物語がつまった宝箱
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  • 第二回 2016年2月1日更新
十月八日
 本日は真面目に起床して、午前中の講義に出る。
 生協で昼食をとったあと、3コマ目が休講だったので、肉体の健全化のために吉田山をうろうろしようと思い立ち、吉田神社の参道を歩いていくと、松並木のもとに佇(たたず)む珠子さんに出くわす。彼女も午後が休講なのでうろうろしているという。吉田山探検家としての力量を発揮してみせる絶好の機会だったので、掌のごとく隅から隅まで知っている吉田山を案内する。
 私が先日読了した『ノストラダムスの大予言』について語ると、彼女は歴史上のさまざまな予言者たちの逸話を披露してくれた。軽羹的乙女とオカルト的なものについて語り合いながら、午後の陽射しが差しこむ林道を歩む初秋の午後。我が大学生活も捨てたものではないと思える至福のときであった。その幸福感に酔いしれていたために、彼女が「これから緑雨堂でバイト」と言ったとき、「ちょっと寄っていくよ」と言ってしまったのである。
「緑雨堂には決して近づくまい」という昨夜の誓いを思いだしたのは、古書店の軒先に立つ後藤先輩の姿を見たときである。先ほどまでの幸福感は吹き飛んでしまった。 
「ほらほらほら。予言通りじゃないか」と先輩が得意気に言う。
 予言という単語に、珠子さんはすぐ食いついてきた。
「え、なになに? 予言ってなんです?」
 禿頭コワモテの緑雨堂主人が珠子さんに店番を引き継いで出かけたあと、先輩は鞄から四畳半日記を取りだした。猫にマタタビとはこれである。オカルト少女たる珠子さんは先輩の話に引きこまれるあまり精算台の暗がりで猫背になり、「何それ超面白い!」と猫のように目を光らせた。お願いだから興味持たないで!と私は思った。
「面白いと思うでしょう。それなのに、こいつぜんぜん興味持ってくれないのよ」
「どうしてなの! どうしてなの!」と珠子さんが叫ぶ。「もったいない! 面白いのに!」
 私としては、そんな他人の書いた日記に自身の青春が予言されているなど認めたくないのである。たとえ千歩譲って予言の存在を認めるとしても、後藤先輩に大金を払ってまで未来を知る必要があろうか。自分で言うのもなんだが、予言する値打ちもない未来に決まっている。
「でもさ」と珠子さんが言う。「その予言を有効活用できるかもしれないでしょ」
「珠子さんの言うとおりだ、松本君。さあ未来を買いたまえ」
「どうせふっかけるんでしょう?」
「安いもんだよ。一日分、六千円でどう?」
「たっか!」さすがの珠子さんも言った。「いくらなんでもアコギすぎませんか」
「昨日は五千円だと言ってたくせに」
「この貴重な日記は残り少ない。値が釣り上がっていくのは当然だよ」
 そう言って先輩は欲深い笑みを浮かべる。私が意地を張っていると、珠子さんが財布を取りだして「明日の分で六千円ですね」と言った。先輩は「お買い上げいただけます?」と舌なめずりする。私は必死に止めたのだが、オカルト魂に火のついた珠子さんは、先輩の毒牙にかかって財布をすっからかんにした。先輩は一度緑雨堂を出ると、十月九日の日記をコピーして戻ってきた。
 その日記は下記の通りである。
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 十月九日
 午前中は日本宗教史論に出席する。面白くなくてボンヤリ過ごす。2コマ目の物理学は理解が追いつかぬ。本日はその2コマで講義が終わり、「私は何をやっているのだろう」という哲学的問いにからめとられていたが、生協でまぐろ丼を食べると、そんな哲学的問いもどうでもよくなった。まぐろ丼は美味であった。その後、高野のほうへ行って古書店をうろうろしたりする。
 下宿にて珈琲を入れて、ドーナツを食べつつマンガを読み、桃色動画を見る。桃色動画を堪能しているうちに日が暮れたので、白川通沿いの中華料理屋に出かけてラーメン定食を食う。このところ食生活がむちゃくちゃである。ちなみに店はぜんぜん流行っておらず、客は私だけだった。不味かった。
 もう今日は早く寝てしまおうとする俺をもはや誰も止められない。
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「この桃色動画ってなんのこと?」と珠子さんは言った。
「気にしないで」と私は言った。
「紳士の嗜(たしな)みだからね」と先輩が言った。
「それにしても何これ……すごく不毛……」と珠子さんが呟く。
 あてにならない予言にすぎないとしても、自分の偉大でない赤裸々な日々の一頁を、憎からず思う乙女に熟読玩味されるのは自虐的な快感がなきにしもあらず。桃色云々はともかくとして、珠子さんは日記の不毛さに絶句していた。こんな予言を誰が有効に活用できるというのか。こんな一頁のために大金を払わせたのが申し訳ないが、よく考えてみれば私は何一つ悪くない。高笑いする後藤先輩を横目で睨みつつ、珠子さんは悔しげに唇を噛んだ。
 気まずい沈黙が続いたのち、彼女は思いついたように言った。
「いっそのこと、予言が成立しないようにしてみたら?」
「いや、成立するよ。こいつの毎日はこういう毎日なんだもん。しょうもないんだから」
 しょうもない後藤先輩にそう言われると腹が立つ。
「でも努力してみたら。私も協力するし」
 なんだか思わぬところでステキな展開になってきた。私は「どうかねえ」と気のないふりをしながら、内心では嬉しく思った。「それじゃあ、やってみようか」
 すると今度は後藤先輩が悔しそうな顔をした。
「俺も協力してあげることにしようかな」
「いや、先輩は協力してくれなくていいですよ」
「そんなこと言うなよ。俺も興味あるもん」
 明日は午前中の講義が終わったところで珠子さんたちと待ち合わせ、予言とはまったく異なる行動を起こしてみることにした。四畳半日記の予言を我々の力で無効にしてやろうというのだ。

