物語がつまった宝箱
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  • 第一幕(6) 2023年5月15日更新
 六月上旬、ワークショップは二日にわたって開催された。
 初日、会場である代田橋(だいたばし)のスタジオには、男女合わせて二十名ほどの俳優が呼ばれていた。フローリングの床と壁面の大きな鏡。これがいわゆる稽古場(けいこば)か。動きやすい服装でと指定されていたため、私はTシャツにジャージのパンツ、室内用のスニーカーという出(い)で立ちだった。
 参加者たちはおおむね、二十代から三十代くらいの年齢層だった。私はいちばん若い部類だ。服装はみな大差ない。一見するとコンビニへ買い物に行くような雰囲気だが、身のこなしだけで一般人とは違うと感じさせる人もいた。
 顔を知っている俳優も参加していた。下北沢(しもきたざわ)の舞台で見た俳優、諏訪(すわ)もそのひとりだ。長身の諏訪は私より一回りほど年上だけど、放つ雰囲気は実年齢よりさらに成熟して見えた。内輪ネタらしき雑談を交わしている俳優たちが多いなかで、私はひとり、疎外感を抱きながら開始を待っていた。
 名倉(なぐら)は定刻の少し前に現れた。
 スタジオの空気が一変した。自然と雑談がやみ、ぺた、ぺた、とスリッパの音が響く。名倉はパイプ椅子(いす)に腰かけ、スタッフらしき男と談笑していたかと思うと、唐突に「はじめましょうか」と宣言した。
「劇団バンケットを主宰しています、劇作家の名倉です」
 隣にいるスタッフは、渡部(わたべ)という舞台監督だった。
 最初に参加者たちの自己紹介の時間が設けられた。順に前に立って、名前や経歴を話す。どこの大学を卒業したとか、誰それの舞台に出たとか、誰もがアピールポイントを口にする。名倉の舞台に出演したことのある俳優も何人かいた。そんななかで、諏訪は一味違った。
「諏訪浩(ひろし)です。よろしくお願いします」
 長々と話さなくてもわかるだろう、とでも考えているのが透けて見える。彼の身のこなしには、傲慢になる一歩手前の余裕が漂っていた。
 似せるつもりはなかったが、私の自己紹介も同じようなものだった。もっとも、こちらは単に話すべきことがないだけだ。ただ、演技未経験です、と予防線を張るようなことは言わなかった。名倉に大見得を切った手前、上っ面だけでも一人前のように振る舞おうとした。
 全員の自己紹介が終わると、名倉はようやくワークショップの趣旨を説明した。
「十一月に、下北沢で『撃鉄』という舞台をやります。台本はすでに完成していて、スタッフも固まっています。このワークショップは、『撃鉄』の出演者オーディションを兼ねています。途中、実際の台本も使いますが、内容についてはSNS等をふくめ、決して口外しないようお願いします」
 チラシに書いてあった通りだ。参加者は無言だった。早く本題に入れ、と迫っているような沈黙だった。
「次に、ぼくの演出について説明させてもらいます。一緒に仕事をしたことがある方には退屈かもしれませんが、少し我慢してください」
 名倉は参加者たちを見渡す。ようやくワークショップらしい話になってきた。
「ぼくのやり方は、メソッド演技を自分なりにアレンジしたものです。なので、そこにネガティブな意見を持つ方は受け入れにくいかもしれません。五感の記憶を呼び覚ますことが、ぼくの基本的な方針です」
 少しは勉強してきたから、メソッド演技という言葉に聞き覚えはあった。たしか、役柄の感情を呼び起こすために、自分の記憶を活用する手法だ。怒る演技なら、猛烈に腹が立った記憶を再現する。死者を悼(いた)む演技なら、自分の親しい人が亡くなった時の記憶を呼び起こす。そんな感じ。漠然としかわかっていないため、自信はまったくないし、できるとも思えない。
 その後も、名倉はスタニスラフスキーなる古い演出家や、ブレヒトとかいう劇作家の言葉を織り交ぜながら、しばし自分の演劇論を語った。発言にいちいちうなずく参加者もいたが、基礎知識のない私にはほとんど理解できない。
 ただ、名倉のこの台詞(せりふ)だけは意味がわかった。
「役柄に没入する自分と、一歩後ろから冷静に見ている自分。その両方を成立させてほしいんです。ひとりの人間の身体(からだ)を借りて、役柄と役者自身が同居している状態。そうすることで、観客は〈物語に入りこむ〉と同時に〈演劇を観ている〉という感覚を得ることができるんです」
 ――それって、当たり前じゃない?
