物語がつまった宝箱
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  • 第一幕(2) 2023年3月15日更新
 民家の庭から一際(ひときわ)大きな蝉(せみ)の声がした。庭に植えられたケヤキの木には、数匹の蝉が止まっていた。立ち止まってよく見れば、そのうちの二匹は尻を擦(こす)りあわせるようにして折り重なっている。
 そうか。交尾してるのか。
 それに気が付いた瞬間、噴き出してしまった。虫とはいえ、他人の行為を覗(のぞ)き見しているのがおかしくて、笑いがこみ上げた。
 私はまだ初体験を済ませていない。
 その気になればいつでもやれることはわかっている。実際、試しに付き合ってみた数人の男子から迫られたが、キスから先を許したことはない。力ずくで事に及ぼうとされた時は、なんとか逃げた。そういう話も田舎(いなか)では軽々しく話せない。隙を見せた女が悪い、と言われるに決まっているから。
 耐えられるのはキスまでだった。胸や下半身に触れられると、身体(からだ)が拒否する。
 性的な行為への嫌悪感を自覚したのは、小学校の低学年だった。男子が女子のおしりを触って逃げる、という遊びが流行(はや)った。「おしりタッチ」と呼ばれたおそろしく下品な遊びだけど、やられた女子は怒りながらも最後にはそれを許した。許すしかなかった。本気で親や先生に告げ口すれば、空気が読めないやつ、という汚名を着せられるから。
 それでも、私は我慢できなかった。
 仲がよかった男子におしりを触られた私は、その場で絶叫して泣いた。反射だった。泣きやまないと、と思っても涙が止まらない。女子がわらわらと集まってきて、慰めてくれた。触った本人はただおろおろとしていた。
 その日の帰りの会で、先生は「おしりタッチ」の全面禁止を言いわたした。つまんな、と男子の誰かがつぶやくのが聞こえた。なぜか、被害者のはずの私は罪悪感を覚えて、会が終わるまでうつむいていた。
 触ってきた男子とはしばらく疎遠になったけど、中学で同じクラスだった時、遠足で強制的に同じ班にされた。あしかがフラワーパークでぞろぞろ歩いている最中、なんとなく「おしりタッチ」のことを話した。あったあった、と懐かしそうに笑っている男子の顔を見ていると、意地悪を言いたくなった。
 ――私のおしり触ったせいで、全面禁止になったよね。
 そう言うと、きょとんとした顔をしていた。
 ――え、俺やってないよね?
 愕然(がくぜん)とした。嘘(うそ)にしては幼稚すぎるが、彼はむしろ不満そうな顔をしている。どうやら本気で、自分はやっていないと信じているようだった。頭のなかで記憶が上書きされたのだ。そう考えなければ、辻褄(つじつま)が合わない。
 男子は、責任を取ってくれない。それどころか事実すら忘れてしまう。フラワーパークの美しい花々に囲まれながら、私は学んだ。いちばん学びが多かった課外学習だったかもしれない。
 性行為も、その先にある妊娠出産も、私にはグロテスクな非日常としか思えない。でも母にとっては、日常の一部に過ぎないようだった。
 数日前、夕食の席でもそうだった。私と母はテレビのニュースを見ながら食事をしていた。あるコーナーで、甲子園を目指す高校球児が紹介された。一歳違いの兄と弟で、二人は同じ高校の野球部に所属し、日々練習に励んでいた。
 ――あんたもきょうだいがいたら、違ったのかもね。
 何が違ったんだろう。母は一人で話を続ける。
 ――お母さんたちも頑張ったんだけど、こればっかりは運だから。おばあちゃんにもずいぶん嫌味言われたけど、やりゃあいいってもんでもないからね。あんたにとっても、弟や妹がいたほうがいいだろうから、色々試してみたけどね。
 一人っ子である点に不満を感じたことは特になかった。どうして、弟や妹がいたほうがいいのだろうか?
 抱いた疑問は口にはせず、そう、とだけ答えた。無言でいれば、ねえ聞こえてるの、と怒られ、意見らしきものを返せば、あんたに何がわかんの、とあしらわれる。適当に相槌(あいづち)を打つ以外に正解はない。
 だが、母はその反応すらも気に食わないようだった。
 ――そうやってまた、バカにするような目で見て。
 バカにはしていない。面倒くさいな、と思っているだけだ。
 母から虐待を受けているなんて、微塵(みじん)も思わない。同級生の話を聞いていると、うちよりもはるかに束縛が厳しい家庭なんてごまんとある。だから、うちの母は特異なわけじゃない。普通の母親なんだと思う。
 ただ、私が母を嫌いだということだけは、間違いのない事実だった。
 相手を求めるオスたちは、いつまでも執拗(しつよう)に鳴き続けている。酷暑のなかで、私の二の腕には鳥肌が立っていた。

