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  • ガゼボの晩(3) 2019年11月15日更新
 自己流のカレーを鳴宮(なるみや)のために作ったとき、めちゃくちゃ褒(ほ)められた。
「すげえ旨(うま)い。育(いく)、どうしても仕事が見つからないときはさ、カレー屋やりなよ」
「無理に決まってんじゃん。てか褒められたの初めてだし」
「えー、ほんとに? こんなに旨いのに」
 鍋一杯に作ったカレーは、あのとき何日間食べ続けたんだったか。野菜や肉を継ぎ足し、十日は食べたと思う。毛布でくるんだカレー鍋とタッパーに詰めたごはんを持って、ドライブにも行った。ダイヤモンドダストを見ながら食べるんだと張り切ったけど、そんな時に限って暖かな日が続いて、結局どこか遠くの名前も知らないサービスエリアで朝日を眺めながらカレーを食べた。
 楽しかった日々は、ある日椿(つばき)がやって来たことで終わりを迎えた。わたしは鳴宮のトレーナーを借りて自分の服を全部洗濯している最中で、鳴宮はカオマンガイを作るのだと言ってレシピサイトを熟読していた。チャイムが鳴り、ふらりと玄関に行った鳴宮がきれいな女の子を連れて戻ってきて、とても驚いた。わたしと鳴宮の間に他者が入って来ることなどもうずっとなかったのだ。
「一緒に住んでる、育」
 鳴宮がわたしを手で示し、女の子はあからさまに嫌悪の目を向けてくる。その視線に、椿だと確信する。まあそうだよな。少なくとも三ヶ月以上彼氏に放置されてりゃ、部屋に突撃もしてくるよな。むしろ遅いくらいだ。どうも、と口の中でもごもごと挨拶をすると、椿はわたしを無視して鳴宮に「元(もと)くん、説明」と言う。まっとうで冷静な反応だ。
「死にそうだったから、助けた。彼女が落ち着くまで、面倒見るつもりでいる」
「バイトを辞めて、みんなと交流断ち切ってるそうね。バイト先のひとたちに教えてもらったわ。ねえ、このひとと……その、付き合ってるの?」
「いいや? やましいことはないよ。ねえ、育」
 話を振られて、頷(うなず)いた。無理やりベロチューしておっぱい触らせたのはわたしの勝手だったし、あれ以降はしていないし、鳴宮にやましいことは一切ない。
「それなら尚更おかしいよ。御両親も、友達もバイト先のひとたちだってみんな心配してるんだよ? 元くんがそこまでする理由を教えてよ」
 そこは、わたしも知りたいところだ。でもそれはわたしが鳴宮本人から教えてもらうことで、椿経由でではない。
「あの、やましいことはないけど、でもよそさまの彼氏の家に転がり込んでごめん。働くとこも、行くとこもなくて」
 口を挟むと、椿がわたしを睨(にら)んできた。薄化粧っぽい顔は整っていて、目力がある。夏椿って言うたおやかさはないんじゃないかな。
「元くんの様子がおかしくなって、三ヶ月です。多分、あなたと三ヶ月、一緒に生活してたんですよね? 三ヶ月なにをしてたんです? 見た感じ健康そうですし、就職するとか、住む場所を決めるとか、できたはずですよね」
 ごもっとも。そしてわたしはそういうことは一切していない。へへ、と笑ってみせると、「信じられない」と椿が頭を振った。
「ちょっと元くん、どうしちゃったの。こんな馬鹿なことするひとじゃないでしょう。いますぐ実家に戻ろ? ね?」
「だめだよ」
 鳴宮よりも早く答えたのはわたしだった。
「三月末まで、鳴宮は好きにしていいんでしょ? あと三週間もある」
「そんなことまで、このひとに話してるの?」
 椿が目を見開いた。
