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  • 第一話 鷹代航は絶望する(1) 2017年7月1日更新
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 鷹代航(たかしろわたる)は覚えている。

「入れ替わり? マーク・トウェインの『王子とこじき』みたいなのかな。国王の跡を継ぐ王子と、貧民窟で生まれた少年の」
 漫画研究部の顧問、オリンピックこと入谷(いりや)先生が言う。『王子とこじき』の主人公ふたりは同じ日に生まれ、そっくりな顔を利用して入れ替わるうちに、互いの生活を知り成長していく。百四十年ほど前に書かれた小説だ。
 あれってマーク・トウェインなのか、『トム・ソーヤの冒険』の。オリンピックは数学担当なのに、よく知ってるな。でも等々力(とどろき)が描こうってネタは、そっちじゃないはず。
 オレは膝に置いた「週刊少年ジャンプ」を読むふりをして、聞き耳を立てた。部室にしている空き教室では、男子が漫画を読んだり、ノートに書きものをしたりしている。女子は笑ったりつつきあったりしながら小声で相談中。
 二学期が始まって約二週間。三年の先輩からオレたち二年に運営のバトンが渡されると、等々力がとたんに部長づらをしはじめた。って実際、部長だけど。
「違います、先生。服の取り替えじゃなくて、中身が入れ替わるんです。『君の名は。』や『転校生』みたいなの。もちろん男女で。観たことありますか?」
 等々力の問いに、観てるよと入谷先生はうなずく。
「でもどうやって『君の名は。』を超えるの?」
「なに求めてるんですか、先生。僕ら高校生ですよ。超えるなんて、ハードル高すぎ」
 等々力が笑顔で答えた。入谷先生が微妙な表情をして、「そうなの?」とぽつり。先生が言いたいことはわかる、と感じた瞬間、
「ふん」
 と鼻から息が漏れた。
「鷹代、なにか言いたいのか」
 等々力の声が尖(とが)っている。
「……なに? オレ、読んでんだけど」
「わかってるんだよ。おまえ、いつもはもっとのめり込んだ姿勢で漫画読むだろ。フリだよな?」
「いや、絵が、絵を、引いて、見たいと思って」
「嘘を言うなよ。聞こえてたよな、僕の説明。どう思ったんだ?」
 どうって、と答えると、等々力がはっきりしろと畳み掛けてくる。言いたいことは山ほど頭に浮かぶけど、うまく言葉にできない。いつもそうなのだ。
「じゃあ、言うけど……、最初から超える気ないって、どうなの。同じの作っても、しょうがないじゃん」
「誰が同じものって言った?」
「だって」
「同じじゃない。あれは舞台が山だろ。僕が考えてるのは海だ」
 いやそういうことじゃなくて。てかその設定、今思いついたろ。教室にいる全員がつっこみたがってんじゃない?
 その気持ちを、等々力も感じ取ったみたいだ。持っていたノートを丸めて、机を叩く。
「鷹代、おまえに呪いをかけてやる」
「え?」
「呪いだよ! 呪いってのは科学的に証明できないから、罪にならないしな」
「ゲロでも踏むの?」
「こじきになれ。カエルになれ。獣になれ。もともと王子でも王でもないけどな」

 鷹代章吾(しょうご)は覚えている。

 深夜十二時。食卓に置いたノートパソコンの画面を、娘の真知子(まちこ)が睨みつけていた。
「ここんとこの皺(しわ)が消えなくなるぞー」
 俺は自分自身の眉間を指し、真知子の顔をひょいと覗き込んだ。
「やだ、お父さんまだ起きてたの?」
 真知子がパソコンの蓋を伏せる。航の為になるべく残業をしたくないと、持ち帰られる仕事は持ち帰ることが多い。しかし当の航は、部屋に籠もりがちだ。
「寝る寝る。明日はハローワークの認定日だ。夜は出かけるから食事はパスな。会社の昔の同僚と飲み会だ」
「仕事紹介してもらえそう?」
「俺、自分で工作所をやろうかな」
「起業するってこと?」
 真知子が居住まいを正す。
「いや自分で機械を入れて、ネジやビス、オーダーに合わせてもっと複雑なものも作る。なにしろベテラン職人だ。人も雇うぞ」
