物語がつまった宝箱
祥伝社ウェブマガジン

menu
  • 第四幕(1) 2023年12月1日更新
 吉祥寺(きちじょうじ)の駅を出ると、みぞれが降っていた。
 東京にみぞれが降るのはいつ以来だろう。水気を含んだ白い塊が、夜の空からぼたぼたと落ちている。駅前を歩く人たちはみんな傘をさしていた。地面はびしょびしょに濡れて、風情なんてかけらもなかった。
 折り畳み傘を持ち歩いていないことを、今さらながら後悔する。私にはテレビを見る習慣がないし、天気予報もたまにしかチェックしない。公演期間とあればなおさらだ。天気を気にするより、今日の舞台をよりよくすることだけを考えていたい。
 コンビニに入ったけど、傘は売り切れていた。仕方なく、駅ビルの雑貨屋で三千円の傘を買う。うちにはもう傘が十本以上眠っている。いずれも、出先で悪天候に遭った時に購入したものだ。埃(ほこり)をかぶった傘たちは、シューズボックスの一角を常に圧迫している。
 三十歳になっても、私はあいかわらず「生活」が下手なままだった。
 クリーニングに出した服は、一年近く引き取るのを忘れている。シンクにはいつも洗われていない食器が溜(た)まっている。他の女たちがどういう生活をしているのか知らないけれど、少なくとも器用なほうではないのだと思う。それでもどうにかしようとは考えない。生活を上手くやったところで、演技が上手くなるわけじゃない。
 三千円の傘をさして、みぞれが降る街を歩く。夕方の公演を終えて、帰路につく今は午後八時半。帰宅途中の会社員や、飲みに来た若者らしき人たちが多い。
 心なしか、皆、足早で不機嫌そうだった。服が濡(ぬ)れたり、靴のなかが水浸しになったりするのが不快なのだろう。みぞれ、というのがまた厄介だった。雪であれば綺麗(きれい)だし、雨であれば諦めがつく。でも、みぞれというのはどこか中途半端だった。雪のように美しくもなく、雨ほど慣れてもいない。非日常のくせに、あまり楽しくない。
 ――早くやまないかな。
 空は願いを聞き届けてはくれない。家に着くまで私はみぞれに降られ続けた。重たいぐずぐずの氷片が、三千円の頑丈な傘を揺らした。
 マンションのエントランスで傘を畳み、リーダーにカードキーをかざす。電子音とともに自動ドアが開いた。奥にあるもう一つの自動ドアをくぐって、エレベーターパネルの最上階のボタンを押す。
 ここに越したのは昨年だった。
 前に住んでいたアパートに、女性ファンが押しかけてきたのがきっかけだった。どうやって探し当てたのか知らないけど、彼女はある日、いきなりドアチャイムを鳴らした。茉莉子(まりこ)さん、開けてください、ファンなんです。彼女はそう連呼していたが、私はずっと室内で息をひそめていた。一時間ほど経(た)つと、ようやく諦めて帰っていった。
 怖いというより腹が立った。赤の他人が、私の時間を一方的に奪おうとすることが許せなかった。私はその時、次の舞台に向けて台本を読み込んでいる最中だった。私の芝居を邪魔する権利は、誰にもない。
 また例のファンが押しかけてきたら迷惑だから、セキュリティがしっかりしたマンションへ引っ越すことにした。ただし吉祥寺から出るつもりはなかった。私は他の街をほとんど知らない。群馬の高校生だった時から、東京で暮らすということは、吉祥寺に住むということと同義だった。
 そうして昨年引っ越したのが、今のマンションだった。
 カードキーでロックを解除し、玄関ドアを開ける。靴脱ぎにはサンダルやスニーカーが散乱していた。その隙間に、履いていたショートブーツを押し込む。ずぶ濡れだけれど気にはしない。放っておけばそのうち乾く。傘は適当に水滴を払ってから、カビ臭いシューズボックスに放り込む。これでまた、死蔵する傘が一本増えた。
 暖房をつけてから、濡れた服を脱ぎ、熱いシャワーを浴びる。考えるのは今日の芝居のことだった。
 あまりいい出来とは言えなかった。怒りを堪(こら)える場面では指先の震えが思うようにいかなかったし、会話の間(ま)もしっくりこなかった。共演者たちは誰も気付いていなかったけれど、私にとっては明白な違いだ。やはり脚本との呼吸が合っていない。引き受けるべきじゃなかった、と後悔する。
 自然と、劇団バンケットのことが思い出される。
 名倉(なぐら)は『火焔(かえん)』で大きな演劇賞を獲(と)り、名声を手にした。大規模なワークショップをたびたび開くようになり、テレビや映画の脚本も手がけるようになった。それ自体に不満はない。名倉の劇作家としての才が評価されることに異議はない。
