物語がつまった宝箱
祥伝社ウェブマガジン

menu

私は1971年9月生まれです。
8歳から18歳の多感な時期を過ごしたのは、1980年代。
来年でちょうど仕事を始めて30年の節目を迎えるにあたり、この連載で今の自分を作ってくれた大好きなもの、ことを、超個人的な思い出とともにふりかえっていきたいと思っています。
懐かしんでもらったり、ぜんぜん知らなかったり、50歳のイラストレーターのつぶやきにおつきあいいただけたらさいわいです。

  • KYŪSHOKU 給食 2022年6月1日更新
 私が小学校に入学したのは、1978年のこと。 兵庫県姫路市広畑区の小学校には、まだ木造校舎が残っていました。 一番近いトイレは外にあり、なんと汲み取り式。 家も和式だけどさすがに水洗だったので、 怖くて必ず友達と連れ立って行っていたもの。 給食で真っ先に思い出すのが、マーガリンとこのトイレのこと。 嫌いなものも残すのが許されなかった時代。 苦手な牛乳は鼻をつまみながら流し込んだものの、 ベトベトの油っこいマーガリンをパンにつけるのが本当に嫌だった。 こっそりポケットに忍ばせてそっと一人でトイレに行き、捨てたこともありました。 その時の罪悪感と、薄暗いトイレのおそろしさは今でも覚えてる。
好きだったのは揚げパン、カレーライス、ソフト麺のミートソース、 いわゆる3大人気メニュー。 現在小4の娘の学校でも「昔の給食」として揚げパンが出て、人気なのだとか。 6つ上の姉は鯨の竜田揚げを食べた世代だけど、私は覚えがありません。 米飯給食が始まったばかりで、家から容器を持参していたような……。
1981年8月、わが家は父の転勤で東京へ。 4年生の2学期から杉並区の小学校に転入した私は、 とにもかくにも給食のパンのおいしさにぶっ飛びました。 姫路のコッペパンは揚げパンの時以外はパッサパサで、 子どもながらに「まずい」と思っていたので、ふわふわの食パンに驚いたもの。 油ぎっていない袋入りのマーガリン、牛乳もおかずもだいぶおいしい。 「東京の給食、めちゃくちゃおいしかった!」と、帰るなり母に報告。 姫路より給食費が高いもの、と言われた記憶があります。 男子に関西のイントネーションを真似されたり、 オーバーオールをはいていったら女子グループに囲まれて、 「ナウいと思ってんの」と言われたりと(オーバーオールが当時流行ってた)、 転校生の洗礼をそれなりに受けていたので、 しばらくは給食が唯一の楽しみだったな。
でも、東京の給食でなにが好きだったのか、全然思い出せない。 青くさい牛乳や紙みたいなパン、姫路の給食のほうが鮮明に記憶に残っている不思議。 食に関するネガティブな思い出は強烈で、あとで笑い話にもなるから、おもしろい。 外食でハズレごはんを引いた時も、そんなふうに自分をなぐさめています。 懐かしい、給食の話。

(つづく) 次回は2022年6月1日更新予定です。

著者プロフィール

  • 杉浦さやか

    日本大学芸術学部在学中に、イラストレーターの仕事を始める。独特のタッチと視点のイラスト&エッセイが、読者の熱い支持を集めている。イラストのかわいらしさはもちろん、文章のうまさにも定評がある。著書に『ひっこしました』『ニュー東京ホリデイ』『世界をたべよう!旅ごはん』『たのしみノートのつくりかた』など、多数。