物語がつまった宝箱
祥伝社ウェブマガジン

menu
  • 1(3) 2022年8月1日更新
		****

 なにはともあれ自分の服に着替えると、恭四郎(きょうしろう)はジーンズの尻ポケットからスマホをひっぱり出した。
 深夜から朝にかけて、メッセージがいくつか届いている。返信すべきもの――来週のシフトを代わってくれないかというバイト仲間からの打診、高校時代の友達と約束している飲み会の日程調整――に返信し、それ以外――外泊するという連絡に対する母親からの返事、その他もろもろ――はひとまず放っておくことにする。
 ベッドをざっとととのえ、チューハイの空き缶や食べさしのポテトチップスの袋が散らかった座卓の上も片づけてしまうと、やることがなくなった。
 手持ちぶさたにベッドの端に腰かける。こぢんまりとしたワンルームをぐるりと見回したところで、冷蔵庫の扉に貼られた写真が目にとまった。
 テーマパークの巨大な城を背景に、先輩が豪快に大口を開けて笑っている。その隣に、黒ぶちのめがねをかけた、こざっぱりとした短髪の男が寄り添っている。確かにまじめそうな風貌(ふうぼう)だ。
 ごめんよ、と心の中で一応謝っておく。だけど、あんたにも責任がないわけじゃないからな。
 昨晩借りた部屋着は、彼のものだ。ここへ泊まりに来たときのために、ひとそろい置いてあるという。
「最近はほとんど使ってないけどね」
 たたんだTシャツを恭四郎に手渡しながら、先輩はため息をついていた。
 ふたつ年上の彼は、去年の春に都内の大学を卒業した後、銀行に就職したそうだ。関西(かんさい)の支店に配属されたため、遠距離恋愛がはじまった。
「最初のうちは毎週末こっちに帰って来てたけど、今はせいぜい月一ってとこ。仕事がめちゃくちゃ忙しいらしくて」
 先輩はチューハイをごくごく飲みながら言った。
「年明けからずっと会えてない。このままだと自然消滅かも」
 軽い口調とは不釣りあいな、思い詰めた顔つきだった。
「好きなんですね」
 恭四郎が思わずつぶやくと、先輩はさっと顔を赤らめた。
「悪い?」
 酔いの回った目つきでにらまれて、恭四郎はあわてて首を振った。
「いや、悪くないですよ全然」
 茶化したつもりはなかった。むしろ、褒めたといっても過言ではない。
「おかしいよね」
「へ?」
「こうやって、後輩にも簡単にばれちゃうくらいなのに」
 子どもみたいに膝を抱えて、先輩は力なく笑った。
「なんで本人には伝わらないんだろう?」
 恭四郎に問いかけているというより、半分ひとりごとのようなつぶやきだった。恭四郎は胸をつかれた。無理しているのが見え見えのぎこちない微笑(ほほえ)みにも、途方に暮れたような頼りない口ぶりにも。
「はっきり言ってやったらいいじゃないですか」
 それができれば苦労はしないよな、と思いつつ提案してみる。
「言えないよ」
「どうして?」
「そういうキャラじゃないし。大変なときなのに、重荷になりたくないよ」
 小声でつけ足した先輩を、恭四郎はつい抱きしめてしまったのだった。
 報(むく)われない想いというやつに、恭四郎はどうも弱い。それも、一方的に自分の気持ちを押しつけるわけではなく、相手の身になって考えた上で、じゃましないように踏みとどまろうというのだ。いかにもけなげで、いじらしい。
 もっとも、その「相手」が恭四郎自身となると、話は違ってくるのだが。

 それから五分ほどで、シャワーの水音がやんだ。
 かわりに、小さく鼻歌が聞こえてきた。恭四郎はなんとなく背筋を伸ばして、風呂場のドアが開くのを待ち受けた。
「お、起きたね」
 先輩が出てきた。タオルを頭にぐるぐる巻きにしている。
「おはようございます」
