物語がつまった宝箱
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  • 3(2) 2022年10月15日更新
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 どんな顔をして金子(かねこ)の希望を父に伝えたらいいものか、真次郎(しんじろう)にはわからなかった。普通に、と思うのだが、意識すればするほど表情がこわばる。
 父のほうは、普通だった。
「そうか。だったら、こっちで担当するよ」
 と、さらりと言った。
 息子への心遣いだろう。慰(なぐさ)められても励(はげ)まされても、真次郎はますますみじめになるだけだ。
 父に担当してほしいと希望する客は、はじめてではない。
 理由はひとによりけりだ。父の著作や、雑誌の紹介記事などを読んだとかで、問いあわせが入ることもある。常連の紹介であれば、あらかじめ評判が伝わっていて、「ぜひ豊泉(ほうせん)先生に」と所望される場合も多い。
 父と真次郎のどちらが担当につくかは、初回の来店にあたって決める。一度決めたら、原則として代わらない。それまでの経過を把握できているほうが占いやすいし、客との関係も安定する。
 現在、新規に受けつける客は、もっぱら真次郎が引き受けている。父のほうの予約枠は、長年通ってくれている常連客でほぼ埋まってしまっているからだ。ただ、問題がめでたく解決して占いに頼る必要がなくなった客や、なにかの事情でふっつりと姿を見せなくなる客もいるので、まったく空きがないということでもない。そうでなくても、昔からのなじみということは、先方もそれなりに年齢を重ねているわけで、健康上の理由で来店が間遠になったりとだえたりもする。
 よって、予約の時点で特に父を指名された場合には、おおむね断らなくてすんでいる。不思議なことに、固定客がなんとなく減ったなと思っていたら、またじわじわと新しい客が入ってくる。客足は日によって差はあれど、数カ月単位でならしてみれば、真次郎が東泉堂(とうせんどう)で本格的に働き出して以降、大きくは変わっていない。
「ちょっと変な言いかたかもしれないけど、そもそも手に余る仕事は回ってこないようにできてるんじゃないかと思うよ。量的にも、質的にも」
 まだ見習いだった頃に、父から言われたことがある。
 質的にも、と明言したのは、真次郎に対する激励の意味もあったのだろう。もちろん、難しい仕事はある。手のかかる仕事もある。ただ、どんなにがんばっても手も足も出ないというようなことはないはずだ、というのだった。
「めぐりあわせ、っていうのかな。なにか大きな、見えない力が働いて、うまくバランスをとってくれてる気がする」
 客たちもまた、その「めぐりあわせ」によって東泉堂へ引き寄せられてくる。占いというものは、それを必要としているひとに、また必要としているときに、届くようにできていると父はつねづね言っている。
 真次郎としても、大いなる力に抗(あらが)うつもりはない。
 はなから父を指名されるのはしかたない。一度会ってみた後でどうもしっくりこない、というのもまだわかる。人間どうしのことなので、当然ながら相性というものがある。もっと経験豊かな占い師がいいとか、四柱推命も試してみたいとか、もっともな理由があったりもする。父の論法に従うなら、真次郎にとっては「手に余る」仕事だった可能性も否めない。
 しかし金子の場合は、順調に進んでいる手ごたえがあった。予約日を間違えるという偶然さえなかったら、おそらく彼女の頭に担当を代えてほしいという考えは浮かばなかったはずだ。
 裏切られたとまではいわない。ただ、むなしいというか、やるせないというか、割り切れない気分が真次郎の胸を濁らせる。
 不満があったわけではない、と金子はすまなそうに言っていた。
 あれは真次郎への配慮だったに違いないが、なにかしら不満があったほうがまだましだったかもしれない。その不満を解消すべく、努力すればいい。でも、これといった不満がないにもかかわらず、それでも父に軍配が上がったとなると、真次郎には手の打ちようがない。
