物語がつまった宝箱
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  • 4th marriage(1) 2018年1月5日更新
1
 世間がゴールデンウィークと呼ぶ四月末から五月初めまでの連休を、ウェディング業界ではブラックウィークと呼ぶ。その理由は、結婚式の数が多いからだ。
 基本的に結婚式は土日の休日、あるいは祝日に行われる。もちろん例外的に平日開催ということもあるが、九五パーセント以上のカップルが休日、祝日を選択する。
 加えて、真夏と真冬は避けたいとすべてのカップルが考える。暑さ寒さは結婚する二人のみならず、招待客にとっても厄介な問題になるからだ。
 約六十年前、「六月に結婚する花嫁は幸せになる」というヨーロッパの伝統を日本に紹介したのは、当時のホテルオークラ副社長だったと言われている。それがある程度定着したのは、今もジューンブライドという言葉が残っていることからも明らかだ。
 ただし、日本の風土から言えば、六月は梅雨のシーズンと重なる。結婚式当日が雨になる確率は高い。むしろ、六月の結婚式は避けたい、と考えるカップルが昨今では増えているぐらいだ。
 そうなると、望ましい結婚式の時期は春、もしくは秋になる。その中でベストなのが、ゴールデンウィークだ。
 例えば東京で式を挙げる際、地方から親類縁者を招くことになっても、前後が休みのため調整をつけやすい。ついでに東京で数日過ごす、という人も少なくない。
 ある意味で書き入れ時だが、現場で働く者たちにとって、連日結婚式が続くのは、肉体的にも精神的にも厳しい負担となる。ブラックウィークというのは業界内ジョークだが、そういう面があるのは事実だ、とこよりは思っていた。
 それでも、明けない夜はない。昨日でゴールデンウィークは終わった。五月七日月曜日、出社したこよりは安堵のため息をついた。
 とにかく、ゴールデンウィークを乗り越えた。スケジュールは通常通りに戻り、多少は息がつけるようになるだろう。
 ベストウェディング社的にはその通りだったが、こより自身にとってはここからが本番だった。幸雄(ゆきお)との結婚式は六月三十日の土曜日。あと二カ月を切っている。
 他人の結婚式をプロデュースするのがウェディングプランナーの仕事だが、自分の結婚式はこよりと幸雄の人生の第一歩だ。どちらが重要か、口には出せないが、最初から答えは決まっている。
 幸雄との結婚式について、ウェディングプランナーは課長の太田原(おおたわら)に頼んでいた。演出と主役を兼ねることはできないのだから、どんなプランナーでも信頼できる人間に依頼するし、自分ですべてを仕切ることはできないとわかっていた。
 こよりも「ダンドリ十段」と呼ばれるようになって久しいが、太田原は「ダンドリの神様」の異名を持つベテランだ。既にほとんどの準備は済んでいる。すべてを預け、身を委(ゆだ)ねていればいいのだから、気は楽だった。
 それでも、自分と幸雄で決めなければならないことは、いくつか残っていた。ウェディングプランナー課のドアを開けて、自分のデスクに座ると、パソコンに大きな付箋(ふせん)が貼ってあった。“引き出物とプチギフト・至急”と太田原直筆の文字が記されている。
 重要な案件はあえてメールではなく、付箋を貼っておく。それが太田原の習慣だ。
 もちろん、忘れていたわけではなかったが、後回しにしていたのは確かだ。ウェディングプランナーあるあるのひとつで、単純に決められることは二の次三の次になってしまう。そのために起きるトラブルは意外と多い。
 引き出物に関しては、ウェディング会社に勤める者の強みで、業者とも取引があり、各種カタログが揃っていた。流行(はや)り廃(すた)りがあり、今となっては信じ難いが、結婚するカップル二人の写真を印刷した皿やマグカップなど、食器類を招待客に贈ることが流行った時代もあったと聞いている。こよりの世代では信じられない趣向だった。
 使いにくいだろうし、捨てにくいだろうから、迷惑グッズと揶揄(やゆ)されることが多く、今ではめったに見ることもない。もちろん、こよりもそんな引き出物を選ぶつもりはなかった。
 最近はカタログを招待客に渡し、そこから選んでもらうというやり方が主流だが、ウェディングプランナーという職に就く者として、プライドがある。何かひと工夫したいと考えていたことも、後回しにしていた理由だ。
 それは新郎新婦がお見送りで渡すプチギフトについても同じだった。ブライダル業界で働くこよりにも見えにくいところだが、結婚式に集まる招待客の年齢層は幅広く、それぞれの好みも違う。