 鳴宮の家のことはよく分からないけど、でも鳴宮は家のために生きていかなきゃいけないらしい。いままで人生の岐路(きろ)を自分で決められなくて、それはこれからもずっとなのだという。そんな時代錯誤なことがいまだにあるなんて信じられないし、馬鹿じゃないのかと思うけど、鳴宮はそれを受け入れていた。高校も、大学も、その間の生活も交友関係も全部家の意見を最優先にして生きてきたのだと言った。親の用意したレールに乗って社会に出てしまえば、もう立ち止まることもできない。だから、人生のうち少しだけでいいから自分の自由にさせてくれと両親に願い出て、二年間だけ許された。許されたってなにって、わたしは思うけど。親のもんじゃなくて自分の人生じゃん。バカじゃないのって言ったら、そう言える育が羨(うらや)ましいと返された。そんな育に出会えたのは、俺が人生の寄り道をしたからなんだろうな。しなかったらきっと絶対出会えなかった、って少しだけ笑った。
 あの雪の晩、鳴宮は『好きなことが分かんないんだ』と言った。バイトしたり、自転車旅をしてみたり、思いつく限りいろんなことをしたし、いろんなひとと仲良くなったけど、夢中になれるものがなかったんだよ。好きになれるものがなかった。二年しかないのにってめちゃくちゃ焦(あせ)るけど、でも時間を無為に過ごすしかなかった。俺は誰かに指示されて生きることしかできないくだらない人間なんだって情けなくて辛くて、どうしようもなかった。でもいま。
「いま、鳴宮は好きなことができてるんだ。それを奪わないであげてよ」
 育と過ごすの、これまでの人生で一番楽しいんだ。初めて、好きなことをできてるって思ってる。鳴宮はとてもしあわせそうにそう言った。
「あなたと過ごすのが、好きなことなんですか? それって、やっぱりやましい関係だとしか思えない」
 椿の目から涙がぽろぽろと零(こぼ)れた。わたしはその涙を冷めた目で見る。そんなありふれたこと言うなよ。鳴宮、あんたを裏切ってないのに。あんたや親が望むように家に帰るし、いつかあんたと結婚だってするつもりみたいだよ。そういう話だって、したんだよ。
「とにかく、今日は帰ってよ。いまはここ、わたしの部屋でもあるし」
 苛々(いらいら)するのは、仕方ないと思う。ちょっと強く言うと、椿は逃げるように部屋を出て行った。それから、鳴宮が「あーあ」とため息をつく。
「もう、おしまいか。ごめんね、育」
「なんで。あと三週間あるじゃん」
「無理。椿は今度は、俺の両親を連れてくる。あのひとたちに、育を会わせたくない」
 多分鳴宮はわたしのためを思って言ってくれてるのだろうけど、お腹の真ん中が寂しくなった。わたしはやっぱり、鳴宮の一番にはなれないのだ。
 俯(うつむ)いていると、「嘘」と鳴宮が言う。顔を上げると、今度は鳴宮が俯いていた。
「嘘。本当は、あのひとたちの前にいる俺を、育に見られたくない」
 俺は、めちゃくちゃかっこ悪いんだ。肩を落として言うその声は少しだけ情けなくて、そんなのいま見せんなよと思う。
「わたし、鳴宮のこと一番大切だよ」
 ゆっくりと噛(か)みしめるように言った。こんなこと、恋愛覚えたての中学生のころだって口にしなかった。他人の弱さを愛しいとか、ちっとも思えなかった。だから本当に、大切なんだ。
 顔を上げた鳴宮が、言葉を探すように視線を流した。
「育の一番にはなりたくないって、言ったじゃん」
「鳴宮、わたしのことわりと好きになってるくせに」
 それくらい、分かるっての。すると、鳴宮が頭を掻(か)いて笑う。
「うん。それな。育のこと、好きだよ」
 喉の奥が熱くなる。こみ上げてくるものをぐっと堪(こら)えたら、ぐえってカエルみたいな声が漏れた。それがおかしくて笑う。鳴宮も笑った。
「育とずっと一緒にいられたらいいなって思う。こうやってくだらないことで笑いあって生きていたい。でも、育とそういう関係になってしまえば絶対終わりが来る」