 口には出さなかったけど、本心ではそう思った。
 私は私という役を演じている間、常にもうひとりの自分の視線を感じる。私という存在が二つに分裂している。当たり前のことだと思っていたが、名倉の話を聞いていると、どうやらそれは簡単なことではないらしい。
「役になりきることだけが演技ではないんです。もうひとりの自分の目。これを常に意識しながら、演技に取り組んでもらえたら」
 激しくうなずき、メモを取っている参加者までいた。そこまで感銘を受けるような言葉だろうか。役者の世界はよくわからない。一時間ほどで名倉は話を打ち切った。
「そろそろ身体をほぐしたいころですね」
 名倉は三人一組になるよう指示する。
「組を作ったら、三人の間で見えないサッカーボールをパスしあってください。順番に蹴ってもいいですし、ランダムにやっても結構です。蹴り方も自由です」
 参加者たちは数秒のうちに、三人一組になる。こういう指示にも慣れているようだった。突然奇妙なことを言われ、私一人が右往左往する。
「こっち、入りなよ」
 声をかけてくれたのは諏訪だった。感情の読めない顔で私を見ている。断る理由はなかった。別の参加者を入れて一組になる。
 私たちは三人で透明のボールをパスしあった。諏訪はすでに経験しているのか、存在しないボールを蹴るのが実にうまかった。芝居もサッカーも経験がない私は、ただ足をばたつかせるだけだった。
 名倉はスタジオを歩き回りながら、参加者たちの動きを観察している。顔を上げると、目が合った。
 まずい。あたふたしている場面を見られた。大口を叩(たた)いたことを思い出し、また指先が震える。こんな序盤でつまずくなんて。
 意図不明の指示は続いた。次は六人一組でパス回しをするように言われ、その後は二つのチームに分かれてドッジボールの試合をやった。ボールはあくまで架空のものなのに、試合は妙に盛り上がった。
 ――大の大人が集まって、何をやってるんだろう。
 途中虚しさに襲われたが、身体がほぐれたのは事実だった。頃合いを見て、名倉がまた参加者を集める。
「そろそろ、エチュードに移りましょうか」
 エチュードの意味はわかる。即興芝居だ。つまり、いよいよ演技がはじまる。
 今度は四人一組になるよう指示された。
「四人で父親、母親、長男、長女を演じてください。実際の性別と役柄の性別は、違っても構いません。家族で食事をしながら、長女の就職祝いをしている場面です。その場で、父親役の方は会社をリストラされたことを打ち明けてください。その他のシチュエーションや性格などはお任せします」
 あまり心躍るシーンではない。はっきり言えば、地味な場面だった。
「打ち合わせの時間を十五分取ります。その後、順番に前に出て演じていただきます」
 ではどうぞ、と告げられると同時に、俳優たちはすばやくグループを作る。またも乗り遅れた私は、当然のように諏訪から「来なよ」と声をかけられた。他に男女一名ずつを入れて四人組になる。
「俺、父親でいいかな?」
 車座になるなり、諏訪はすぐに言った。異論はない。
「長女やりたいです」
 私はとっさに口にしていた。置いて行かれたくない、と逸(はや)る気持ちがそうさせた。役割は順当に決まり、他の二人が母親と長男の役になった。
「長女の就職先はどうする?」
「えーっと、食品メーカーの事務職とか」
「長男の職種は?」
 諏訪が順番に質問を投げかけ、他のメンバーはそれに答える格好になった。完全に主導権を握られている。この光景を見られたらリーダーシップのない人間だと思われるかもしれない。いや、俳優にリーダーシップなんて必要ないんじゃないか?
 余計なことを考えているうちに、十五分の打ち合わせ時間は過ぎた。結局、各人の職業や年齢がざっくり決められただけだった。
「そこまで。では順番に発表してください。最初にやりたいチームは?」
 即座に「はい」と手を挙げたのは諏訪だった。チームメンバーへの相談など一言もない。ぎょっとして振り返ったが、諏訪は平然としている。
「はい、そちらのグループですね」
 あっさり名倉に指名された。
 一番手を選ばず、様子を見たほうがよかったのではないか。非難のこもった目で諏訪を見たが、まったく意に介さない風情(ふぜい)だった。渡部が部屋の隅にあった円形のローテーブルを運んでくる。私たちは渋々、テーブルを囲んで座った。諏訪以外の二人は目が泳いでいる。きっと私も同じだ。
「はじめてください」という名倉の合図と同時に、諏訪が朗らかな笑みを浮かべた。
「いやいやいや」
 そう言いながら、右手で何かをつかむ真似(まね)をして、こちらへ突き出してくる。私がぽかんと見ていると、諏訪は怪訝(けげん)そうな顔をした。
「なんだ。ビールって気分じゃないか?」
 はっとした。諏訪がつかんでいるのはビール瓶だ。父親役として、娘である私にビールをつごうとしている。一瞬で役柄に入ったことに驚きつつ、慌ててグラスを差し出す真似をする。
「ありがとう、お父さん」
「うん。とにかくよかった」