「それを起業というんです。どれだけ初期投資がかかるかわかってる?」
「退職金がある」
「落ち着いてお父さん。今、お父さんは六十三歳です。二年待てば年金がもらえます。一から商売を始める気?」
「一からなものか。十八からずっと部品工場で働いてきたチーフエンジニアだぞ」
「割と大手の、お父さん自身も『部品』だったところでね。会社全体を知らないでしょ。経営とか経理とかわからないでしょ」
「経理はおまえが得意だろ」
「わたしには勤め先があります!」
 真知子は正社員だが、中途採用で収入は多くない。だからこそ一発当てて生活を楽に、と思う。
「そうはいっても六十過ぎたら大した仕事はないんだ。清掃員に施設の管理人。どうせ身体を使う仕事なら、ひと花咲かせたいしな」
 求人の少なさを真知子のパソコンで見せてやろうと、俺は食卓をぐるりと回り込む。
 足元の床が鳴った。築三十年とあって傷んでいるのだ。
「そこ直したいの。ガスレンジも調子が悪いし。でも余裕がないのよ。お給料が安くても、普通に働いてほしいんです。航の学費も要る。航には大学まで行かせてやりたいし」
 航を大学にやることは、行き損ねた俺自身の夢でもある。退職金をその資金に使わせてもらえないかという話も出ていた。やれやれ藪蛇だ。
 階段を駆け下りる軽やかな足音が聞こえた。すりガラスの扉越し、玄関へと向かう影が見える。うちは三人暮らし、航しかいない。
「出かけるの? こんな時間に」
 真知子が立ちあがり、航に声をかけた。そのまま玄関に行くので一緒についていく。
「出かけない。自転車」
「自転車がどうしたの」
「鍵、忘れた」
 鍵を抜いてくるのを忘れた、今思いだしたので取ってくる、と言いたいようだ。なぜそういう喋り方をする。
「航は真面目だなぁ。俺の若いころなんて、親の目を盗んで夜這(よば)いに行ったもんだぞ」
 そう言うと、真知子の目が吊(つ)り上がった。
「バカなこと言わないで」
「くだらない」
 航も吐き捨てる。
「おまえたち気が合うじゃないか。さすが親子だ」
 ふたりから白い目が向けられた。やっぱり気が合うじゃないか。
 自転車の鍵を手にしてすぐに戻った航は、無言のまま二階へと駆け上がった。真知子と航はいつもこんな調子だ。十四年前、この家に航を連れて戻った真知子は、「航がトイレにもついてくるようになって、そばから離れない」と言っていたのに。
「まるでひきこもりだな。なにやってんだ? 勉強か?」
「漫画を描いてる。成績は落とさないよう念押ししたから、勉強もしていると思うけど」
「またか。そりゃ俺も絵は得意だったが、今、女の子と遊ばなくて、いつ遊ぶんだ?」
「航に変なこと勧めないでよ。価値観はそれぞれです」
「男の子が好きなのか?」
「そういう意味じゃありません。……知らないけど」
「どんなエロ本持っているか調べてやろうか」
 やめてください、と真知子がまた怒る。怒ると、真知子は口調が丁寧になる。
 大口を叩(たた)いてはみたが、夜這いなんて法螺(ほら)。ガールフレンドはいなかった。それでも高校生活は楽しかった。だが三年生のときに父親が倒れ、急いで卒業後の就職先を斡旋してもらい、以来、一家の大黒柱だ。働いて働いて、一ヵ月ほど前に会社の業績不振を理由に定年再雇用組と派遣社員が解雇され、無職となった六十三歳。あとは二年、年金を待てと娘は言う。ひと花咲かせたい俺の気持ちはどうなる。
 今のうちに遊んでおけよ、航。明日なにが起こるかわからないんだ。もしも俺がおまえなら、そのときやれることを楽しみ、若さをとことん浪費してやる。
 おまえがうらやましいよ。航。

 ふたりがソレに気づいたとき、頭をよぎったのはこのことだった。
2
 数日後のその日、俺は朝からご機嫌だった。
「昨日ジムで褒(ほ)められた。鷹代さんの体力年齢は五十代前半だってさ」
「職探しもせず毎日ジム通いをしてれば、誰だって筋力ぐらいつきます」
 トーストの皿を手渡しながら、真知子は冷たい。
