物語がつまった宝箱
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  • 第四幕(2) 2023年12月15日更新
 焼肉行きませんか、と城亜弓(じょうあゆみ)から連絡が来たのは、公演が終わった翌日だった。偶然にしてはタイミングがよすぎる。あえて私の公演期間を避けたんだろう。そういう気配りは、地味に助かる。
〈吉祥寺(きちじょうじ)の店ならいいよ〉
 メッセージを送ったら、すぐに〈ここで〉と返信があった。高そうなお店で、城は個室を予約してくれた。声をかけられる機会は多くないけれど、それでも個室は助かる。余計なストレスはないに越したことはない。
 当日、少し遅刻して店に着いた。城は個室で待っていた。
「お疲れ様です」
 紺のジャージを着た城はスマホからちらっと顔を上げて、また手元に視線を落とした。大げさに立ち上がったりはしない。それが私には心地いい。
「いいお店知ってるね」
「たまーにですよ、こういうところ来るのは」
 いつからか、城は金欠から脱していた。少し前から事務所に所属するようになり、テレビドラマや映画にもちょくちょく出演している。彼女いわく、「有名になりすぎないように気をつけている」という。舞台へのこだわりというより、風俗で働いていたことが公(おおやけ)になるのを避けたいらしい。
「ビールでいいですか?」
「うん」
「食べられないものあります? ユッケとか」
「ない。なんでもいい」
 任せると、城は店員を呼んで注文してくれた。先輩風を吹かせているつもりはない。たぶん城は、私が心の底から「なんでもいい」と思っていることを理解しているのだ。だから余計なことを訊かない。
 性別や年齢を問わず、いらないことばかり訊いてくる人は多い。それがコミュニケーションだと思っているのかもしれない。私にとっては、黙ってじっとしていることだってコミュニケーションなんだけど。いちいち詮索されると帰りたくなる。
「茉莉子(まりこ)さんって、人を待ったことあります?」
 注文を終えた城が、唐突に尋ねてきた。
「えっ?」
「あ、嫌味とかじゃないですよ。ただ、茉莉子さんってたぶん人を待つよりは、待たせることのほうが多いんだろうなと思って。なんていうか、それが許されるじゃないですか。茉莉子さんだったら」
 たしかに、稽古場や劇場に入るのはだいたい最後のほうだ。でもそれは、仲良くもない人たちと一緒にいるのが苦痛なだけだった。時間にルーズなわけじゃない。
「人を待ったことくらいあるけど」
 最初に思い出したのは、群馬の総合病院の待合室だった。高校生だった私は、事故に遭った母の処置が終わるのを待っていた。その次に、名倉(なぐら)のワークショップを思い出した。私は『撃鉄』の脚本を読みながら、順番が来るのを待っていた。それから、神山(かみやま)と付き合っていた時のこと。私のほうがよく待たされた。
 こうして考えると、むしろ私は待ってばかりだった。みずから人生を選んでいる気がしていたけど、実は他人から与えられるのを待ち続けていたのかもしれない。
「だいたい、私たち待つのが仕事だったよね。待機室、って呼んでたぐらいなんだから」
「ああ、たしかに」
 まだ十年も経(た)っていないというのに、デリヘルでの日々ははるか過去に遠ざかっていた。
 そういえば、他人に選ばれるという構造は役者の仕事も同じだ。劇作家や演出家に声をかけてもらえなければ、役を与えてもらえなければ、舞台には立てない。どこまでも受け身の存在。
 肉が来た。城はビールを飲みながらハラミやタンを焼いていく。私にはトングを渡そうとしない。
「人に焼かせるの、嫌いなんで」
 鮮やかな赤色だった牛肉が、こんがりと焼けていく。私は城の焼いた肉を素直に食べる。
「茉莉子さん、バンケットの舞台にはもう出ないんですか?」
 城は昨年、名倉に誘われてバンケットの舞台に出演していた。出ない、と答えようとしたけど踏みとどまった。
「条件による」
 それから、先日の名倉との会話について話した。城は「へえ」と目を剥いた。
「名倉さん、プライド捨ててますね」
「なんでそこまで私に執着するのか、わからないんだよね。ただの頭おかしい女なのに」
「頭おかしい女だからじゃないですか」
 毒気のある言葉も、なぜか城が口にすると不快に感じなかった。
「あの人は、茉莉子さんが頭おかしい女だってこと、ちゃんと見抜いてるんですよ。ほとんどの男って、そこに気がつかないじゃないですか。私たちが演技していることすらわからない。そのくせ演技だってわかると、騙(だま)された、みたいな被害者面をする。でも名倉さんは違う。私たちが、女が、演技する生き物だってことを理解している。そこは信じていいですよ。茉莉子さんに才能があるのは大前提として」
 最後の一言は蛇足に聞こえたけど、まあいい。
「名倉さんだって、私の本当の顔は知らないと思うけど」
「それは皆一緒じゃないですか。演技だってわかったうえで、その演技の隙間から覗(のぞ)く本音を観察しながら、付き合っていくしかない」
 脂の爆(は)ぜる音を立てながら、肉は焼けていく。城はトングで肉をひっくり返す。片側はちゃんと焼けているけれど、その裏はぬらぬらと光る生肉だ。
 言われてみれば私だって城の本当の顔を知らない。今、ここにいるのが本当の自分なのかどうか、わかるのは自分自身だけだ。いや、自分だってわかっているかどうか怪しい。他人と話を合わせて笑顔をふりまく私も、無表情で焼肉を食べている私も、どっちも演技なのかもしれない。
 そう考えると、本音というものの存在も頼りない。
 どこまで覗いても、私の中身は空っぽだった。空っぽだからこそ、永遠に見つかることのない理想を追い続けてしまうのかもしれない。
「私、役者になれてよかったです」
 城が網の上を注視しながら言う。
「役者になってなかったら、死ぬまで自分を肯定できてなかったと思うんで。あの時茉莉子さんがチケットくれてなかったらって思うと、真剣に怖いです。間違いなく、今もまだあの待機室にいたはずなんで」
「じゃあ私がチケットをあげたのは、とんでもないファインプレーだったってことだ」
「茉莉子さんがいなかったら、城亜弓もいないですから」
 私も彼女も、互いの芸名しか知らない。でもそれでいい。私たちは肉親でも友達でもない。芝居が唯一の共通点なんだから、芝居をする時の名前さえ知っていれば。
「役者なんて、ならずに済むならならないほうがいいよ」
 格好をつけているわけじゃなかった。それは、私の数少ない〈本音〉だった。