 東泉堂で見習いとして働き出したばかりの頃、幾度か父の鑑定に同席させてもらったことがある。
 真次郎の目には、父と客がまるで友人どうしのように映った。見学を許可してくれるほどだから、相応に親しい相手ばかりだったのだろうが、それにしても、誰もが長年の旧友みたいに見えるのは驚きだった。父が明るくひとなつこいのはふだんと変わらないが、向こうも気を許しているのが伝わってきた。占いの客は皆こんなふうなのかと危うく勘違いしそうになったけれど、よく考えたらそんなはずがない。
 今となっては、真次郎にも常連と呼べる客が何人もいる。信頼関係も築けている、はずだ。けれど、彼らと真次郎の距離は、父とその客たちほど近くない。この先、もっと近づけるとも思えない。
 父にはかなわない、とよく思う。
 経験が違うんだからあたりまえだ、と当の父には笑われる。でも、父と真次郎の差は、はたして経験だけによるものなのか。
 真次郎は今年、二十八歳になる。同じ二十八歳のときに、父はひとりだちして東泉堂を立ちあげている。
 父が占いというものに出会ったのは、十七、八歳のときだったという。
 真次郎のほうは、占い師の父のもとで生まれ育ち、物心がついたときからなじみはあった。とはいえ、たぶん多くの子どもがそうであるように、父親の職業について深くは知らなかった。積極的に知ろうとすることもなかった。父が家でまったく仕事の話をしなかったせいもある。
 真次郎が占いの世界に興味を持った、すなわち実質的に「出会った」といえるのは、父と同じ、十七歳のときだ。

 それまではずっと、真次郎は占いではなく野球に夢中だった。小学一年生のときから町内の少年野球チームに入っていたし、中学では野球部の主将までつとめあげた。高校を選んだ決め手も、野球だった。真次郎の通っていた公立高校は、県大会でも常に上位の成績をおさめる強豪で、甲子園にも出場経験があった。
 中学時代からすでに野球を中心に回っていた真次郎の生活は、高校では完全に野球一色となった。一年生の終わりにレギュラーのポジションを手に入れたときには、涙が出た。うれしくて、誇らしくて、いよいよ練習に打ちこんだ。
 夏の甲子園行きがかかった地方予選大会の決勝戦で、けがをするまでは。
 直後の記憶は、まだらになっている。あまりにも衝撃が大きすぎたのだろう。試合中のグラウンドからどのように運び出されたのか、どうやって病院まで行ったのか、どんな処置や検査を受けたのか、そうとう激しかったはずの傷の痛みすらも、真次郎はほとんど覚えていない。
 ただひとつ、鮮やかに思い出せるのは、診断結果を告げられたときの絶望だ。
 左膝(ひざ)の複雑骨折だった。手術をすれば日常生活には支障ないはずです、ただし今までどおりに野球を続けることは難しいでしょう、と医師は言った。
 比喩(ひゆ)でもなんでもなく、目の前がさあっと暗くなった。
 医師は真次郎の顔を見て、趣味としてやるくらいなら問題ありません、と慰めるようにつけ加えた。手術後のリハビリしだいですが、おそらくは。
 なんの慰めにもならなかった。当時の真次郎にとって、野球は趣味ではなかった。すべてだった。
 ひと月ほど、入院生活を送った。
 手術は成功したと聞かされても、気は晴れなかった。かわるがわる見舞いに来てくれる家族や友達から、腫れものに触るように扱われるのも億劫(おっくう)だった。漫画もゲームもSNSも、野球の合間に無理やり時間を捻出していた頃には魅力的だったなにもかもが、今となってはうそみたいにつまらなかった。テレビやインターネットは、うっかり野球のニュースを目にしてしまうのがこわくて、見る勇気が出なかった。
 その日は、朝方に父が三十分ばかり様子を見にきたきり、誰も姿を見せなかった。ひとりで時間を持て余していた真次郎は、手持ちぶさたに父の持ってきてくれた紙袋をのぞいてみた。
 袋の中には、着替えやタオルにまじって、本が一冊入っていた。占いにまつわる内容だというのは、タイトルで見当がついた。父が特になにも言わなかったということは、真次郎のための差し入れではなさそうだ。出かけるときに他の荷物とまとめて袋に入れたまま、取り出すのを忘れたのだろう。前にも一度、そんなことがあった。
