言いたくなかった。
 落ち着いて、とこよりは自分に言い聞かせた。ここで波風を立てるわけにはいかない。
 孝司が初対面を装っているのは、大人としての知恵だし、それが正しいこともわかっていた。
 それにしても、日本に戻ってきているなら言ってくれればよかったのに、とこよりはテーブルクロスの皺(しわ)を直すふりをしながら、気づかれないようにため息をついた。伊沢は半月前と言っていたが、それならどうして連絡のひとつもくれなかったのか。
 婚約直前まで話が進んでいたのに、孝司と別れなければならなかった。どれだけ辛かっただろう。成田空港まで見送りに行き、帰りのスカイライナーで泣き通しだったのを、忘れたことはない。
 ご結婚おめでとうございます、と孝司がこよりと幸雄に向き直ってコック帽を取った。
「親父さんには劣りますが、当日は精一杯美味しい料理を作るつもりです。魚については自信があるんですよ。ニースの“ル・サンク”に長くいたんですが、あそこは魚料理をメインにすることが多いんで、ずいぶん鍛(きた)えられました」
 よろしくお願いしますね、と言ったのは志保だった。志保はこよりと孝司の関係を知っている。
「こよりにとって、人生最大のイベントなんです。絶対に素敵な料理を作ってください」
 もちろんです、と孝司が胸を軽く叩いた。
「親父さんから話は聞いてます。本人は言いにくいでしょうから、代わりに言いますけど、草野(くさの)さんのことを、よく働くいい子なんだと誉めてました。これは親父さんの中で、最大級の誉め言葉なんですよ」
 止めろと苦笑した伊沢に、照れなくてもいいじゃないですか、と孝司が肘(ひじ)で脇腹をついた。
「ウェディングプランナーとしての実績も聞いています。この十年で、数百組のプロデュースをされたそうですね。でも、今回はその中でも最高の式、そして披露宴になりますよ。親父さんとぼくが全力で料理を作ります。万事、お任せください」
 ではアミューズから、と孝司が下がっていった。奴の腕は確かだよ、と伊沢がうなずいた。
「料理のことは心配すんな。とにかく、今日は試食なんだから、言いたいことがあれば遠慮せずに言ってくれ。こっちはそれに合わせて考える。まずは食べてからだな」
 何か申し訳ないな、と厨房に向かう伊沢の背中に目をやりながら幸雄が言った。
「こんな豪華な料理、普通のレストランウェディングじゃあり得ないだろ? 伊沢さんはもちろんだけど、こよりにも何て言えばいいのか……」
 ありがとうでいいと思いますよ、と志保が笑いながら言った。
「でも、マジでなかなかのスペシャリティだったよね。やっぱりコネって大事だなあ」
 悪いことしてるみたいに言わないで、とこよりは軽く睨(にら)む真似をした。プレッセって何ですか、と譲司が左右に目をやりながら首を捻(ひね)っていた。