 ここでも場を支配しているのは諏訪だった。諏訪は母親、長男と順に話題を振っていき、二人の役者はつられるように言葉を返す。知らず知らずのうちに受け身になっている。たぶん、傍(はた)から見れば諏訪の独壇場だ。それは困る。とっさに、テーブルの上に置かれている架空のビール瓶を手に取った。
「お父さん、もっと飲んでよ」
「ああ、悪いな」
 くつろいだ表情で、諏訪が架空のグラスを突き出す。何か言わなければ。ここで発言して、私が主導権を握る。
「お父さんは、これから仕事探すつもり?」
 余裕のなくなった私は、そう口走っていた。
 一瞬、諏訪が硬い表情をした。長男役の人が「何で?」と私に問う。
 素に戻った私の口から「あっ」と声が漏れる。「これから仕事探すつもり?」という台詞
は、父親がリストラされたことを知らなければ出てこない。諏訪はまだその話をしていないから、長女役の私が知っているはずはない。
 私の演技は矛盾していた。
 全身から汗が噴き出す。長男役の人はまだ私の答えを待っている。やめてくれ。挽回(ばんかい)できないミスをしたことは、もうわかっているはずだ。
 諏訪が咳(せき)払いをした。
「窓際なのは否定しないが、そこまで言わなくてもいいだろう」
 その一言で、場が平静を取り戻したのがわかった。諏訪は私の先走った台詞を、職探しではなく、窓際社員への揶揄(やゆ)だと解釈してくれた。母親役の人が「からかうのはやめなさい」と私をたしなめ、「ごめん」と謝ってみせる。一応、芝居は成立した。
 もう目立とうとはしなかった。エチュードは諏訪が先導するまま終了した。演技中に「あっ」とつぶやいたことを思い出し、顔が熱くなる。
「ありがとうございました。では次のグループ」
 名倉は講評めいたことを一切口にせず、次々にエチュードをさせた。他のグループの即興芝居は、私たちよりずっと巧みに見えた。コメディ仕立てにして爆笑を取っているグループもある。私より演技が下手な人なんていそうになかった。
 ――場違いだ。
 消え入りたい気分のまま、ワークショップ初日は終了した。荷物をまとめて逃げるようにスタジオを飛び出した。まだ日が残っている夕方の路上を、足早に駅に向かう。全員から笑われているような気がした。
 代田橋のホームで電車を待っていると、「お疲れ」と声をかけられた。諏訪だった。他には誰もいない。さすがに無視するのは感じが悪いだろう。
「……お疲れ様です」
「今まで、こういうワークショップに参加したことない?」
 横に立った諏訪は当たり前のように会話をはじめた。
「はい。迷惑かけて、すみません」
「いいこと教えようか」
 諏訪は私ではなく、暗くなっていく空を見ていた。
「名倉さんはメソッド演技の支持者だ。もはや信奉の域に達してる。メソッド演技は役者に精神的な負担を強(し)いるのに、効果があるのをいいことに見て見ぬふりをしている。経験が浅いなら、名倉さんの舞台はやめておいたほうがいい。危険だ」
 慰めるふりをして、他の参加者を蹴落とそうとしているのか。あるいは親切心からの忠告か。無表情の横顔から真意を察することはできない。いずれにせよ、メソッド演技が危険だというのはピンと来なかった。
「そんなに危険なら、諏訪さんもやめておけばいいじゃないですか」
「やだよ。面白いもん」
 子どもが駄々をこねるような言い方に、つい口元が緩んだ。
 諏訪が途中で電車を降りるまで、私たちは互いのことを話した。なりゆきで、携帯の電話番号まで交換した。
 諏訪は神奈川の出身で、今は新宿(しんじゅく)周辺に住んでいるという。出版社で派遣社員として働きながら、舞台に出演しているらしい。小劇場では名前の知られている諏訪でも、別の仕事を持たなければ生活できない。それはあまり気持ちのいい事実ではなかった。
「そんなもんだよ、役者の世界なんて」
 井(い)の頭(かしら)線の吊(つ)り革につかまりながら、諏訪がぼやいた。
「もしかして、名倉さんも他の仕事、持ってるんですか」
「いや。あの人、実家が太いから。残酷だよな。どこの家に生まれるかで、夢を追う条件も変わってくる」
 淡々とした口ぶりの裏に、やるせなさが潜んでいた。
 諏訪にとっては、俳優として成功することが夢らしい。その点、私は違った。私には夢なんてない。ただ、演じることで生計を立てたいだけだ。同じことを言っているようで、そこには明確な違いがある。
 俳優という仕事への憧れがあるかないか。
 肩書はどうでもよかった。ただ、他人の人生を生きたいだけだった。

(つづく) 次回は2023年6月1日更新です。

著者プロフィール

  • 岩井圭也

    1987年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。2018年『永遠についての証明』で第九回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、デビュー。他の作品に『夏の陰』『プリズン・ドクター』『水よ踊れ』『この夜が明ければ』『竜血の山』『生者のポエトリー』『最後の鑑定人』『付き添うひと』『完全なる白銀』がある。