 書店に足を踏み入れたのは、偶然だった。
 睡眠薬をもらうために通っている精神科からの帰り道、いつもは通らない駅前商店街のなかを通った。吉祥寺には十二年近く住んでいるけど、自宅のある方向が違うからあまり使ったことはない。
 私の足はある書店の前で止まった。見覚えがあるような気もするし、ないような気もする。大型店に比べれば、間口は広いとは言えない。いわゆる「町の本屋さん」だ。急ぎの用はなかった。元より、公演期間を除けば私に急用なんてない。ふらふらと書棚に近づいていった。こういう書店に入るのは、群馬を出てから初めてだった。
 書店に引き寄せられたのは、名倉との会話が記憶にあったせいかもしれない。
 ――ぼくの戯曲じゃなければ、出演する?
 彼はそう言っていた。別にバンケットの舞台に出演したいわけじゃない。ただ、そこまで言うからには、私が書き手を希望すれば叶(かな)えてくれるかもしれない。名倉が魅力的な脚本を書けなくなったのなら、私が選べばいい。並みいる文芸作品のなかから、私好みのものを選んで提案すればいい。遠慮する必要はない。むしろ、演劇の悪魔は喜んで受け入れるはずだ。
 店内の客はまばらだった。通路が広いこともあり、本が見やすい。読書家とは言えないけれど、たまに小説や演劇に関する本を読むくらいはする。
 案の定、小説やコミックスに比べて、戯曲はほんの少ししか置かれていなかった。そうそう売れるわけでもないし、置いているだけありがたいと言うべきだろうか。適当に手に取ってぱらぱらとめくってみる。けれど、胸に刺さるようなものはなかった。もしかしたら、私はある種の不感症になってしまったのだろうか。あるいは、演劇を観る目が肥えすぎたのか。
 諦めて、文芸の棚に移る。陳列されているミステリーや恋愛小説を一読するが、やっぱり惹かれない。表現形式が違うから? いや、もっと根源的な問題だ。私が求めているのは、私が演じるべき役柄だ。そこに戯曲とか小説とかいった違いはない。
 平積みの台にあった、ある単行本が目についた。紫色を基調とした装幀(そうてい)が、たくさんの本のなかで映えていた。
 タイトルは『幽人(ゆうじん)』。著者は山本明日美(やまもとあすみ)。どちらも初めて目にする。
 試しにページをめくってみた。さして期待はしていない。少し読んでつまらなければ、すぐ台に戻すつもりだった。