 東武(とうぶ)鉄道の駅から徒歩十五分の距離に、我が家はある。切妻(きりづま)屋根が乗っかった二階建ての一軒家。生まれてから十八年間、過ごした家。私より二歳上だから、今年でちょうど二十歳(はたち)になる。
 成人式の年齢を迎えた家は、すっかり若々しさを失っていた。一度も清掃していない外壁は雨垂れや泥で汚れ、ベージュ色の塗装がくすんでいる。ガレージのコンクリート材はひび割れ、隙間から雑草が伸びていた。
 ガレージに車は停まっていない。今日は平日だから、車は父が使っている。取引先の会社が製造した、無駄に新しい車。
 父は工場に勤めるサラリーマンだった。大手自動車メーカーに納入する部品を作るのが仕事らしく、具体的にはパワートレインとかドライブユニットとか言っていたけど、どういう部品なのかはわからない。平日は七時半に家を出て、夜はだいたい十九時までは帰ってこない。帰宅が深夜になるのもざらだった。
 たまに休日出勤がある他、土日はたいてい休みのようだった。何をしているのか知らないけど、食事と風呂とトイレ以外は自分の部屋にこもっている。家のなかでの存在感はないに等しい。
 あんなおとなしい人でも会社では管理職らしい。けど、興味はない。会社での父のふるまいは、私の人生とは一切関係ない。不祥事さえ起こしてくれなければいい。
 人差し指を伸ばして、ささやかな門柱のチャイムを鳴らした。指先に、かちっ、とスイッチを押しこんだような感触が伝わる。家族であっても、帰宅したらチャイムを鳴らすこと。そして、家にいる家族は玄関に出て帰ってきた人を出迎えること。これが我が家の決まりだった。
 なんていやな家なんだろう。
 短いアプローチを通って玄関ドアを開ける。鍵はかかっていなかった。ドアの向こうにいた母が現れる。無表情だった。穿(は)いているのは、ハーフパンツより半ズボンと呼ぶほうが似合いの代物(しろもの)。
「ただいま」
「おかえり」
 用は済んだ、とばかりに母はダイニングに消える。自分で決めたルールのくせに、母はいつも心底興味なさそうに私を出迎える。父が相手の時は違う。おかえり、という声がほんのわずかに高い。
 手を洗い、うがいをする。水だけのうがいは風邪予防にあまり意味がない、と聞いたことがあるけれど続けている。がらがら、という音が聞こえないと母に怒られるから。あんた、うがいしたぁ?
 二階の六畳の部屋でカバンを置いて、まずクーラーをつける。私の部屋の窓は南向きで、とにかく暑い。Tシャツとジャージのボトムスに着替えながら、いちばん日当たりのいい部屋だからいいでしょ、といつか母に言われたことを思い出す。
 着替えてから、シャワーを浴びればよかったと思う。けどどうでもいい。まずは横になって休憩したい。閉めきった窓の外から、蝉の声が侵入してくる。うるさくはないけれど、不快だ。自分の部屋で男の求愛なんか聞きたくない。
 スマホをいじっていたら、どん、どん、と階段を上る足音が聞こえた。はあ、と盛大に息が漏れる。
「あんた、お昼どうするの? 食べてないんでしょ? すぐに下来なさい。さっき蕎麦(そば)茹(ゆ)でたから、食べちゃいなさいよ。乾燥しないうちに」
 ドアの向こうで、母は自分の言いたいことだけ一気にまくしたてた。
 食欲はなかった。後で食べる、と言いかけてやめる。この間、そう言ったら猛烈な勢いで怒られたのを思い出した。
 ――だったらあんた、自分でご飯用意してよ。三食三食、作りも片付けもしないで。後になってお腹空(す)いても知らないから。
「どうすんの? 食べるの、食べないの?」
「……食べる」
 母はようやく満足したのか、どん、どん、と階段を下りていく。
 だるい身体を引きずって一階に下りる。ダイニングではすでに母がざる蕎麦を食べはじめていた。テレビではワイドショーが流れている。母の向かいに座って、空(から)の器にめんつゆをそそぐ。水道水で薄めて席に戻ると、母が目ざとく器のなかを見た。
「濃すぎだって、いつも。もっと薄めて」
 無言で水道水を足す。この家では、蕎麦つゆの濃さすら自分の好きにできない。
 しばし、百円均一のざるに盛られた蕎麦を無言ですする。薬味はチューブのしょうがとわさび。母はつゆにしょうがをどっさり溶かしている。あれは濃すぎじゃないんだろうか。
「あんた、受験勉強大丈夫そう?」
 ワイドショーをちらちら見ながら、母が問いかけてくる。
「大丈夫」
「本当に塾とか行かなくていいの?」
「先生も、まず不合格はないだろうって」
 この会話を何度繰り返しただろう。
 私は来年一月、父の出身校である地元の私大を受験する。そこにしろ、と母が勧めたから。勧めたというより、実際は強制に近いけど。抵抗しないのは、しても無駄だからだ。母は自分の思い通りにならなければ、学費を出さないとか言い出すに決まっている。