 日頃、隙のない化粧を見慣れているので、すっぴんは新鮮だった。素顔のほうがかわいいなと思ったものの、口に出すのはやめておく。一度寝たからといって調子に乗っていると誤解されたくない。
「おなか空(す)いた?」
 先輩はのんびりと言う。
「昨日買ったパン、焼こうか。あ、卵もあるよ」
 向こうもまた、一度寝たからといって、態度を変える気はなさそうだ。
 先輩の性格からして、豹変(ひょうへん)することはないだろうと予想はしていたが、あらためてほっとする。人を見る目はまずまずあるつもりでも、こればっかりは朝になってみないとわからない。やたらとなれなれしくされるのも、逆によそよそしく目をそらされるのも、気まずいものだ。
「おれ、やりますよ」
 恭四郎は勢いよく腰を上げて、キッチンに立った。
 トーストとオムレツにしようかと思っていたが、冷蔵庫をのぞいてみたら牛乳とバターも発見したので、フレンチトーストを作ることにした。簡単なわりに見栄(みば)えがして、女子には受けがいい。
 先輩が髪を乾かしている間に、ふたり分ができあがった。二等分して皿にのせ、座卓に並べる。焼いている間に、インスタントコーヒーも用意した。
「うわあ、おいしそう」
 無邪気な歓声を受けて、なんだか照れくさくなった。
「別にそんな、たいしたもんじゃないですけど」
 料理が趣味だとか得意だとか自称する男はたまにいるが、信用ならないと恭四郎は考えている。
 男の料理は、とかく大仰(おおぎょう)になりがちだ。珍しい食材や高価な調理器具をそろえようとしたり、スパイスにこだわったり、面倒くさいことをやりたがる。そういう一味違う料理を食べたいなら、外食したほうが効率的だし失敗もない。とっておきの一皿を何時間もかけてしこむより、ちょっとしたおかずを手早く何品かしあげるほうが、往々にして喜ばれるものだ。
 とりわけ、自炊の習慣があり、その面倒さを知っている相手には。
「いや、たいしたもんだって」
 先輩は真顔で言う。
「先輩こそ、けっこう料理してるんじゃないですか」
 基本的な調味料はひととおりそろっているし、鍋やフライパンもそれなりに使いこまれている形跡があった。
「まあね、食生活が乱れると体に響いちゃうからさ」
「さすがダンサー」
「とかいって、昨日は夜中にいろいろ食べまくってたけど」
 きまり悪そうに頭を振ってみせる。乾きたての髪がふわふわ揺れて、シャンプーのにおいが漂った。
「忙しいと、つい手抜きになっちゃうし。実家はいいよね。ごはん、毎日作ってもらえるでしょ?」
「まあ、なんにも食うものがないってことはないですね」
 キッチンの隅に置いてある小ぶりの冷蔵庫を横目に、恭四郎は答える。実家の冷蔵庫はゆうにこの三倍はある。
 詰めこまれている中身でいえば、ひょっとしたら十倍くらいになるかもしれない。といっても、常にその状態が保たれているわけではない。すかすかの日もある。三食きっちり家で食べるわけではないとはいえ、二十代の男が三人もいればそんなものだ。両親も年齢にしては食が太い。
「でも、うちはけっこう適当ですよ。親が共働きなんで。各自で好きに買ったり、作ったりしてます」
「そっか、それでこんなこともできちゃうわけか」
 先輩は感心したように言う。いただきます、とぱちんと手を合わせ、フレンチトーストをひときれ頬ばった。
「おいしい」
 満足そうに息をもらす。
「よかったです」
「各自で好きに、っていいね。やっぱ都会のおうちは自由だな」
 先輩が話を戻した。
「田舎(いなか)だからってだけじゃないかもしれないけど、うちの実家は考えかたがとにかく古いんだ。母親は専業主婦で、家事と育児を完璧にこなすのが生きがい、みたいな」
 恭四郎の家とは、まったく違う。