 真次郎はなにげなく本を手にとった。数人の共著らしく、表紙に著者名が並んでいた。中ほどに東(あずま)豊泉の名前もあった。父の名が添えられた章を目次で確認して、ページをめくってみた。
 あれもまた、「めぐりあわせ」だったのかもしれない。
 真次郎の知りたかったことが、そこには記されていた。なぜこんなことになってしまったのか――けがをしてこのかた、真次郎の脳内に居座っている問いの答えが、書いてあったのである。
 科学では説明しきれないことが世の中には存在する、と父は書いていた。
 たとえば、大事な試験の当日に、高熱が出たとする。発熱したのはインフルエンザのせいで、インフルエンザにかかったのはウイルスに感染したせいで、感染したのは空気中のウイルスを吸いこんだせいで、空気中にウイルスが漂っていたのはインフルエンザにかかった誰かがその近くで咳(せき)をしたせいだ。科学的な因果関係をたどっていくなら、そういうことになる。
 しかし、そうして発熱の原因を突きとめられたところで、本人は納得できるだろうか。一番知りたいのは、どうしてよりにもよって試験日に熱が出たのかというところだろう。その疑問に、科学は明快な回答を与えることができない。
 医師から診断の結果を説明されたとき、真次郎も同じように感じた。
 野球をあきらめざるをえないのは、全力で走ったり跳んだりできなくなったせいだ。全力で走ったり跳んだりできないのは左膝を骨折したせいで、左膝を骨折したのは強い負荷がかかったせいで、強い負荷がかかったのは転んだ拍子に足がおかしな角度にねじれたせいだ。
 でも、なんでよりにもよって、このおれが?
 おれが悪いんだ、と自答すると、膝の痛みは倍増した。
 他の誰のせいでもない。自分で走って、自分で転んだ。あそこでつまずきさえしなければ、もっとじっくり準備運動をして念入りに足をほぐしていたら、あるいは日頃からもっと筋肉を鍛(きた)えておけば、こんなことにはならなかったんじゃないか。
 あの頃の自分を振り返ると、真次郎は胸が詰まるような心地になる。
 なにもかも自己責任だと思い詰めたのは、なにもかも自分でコントロールできると信じていたからにほかならない。ある意味、傲慢(ごうまん)だった。思えば、けがをする前から真次郎にはそういうところがあった。努力を過信していた、とも言い換えられるかもしれない。一生懸命がんばりさえすれば、必ずそれに見合う成果がついてくるはずだと信じていた。逆に、はかばかしい結果が出ないのは、がんばりが足りていないせいだと解釈した。自分のみならずチームメイトのことも、そういう目で見ていた。
 そうじゃないかもしれない、と父の文章は思わせてくれたのだった。もちろん、個人の努力や意志も大切だ。ただ、それとは関係なく、突如として理不尽な不幸が降りかかってくることもありうるのだ、と。
 そこでまた、真次郎は新たな疑問につきあたった。
 仮に、自分の力ではどうにも動かしようのない運命が存在するとして、そんなものを占うことになんの意味がある?

「難しい質問だな」
 と、父は言った。
 翌日も父は病室に来てくれた。真次郎が本を渡すと、「おっ、ここにあったか。捜してたんだよ」とのんきに言った。
 そこで、真次郎は思いきって質問をぶつけてみたのだった。
「占い師によって、いろんな考えかたがある。というか、運命っていうものをどうとらえるかによるな」
 父はベッドの傍(かたわ)らに置いてある椅子(いす)に腰かけると、膝の上に本をのせた。
「たとえば、運命が本みたいなものだとしたら」
 表紙を手のひらでなでる。
「ひとり一冊ずつ、生まれてから死ぬまでに起きることが、全部あらかじめ書かれてる。つまり、人生の物語ってことだな。そうなると、占いっていうのは、どこかのページを開いて読んでみせるってことになるのかもしれない」
 このけがもどこかに書かれてたってことになるんだな、と真次郎はぼんやり考えた。ぞっとする。
「そうやって、すべてが確定してるっていうのも、ひとつの考えかたなんだけど」
 父が本をぱらぱらとめくって、また閉じた。