 ただし、名倉の才能そのものが涸(か)れてしまったのは、私にとって大きな問題だった。
『火焔』の翌年、名倉はバンケットで上演するための新作を書いた。当然のように主演のオファーがあり、私は企画内容すら聞かずに了承した。それほど名倉に信頼を置いていたのだ。けれど、出来上がった脚本を読んで愕然(がくぜん)とした。
 どう考えても、質が落ちていた。
 あの名倉敏史(としふみ)が書いたとは思えないほど、その脚本は退屈だった。いや、退屈であっても優れた演劇は存在する。ただ退屈なだけでなく、そこには私が演じたいと思える魅力がなかった。底が見えないほどの絶望も、焦がれるような熱情もなかった。ただただ、輪郭をなぞっただけの女性がそこにいた。空洞の、女性の形(なり)をした入れ物。そんなものを演じるのはまっぴらだった。
 しばらく考えて、私は出演をキャンセルした。翌日、喫茶店に呼び出された。名倉は見たことがないくらい険しい顔をしていた。
 ――茉莉子の他に、バンケットで主役を張れる俳優はいない。何が気に食わない? 指摘してくれれば、直す。
 ――全部。
 そう答えると、名倉は呆気(あっけ)に取られていた。もしかすると、私のワガママだと取られたかもしれない。でもそう言うしかなかった。
 結局、名倉は脚本を直さず、私の出演キャンセルを受け入れた。代役には同世代の役者が抜擢され、その舞台は予定通り上演された。チケットは完売だったらしい。けれど、私は出なくてよかったと思っている。
 以後、バンケットからのオファーは来ていない。観客としては幾度か観たけれど、案の定脚本はよくなかった。観客の間でも評価はまちまちで、古参のファンはかなり去ったらしい。それでも、バンケットの舞台への出演を切望する俳優は後を絶たない。客の入りだって悪くない。
 ただこのままなら、私が名倉の脚本を演じることは永遠にないだろう。私は演じていなければ生きていられない。けれど、納得できない役を渋々やるほど、仕事の当てがないわけでもない。
 遠野(とおの)茉莉子の名前を知らない者は、演劇界隈にはいなくなっていた。舞台をやっている人間なら、必ずと言っていいほど私の名前を知っている。ただの小娘だった私は、仕事を求める側から、仕事を選ぶ側へと変わっていた。
 ここ三年ほど、色々な劇団の舞台に出演している。出演の可否は、基本的に脚本を読んでから決める。ミスマッチが起こると互いに不幸だ。
 ちょうど今やっている舞台は、脚本の初稿でいい感触を得たから引き受けた。けれど、修正稿で一気に違和感が増した。こちらからの要望でかなり直してもらったけど、完璧にはフィットしていない感じがある。だからといって土壇場でへそを曲げるほど、こっちも子どもじゃない。
 ――完璧な演技なんて、そうそうできるもんじゃない。
 私にとっては、『火焔』での演技が現時点での最高到達点だった。いまだにあれを超える芝居はできていない。私に責任がないとは言わないが、心中してもいいと思える役柄に巡り合えていないのも事実だ。何を演じても、生地の余った服を着ている感じがする。たるんだ袖や裾を持て余す。
 浴室を出て、パジャマに着替えてから髪を乾かした。外ではまだ白い礫(つぶて)が降りそそいでいる。窓ガラスに付着したみぞれが、水となって流れていく。
 冷蔵庫から冷えたボトルを取り出した。赤ワインを無造作にグラスへ注ぎ、一気に中身をあおる。酔いが回ってきたところでキッチンの換気扇をつけ、電子煙草(たばこ)を吸った。揺らめく白い煙を眺めていると、徐々に焦りが落ち着いてくる。
 煙草をはじめたのは、薬代わりのつもりだった。
 これまで三か所の精神科にかかって、適応障害とか発達障害とか診断され、そのたびにいくつかの薬を出されたけれど、どれもろくに飲まなかった。飲めば気持ちが落ち着き、苛立ちが消えるのもわかっている。でもそれは時に芝居を妨げる。
 たとえば、処方された薬を飲んで別人みたいになったことがある。急に頭が冴(さ)えて、視界が明瞭になった。家事がてきぱきとこなせるし、心も軽やかだった。これが普通の人の精神状態なのか、と感動した。けど脚本を読んで驚いた。読めるには読めるけど、入り込めない。無理に演じようとするとただの棒読みになる。我ながら、ものすごい大根役者ぶりだった。