 都会と田舎の差というよりは、東(あずま)家が世間一般の家庭とは少しずれているのだろう。恭四郎が物心ついた頃から、平日の家事はおおむね父の担当だった。会社勤めをしている母に比べて、時間の融通が利(き)きやすいのだ。保育園の送り迎えも、学校の保護者会や面談も、母ではなく父が来てくれることのほうが多かった。そのかわり、週末には母が猛然と家じゅうを掃除して回り、おかずの作り置きに精を出した。
 兄たちも成長するにつれ、自然に家のことを手伝うようになっていった。末っ子の恭四郎は、ひとりだけ年齢が離れていることもあって、比較的甘やかされてきたとはいえ、自分のことは自分でやるという家風は刷りこまれている。
「ああいうふうになりたくなくて、東京に出てきたってとこもあるかも。良妻賢母(りょうさいけんぼ)って柄(がら)でもないしね。大学なら地元にいくらでもあるのに、なに考えてんだって、親はいまだに怒ってる」
 ふたきれめにフォークをぶすりと突き刺して、「東京で就職するって言ったらめっちゃもめそう」と先輩がつけ足した。
 冗談めかした口ぶりとはうらはらに、表情にうっすらと翳(かげ)がさしている。うちとは全然違うな、と恭四郎はまた思う。父も母も、子どもの進路にとやかく口出しなんかしない。親と同じ道を進むべきだなんて、絶対に言いっこない。
 めいめいの皿は、あっというまに空になった。甘くふやけた舌に、熱々のコーヒーがしみる。
「フレンチトーストって、こんなにすぐできちゃうんだね。下ごしらえとか、もっと時間がかかるのかと思ってた」
「普通に作ろうとすると、卵液をしみこませるのに一晩かかるんです。でもレンジにかければ二分なんで。片面一分ずつで、できあがりです」
 フレンチトーストは、わが家の朝食の定番のひとつだ。父が試行錯誤を重ねて、このやりかたに落ち着いた。
 これに限らず、恭四郎の料理はほとんどが父親じこみだ。真の料理上手とは、ありあわせの材料で手早くおいしいものを作れるものだということも、父に教わった。レシピに書いてあるからといって、聞いたこともないような調味料やハーブをわざわざ買ってくるなんてばかばかしい。どうせ使いきれないうちに賞味期限が過ぎてしまって、処分するはめになる。適当でいいんだよ、と父は言う。味つけはたいてい目分量だし、盛りつけにも凝(こ)らない。
「なるほどね。今度、自分でも作ってみる」
「はい、ぜひ」
 先輩はコーヒーを飲み干して、恭四郎とまっすぐ目を合わせた。
「ありがとう。なんか、元気出た」
 やけにしんみりした口ぶりだった。たぶん、この朝食のことだけを言っているわけではないのだろう。
「なによりです」
 心が弱っているときには、体をいたわるといい。
 なにが効くかは個人差があるけれども、てっとりばやいのは、人間の基本的な三大欲求――食欲、睡眠欲、それから性欲――を満たしてやることだ。
 しっかり食べて、ぐっすり眠って、あたたかい人肌にふれる。根本的な解決にはならなくても、多少は気がまぎれる。体が健(すこ)やかでなければ、問題に立ち向かう力だってわいてこない。
「あたし、昼からバイトなんだ。あと三十分くらいで出たいんだけど、東くんも一緒に出られる?」
「はい」
 恭四郎は汚れた食器を重ね、腰を上げた。出かける前にフライパンやボウルもまとめて洗ってしまおう。

		**

 真次郎(しんじろう)はいつものように父と一緒に店を出て、家路についた。
 閉店後は店内をざっと掃除して、遅くても五時半までには帰り支度がととのう。今日のように四時台の予約が入っていない日には、もっと早いこともある。
 東泉堂(とうせんどう)の営業は、九時から五時までである。客の多い土日には店を開け、平日に不定休をもうけている。
 休めるのは予約の状況に応じて、週に一日か二日程度だ。必ずしものんびりできるとは限らない。最近は店舗での鑑定以外に、電話やメール、チャットでの相談も受けつけている。営業日にさばききれなかった分を、片づけなければならない。