「してるとも、職探し。合間に家事もやってる。ポテトサラダうまかったろ。サバの味噌煮うまかったろ。今日も作ってやろうか」
「昨日も一昨日もそれでしょ。お母さんが死んだ、わたしの中学のころなんて、一週間カレーだったよね」
「これを機に習いに行くか。リタイヤ男子の料理教室」
「覚えてくれるのはありがたいけど、習うのはよして。授業料がかかる。ネットとか本とかあるじゃない。正直……ううん、なんでもない」
 正直、ジムは辞められないの? 真知子はそう言いたいのだろう。だがそれぐらい許してもらえないだろうか。居場所がないのだ。誰かと話をしたい。
 退職してすぐに仕事を探したが盆休みの時期で、それ以降も目ぼしい求人がない。高校時代の友人から、再就職をしたいなら退職前から動かなくてはと言われたが、急なリストラだったのだ。規模も大きく、ニュースにもなった。
 航が食卓についた。黙ったままジャムに手を伸ばすので、話しかける。
「おはようとかいただきますとか言ったらどうだ」
「言った」
「聞こえない」
「耳、遠いんだろ」
「遠くなんてない。挨拶は基本だ。なにが不満なのか知らないが、朝は機嫌よく。問われたらきちんと答える。ごまかしをするな」
「別に。……いや、不満は」
「はっきり言えよ」
「キャップ、……ろ?」
「単語で問うな。キャップがなんだって?」
「オレのキャップ、勝手に被ってたろ。白髪ついてた」
「野球帽のことか。去年、俺が職場でもらってきたあれだよな? 工場の若いののアメリカ土産。おまえに欲しいかと訊いたが、色が気に入らないと答えたぞ」
「でも押しつけた」
 通勤はスクーターなのでヘルメット、工場では作業帽も支給されていたし、仕事をしていたころは使うあてがなかったのだ。だが今、適当な帽子がない。ためしに被ると悪くなかった。鍔(つば)、ロゴのある前面、それ以外の布の色がそれぞれ異なっていて、若々しく見える。
「玄関のフックにかかっていたから要らないのかと思ったよ。俺が仕事を辞めたころからあったから、返すので使えということかと」
「玄関のフックにかかってる、イコール、使ってる。そう考えるのがフツー」
「普通とはなんだ普通とは。だったら言え。使いはじめましたって」
「そっちこそ言えば。返してくれって」
 う、と言葉に詰まった。たしかに一度渡したものだ。断りを入れるべきだった。
「……すまなかった。返してくれ」
「やだね」
 薄く笑う航の表情を見て、カッとなる。
「なんだその態度は。人が謝っているのに。気に入らないと言っていただろう。本当に被ってるのか?」
「趣味変わっただけ」
 なんだと、と腰を浮かせると、「お父さん」と真知子が口を挟んできた。
「航はたしかに被ってたわよ。見たこともある。でも航、あなたもそんな意地悪を言わず、ふたりの共有にすればいいじゃない」
「年寄りは年寄りらしいの、被れよ」
「らしいって、どんなものだ。野球帽は王だって長嶋だって被っている。俺より年上だ」
「一緒にするな。あと、キャップな」
 航が残りのパンを牛乳で流し込み、席を立った。「その口の利き方はよくない」「ごちそうさまも言う」と真知子が呼びかけても答えず、洗面所へと歩いていく。
「あれは野球帽だろう。なにがキャップだ」
「基本はベースボールキャップだと思うけど、アポロキャップとかバスケのとかも含めてキャップって言うみたいよ、ファッションとして。街中でたまに、ストリートやアメカジ系に合わせてるのを見る」
 なんだそれはと問うと、ストリートは大きなTシャツやジャージに腰パン、アメカジはもうちょっと学生っぽい感じ、と真知子はわかるようなわからないような説明をする。
「ふん、俺のほうが似合っている」
 立ちあがり、玄関から野球帽を持ってくる。被ると、真知子が呆れた顔をした。
「子供がふたりいるみたい。朝からつきあってられない。後片付けはお願いね」
 洗面所から階段を駆け上がる音、やがて駆け下りる音が聞こえた。野球帽を被ったまま玄関に向かうと、航は嫌そうな顔でこちらを一瞥(いちべつ)し、そのまま出ていった。
3