「なんで」
 鳴宮が大きく腕を開いた。その胸に飛び込むと、強く抱きしめられた。押し付けた頬(ほお)に、心臓の鼓動が伝わる。壊れそうに、脈打っている。ああ、もうずっと前からこうしたかったのになあと思う。でもこれってもう、エンディングのやつじゃん。
「育にない繋(つな)がりが、俺にはたくさんある」
 ぱ、と腕が解(ほど)かれる。鳴宮がわたしから一歩離れる。
「いま俺は自分の意思で育を離したけど、次は誰かの力で離してしまう。そういうときが来るんだ」
「そんなことない」
「あるんだ。その繋がりを断ち切って生きてみようとして家を出たけど、でも本当に切ることは俺には……できないと思う」
 鳴宮とわたしの距離はほんの数十センチだ。わたしの背中には何もなくて、でも鳴宮の背中には無数の糸が張り巡らされている。
「育から見たら情けないよな。でも俺にとって繋がりってのは本当に厄介(やっかい)なんだ。滑稽(こっけい)で、面倒で……もう体全部に絡みついていて簡単に捨てられなくて」
 鳴宮が、珍しく必死に言葉を重ねようとしている。一所懸命、伝えようとしている。そんなことしなくても、いいのに。
「情けないとは思わないけど、鳴宮の辛さも分かんない。でも」
 わたしは鳴宮の手を取る。ワカサギ釣りの晩以来わたしたちは体を重ねはしないけど、手だけはいつも繋いで眠るようになっていた。すっかり馴染(なじ)んだ熱を両手で包み込む。
「でも、ほんのちょっとだけだけど、鳴宮の言う繋がりは分かるよ。分かるようになった、て言うのかな。辛くさせもするけど、愛おしくも、あるんでしょ?」
 じゃなきゃ、悩むことなんてない。鳴宮が小さく唸(うな)った。ぐっと力の入った手を解(ほぐ)すように、何度も撫(な)でる。
「でもね、ちゃんと理解はできてない。そんなに嫌なら、苦しいなら全部捨ててわたしといればいいじゃんって、いまでも思ってるよ」
 鳴宮が唾(つば)を飲む。喉仏が、ゆっくりと上下した。
「ごめんな。育、ごめん」
「謝ることじゃ、ないよ。鳴宮とわたしの生き方は最初から全然違っていて、そしてこれからも違っていくだけの話。たまたま出会って、少しだけ一緒にいた。それだけのことだよ」
 涙が零れた。泣くなんて、いつ以来だ。いやこないだ、鳴宮とふたりでべろべろに酔っぱらったときに『菊次郎の夏』を観て泣いたんだった。鳴宮には酒がまわりすぎてって誤魔化(ごまか)したけど、本当は鳴宮と一緒に夏が過ごせないことがただ悔しかった。青い空と海が溶けあってる景色の中で、安いプラカップになみなみと注がれたビールで乾杯する、そんな普通のことができないことが哀しくてどうしようもなかった。ああそうだ。あのときは、別れが迫ってることは分かってたのにな。
「雨宿り……」
「なに、育?」
「わたしたち、雨宿りしていたようなもんなんだよ。楽しくて夢中になっちゃってたけど、雨はいつかやむし、そしたらそこから離れていかなきゃ。自分の世界に戻っていかなくちゃ。だって雨宿りってそういうもんでしょ」
 涙を拭いて言うと、鳴宮がわたしをもう一度抱きしめた。わたしが「離していいよ」って言っても、腕を緩(ゆる)めることはなかった。
 布団に入って、いつものように手を繋ぐ。育、と鳴宮がわたしを呼ぶ。
「俺の知り合いの不動産屋に連絡して、すぐに部屋を用意してもらう。半年くらいは俺が家賃の面倒見るから、安心して住みなよ」
「……会いに」
「は行けない。二度と会えないと思うけど、でもずっと気に掛けるよ。ずっと」
 やさしく言う鳴宮の手に力が籠(こ)もる。
「育、まだ、死んでもいいやって思ってる?」
 天井を眺めていたわたしは少し考える。
「どうかなあ。鳴宮はどう?」