 夏場ならまだまだ明るい時間帯だが、今の季節はもう日が暮れている。隣に建つビルとの間の、道と呼ぶのもはばかられるような狭い隙間を通って、飲食店の並ぶ裏路地へと抜ける。チェーン店が幅を利かせている駅前通りとは違い、こぢんまりとした居酒屋やスナックが多い。何軒かはすでに営業をはじめている。
 闇に煌々(こうこう)と映(は)える赤提灯(ちょうちん)を目にした拍子に、とてつもなくのどがかわいていることに気づく。肉を焼いていると思(おぼ)しき、なんともいえず香ばしいにおいが、そのかわきを倍増させる。
「腹へったな」
 これもいつものように、父が言う。真次郎もまた、いつものように同意する。
「うん。ぺこぺこだ」
 一日の仕事を終えた後は、尋常でなく腹がへっている。口には出さないけれど、くたびれてもいる。くたびれ果てている、といってもいい。
 東泉堂で働き出して以来、驚いたことは数えきれないほどあるが、ひと仕事した後のすさまじい疲労もそのひとつだ。
 座って話を聞いているだけだ、といささか甘く見ていたふしはある。少年時代に野球部でさんざんしごかれてきたので、体力にも自信はある。こんなに消耗するなんて、予想外だった。
 誰かの人生と向きあうのは、けっこうな力仕事なのだ。占いにやって来る客は、人生になんらかの問題を抱えているわけだから、なおさら。
「ああ、疲れたな」
 と父もぼやく。ぐるぐると肩を回している。
「今日もよく働いたな。もうへとへとだ」
 口ではそう言うものの、さほど疲れているふうにも見えない。
 どうしてこんなに元気なんだろう。真次郎に比べて仕事に慣れている分、余裕があるのは間違いない。それにしたって、還暦も近い年齢にもかかわらず、二十代の息子と同じかそれを上回るくらいの仕事量をこなしながら、けろりとしているのは解(げ)せない。座りっぱなしで腰が痛いとか、老眼が進んでホロスコープが読みづらいとか、ぶつくさ文句は言うものの、なんというか、全身に生気をみなぎらせている。
 昔からそうだった。どんなときでも快活でパワフルな父を、幼い真次郎は尊敬していた。おとなの男はそういうものだと思っていた。自分もきっと、大きくなったら父のようになれるはずだ、と。
 声に疲れがにじまないように注意しながら、真次郎はたずねる。
「晩めしはどうする?」
 平日は、父と真次郎が家族の夕食を用意することになっている。
 手分けして料理する日もあれば、出来あいの惣菜(そうざい)を買って帰ったり、冷凍食品に頼ったりする日もある。週末は母の担当で、ついでに日持ちする副菜も多めに作り置きしてくれている。カレーやシチューもばかでかい鍋にどっさりこしらえて、食べる分以外は冷凍しておく。
「鍋だな。寒いし」
 父が即答した。
 秋から冬にかけて、わが家では三日に一度は鍋料理が登場する。具材や味つけを変えれば飽きないし、家族で食べる時間がずれてしまっても融通が利く。出汁(だし)を残しておいて、冷蔵庫の肉や野菜を適当に足したらいいので簡単だ。
 毎夕ほぼ決まった時刻に帰宅するのは、真次郎たちだけだ。残り三人の帰りは日によって異なる。
 会社勤めをしている母と優三郎(ゆうざぶろう)は、残業が入ると遅くなる。ただしめったに外食はせず、家に帰ってきてから食べる。一方で、大学生の恭四郎は、出かけたついでに夕飯も外ですませてくる日が多い。食事ばかりか外泊も珍しくない。どこでなにをやっているのやら、気づけば数日顔を見ていないということもざらだ。気楽な大学生活を存分に謳歌(おうか)しているらしい。
 大学の授業が終われば寄り道もせずに帰ってきて、倉庫作業のアルバイトに行く以外は家にひきこもっていた優三郎とは、えらい違いだ。