 朝から不機嫌になった。
 なにが不満だと問うから、思い浮かんだことを口にしただけだ。なんで最初から喧嘩ごしなんだ。ただオレも、なんで煽(あお)ってしまったのか。
 イマイチだと思っていたキャップは、最近ネットで人気の商品として取り上げられていた。被ってみれば周囲にも好評で、もう返したくない。ただそれ以上に、じいさんが被っている姿を見て嫌な気分になった。
 似ているからだ。オレ自身に。
 じいさんは、彫の深い顔立ちだ。高校時代の写真はカラーの現像が普及し始めた時期とのことで、褪色が功を奏し、悔しいが格好よく見える。
 オレは童顔のほうだ。祖父似じゃないと言われてきたけど、今朝見たじいさんの姿は、キャップを目深にして顔に陰影を落とし、格好をつけた鏡の中のオレにそっくりだった。
 あんな能天気ジジイに似てるなんて。
 子供のころは尊敬していた。生物学上の父の元から逃げてきたオレとかあさんを守ってくれた。まるでライオンの王のようだった。だがだんだんとわかってきた。
 ちゃらい。軽い。お喋り。そのうえ若作りかよ。
 雄ライオンは寝てばかりで、雌ライオンが狩りをし、子育てをするという話を聞いたときには深く納得した。
 そして今、さらなる不快の元が、部室で席につかされたオレを取り囲む。漫研の男子連中だ。断固、オレは抵抗するつもりだ。
「漫画の合作なんて、無理。文化祭は一ヵ月後、部誌を印刷する時間も必要じゃん。時間、キツすぎ」
 前にふたり、左右にはひとりずつと、敵は布陣を構えている。
「面倒は承知のうえだ。部の存続がかかっている。学校側は生徒数減と予算減のダブルパンチで、部の数を減らすつもりだ」
 前方右側に立つ等々力が言う。
 学校の部活動は、やりたい生徒や好きな生徒がいるから存続させる、という単純なものではないらしい。場所と予算に限りがある以上、実績が要る。「生徒が集まって行う」必要があるかも問われていて、漫研が不利なのは特にその点だと、等々力は主張する。漫画はひとりでも描けるからだ。以前は"まんが甲子園"への参加もあったというが、いつの間にかなくなった。
「大きな改革を予定しているそうだ。去年、林先生が脳溢血で倒れたろ。運動部の顧問をかけもちして、残業続きで土日も仕事。過労死だって言われてる」
「生きてるって。殺すなよ」
 でも林先生は左半身に麻痺が残って、長く休職した。林先生のクラスは副担任に任されたものの新任者だったせいで、さまざまな問題が起きた。ちなみにその副担任は、今年からうちのクラスの副担任になったので、いろいろ不安だ。
「先生にしても自分らにしても、休みがないのはよくないって世間も騒いでるんだぜ。土日の部活動を控えろって、ネットで見た。うちの学校もそんな流れ、あるし」
 前方左側の佐川が、尻馬に乗ったような発言をする。
「オレらの顧問、オリンピックはだいじょうぶだろ。メインはサッカー部。まさにオリンピックなみに、サッカー部の四分の一しか来ないし」
「鈍いな、鷹代。そのサッカー部が学校で唯一、県大会ベスト4を続けている。かけもちをなくすなら、切り捨てられるのは漫研だ」
 形だけの顧問とはいえ、いないわけにはいかない。それは知ってる。
「ゆえに! 合作だっ!」
 等々力が身を乗りだし、語りはじめる。
「各人が個性を発揮し、協力し、最高のものを作り上げる。それは決して個人ではできず、漫研という場があるからこその成果物。作業を通して我々は人間的に成長する。これこそ高校の部活動だ!」
 詭弁(きべん)だ。おまえ同じ口で、「オレら高校生に『君の名は。』超えなんて、ハードル高すぎ」って言ったじゃん。成長する気、ないだろ。
 そのストーリーが合作の脚本らしい。正直それはどうでもいいけど、共同作業になる作画はどうでもよくない。オレは物語も絵もオリジナルを作る。まだ下手かもしれない。でも自分の頭で考えて、自分で工夫して描く。どこかの部活に入らなければいけないと言われ、他人に合わせる必要のない漫研に入ったんだ。今さらどうして誰かと足並みを揃えなきゃいけない?