 演じられなくなるのなら、薬に意味などない。むしろ逆効果だ。そういうわけで、精神科の薬は役に立たなかった。その代わり、煙草に頼ってみることにした。役者には喫煙者が多いから、心理的な抵抗もない。
 今では日に二、三本は吸う習慣がついている。たいして鎮静作用があるとは思えないけれど、吸っている間は余計なことを考えずに済む。煙草のメリットがあるとすれば、そのくらいだ。
 私が精神科に通院していたと知ったら、知人たちは驚くかもしれない。「強そうだし、病まないでしょ」とか「強心臓で羨ましい」とか言われたことはあっても、「精神科に通っていそう」とは言われたことがない。でも案外、そんなものなのかもしれない。心は他人には見えない。そして人は、目に見えないものにはどこまでも鈍感だ。
 機械的に手を動かし、ワインを腹のなかへ流し込んでいく。明日も十三時から公演がある。早く眠らなければいけない。
 ボトルが三分の一になったころ、ようやく頭がくらくらしてきた。身体(からだ)が熱い。キッチンの引き出しに常備してある睡眠薬を数錠飲む。最近はこうでもしないとうまく寝付けない。水で口をゆすいでから、ベッドに倒れ込んだ。後は眠りを待つだけだ。
「あんた、ろくな死に方しないよ」
 いつの間にか枕元に立っていた母が、私を見下ろしていた。私はもう知っている。この母が幻影であることを。露悪的に笑ってみせる。
「バーカ」
 スイッチを切ったように、ぷつっ、と意識が途切れた。

 翌日は昼公演だけだった。
 終演後はさっさとメイクを落として、私服に着替え、誰よりも早く楽屋を出る。仕事が終わったら、できるだけすぐ帰ることにしている。演出家や他の俳優と馴(な)れ合ってもいいことなんかない。千秋楽の打ち上げにも出なくなった。
「お疲れさまでした」
 すれ違うスタッフに挨拶だけして、劇場の裏口から外に出る。午後四時過ぎ、真冬の空はすでに夜の支度をはじめていた。ダウンジャケットの隙間から入ってくる寒気に首をすくめる。
 たまにファンが待っていることもあるけれど、今日は誰もいない。しかし数メートル歩いたところで声をかけられた。
「茉莉子」
 声だけではわからず、顔を見てようやく「ああ」と声が出た。コートを着た名倉敏史は、ポケットに両手を突っこんでいた。
「お久しぶりです」
「うん。少し話せるかな?」
 とっさに拒絶の言葉が出なかったのは、迷ったせいだ。用件はわかっている。どうせ出演依頼かそれに近いことだ。現状、バンケットの舞台に出るつもりはない。でも心の片隅には、再び傑作を書いてくれるかもしれない、という淡い期待も残っていた。
 返事をする前に名倉は歩き出した。仕方なくついていく。
「舞台、観てたんですか」
 横に並ぶと、名倉は「もちろん」と言った。
「いい芝居だったね」
「ありがとうございます」
「でも、茉莉子はもっといい芝居ができる」
 こちらを振り向かずに話す名倉には、自信がみなぎっていた。今の彼は、世間の評価も集客力も持っている。出会ったころの飄々(ひょうひょう)とした感じは消え、どこかぎらついていた。
 好きじゃないな、というのが正直な感想だった。
 ぎらついていても、脚本が良ければ文句はない。でも名倉の場合、その変化が悪い方向に影響している。あくまで私にとっての「悪い方向」だから、世間的には歓迎すべき変化なのかもしれないけど。
 喫茶店の席につくと、名倉はブレンドを二つ注文してから切り出した。
「どうすれば、バンケットの舞台に出てくれる?」
 ――やっぱりか。
 予想していた通りの台詞(せりふ)に、ため息が出た。
「なんで私なんですか。別に私である必要ないですよね。役者は掃いて捨てるほどいるんだから」
「茉莉子じゃないと駄目だ」
「どうして? 出世作に出ていたから? 名倉さんと私のタッグなら客が呼べるから?」
 つい尋ねていたけど、実際のところ、名倉がどう答えても出演するつもりはなかった。試したんじゃない。純粋に、そこまで遠野茉莉子にこだわる理由が知りたかった。名倉はためらいつつ「それもある」と言った。
「でも、もっと本質的な欲求だ。どんなに作家が頑張っても、いい役者がいなければ、いい舞台はできない」
「名倉さんは精一杯頑張っているってこと?」
「当たり前だろ。俺より努力している劇作家が、他にいるか?」
 私ははっきりと失望する。以前の名倉ならこんなことは言わなかった。他の劇作家なんて眼中になかったはずだ。しかし名が売れた今になって、他人が気になりはじめた。みっともない。