 大学生活というものを経験したことのない真次郎には、弟たちのどちらが標準的な大学生に近いのか、想像するほかない。平均値はおそらく、ふたりのほぼ真ん中あたりに位置するのではないかという気がする。
 なにかにつけて、そうなのだ。性格が違うわりに、存外、仲は悪くない。喜ばしいことだと兄としては思う。
 だが今夜は珍しく、恭四郎も早めに帰ってくるという。
「ひさしぶりに、五人で食べられるんじゃないかな。恭四郎はもう家に着いたらしいし、お母さんと優三郎も定時で上がれるって言ってたから」
父は言い、思い出したように尋ねた。
「そういや、今日は新規のお客さんがいたんだよな。どうだった?」
「感じのいいひとだったよ」
 感じはよかった。運気は最悪だったが。
 金子(かねこ)の運気が低迷していることは、ホロスコープからも読みとれた。本人には気の毒だけど、はっきり言ってどん底だ。あそこまでひどいと、当人の努力や心がけでどうこうできるものではない。じたばたするのも意味がない。嵐が去るまで、どうにか耐えしのぶほかない。
 というような内容を、慎重に言葉を選んで伝えた。誰が悪いわけでもない、長い人生にはそういう時期もあるものだと諭すと、金子も納得してくれたようだった。
 まったく希望が持てないわけでもない。どん底というのは、もうこれ以上は落ちようがないということでもある。このつらい日々を乗り越えれば、少しずつ事態はよい方向に向かうはずだ。全部が全部、すぐさま好転するということにはならないが、来月をめどに最悪の状況は脱するだろうと金子にも話した。年が変わるのだ。西洋占星術では、牡羊座の起点となる三月下旬が、新年のはじまる節目とされている。
 ありがとうございました、少し気が楽になりました、と金子は何度も礼を言って帰っていった。
 新米の頃は担当している客とのやり取りを父に逐一報告していたが、ここ最近はほとんど任せてもらうようになった。なにかあったときだけ、相談に乗ってもらうことにしている。
 「そうかそりゃなにより」
 五分ばかり歩けば、県道にぶつかる。横断歩道を渡ると住宅街に入る。家まではさらに五分近くかかる。通勤時間は合計十分足らず、完璧な職住近接である。
「おかえり」
 恭四郎が玄関口で出迎えてくれた。高校時代のジャージを着ている。外に出かけるときはめかしこんでいるくせに、家の中では適当なのだ。
「晩めし、なに? おれも手伝おうか?」
 わざわざ申し出るところを見ると、腹がへっているのだろう。
「鍋だよ」
「鍋? また?」
 恭四郎がさもつまらなそうに言い、真次郎はむっとした。
「いやなら食うな」
「いやだとは言ってないって。またって言ったの、おれは」
「おんなじことだろ」
「それじゃあ、恭四郎に野菜を切ってもらうかな」
 父が割って入る。
「真次郎は、ちゃちゃっと風呂にでも入ってこい」

 風呂から上がると、食卓の上に鍋の用意がととのっていた。優三郎と母も席についている。
「よし、はじめるか」
 東家の鍋奉行は父である。
「今日の鍋は、お父さんとおれの合作だよ」
 恭四郎が胸を張ってみせた。横から父も言い足す。
「そのつくねは、恭四郎が作ってくれたんだ」
「こないだ居酒屋で食ってうまかったの、まねしてみた」
 恭四郎は器用なのだ。買い置きの材料だけで工夫して、ささっと気の利いた一品をこしらえてみせる。センスがあるのだろう。父の遺伝かもしれない。
 同じ血をひく真次郎のほうは、残念ながらその資質を受け継いでいない。
 台所に立つときも、父の指示に従って手を動かすだけだ。野菜を洗ったり、鍋の中身をまぜたり、子どもの手伝いと大差ない。センス云々(うんぬん)の前に、食にそこまで関心がないということもある。出されたものは、なんでもありがたくいただく。「また鍋?」などと、心ない発言もしない。
