物語がつまった宝箱
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近所にできた大型ショッピングモールに客をとられ、シャッターが目立つようになったラブリ商店街。そこにはいつも、アイリッシュ・セッターのブックという犬がいた。特定の家を持たず、住人みんなに可愛がられているブックは、まるで人間の気持ちがわかっているような不思議な犬だった。

  • さようなら、ブック(1) 2014年8月1日更新
 横たわるブックの心臓が止まっていた。
「ブック! 起きてブック! まだ死んじゃ駄目!」
 ブックの体を揺り動かす。心臓マッサージなんて教わったことがないけれど、心臓のあたりを必死に押してみる。
「起きてよ、ブック! 雪広だってまだ帰ってきてないんだよ! 逝(い)ったら駄目!」
 びくんとブックが震えた。ブックの魂が帰ってきた。ブックがゆっくりと目を開ける。いまのいままで死にかけていたというのに、昼寝を邪魔されたかのような、迷惑そうな目つきでわたしを見た。
 なんだよ、西陽。せっかくいい夢を見てたってのにさ。
 いまにもそんなことを口走りそうな顔をして、もたげていた頭をまた床につけた。心臓に触れてみる。きちんと動いている。口元に耳を寄せてみれば、ちゃんと呼吸音が聞こえた。落ち着いているがとてもひっそりとした息づかいだ。命の火が消えかかっている動物特有の息づかいなのかもしれない。
 昨日、かかりつけの動物病院へ連れていった。心停止したためだ。昨日も必死に呼びかけ、ブックは戻ってきた。
 心停止の原因は病気のためじゃない。ブックの場合は老衰だ。ラブリ商店街という街全体を住みかとしていたブックは正確な年齢がわからない。でも、商店街の住人の意見をすり合わせてみるに、今年で十七歳を迎えているはずだった。
 かかりつけの動物病院は、青木君というわたしの高校時代の同級生が開いている。四十歳になって体重は倍近くになっているけれど、むかしと変わらないやさしい笑みを浮かべ、診察台のブックを撫でて言った。
「大型犬で十七歳なんて大変な高齢なんだよ。人間で言ったら百歳を超えているからね。それなのにいままで自力で立って、ごはんも食べていたなんて、ほんとすごいことだよ。奇跡と言ってもいいんじゃないかな」
 しかし、奇跡はまもなく終わりを迎えようとしていた。心音が低下していた。体温も低下していた。血圧も低下していた。青木君はわたしの目を真っ直ぐ見て言った。
「もってあと一日か二日だと思うよ」
 わかっていたことだった。ブックはもう一日のほとんどを寝てすごしていた。耳はよく聞こえていない。目は見えているようだが瞳の力は弱い。顔は白髪で真っ白になり、まつ毛まで白い。かつて三十四キロを誇った体重も二十八キロまで落ちてしまっている。細くなったというより薄くなった。筋肉などまるで見当たらない。骨と皮ばかりだ。
 立ち上がるときは全身を震わせながら、命を削るかのようにして立つ。やっと立ち上がっても、足の筋肉が削げ落ちてしまって関節に負担がかかるため、後ろの足は両方ともぷるぷると震えている。歩けば股関節が弱まっているので足が上がらず、足先を地面に擦ってしまい、爪のあいだには血が滲んだ。
 永遠に続く命なんてない。だけどもブックの余命が一日か二日だなんて。
 青木君から残された時間を告げられたとき、全身からいやな汗が吹き出した。べっとりとした冷たい汗。直後、吐き気を催してトイレに駆けこんだ。しかし、嘔吐するためにトイレに駆けこんだのに、なぜか便意を催して下痢をした。すべて瞬時のこと。自分の体になにが起きているのか、自分でもわからなかった。今日になって思うに、ブックに残された時間があまりに短く、ショックで神経系がパニックを起こしてしまったんだろう、と。
「ありがとう」
 ブックを連れて帰るとき、青木君がそう言って頭を下げた。わたしは涙が止まらなくなった。
 わたしがブックを引き取ったのは、彼が十三歳のとき。なにか落ちていたものを食べたのか、ひどい下痢をしてアスファルトにばったりと横倒しになっていた。慌てて病院へ連れていき、下痢止めの薬を出してもらい、点滴を打ち、復調するまで一週間かかった。そのあいだ商店街にあるわたしの実家で面倒を見ていたのだ。その後、再び商店街での外暮らしをさせるのが忍びなくて、わたしが引き取ることにした。
 わたしが十年ぶりに帰ってきたとき、この街は変わり果てていた。そうしたなかで唯一変わらずに待っていてくれたのがブックだった。ブックが待っていてくれなかったら、精神的に打ちのめされていまのわたしはなかっただろう。その恩返しをしたくて、我が家へ迎え入れたのだ。