 ハイセンスな最新アイテムを贈っても、高齢者には使い方もわからない場合もある。中高校生の甥や姪など、若い子に古式ゆかしく手拭いなどを渡しても、使い道に困るだろう。誰もが喜ぶのはいわゆる消え物、お菓子の類だ。
 予算的にも、プチギフトに高価な物を選ぶことはできない。ベテランならではの手回しの良さで、連休前に太田原からリストを渡されていたが、こより自身にもアイデアがあった。ただ、なるべく早く選ばないと、各方面に迷惑がかかるだろう。
 それ以外に、やらなければならないことがまだ二つあった。ひとつは披露宴の司会者のセレクションだ。
 こよりには持論があり、披露宴の司会はプロに頼むべきだと考えていた。十年で千組の結婚式を見てきた者としての、揺るぎない実感だ。
 二次会ではプロより、友人の方が司会者としてふさわしい。参加する者はほぼすべて新郎新婦の友人だから、場も盛り上がるし、多少ミスがあったとしても、むしろいい思い出になる。十分二十分進行が遅れても、そこはご愛嬌だ。
 だが、披露宴の司会は違う。招待する者は友人だけでなく、親族はもちろん、会社の上司や学生時代の恩師など、オフィシャルな対応が必要な者もいる。名前や肩書の読み間違いなど、絶対にあってはならない。
 挙式、そして披露宴はひとつの儀式であり、儀礼でもある。もちろん、笑いや涙、感動的な要素があっても構わないが、優先されるべきなのはスムーズな進行だ。そのためにはプロの司会者に依頼する方がベストだ、とこよりは常々考えていた。
 ベストウェディング社には、契約しているフリーのプロアナウンサーが数人いる。スケジュールが空いている者に頼めばいいと思っていたが、“エア/ホワイト”の安西(あんざい)社長が、部下である幸雄の披露宴の司会をやりたいと言い出したのは三月のことだ。それもあって、結論をペンディングにしていた。
 三十代で社長になっただけのことはあり、安西は喋りが巧(うま)い。それはこよりも何度か会っていたからわかっている。
 司会役を務めて目立ちたいということではなく、性格的に世話好きなのだろう。今までも“エア/ホワイト”の美容師が結婚する時は、安西が司会を務めることが多かったという。
 それが悪いとはこよりも思っていないが、ここはプロに頼むべきだと幸雄には言ってあった。無難に終わるのが結婚式の理想形だ、というこよりの理屈に、幸雄も異は唱えなかった。餅は餅屋で、ウェディングプランナーのこよりに従うべきだと判断したのだろう。
 連休の終わりに、安西本人から「司会はお任せします」と連絡があり、ようやく調整がついたことになる。後は太田原に報告して、司会者を決めてもらえばいい。
 だが、もうひとつ、ウェディングケーキのデザイン発注が残っている。披露宴において、特別なことをするつもりはなかったが、ウェディングケーキぐらいは凝(こ)ってもいいだろう、とこよりは思っていた。
 無難であることが披露宴の理想形だが、その中にアクセントがひとつあるべきだ。自分たちの場合、それがウェディングケーキになるだろう。
 こよりと幸雄の披露宴は“シェ・イザワ”で行われる。いわゆるレストランウェディングだが、パティシエの作るケーキ、デザートとウェディングケーキは本質的に在り方が違うものだ。そのために、専門の職人、専門の業者がいる。“シェ・イザワ”レベルの有名店でも、ウェディングケーキは外部に発注することが多い。
 特別なオーダーをすると、ウェディングケーキは完成まで時間がかかる。こだわりはないが、いわゆるインスタ映えするデザインにした方が、招待客たちの評判になるだろう。中には独身者もいるから、自分の仕事のことを考えると、多少凝らなくてはならない。
 それでも、まだ二カ月近く先だから、時間的な余裕はあった。焦る必要はない、とこよりはパソコンを立ち上げた。月曜の朝が静かに始まっていた。

2
 打ち合わせや相談の予定もなく、何事もない月曜のはずだったが、午後になって風向きが変わった。
 結婚式をひと月後に控えている戸狩洋一(とかりよういち)と恒松奈美恵(つねまつなみえ)というカップルが来社して、式をキャンセルしたいと申し出てきたのだ。
 二人のウェディングプランナーを担当しているこよりにとって、由々しき事態と言っていい。一カ月前のキャンセルとなれば、さまざまな問題が発生するのは考えるまでもなかった。
 だが、アシスタントの久美(くみ)と共に相談室で二人の話を聞いて、事情がわかった。奈美恵の父親が連休中に急死したという。