 鳴宮の喉奥がひゅっと鳴って、わたしに顔を向ける気配がする。
「バレてないと思ってたんだ? わたしだってそれくらい、分かるし」
 くすくす笑う。
「わたしがすぐにでも死ねそうだから、羨ましかったんだよね。なんなら、一緒に連れて行ってもらおうとしてたんでしょ。鳴宮ってそういう弱気なとこあるよね」
 鳴宮は、何も言わない。でも分かる。
「鳴宮と一緒なら死んであげてもいいけど、でも鳴宮は無理だよね。鳴宮は賢いから、どんなに望んでも死ねないよ。それでいいと思うよ。ねえ、そっち行っていい?」
 襲わないから。そう言うと、鳴宮が静かに体を端に寄せた。わたしは鳴宮の隣に滑り込む。ぴったりと並んで、手を繋いだ。枕元にちょこんと座っているスヌーピーが、わたしたちを見下ろしている。
「春には花見に行きたいし、夏には一緒にビール飲みたい。富士山登山とかやってみたかったし、沖縄でハブ退治もしてみたかった。鳴宮と一緒にしたいことをね、考えるようになった」
「うん」
 ようやく、鳴宮が返事をしてくれる。俺もだ。
「わたしね、誰かとこうしたいとか何かを共有したいとか思うようになったの初めてでさ、それってちょっとこそばゆいんだけど、でもなんだかうれしいんだ。自分じゃなくて誰かと一緒の未来を考えられるようになった。いままで、自分ひとりきりの世界しか想像できなかったから、これってすごいことなんだ」
 鳴宮の肩口に頭を寄せる。
「生きれると思うよ、わたし。未来のことを考えられるようになったから、大丈夫。鳴宮も同じならうれしいな」
「ワカサギ」
「ん?」
「ワカサギ釣り、行っただろ。俺、多分これから何度だってあの日のこと思い出すよ。頑張ったのに一匹も釣れなかったこととか、育の凍った鼻水とか。あと、びっくりするくらいちっちゃなおっぱいとか」
「殺すぞ」
 笑うわたしの声が湿る。
「めちゃくちゃ寒かったな、お腹空(す)いてたな、温泉があったかくて気持ちよかったな。ワカサギ、自分で釣りたかったな。大したことないことばかりだけど、きっと思い出す。もしかしたら、死ぬ瞬間とかにも思い出すかもしれない」
「なんでよ」
「自分の人生を自由に生きたって感じてるからかな。あの日のことを思い返せば、俺も大丈夫だと思う」
あのときの鳴宮の言葉を思い出して、笑う。くつくつと小さく揺れた拍子に、頬を温かいものが伝っていった。意味が分かんなかったけど、やっと分かった。鳴宮がわたしの一番の思い出になりたいと言ったのは、わたしが鳴宮の一番の思い出になれたからだったんだ。生きる支えになるような、記憶に。
「くそ。やっぱあのとき無理やりにでもセックスしてればよかった」
「どうしてそうなるんだよ。やだって言っただろ」
 スヌーピーの姿が滲(にじ)む。わたしの全てを見てきたスヌーピー。今夜のこと、わたしの代わりにしっかり目に焼き付けておいて。わたし、無理かも。
「生きられる方法、ぎりぎりで見つけられたね、鳴宮」
 泣いていることに気付かれないように、そろそろと言った。
わたしは未来を思うことを支えにし、鳴宮は振り返られる過去という支えを手に入れた。別れる前に、見つけられて良かった。
手を強く握りしめあって、わたしたちは無理やり眠った。

しんしん。雪が降る。鳴宮が死んだ日、雪は降っていただろうか。鳴宮は雪が降り積もる音を聞けただろうか。全力で生きたと言ったわたしとのあの日を、思い出しただろうか。
ゆっくりとベッドを抜け出し、リビングに向かった。冷え切った部屋の、ふたりがけのソファの上にスヌーピーがいる。もう何度も破れては繕(つくろ)ったスヌーピーの耳は、いまはチェック柄になっている。でも、目はあの日と同じだ。