 生まれた時から、私は幽霊だった。
 その産院では、新生児は足にサインペンで母親の名前を書かれるのが規則だった。それなのに、助産師だか看護師だかが名前を書くのを忘れてしまったせいで、私は一晩名前のない赤ん坊として過ごした。無名の新生児は幾重にもわたる確認の末、翌日の朝にようやく、正しい母と再会することができた。
 それくらい、私には存在感がなかったのだ。母親の身体(からだ)を離れた途端、いてもいなくてもいい半透明の存在になった。

 ぎゅっ、と心臓を鷲(わし)づかみにされた。
 呼吸を忘れて息苦しくなり、慌てて本を閉じる。たった数行で水中に溺れてしまった気がした。そして『幽人』を持ったままレジへと歩いた。この小説には、私の求めているものがある。そう確信していた。
 書店から自宅まで歩く、短い時間すらもどかしかった。歩きながら読もうかと思うくらいに。代わりに、さっき目にした文章を頭のなかで幾度も味わう。生まれた時から、私は幽霊だった――。
 私のことだ。これは、私の物語だ。
 エントランスを抜け、エレベーターを降り、玄関ドアを開ける。本だけ手にして鞄(かばん)を床に投げ捨て、ベッドにうつぶせになって開いた。処方された睡眠薬をまだ薬局で受け取っていなかったけど、そんなことはもうどうでもいい。
 私は文字の海に飛び込む。そこには、もう一人の私がいる。

 幼かった私は、至る場所で置き去りにされた。
 ショッピングモールで、遊園地で、商店街で、私は家族とはぐれ、そのたびに保護された。動物やアトラクションに夢中になっているうち、周りから人が消えている。心細くて泣いていたのは最初だけだったと思う。そのうち寂しさも感じなくなった。また置き去りにされたんだ、と思うだけだった。
 家族の名誉のために言っておくと、父や母に悪気はなかったはずだ。大人になってから当時のことを振り返っても、虐げられてはいなかった。姉との間に扱いの差を感じたこともなかった。それなのに、置き去りにされ、迷子になるのはいつも私だった。誰にも見られず、注目されない、何者でもない私。それこそがアイデンティティだった。
 意思も欲望もないから、私はいつも「それらしく」ふるまうしかなかった。教室や家庭で、私は年ごろの少女に擬態する。少女らしく笑い、泣き、怒る。そうすることで、やっと人目に触れられる気がした。
 本当の私は、誰にも見えない幽霊だ。幽霊が人間になるためには、人間のふりをしなければいけない。

 語り手は今日子(きょうこ)という名だった。生まれてからずっと存在感の薄かった今日子は、自分の人生を自分のものだと感じられず、常に他人事(ひとごと)のように思っていた。やりたいことも、なりたい職業もなかった。
 大学を卒業して公務員となり、職場で知り合った男性と二十五歳で結婚した今日子。趣味もなく、主張もなく、ただぼんやりと平凡な日々を送っている。自分がいてもいなくても、この世界は何ら変わらない。なぜなら、生まれながらにして死んでいるから。自分はすでに幽霊だから。今日子は本気でそう思っていた。
 ある日、今日子は本物の幽霊と出会う。
 白い服を着た、髪の長い女性。部屋で待っていた幽霊は、名乗りもせず、驚く今日子にこう語りかける。
 ――友達になりましょう。
 途中で本を置くことなんてできなかった。夜更けまでかけて、私は『幽人』を読み通した。こんなに読書に夢中になるのは初めてだった。
 最後の一行を読み終え、顔を上げると、『幽人』を読む前とは世界が違って見えた。脳の芯がじんじんしている。仰向けに寝転んでぼうっと天井を見ていた。昨年住みはじめた部屋の天井は、まだ見慣れない。
 決まった。私が演じるべき役は、ここにあった。
 いてもたってもいられず、名倉にメールを送った。すぐに『幽人』という小説を読んでほしい。この小説を舞台化するのであれば、バンケットの公演に出てもいい。私の役柄は決まっている。それは――。
 深夜だというのに、すぐに返事が来た。了解、とだけ書いてあった。
 きっと名倉は、この希望を聞いてくれる。私はどうかしている女で、名倉はそのどうかしている部分を観たがっているのだから。

(つづく) 次回は2024年1月5日更新です。

著者プロフィール

  • 岩井圭也

    1987年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。2018年『永遠についての証明』で第九回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、デビュー。他の作品に『夏の陰』『プリズン・ドクター』『水よ踊れ』『この夜が明ければ』『竜血の山』『生者のポエトリー』『最後の鑑定人』『付き添うひと』『完全なる白銀』がある。