 父親がガンで入退院を繰り返していたことは、去年の暮れに二人がベストウェディング社を訪れた時から、話を聞いていた。病状は決していいとは言えず、その時点で余命一年と宣告されていた。
 そのためもあって、二人は半年以内の結婚式を希望していた。奈美恵としても、父親に花嫁姿を見せたいだろう。その気持ちは、こよりにもよくわかった。
 多少の無理はあったが、式場その他と交渉し、六月三日の日曜日という日取りを押さえた。言い方はよくないかもしれないが、余命一年というから、十分間に合うはずだとこよりは思っていた。
 だが、先週になって突然父親の容体が悪化し、息を引き取ったという。こよりも久美も、お悔やみ申し上げますと頭を下げるしかなかった。
 結婚式のキャンセルが最も多いのは、日程が決まった直後と言われている。ほとんどは新郎、新婦、どちらかの心変わり、あるいは何らかの意味での不和が原因だ。
 実は、その場合、ウェディング会社にとって大きな実害はない。少なくとも半年以上先のことなので、対応は十分に可能だ。
 逆に、式まで一カ月という時期でのキャンセルはめったにない。あるとすれば、今回のように身内の不幸という理由が最も多い。親戚レベルなら、そのためにキャンセルすることはないが、両親となるとやはり話は違ってくる。
 心情的にも、結婚式どころじゃないとなるのは当然だろう。ベストウェディング社では、特約事項として、親兄弟が死亡した場合、実費以外の料金は請求しないことになっている。
 ただ、担当者として、こよりは最終的な確認をしなければならなかった。洋一と奈美恵に関して言えば、既に招待状の発送まで終わっている。招待客もそれぞれスケジュールを調整しているはずだ。
 電話やメールで、父が亡くなったので結婚式を中止すると言える間柄ならともかく、それでは済まない相手もいるだろう。直接会って、事情を説明しなければならないとなると、それもまた大変だ。 
 その辺りまで考えると、結婚式を中止しないという選択肢も有り得る。実際、両親を一週間前に亡くしても、結婚式は挙げるというカップルもいるのだ。
 そこは個人の考え方の違いで、正しいも間違いもない。こよりがしなければならないのは、現状を説明し、キャンセルの意思に変わりはないか、確認することだった。
 首を振った奈美恵が、キャンセルしますと口を開いた。
「草野(くさの)さんにはお世話になっていますし、ご迷惑をおかけすることはわかっています。ただ、わたしも突然父が亡くなったことで、気持ちの整理がつかなくて……中途半端な思いで式を挙げるのは、洋一さんに対しても失礼だと思うんです」
 そんなことはないけど、と微笑んだ洋一に、わかってると奈美恵がうなずいた。
「ただ、あたしもそんな簡単に気持ちを切り替えられないってこと。わかってくれるよね?」 
 息を吐いた洋一が、もちろんだよと答えた。申し訳ありませんと頭を下げた奈美恵が、今六カ月なんです、と自分のお腹に手を当てた。
「父に孫の顔を見せたかったんですけど、残念です。来月の式はキャンセルしますけど、いずれ父のことや子供のことが落ち着いたら、改めてこちらの会社に相談させていただきたいと思っています。その時は、また草野さんにウェディングプランナーをお願いしたいんですけど……よろしくお願いします」
 延期にするしかない、とこよりは書類を渡し、解約のサインをするよう伝えた。身内の不幸で挙式をキャンセルするのは、やむを得ない。
 ベストウェディング社に対して、不満があるということでもない。もろもろ落ち着いたら、また相談しましょうというのが結論だった。
 相談室の外まで送りに出たところで、奈美恵がトイレへ行った。それを待っていたように、洋一が前置き抜きで口を開いた。
「ぼく個人は、キャンセルしたくないんです。昨日も奈美恵のお母さんと話したんですけど、亡くなった義父も、ぼくたちの結婚式が予定通り行われることを望んでいるはずだ、と言ってました」
 わかります、とこよりは答えた。奈美恵と亡くなった父親は、最近では珍しいほど仲のいい父娘だったと、奈美恵本人から聞いている。
「奈美恵さん自身も、結婚式を挙げたいと思っているはずです。でも、気持ちの整理がつかないというのも、わかる気がします」
 子供が生まれるのは九月です、と洋一が言った。
「嬉しいことですが、それはそれでまた落ち着かなくなるでしょう。考え方次第と言われればその通りなんですが、結婚式が先延ばしになってしまうのは、あまりいいことだと思いません。招待する人たちに対しても、迷惑をかけることになります。できれば予定通り来月式を挙げたいんですが……奈美恵の気持ちを考えると、それも難しいんでしょうね」