「人間的に成長、それ、ひとりだってできる。等々力の言う合作、Aのキャラは佐川、Bのキャラは等々力が描く、ってのだろ。作業、大変すぎるって」
「大変だからこそ、チャレンジのし甲斐があるんじゃないですか!」
 左脇にいた一年生の三浦が言う。素直な性格なのか、等々力に洗脳されているのか。
「女子はもう合作を進めてるって話っす」
 大柄な体型のもうひとりの一年生、古田が言った。こいつに右脇、廊下側を塞(ふさ)がれたのは痛かった。逃げられない。でも女子がやってるなら、任せておけばいいんじゃないか?
「ひとりで抵抗するつもりか、鷹代」
 等々力がなお迫ってくる。漫研には、二年生に男子がもうひとりいた。たまにしか顔を出さない幽霊部員だけど。
「小宮は? 合作、反対だよね。美術部とかけもちだから、合作する時間なんて」
 ふっ、と等々力が笑った。
「ヤツは落ちた。背景担当としてあとで加わるそうだ」
 本当に本当? と訊ねて、場がさらに紛糾した。窓の外がだんだん暗くなってくる。

 たやすく首を縦に振ってやるかと、抵抗を続けた。学校から帰宅を促されたのが午後七時半。諦めろと言われてもぐずり、場を変えて駅ビルにたむろし、何時間経ったのか。もうひとりの反対者のはずの小宮を呼べと――実際には「小宮に確認しないと、直接聞かないと」と言ったんだけど――時間を稼いだ。でもやってきた小宮は、「ごめん、鷹代」とぽつり。
 屈するしかないのか? あるいは……
「あ、おいこら鷹代、逃げるな!」
 この手以外にない。
 等々力たちの怒声、迫りくる足音が聞こえたが、オレはなんとか逃げおおせた。電車通学の生徒は帰路の時間を考えて、遅くならない電車に乗るよう学校に指導されていた。十時半までには帰っていくはずと、オレは繁華街を転々と移動しながら、待つ。
 オレは自転車通学だ。学校を追い出されたあとは、駅の駐輪場に自転車を停めていた。家から学校までは二キロ強。駅はやや遠回りだけどその中間で、底辺に対して高さの短い三角形のような位置関係にあった。どちらも歩ける距離なんだから、学校に自転車を置いたままにすればよかった。
 部員の誰かが自転車を見張っていたらどうしよう。いや家の近くか、途中のコンビニで待ち伏せされている可能性もある。そのときは自転車でぶっちぎるほうがいい。
 妄想が浮かんでは消える。スマートフォンの電源も切った。電話の音から居場所が特定される、なんて映画を観たことがある。結局悩んだ末に、自転車を取りに戻ることにした。
 駐輪場は駅ビル、正確には駅に隣接するビル型駐車場の一階にあった。低い段と高い段が交互に並ぶスライドラック式だ。高さをずらして多くの自転車を収納する仕組みで、足元のレバーを踏むと隣り合う自転車が左右にスライドする。常時、狭い。でも夜も遅くなった今は空間があった。すかすかになったラックの上にブルーシートがちらりと見える。
 いや違う。シートじゃない。ブルーの服を着た人間だ。
 誰かがうつ伏せに倒れていた。あのブルーのジャージ、どこかで見たような。派手なキャップも。ジャージの脇腹に、赤いものが広がっていた。て、赤い? まじ?
「だ、だいじょうぶですか。あ……」
 助け起こそうとして、途中で声が出なくなった。倒れているのは――
 そのとき、頭に衝撃を受けた。

(つづく) 次回は2017年7月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 水生大海

    三重県生まれ。出版社勤務、漫画家を経て2005年、チュンソフト小説大賞(ミステリー/ホラー部門)銅賞受賞。08年「罪人いずくにか」で島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞優秀作を受賞し翌年『少女たちの羅針盤』に改題しデビュー。著書に『冷たい手』『運命は、嘘をつく』『消えない夏に僕らはいる』『ランチ探偵』『だからあなたは殺される』などがある。