十月九日
 午前中は日本宗教史論に出席する。面白くなくてボンヤリ過ごす。2コマ目の物理学基礎通論は理解が追いつかぬ。本日はその2コマで講義が終わり、「私は何をやっているのだろう」という哲学的問いにからめとられていたが、しかし珠子さんたちのことを考えて気力を奮い立たせる。
 先輩と珠子さんと待ち合わせて、まずは昼食をとることにする。
 一つめの奇怪な現象は中央食堂で起こった。予言に反逆するからには、決して「まぐろ丼」を食べてはならない。鯖の味噌煮を選んで会計を済ませたが、よそ見して歩いていた女学生にぶつかられて、食事を床にぶちまけてしまった。女学生が昼食代を弁償してくれたので、私はあらためて列にならび、ふたたび鯖の味噌煮を選んで会計を済ませた。ところが今度はそこにアメフト部らしき屈強な男が体当たりしてきて、私は鯖の味噌煮とともに宙を舞った。二度にわたって鯖の味噌煮を床にぶちまける私に対して、周囲の「いいかげんにしろ」という冷たい視線が突き刺さる。アメフト部の男は何を思ったのか、「悪かった。これ喰ってくれよ」と自分の盆を差し出して、どこかへ行ってしまった。弁償する金を持ち合わせていなかったのか。アメフト部の男が残していったのは「まぐろ丼」だった。
「まぐろ丼でいいよもう」
 後藤先輩は待ちくたびれて言う。
「そうね。ここは妥協しましょう」と珠子さんも言った。
 そういうわけで私はまぐろ丼を食べた。まぐろ丼は美味であった。
 当初の珠子さんの案は「鞍馬へ行く」というものだった。普段あまり出かけないところへ行けば、それだけ予言から遠ざかるというわけである。ところが叡山電車の出町柳駅まで行ってみると、二つ目の奇怪な現象が起こった。つい先ほど起こった接触事故のために、鞍馬線が不通になっているというのである。こうなると四畳半日記の力をひしひしと感じざるを得ない。
 鴨川の土手に立ち、後藤先輩は嘲笑するように言った。
「諦めて四畳半に戻れってことだよ」
「べつに鞍馬寺でなくってもいいし!」
 珠子さんはそう言って、目的地を嵐山に変更した。
 しかし京都が天下に誇る大観光地嵐山への道程は困難をきわめた。
 道路は渋滞してバスは進まず、まぐろ丼に問題があったのか腹の具合があやしい。バスを降りて喫茶店に入ってトイレを借り、具合が落ち着くのを待って再度バスに乗ったら、なぜか乗り間違えて南へ行ってしまって慌てて下車。珠子さんは意地になってタクシーを呼び止めたが、乗りこむやいなや、ふたたび私の腹から不吉な音が聞こえはじめた。もう交通機関を利用するのは諦めて、トイレからトイレへ飛び石を伝うようにして歩きながら嵐山を目指したものの、碁盤の目を西へ進むほどに腹具合は悪化の一途を辿った。珠子さんも意地になり、私も彼女の期待にこたえようと努めたものの、北野天満宮を通りすぎ、北野白梅町に辿りつく頃には息も絶え絶えになっていた。
「おまえ、死にそうな顔をしてるよ」と後藤先輩も心配した。
 嵐電の改札前に立ったとき、自分がついに一線を越えたことを知った。切迫した苦しみがいったん遠のいたかと思うと、下半身に不吉なぬくもりが広がっていく。「あ……」と呟き、茫然と立ち尽くす私を見て、珠子さんが見せた複雑な表情を忘れることはできない。
「大丈夫、大丈夫だから……」と珠子さんが手を伸ばしてくる。
 彼女の憐憫(れんびん)と嫌悪の入り混じる表情を見た瞬間、私はカンフーの達人のごとく両手を広げて彼女を押しとどめた。頼むから俺に近づかないでくれ。何をもって大丈夫であると言えるのか。珠子さんの眼前で生理的欲求に屈するなんて生き恥さらすも同然だ。
 これが四畳半日記の予言にあらがおうとした者の末路であるのか。
 そこから先のことは断片的にしか覚えていない。あまりの恥ずかしさに逃げだした私は、途中で見つけた公衆トイレでもろもろの始末をしつつ下宿まで帰りついた。下着姿のまま四畳半の隅に三角座りをして「うーんうーん」と唸った。腹が痛いのではなく心が痛いのである。不思議なことに、腹は晴れ渡る秋空のように爽快だった。先ほどまでの苦しみが嘘のようだった。
 先日まで沈黙していたノートパソコンが突如復活したので、捨て鉢な気分で桃色動画を見た。桃色動画を堪能しているうちに日が暮れたので、白川通沿いの中華料理屋に出かけてラーメン定食を食った。店はぜんぜん流行っておらず、客は私だけだった。不味かった。すべては四畳半日記に記載されているとおりである。私は予言にあらがおうという意志を完全に放棄した。
 四畳半日記は予言というよりも呪いであったのだ。くわばら、くわばらー。
 もう今日は早く寝てしまおうとする俺をもはや誰も止められない。