 少し時間をもらえますか、とこよりは言った。
「洋一さん、そして奈美恵さんのお母様とわたしとで、一度話し合ってみましょう。その上で、予定通り式を挙げるように、奈美恵さんに伝えてみるというのはどうでしょうか。説得するとか、そういうつもりはありません。でも、必ず素敵な結婚式にするとお約束します。それまで、キャンセルの件は保留にしておくということで、いかがでしょう」
 お願いできますか、と洋一が頭を下げた。もちろんです、とサインが入ったキャンセル申込書を、こよりは持っていたファイルに挟み込んだ。

3
 大丈夫なんですか、と二人を見送ってから久美が顔を上げた。最近になって、言葉の使い方がようやくウェディングプランナーらしくなっていた。
「そりゃ、うちとしてはキャンセルなんかない方がいいに決まってますけど、お父さんが突然亡くなられたら、誰だって結婚式どころじゃないですよ。奈美恵さんが延期したいというのは、当然だと思いますけど」
 会社のためじゃない、とこよりは首を振った。奈美恵本人のためにも、洋一のためにも、生まれてくる子供のためにも、そして亡くなった父親のためにも、予定通り式を挙げるのがベストなはずだ。自分のために娘の結婚式が延期になることを、奈美恵の父親が喜ぶはずもない。
「それはそれでわかりますけどね……でも、そんな時間あるんですか?」
「時間?」
 自分の結婚式のことはお忘れですか、と久美がからかうように言った。
「植草(うえくさ)部長も太田原課長も、草野さんの仕事がこれ以上忙しくならないように、気を遣ってます。もちろん、あたしたちだって同じですよ。みんなでシフトを分けて、少しでも草野さんの負担を減らそうって……でも、今回みたいにイレギュラーなことがあると、カバーできなくなります。今は、自分の結婚式を最優先で考えるべきなんじゃないですか?」
 難しいところね、と廊下を歩きながらこよりは首を傾げた。もともと自分のことを後回しにしてしまう性格だし、ウェディングプランナーという仕事に就いてからは、それが一層顕著(けんちょ)になっている。
 ウェディングプランナーの喜びは、結婚するカップル、そして式や披露宴に出席する人たちの笑顔だ。きれいごとではなく、そういう仕事だった。
 ウェディングプランナーの婚期が遅れるのは、その意味でやむを得ないところがある。他人の幸せを優先して考える癖がついているので、自分とパートナーの間に問題があっても、それは後で考えよう、となってしまう。
 結婚と最も近い場所にいるのに、縁遠くなるのは皮肉な話だが、それがウェディングプランナーのリアルだ。
 最近、鏡見てますかと久美が前に回り込んだ。
「何か、元気ない感じですよ。らしくないっていうか……もしかして、マリッジブルー?」
 結婚式を二カ月後に控えて、何もかもがバラ色に見える新婦なんていない、とこよりは肩をすくめた。
「いたとしたら、その方が怖い。結婚式に夢を見るのはいいけど、いずれ現実と向き合わなければならなくなる。夢と現実の落差が大きければ大きいほど、夫婦間の危機も大きくなる。マリッジブルーかもしれないけど、彼との結婚について、迷ってるとか悩んでるとか、そういうことじゃないの」
 それならいいんですけど、と久美がウェディングプランナー課のドアを開けた。
「何ていうか、草野さんって、そういうところ妙に真面目っていうか……はっきり言いますけど、ホントは迷ってるんじゃないですか?」
 迷ってません、とこよりは低い声で言った。
「彼と結婚するって決めた。プロポーズされて、この人なんだって思ったの。彼と結婚するのが幸せだって、よくわかってる。余計なことは言わないでいいから、自分の仕事のことを考えなさい。一応、プランナーとして独り立ちしたけど、あたしに言わせればまだ半人前よ」
 もし、誰か別の人が現れたらどうします、と久美が意味ありげな笑みを浮かべた。
「別の人?」
 昔の彼氏とか、そういう人ですと久美がこよりの肩を軽く叩いた。“シェ・イザワ”のスーシェフ、徳井孝司(とくいたかし)のことを言っているとわかった。どこかで噂を聞いたようだ。
「そんな人はいません」
 きっぱり否定して自分の席に座ったが、デスクに戻っていく久美の背中に目をやりながら、後輩ながら侮(あなど)れないとつぶやいた。
 情報収集はウェディングプランナーに必須の条件だ。あの子は意外といいプランナーになるかも、とこよりは思った。

4
 引き出物とプチギフトを決め、太田原にメールを送った。司会者についてはスケジュールを確認中で、今のところ返事待ちだ。残っているのはウェディングケーキのデザインだった。