 先月、その大学の入試過去問を解いてみた。余裕で合格基準点を超えていた。三年分やってみたけど同じだった。それからひと月、ほとんど受験勉強はしていない。やってもやらなくても合格するなら、やる意味がない。
 私の目の前には、あらかじめ決められた灰色の未来が待っている。
 別に地元の私大だからいやだってわけじゃない。親から言われたところに行くということ自体が、ときめかないだけだ。仮に群大だろうが東大だろうが、自分で志望校を選べなければ同じことだ。
 ワイドショーでは東京にあるテーマパークの特集を流していた。アトラクションに乗ったお笑い芸人とアイドルがはしゃいでいる。母は蕎麦をくちゃくちゃと咀嚼(そしゃく)しながら、死んだ目でそれを見ていた。
「東京なんか行ったって、いいことないのにね」
 同意を求めるように私を見る。こっち見るな。うつむいたまま気が付かないふりをして、蕎麦をすすった。
 東京には一度だけ行ったことがある。
 昨年秋の修学旅行の行き先は沖縄だった。学校に集合してバスに乗り、三時間かけて羽田(はねだ)空港まで行った。途中で誰かが、ここが夢の島だとかここがお台場(だいば)だとか騒いでいたけど、海と倉庫ばっかりで、トラックは多いけど人気(ひとけ)は少なくて、あんまり都会に来た実感はなかった。私はもっと建物がごちゃごちゃと林立していて、人でごった返している光景が見たかった。表のステージを見る前に、いきなり舞台裏を見せられたような戸惑い。
「家賃も物価も高いし、仕事だって言うほどないらしいじゃない。安くて使い捨てにされるような仕事ばっかりでさ。人も多いし、家は狭いし」
 母はまだぐちぐちと言っている。どこか恨みのこもった口調の奥に、根深い嫉妬が見え隠れしていた。
「お母さん、東京行ったことある?」
「そりゃ、何度もあるよ。浅草(あさくさ)とか、東京タワーとか行ったことあるよ」
 さっきまであれほどバカにしていたのに、なぜか誇らしげだった。母の口にした観光名所は、私の心をときめかせない。倉庫よりはいいけど。「ふうん」と答えると、「なにその顔」と母に言われた。
「変な顔してた?」
「また、バカにしたような目だった。無意識でやってんのかもしれないけど、やめたほうがいいよ。お母さんは全部わかってるからね」
 ふっ、と笑いが漏れそうになるが、危ういところで耐えた。
 お母さんは全部わかってる? 何を? 自分が嫌われてることも?
「あんたはどこに行きたいの」
「別にどこにも。だから地元に残るんだよ」
「そういう話じゃなくて。東京に遊びに行くならどこ、って話」
 数秒、迷った。行ってみたい街はある。でもたぶん母は知らないし、否定される。そう思いながらも他に思いつかず、意中の街の名前を口にした。
「吉祥寺(きちじょうじ)」
 案の定、母は思いきり眉をひそめた。
「どこ、それ」
「武蔵野(むさしの)市だって」
 この間、首都圏で住んでみたい街ランキングというのをネットで見かけた。一位は吉祥寺という場所だった。理由は、便利で、オシャレで、程よく自然もあるから。
 私はたちまち、非の打ちどころのない吉祥寺に魅了された。何より、吉祥寺に住んでみたい、と答えること自体に〈首都圏を知っている〉感があった。無知な田舎者には思いつきもしない地名だ。目の前の母がそれを裏付けている。
「二十三区じゃないの? 若いんだから、渋谷とか原宿(はらじゅく)のほうがいいんじゃない?」
「それもいいけどね」
「変わってるねぇ、あんたって」
 母が盛大に蕎麦をすする。めんつゆが数滴、テーブルの上に飛んだ。母が麺類を食べた後は、いつもテーブルが汚くなる。汚さず食べようとするのではなく、どうせ後で拭くから汚してもいいと思っている。
 この人はそういう生き方を選んだんだ。少しくらい傷つけても、後でフォローしておけば問題ない、と信じている。でも、心の傷はテーブルに飛んだめんつゆとは違う。布巾(ふきん)で拭いても、完全に元通りにはならない。
 私は、本当に言いたいことを押し殺した。
「変わってるのは前からだよ」
 母は「あ、そう」と何でもなかったように応じて、ワイドショーを見ている。もう、東京のことも私のこともどうでもいいようだった。自分の気持ちだけが最優先の、くだらない女。そのくだらない女の言いなりになっている私。
 すべてが滑稽(こっけい)なのに、笑えないコメディみたいだった。

(つづく) 次回は2023年4月1日更新予定です。

著者プロフィール

  • 岩井圭也

    1987年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。2018年『永遠についての証明』で第九回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、デビュー。他の作品に『夏の陰』『プリズン・ドクター』『水よ踊れ』『この夜が明ければ』『竜血の山』『生者のポエトリー』『最後の鑑定人』『付き添うひと』『完全なる白銀』がある。