 だいたい、かつての名倉がしていたのは「熱中」だ。それがいつの間にか、「努力」にすり替わっている。その時点で劇作家としては底が知れている。
「いい役者はたくさんいるし、名倉さんの舞台にも出てるじゃないですか」
「上手い役者はいるよ。脚本の意図をすくい取って、正確に表現してくれる役者な。でもそれじゃ足りない。役者はある程度まで上達したら、今度は上手さの向こう側に行かなきゃいけない。わかるだろ。その人間にしかできない唯一無二の芝居。そこに到達している役者はほんの一握りだ」
 名倉の前に運ばれたブレンドからは湯気が立っている。彼が猫舌だったことを思い出す。
「ぼくが教えたメソッド演技。覚えてるか?」
「覚えてます」
「あれこそが、演じ手の資質を最大限引き出す演出なんだ。個人のなかに眠っている記憶を呼び覚ますことで演技する。だからこそ、芝居はその俳優固有のものになる。まったく同じ体験をしてきた人間は一人もいないからね」
 名倉の言わんとすることはわかる。私にも、遠野茉莉子の芝居ができるのは私だけだという自負がある。
「本当の意味で、ぼくが求める演技ができる役者はほとんどいない。でも、茉莉子にはそれができる。稀有(けう)な存在なんだ。だから茉莉子に出てほしい」
「……名倉さんには、感謝しています」
 座ったまま、額がテーブルにつく直前まで頭を下げた。感謝しているのは事実だ。名倉がメソッド演技を教えてくれなければ、今の私は、遠野茉莉子はいなかった。恩人と言ってもいい。
「でも、舞台に出ることはできません」
 名倉は眉根を寄せ、首を横に振った。
「なんで?」
 私が強硬に出演を断ることが、心底不思議なようだった。おかしい。脚本が納得できないことは前にも伝えたはずだ。もう一度言わないといけないらしい。
「ちゃんと言いますから、よく聞いてください」
「うん」
「名倉さんの戯曲が、つまらないからです」
 ぴたっ、と名倉が動きを止めた。レンズの奥の目が見開かれている。しばし絶句していた名倉は「えっ」と小声でつぶやいた。
「つまらない、って?」
「以前も言いましたよね。脚本に納得できないって」
「本気だったんだ、あれ」
 全身の力が抜けそうになる。まさか、名倉は私の意見を嘘(うそ)か冗談だと思っていたのか。呆(あき)れた。でも、そう思わないと劇作家なんてやっていられないのかもしれない。他人の意見をすべて鵜呑(うの)みにしていたら、舞台は成り立たない。
「『火焔』の後の名倉さんの脚本は、駄作ばかりです。どんなに頼まれても、私は駄作には出演しません」
 その一言を口にするのは、ひどくエネルギーが要ることだった。言い過ぎたかな、と少しだけ思ったけど、きちんと言っておかないとまた勘違いの余地が生まれる。名倉は目を閉じていた。怒っているのかもしれない。だが、私は事実を伝えただけだった。喧嘩(けんか)別れになるならそれまでだ。
 名倉は腕を組み、瞑目(めいもく)したまま言った。
「ぼくの戯曲じゃなければ、出演する?」
「はい?」
「茉莉子はぼくの書いた脚本が嫌なんだろう。だったら別の誰かが用意した、納得できる戯曲ならバンケットの舞台に出てもいいってことだよな?」
 想定外の反応だった。旗揚げ以来、バンケットの戯曲はすべて名倉が手がけている。
「名倉さんは……それでいいんですか」
「茉莉子の舞台を演出できるなら、十分だ」
 名倉は顔色を変えず、ようやく冷めたブレンドを啜(すす)った。
 そうだ。忘れていたけど、この人は演劇の悪魔だったんだ。野望を実現するためなら、役者の人生が破滅することなど気にも留めない。しかもそれだけじゃない。自分の劇作家としてのプライドすら、たやすく手放してしまえる。理想の舞台のためなら、この人は自傷も厭(いと)わない。
「会ってよかった。茉莉子の本音が聞けたから」
 初めて名倉が笑った。鳥肌が立つくらい、底なしに無邪気な笑顔だった。

(つづく) 次回は2023年12月15日更新です。

著者プロフィール

  • 岩井圭也

    1987年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。2018年『永遠についての証明』で第九回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、デビュー。他の作品に『夏の陰』『プリズン・ドクター』『水よ踊れ』『この夜が明ければ』『竜血の山』『生者のポエトリー』『最後の鑑定人』『付き添うひと』『完全なる白銀』がある。