 もうひと月以上前、幸雄に商品カタログを渡し、決めてほしいと伝えていた。ウェディングケーキにはパターンがあり、本体に大きな違いはない。デザインというのは、上部のアレンジをどうするかということで、カタログにあるのはその見本だ。
 予算との兼ね合いもあるから、ひたすら豪華であるとか、ただただ派手であるとか、巨大なものであればいい、ということではない。その辺りの説明もしている。選択の幅を狭めた上で、最終的な決定は幸雄に任せるつもりだった。
 幸雄に限ったことではなく、新郎百人に聞けば、その腹の中にある本音は“どれでもいいよ”ということになるだろう。結婚式についての新郎の認識とは、その程度のものだとこよりはよく知っていた。
 ただ、何かひとつぐらいは幸雄に決めてほしいという思いがある。ここまで、ほとんどこより自身が決めてきた。ウェディングプランナーだから、知識はあるし、幸雄より詳しいのは確かだ。
 だから、自分で決めた方が早いし、間違いもない。そんなことは百も承知だ。
 だが、一人で結婚式を挙げるわけではない。まさに二人の共同作業だ。何でも全部決めさせないでほしい、というのがこよりの側の本音だった。
 ウェディングケーキのデザインはどうするの、と幸雄にLINEを送った。すぐに既読がついたが、返事はなかった。仕事中なのか、それとも任せるという無言の意思表示なのか。
 手の中のスマホを見つめていると、孝司にLINEしてみようか、という考えが不意に浮かんだ。久美に言われたせいもあったが、もやもやした何かが心の奥に溜まっていたのは事実だ。
 ベストウェディング社と“シェ・イザワ”は提携関係にある。これからも一緒に仕事をする機会は多い。
 孝司はスーシェフだから、オーナーシェフの伊沢(いざわ)より、距離も近い。接点も増えていくだろう。
 二人だけで打ち合わせをすることだってあるはずだ。お互いに遠慮があったのでは、いい仕事はできない。
 別の人が現れたらどうします、と久美が言った時、孝司の顔が浮かんだ。ただ、それは先月の試食会に、彼が現れたのが突然過ぎたからだ、とこよりは思っていた。
 過去に孝司と交際していたのは本当だが、それはそれ、これはこれで、今は何とも思っていない。それを明確にするために、連絡してみようかと思った。
 だが、どこかに躊躇(ちゅうちょ)があった。自分の方からLINEするのはいかがなものか。
 幸雄にプロポーズされる前、過去の交際相手については話していたが、孝司だとは言えなかった。それだけ気持ちがあった、ということなのかもしれない。
 悩んでいると、手の中でスマホが鳴り出した。着信表示に“Takashi”とあった。
 このタイミングで電話がかかってきたことへの戸惑いから、出ていいのかどうかわからなかった。迷っているうちに、着信音が止んだ。
 出ればよかった、とこよりは思った。孝司に対して、懐かしいという気持ちがある。過去を否定するつもりはない。あの頃、確かにあたしは孝司のことを愛していた。
 でも、それは昔の話だ。今は幸雄を愛している。疚(やま)しいところは何もない。普通に電話に出れば、それでよかった。どうしてそうしなかったのだろう。
 メッセージが残っていることに気づき、画面をスワイプした。耳に当てると、少し強ばった声が流れてきた。
『仕事中だったかな? 悪い、ちょっと確認したいことがあっただけで、急用ってわけじゃない。またかけるよ』
 もう一度、メッセージを再生した。声の様子から、仕事のことだと察しがついた。当然だ、とデスクにスマホを置いた。
 もう、あたしたち二人の間には何の関係もない。提携している会社の社員同士、それだけだ。何の用事かわからないが、必要ならまた電話してくるだろう。
 パソコンを立ち上げて仕事を始めたが、意識がスマホの方に向くのを、どうしても止められなかった。

(つづく) 次回は2018年1月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 五十嵐貴久

    1961年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。2002年『リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞を受賞し、デビュー。警察小説から青春小説まで幅広くエンターテイメント小説を手掛ける。著書に『For You』『リミット』『編集ガール!』『炎の塔』(以上すべて祥伝社刊)など多数。