スヌーピーを抱きしめて、目を閉じる。ねえ鳴宮。わたしねえ、わりとしっかり生きてるんだ。パソコン教室に通ってちゃんとした会社に就職だってしたし、アパートの家賃だってしっかり払えてる。今日は歯の矯正(きょうせい)なんか申し込んじゃってさ、五年のローンも組んだんだよ。五年だよ。五年も払い続ける契約したの。すごくない? 今度の休みには喪服をクリーニングに出すし、ちょっと質のいいパールなんかも買ってみようかと思ってる。
「わたし、生きてるよ」
 ちゃんと、生きてる。本当は、またどこかで鳴宮に会えたらうれしいなって思ったりもしてた。例えば榛名湖(はるなこ)の湖畔なんかでさ、お互い家族がいて、わたしたちは気付いてるんだけど気付かないふりをしてワカサギ釣りすんの。向こうの家族には負けないぞーなんつって。あ、椿は気付いちゃうかなあ。わたし、あの子には恨まれているだろうし。でもあの子も悪いんだ。鳴宮の用意してくれた部屋で倹(つま)しく生きてるわたしのところに来て、興信所だかで調べたとかってめちゃくちゃ文句言われたんだ。そりゃもう騒ぐ騒ぐ。あの日以来一度も会ってないって言っても全然耳を貸さなくて、元くんの経歴が、品位がとか繰り返すわけ。しまいには元くんに二度と関わらないで下さいってわたしの足元にお金投げつけて来てさ、拾えって言うのね。あーこりゃ酷いなって思ったから、だからわたし、言ったよ。死ねって。わたしの好きな男を奪える女なんだから、こんなみっともない真似すんじゃねえよ。死ね、殺すぞ、って生まれて初めて叫んだね。叫びながら、思ってた。これ鳴宮にちゃんと伝えてほしいなあって。私あの女から死ねって言われたんだけどって鳴宮にいってほしいなあ、って。ねえ、あの子ちゃんと伝えてくれた? わたしの精一杯のメッセージ、伝わっていて欲しいなあ。
 スヌーピーに顔を埋(うず)めていると、そろりとドアが開いた。隙間(すきま)から顔を出したのは嘉人で、「どうした」と静かに言う。
「なにか、あったんだろ」
「何で」
「それくらい、分からいでか」
 やさしく笑う顔は、鳴宮ではないけれど愛おしい。
鳴宮は一番の存在になりたくないって言った。あのときはそれが悔しかったけど、いまはありがとうって思う。
「昔の……友達が死んだんだ」
「そっか」
 嘉人はするりとキッチンに向かい、灯りも点(つ)けないままお湯を沸かし始めた。コンロの炎を受けた顔は寝ぼけたようにぼうっとしている。それを眺めている間に、マグカップをひとつ持って来てくれた。
「隣の部屋にいる」
 カップを渡して、嘉人は寝室に引っ込んでいった。カップの中身は柚子茶(ゆずちゃ)だ。嘉人の母親の御手製の柚子ジャムをお湯で溶いたやつで、わたしが美味(おい)しいと言ったらわざわざでかい瓶詰(びんづめ)でくれた。甘くてほろ苦いお茶を啜(すす)ると、涙がころんと零れた。
 朝になったら、会社に行く。頼まれてた見積書も作らないといけないし、産休を取る矢部(やべ)さんの仕事の引継ぎもしなくちゃいけない。わたしは明日も、生きていく。
ねえ、鳴宮。どんな人生だった? わたしとのあの日を思い出して頑張れた日があった? どうか、そうでありますように。わたしとのくだらなくて無邪気な雨宿りの日々があなたを支えられたと、信じてる。
 しんしん。雪が降る。目を閉じて、スヌーピーを抱き直した。

(了)

著者プロフィール

  • 町田そのこ

    1980年生まれ。福岡県在住。2016年「カメルーンの青い魚」で第15回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。2017年同作を含む『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』を刊行。他の著書に『ぎょらん』がある。