 もちろん、商店街の人たちからの了承は得た。なにしろブックはラブリ商店街のマスコット的存在だ。引き取ることを申し出たら、うらやむ声と感謝の声が同時に起こった。
 一年間はブックと実家で暮らし、それから今日までの三年間は、商店街の豆腐屋を改装したギャラリー兼アトリエで暮らしてきた。
〈ギャラリー青〉
 内装は壁も天井も白だけれど、青が好きなのでこの名前に決めた。奥の事務所部分を改装して作ったアトリエにわたしがこもるときは、ブックはわたしの足下で丸くなって眠り、レンタルギャラリーとして個展が開かれているあいだは、看板犬として来客者をもてなした。
 ただ、この一ヶ月はずっと伏せったままだ。先週、なんにもないところで転び、大腿部を打撲して立てなくなった。動けなくなると、いっきに老けこんだ。食事の量もがくんと減った。
 以前は外へおしっこに行きたくなると、ブックは鼻先でわたしの体をつついて教えたものだった。それもしんどくなったのか、もしくは尿意を自覚できなくなったのか、横になったままゆるゆると漏らす。立ち上がろうとして踏ん張ると、ころんと糞を落とす。叱ったりは絶対にしない。ブックは頭のいい犬だ。粗相をしてしまったことをちゃんと理解している。自尊心だってあるだろう。だから、笑顔で頭を撫でてやるのだ。
「おしっこしたかったんだね。いいよ、いいよ、しちゃっても」
「立派なうんちが出たねえ。いいうんちをして偉いねえ」
 おしっこやうんちを漏らせば犬用のベッドも床も汚れる。おなかのあたりの被毛が長いので、濡れれば拭き取るのが大変だ。けれども、それがなんだって言うんだ。おしっこだってうんちだって、ブックが生きている証しだ。
 かつてわたしは犬に詳しくなくて、ブックの犬種さえわからなかった。でも、青木君が教えてくれた。アイリッシュ・セッターという犬種らしい。鳥信の若松さんが言っていたように鳥追いの猟犬だった。
 大型犬のアイリッシュ・セッターが十七歳を迎えるなんて、考えられないことだという。わたしが家に迎えたその晩年の過ごし方がよかったからだと、青木君はことあるごとに褒めてくれた。何度もありがとうと言ってくれた。動物保護センターなどでは老犬は貰い手がつかず、処分されてしまうことが多いそうだ。十三歳で引き取ったときも、偉く感心して礼を言っていた。
「十三歳のブック君を引き取るなんてすばらしいよ。ありがとう」
 そして、昨日の帰り際に言ってもらったありがとうは、十七歳まで面倒を見たことへの、獣医である青木君からの最後の言葉だった。言葉の裏に、もう病院へ来ることはないよ、長寿の犬を担当させてくれてありがとう、というやさしい気持ちが含まれていることも、わたしにはちゃんと伝わってきた。
「こっちこそ、本当にありがとう」
 わたしは涙声で返した。ブックに残されている時間を、ごまかさずに伝えてくれた青木君に感謝した。無理な延命措置はブックのためにならないことも、正直に伝えてくれた。余命の宣告などつらいだろうに、誠実に伝えてくれて、ありがたくてしかたがなかった。
 それになにより、わたしは十七歳まで生きたブックの生涯を、獣医である青木君に褒めてもらいたかったんだと思う。ブックはすごいね、偉いね、頑張ったね、この一生を誇りに思っていいよ、と。
「ただいま!」
 路地に面したギャラリーのガラスサッシが開いて、雪広が飛びこんでくる。店じまいをして大急ぎで帰ってきたのだろう。肩で息をしている。
「ブックは?」
「いまちょっと危なかった。でも、大丈夫」
 雪広は一瞬だけ泣き顔になる。無理やり笑ってみせると、横たわるブックの傍らに両膝をついた。
 ブックが横たわったまま尻尾を振る。タンタンとリズムよい音を立てて尻尾が床を叩く。目は閉じたままだ。それでも雪広が帰ってきたのがわかったようだ。もう耳だって遠い。ということは、においでわかったのかもしれない。わたしも雪広も泣いてしまう。彼は最期を迎えようとしているのに、においだけで気づき、こんなにも歓迎してくれている。
 ありがとうね、ブック。わたしたちの家族になってくれて。雪広と家族になれたのもブックのおかげだったよね。ラブリ商店街が明るい雰囲気を取り戻しつつあるのも、ブックのおかげだよ。本当にありがとう。
 それから神様。もしも願いを聞いてもらえるならば、ひとつだけ。
 もう一度だけ、ブックとお散歩に行かせてください。
 ほんの数メートルでもいい。五分に満たなくてもいい。
 日に日にブックが弱っていくというのに、無慈悲に時間ばかり進めてきたんだから、最後にお願いくらい聞いてくれてもいいでしょう?
 ブックともう一度だけ、お散歩を!
 わたしは両手を組んで祈った。