「へえ。すごくおいしい」
「生姜(しょうが)がきいてるね」
 母も優三郎もくちぐちに褒める。
「分量とか、適当だけどね。メモしとけばよかったな」
 本人もまんざらでもなさそうだ。
 末っ子というのは得な身分だ。わが家の場合、年齢差もかなり開いている。恭四郎と優三郎は五歳、真次郎とは七歳も違う。兄たちと同じことをやっても、「えらいね」「すごいじゃない」とちやほやされて、のびのびと育った。ちやほやしてしまった真次郎たちの責任でもあるのだが。
「真ちゃんも食べなよ」
 恭四郎が真次郎の取り皿につくねを放りこんだ。
 嬉々として食いつくのも癪(しゃく)なので、自分でよそったねぎとえのきを先に食べる。「ねえ、食べないの?」と恭四郎に催促され、しぶしぶ口に運んだ。
「うまい」
 不覚にも、声がもれた。
「でしょ?」
 恭四郎が得意げに言う。
「まだあるよ、もっと食べなよ。ビールも残ってる?」
 冷蔵庫から冷えたビールをとってきて、かいがいしく酌をしてくれる。ちゃっかりおいしいところを持っていく一方で、たまに絶妙な気配りを見せる、この要領のよさも得なんだよなあ、とつくづく思う。
「肉ももうちょっと追加するか。食えるよな?」
 父が鍋の中をのぞいてたずねる。食える、と息子三人の声がそろう。
「やっぱり、みんなで食べるとおいしいねえ」
 母が満足そうに食卓を見回した。湯気で頬がつやつやと紅潮し、いつになく若やいで見える。
 午前中に会った金子夫人の憔悴(しょうすい)しきった表情が、ふと真次郎の脳裏をよぎった。
 うちは、平和だ。お客様とわが家を比べるなんて、失礼だし申し訳ないけれども、そう実感せずにはいられない。金子と母が同い年なので、つい重ねてしまうところもあるかもしれない。
 年齢は同じでも、母が金子のような苦境に陥ることは、およそ考えられない。
 父は生涯現役をめざすと公言し、生き生きと働いている。老親の介護問題とも無縁だ。父の両親は真次郎が生まれる前に他界している。養護施設で育った母にいたっては、親の顔すら知らないという。そうとう苦労したに違いないが、当人は湿(しめ)っぽい思い出話を一切したことがない。いないならいないでなんとかなるもんよ、とさっぱりと言い切ってみせる。母も、父とはまた違う感じで、腹が据わっているのだ。
 そして息子たちも、まずまずうまくやっている。
 真次郎は金子家の婿(むこ)とは違って、不倫なんか絶対にしない。そもそも、占い師として一人前になるまで身を固めるつもりもない。十代の頃は家にひっこみがちだった優三郎も、就職先が肌に合ったようで、きちんと働いている。恭四郎はああ見えて抜かりないから、うっかり子どもができてしまうようなことはないはずだ。
 それから、ここにはいないもうひとりも、たぶん元気でやってはいるのだろう。具体的になにをやっているんだか、真次郎はよく知らないけれども。

(つづく) 次回は2022年8月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 瀧羽麻子(たきわあさこ)

    2007年『うさぎパン』で、第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞し、デビュー。19年『たまねぎとはちみつ』で第66回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞。作品に『ふたり姉妹』『あなたのご希望の条件は』(いずれも祥伝社)、『女神のサラダ』『ありえないほどうるさいオルゴール店』『もどかしいほど静かなオルゴール店』『博士の長靴』など多数。