十月十日
 本日は丸一日、下宿に立て籠もって過ごした。どれだけ私が自堕落な四畳半生活に溺(おぼ)れようとも、それはすでに四畳半日記に記載されているのである。運命にあらがえば、昨日のような恐るべき災厄がふりかかってくる。ならばありのままに生き、ありのままにごろごろするまでよ。
 幾度か後藤先輩から電話があったが無視した。

十月十一日
 本日も夕方まで下宿に立て籠もっていた。心の傷は深い。
 悔しいのは、今こうして四畳半に転がっている私の様子は、あの謎めいた日記に記されており、後藤先輩が読んでいるということである。まるで自分の生活が先輩を面白がらせるために存在するかのようではないか。許せん。あの大学ノートを渡してしまったことが今さら悔やまれる。
 夕方になって、ドアをコツコツ叩く者がある。居留守をつかっていたら、「石川です」と珠子さんの小さな声が聞こえた。私と連絡が取れないと先輩に聞いて、心配して訪ねてきてくれたらしい。
「もとはといえばへんな提案をした私が悪いから」と彼女は言った。「お腹の具合、大丈夫?」
「それは大丈夫。もう忘れてください」と私は懇願した。
「うん。忘れる」と彼女は言った。「ごめんね」
 良い時間だったので我々は夕食を取りにいくことにしたのだが、珠子さんは後藤先輩に電話をかけて呼びだした。四畳半日記の謎に迫るには、現物を所有している後藤先輩の協力が必要だというのである。今出川通沿いにあるラーメン屋に入ると、すでに後藤先輩はテーブル席にひとり腰掛け、四畳半日記をめくりながら餃子で麦酒を飲んでいた。
「まあ落ちこむなよ。路上で漏らしたぐらいのことで」
 この期に及んで先輩はまだ四畳半日記を売りつけようという意欲を見せたが、決して逃れられない予言を前もって知ることに意味はない。前もって知ろうが知るまいが大筋に変わりはないからだ。先輩はそこまで考えていなかったらしく、「むむ」と悔しそうに呻(うめ)いた。「それでも未来に対して心がまえはできるわけだよね」と言い募った。「それだけでも買う価値あると思うよ」
「どうせ起こるのはしょうもないことでしょうからね」
「いやいや、そんなことない。ヤバイよ、十七日」
 それまで黙ってラーメンをすすっていた珠子さんが口を開いた。
「で結局、その日記は何なんでしょう」
 そう言われて、先輩も私も沈黙した。たしかにそれが最大の謎であった。下宿の押し入れから見つかったということは、前の住人が書いたということであろう。大家さんにでも話を聞きに行けば、何か手がかりが摑めるかもしれぬ。私がそう言うと、「私も行く」と珠子さんが言った。「それなら俺も行こう」と先輩は言った。「この日記を見せなければ話がややこしいだろうから」
「もう諦めてその日記を渡してくださいよ」
「いやだ。俺はまだ諦めない。早く買わないと値上がりするよ!」
 先輩はそう言って大学ノートを胸に抱えた。呆れた守銭奴ぶりである。 
「ねえ先輩、十七日に何が起こるんですか?」と珠子さんが言った。
 先輩は謎めいた笑みを浮かべた。
「世界の終わりだよ」
 そのあと下宿に戻って考えた。我々が明日大家さんに会いにいくことは、四畳半日記には書かれていないはずである。我々がそう決めたのは、四畳半日記を読んだためなのだから。だとすると、明日は予言にあらがうことになる。一昨日の悲惨な戦いを脳裏に浮かべると不安になってきたが、それはもう明日になってから考えようと思って寝てしまった。

(つづく) 次回は2016年3月1日更新予定です。

著者プロフィール

  • 森見登美彦

    2003年『太陽の塔』で第15回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。07年『夜は短し歩けよ乙女』で第20回山本周五郎賞を受賞。10年『ペンギン・ハイウェイ』で第31回日本SF大賞を受賞。著書に『新釈走れメロス 他四篇』などがある。