3
 自分の披露宴のメニューを決めた翌日夕方五時、こよりは週末の日曜日に開かれる今期最大規模の結婚式の打ち合わせのため、台場のルクソール・ウエスト・ホテルを訪れていた。
 ベストウェディング社とルクソールは距離も近く、提携関係にある。これまでも顧客の依頼を受けて、結婚式場あるいは披露宴会場としてルクソールを紹介したことは何度となくあった。当然だが、ルクソールにもウェディング専門の部署があるので、実際の式のプロデュースはルクソールの宴会課が行うのが通例だ。
 一年前、ベストウェディング社を訪れた新郎の小坂信秀(こさかのぶひで)、新婦の菊田麻弥(きくたまや)からのリクエストで、ルクソールを紹介した。そこでこよりの仕事は終わるはずだったが、新郎信秀の父親で区議会議員の小坂信太郎(しんたろう)が難色を示した。
 区議会議員という立場から、外資系のルクソールではなく、港区内の他のホテルで式と披露宴を挙げることにこだわったのだ。
 結局、お互いが譲歩し、ルクソールで式と披露宴を挙げるが、プロデュースは港区に本社があるベストウェディング社が担当することで話が落ち着いた。
 ただし、三百人規模の披露宴となると、全面的にお任せくださいとは言えない。最終的にはベストウェディング社とルクソールの営業本部宴会課の共同プロデュースということになった。これは信太郎も了解している。
 結婚式はルクソール内のチャペルで行い、参列する客は二百人、その後ホテル最大の宴会場、ペガサスルームで催される披露宴には三百人の客を招待することになっていた。
 全体の進行はルクソールの本多(ほんだ)営業部長、披露宴のプロデュースはベストウェディング社の植草部長の担当と、分担も決まった。
 とはいえ、ここまで大きな披露宴になると、本多も植草も全体を統括することで手一杯になってしまう。植草の指示でこよりも加わることになり、三カ月前からルクソール側との打ち合わせが何度も行われていた。
 挙式と披露宴は三日後の日曜、午前十時半から始まる。今日は披露宴全体の進行を最終確認するためのミーティングで、新郎の小坂信秀、新婦の菊田麻弥も来ていた。
 こよりとルクソール側のプランナー、横川江実(よこかわえみ)が新郎新婦に当日の式と披露宴のタイムスケジュールを説明し、段取りを伝えた。普通の結婚式なら、ひと月前に終えていなければならなかったが、最終確認の場を設けることになったのは、両家の両親から何度も追加のリクエストが入っていたためだった。
 区議会議員の小坂信太郎と台場で大きな歯科クリニックを経営している新婦の父、菊田正成(まさなり)はお互い張り合うようにさまざまな提案をしていた。そのため、式も披露宴も最近ではめったに見ることがない派手婚になっていた。
 料理ひとつ取っても、客一人当たり五万円という高額な予算がかけられている。三メートルのウェディングケーキを含め、クラシックスタイルのフレンチフルコースだ。
 しかも途中には魚料理店を経営しているという麻弥の叔父による本マグロの解体ショーもあり、すべての料理にはキャビア、フォアグラ、トリュフという世界三大珍味が贅沢に使われることになった。
 そこまでしなくてもいいのではないか、とこよりも横川も首を捻らざるを得なかったが、すべての要望に応えるのがウェディングプランナーの仕事である以上、受け入れるしかない。
 お色直しは三回あり、新郎新婦共にドレスや着物はフルオーダーで、披露宴なのかファッションショーなのかよくわからない。これではまるで見世物ではないか。
 だが、考えてみると、披露宴にはある意味で見世物の要素がある。お互いの親類、友人、会社の上司や同僚などに、自分はこの人と結婚しますとお披露目するのだから、見世物の側面があるのは間違いないだろう。
 両家の父親から、費用についてはどれだけかかっても構わないと打ち合わせの席で言われていた。そうであるなら、どこまでも派手に徹しようとこよりは思っていた。
 結局、この日は新婦の麻弥から細かい質問がいくつかあったぐらいで、大きな問題はなかった。式でも披露宴でも、麻弥にはこよりがつくことになっているから、次に何をすればいいかはその都度指示すればいい。
 最初にベストウェディング社へ来た時から、麻弥はこよりのことを信頼し、今までもさまざまな相談を受けていた。三日後に挙式を控えて、ナーバスになっているのは、花嫁なら誰でもそうだ。麻弥に限ったことではない。
 麻弥はお嬢様育ちで、多少わがままなところはあるが、常識はわきまえている。彼女なら大丈夫だろう。
 ルクソールからベストウェディング社に戻り、問題はありません、と部長の植草に報告した。そりゃ助かった、と植草がため息をついた。
「ゲストの方はトラブル続きでね。披露宴に数名招待客が追加されることになった。一人は衆議院議員で、警備の必要もある。それに何とかっていうアイドルも来ることになってね。誰だっけ?」
 安芸川真実子(あきがわまみこ)、と課長席で太田原(おおたわら)がつぶやいた。こよりも名前は知っている。日本一有名と言っても過言ではないアイドルグループのセンターを務めるメンバーだ。
「どうして彼女が?」
 新婦の遠い親戚だそうだ、と植草が薄くなっている後頭部を強く掻いた。
「叔父の従兄弟の連れ子の娘って言ったっけ? よくわからんが、一種の箔づけなんだろう。それもまた頭の痛いところでね。三日前になって追加の席を用意しなくちゃならないなんて、聞いたことがないよ……料理の方は大丈夫だよね? 議員夫妻とアイドルとマネージャー、トータル四人分追加になるんだけど」
 すぐ連絡します、とこよりはスマホをトートバッグから取り出した。
「食材は余裕を持って準備しているはずですし、何しろ名門ルクソールですから、何かあっても対応できると思いますけど」
 一応、確認だけしておいてよ、と植草が言った。
「こんな派手婚、めったにないからな。個人的にはどうかと思うけど、たまにはこんなビッグイベントがあってもいいよね。うちのプランナーにとっても、勉強になるだろう。ただねえ、単なる派手婚じゃないからなあ。区議会議員と台場一の大きな歯科クリニックの院長が親だ。他にも医者やら弁護士やら、VIP招待客も多い。何かミスでもあったら、うちの社の面目にも関わってくるぞ」
 それはどんな式でも同じでしょう、と太田原がパソコンのキーボードを叩きながら言った。
「地味婚でも派手婚でも、新郎新婦二人だけの式だとしても、人生で最高のメモリアルイベントにするのが、わたしたちの仕事では?」
 そりゃきれいごとだ、と植草が口を尖(とが)らせた。
「建前としてはそうだけど、リアルな話、利益が違うからねえ。どんな結婚式だって気を使うのは当然だけど、今回は特別だよ」
 現実的に考えれば、植草の言う通りだろう。五十人規模の披露宴と比べて、単純計算で六倍の売上が見込めるし、利益率はもっと高い。
 区議会議員の息子夫婦がプロデュースを任せたという宣伝効果も、ベストウェディング社にとっては大きいはずだ。
 どんな結婚式でも誠心誠意努めなければならないのは、太田原に言われるまでもない。だが、今回はより気を引き締めなければならない、とこよりはルクソールに電話をかけながらうなずいた。

(つづく) 次回は2017年11月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 五十嵐貴久

    1961年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。2002年『リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞を受賞し、デビュー。警察小説から青春小説まで幅広くエンターテイメント小説を手掛ける。著書に『For You』『リミット』『編集ガール!』『炎の塔』(以上すべて祥伝社刊)など多数。