 ブックの容態が悪化してからのこの一週間、ギャラリーの隅にブックの寝床を作り、わたしもその傍らにクッションを敷いていっしょに過ごしてきた。ブックの容態が急変しても即座に対応できるように、夜もいっしょだった。
「西陽ちゃん、起きて! すぐに起きて!」
 雪広に体を揺さぶられる。残された時間が少ないブックのため眠らないつもりだったのに、いつのまにか壁に背中を預けて眠ってしまっていた。
「え、え、どうしたの」
 ギャラリーに差しこんでくる朝日がまぶしくて目が開かない。眠っているあいだにブックが旅立ってしまったのでは。頭を振り、目を凝らした。
 ブックが立っていた。ガラスサッシから外を見つめていた。立っているところを一週間ぶりに見た。外を眺めているときは、散歩に出かけたいとき。でも、こうした姿を見たのは二年ぶりくらいだろうか。わたしより早く目を覚まして散歩を待つようなことを、長らくブックはしていない。ここ二年は「散歩に行くよ」と揺り動かして、やっと目を覚ますといったふうだったのだ。
「ブック、お散歩?」
 おずおずと訊いてみる。反応はない。聞こえていないのだ。立ち上がり、痩せて屈(くぐ)まった背にそっと手を添える。ブックはわたしを見上げ、ぱたぱたと尻尾を振った。
「神様」
 ぽろりとそんな言葉がわたしの唇から漏れた。神様が最後の散歩をプレゼントしてくれたのだと思った。
 よろよろと路地を行く。十月の朝の風は涼やかで、昇りたての太陽の光もやさしい。路地はまだ誰も歩いていない。ブックとわたしたちだけの街であるかのようだ。
 無理しないでいいよ。そっと歩きな。わたしも雪広も恐々とした心持ちでブックのあとをついていく。雪広とブックの斜め後ろを挟みこむようにして歩く。倒れてもすぐに支えられるように、両手を前に出して、前屈みになって。
 ブックはメインストリートの入口まで歩くと、視線を上げてまだ眠るラブリ商店街を眺めた。自分が暮らしてきた街を、名残惜しげに眺めているかのようだった。
 本当は隈なく歩きたいのだろうが、歩くだけの体力と時間が残っていないのはブックもわかっているようだった。ただただ立ち尽くしている。思い出に浸っているのだろうか。この街の変化に思いを馳せているのだろうか。

(つづく)  次回は2014年9月1日更新予定です。

著者プロフィール

  • 関口尚

    2002年『プリズムの夏』で第15回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。07年『空をつかむまで』で第22回坪田譲治文学賞を受賞。『君に舞い降りる白』『シグナル』『はとの神様』など著書多数。