「お父さんのイメージは、またちょっと違う。運命っていうのは、花壇みたいなものじゃないかな」
 窓辺の花瓶に目をやる。瑠奈(るな)が持ってきてくれたひまわりが活(い)けてある。
「花壇?」
 真次郎は面食らって聞き返した。本のほうがまだわかりやすかった。
「うん。お父さんは昔、師匠からそう教わったんだ」
 運命の花壇は、ひとりひとりが生まれたときにもらい受ける。場所は、自分では選べない。寒いところかもしれないし、高い山のてっぺんかもしれないし、川のほとりかもしれない。土の質もさまざまだ。肥沃(ひよく)な土壌だったり、石ころだらけだったり、からからに乾燥していたりする。
「人間、どこに生まれてくるかは選べないだろ? どの国か、どこの街か。どんな家で、どんな親かも」
 真次郎にも、たとえ話の意味がおぼろげにわかってきた。
「花壇の状態が違うみたいに、生まれついた環境はひとそれぞれってこと?」
「そのとおり。で、どの花壇にも、たくさん種が埋まってる」
 いわば可能性の種だよ、と父はにっこりして言った。
「芽さえ出れば勝手にすくすく育ってくれる強い種もあるし、たとえ芽が出ても大事に世話してやらないとすぐ枯れる種もある。埋まったまま発芽しないで腐るのもある」
 それぞれの種がどう育っていくか、予想するのは難しい。
 無数の要因が、複雑にからみあっているからだ。どれだけ土を耕(たがや)
すか、水や肥料はどのくらいやるか、間引きや剪定(せんてい)はどうするか。天候に恵まれるか、陽あたりや風通しはどうか、そもそも花壇のある土地の気候や土壌に合った品種なのか。
 思いもよらない事態も、絶えず起きる。伸びすぎた一株の陰になって、周りの新芽が枯れていく。病気でしおれかけていた葉が肥料の力で持ち直す。時には暴風雨に襲われて、順調に育っていた茎(くき)がぽっきりと折れてしまう。
「自分ががんばって、どうにかできることもある。どんなに手を尽くしても、どうにもならないこともある」
 水やりの頻度(ひんど)や肥料の量は調整できても、天気は変えられないのだ。
「占いで、それがわかるってこと?」
「なにからなにまで完璧に、ってわけにはいかないけどな」
 まずは、その花壇をよく観察する。どんな気候で、どんな土で、どんな種が埋まっていそうなのか、言い換えるなら、生来の環境や資質を探る。それから、苗の育ちぶりや天気のぐあいを見比べつつ、今後どうなりそうかも予測していく。
「おれの花壇には、野球の種が埋まってたんだね」
 真次郎はつぶやいた。
「そうだな。真次郎が大切に世話して、立派な花が咲いた」
「もう枯れちゃったけどね」
 応えながら、ちょっと泣きそうになってしまった。
「残念だけど、そういうこともある」
 真次郎の目をまっすぐに見て、「でも」と父は続けた。
「全部が全部、ゼロになるわけじゃない。きっと土に還(かえ)って、次の種を育てる養分になってくれる。種をしっかり育てた経験も、身についてる」
 と、静かに言った。
「今こんなこと言われたって、そう簡単には割りきれないだろうけど」
 確かに、割りきれたわけではなかった。まだ悲しい。悔しい。膝も痛む。それでも、真次郎の気分は少しだけましになっていた。
「お父さんには、わかってたの?」
 思いついて、聞いてみた。
「おれが骨折するってこと。占いで」
「まさか」
 父は言下に否定した。本人に頼まれない限り、誰かのことを勝手に占ってはいけないのだという。
「じゃあ、もしおれが頼んだら、占ってくれた?」
「そりゃ、頼まれたら断りはしないけど」
 父は首をかしげた。
「でも、占ってほしかったか?」
「いや」
 真次郎は首を振る。
 父に占ってもらったところで、結局はなにも変わらなかっただろう。けがをするかもしれないから野球をやめろと命じられたとしても、あの決勝戦には出るなととめられたとしても、真次郎は耳を貸そうとはしなかったに違いない。
 そうだ、だから、後悔しなくていいのかもしれない。けがをしたことも、それに、心をこめて野球の種を育ててきたことも。
「どんな結果でも気にしないんだったら、占っても意味がないだろう? 必要な人間にだけ届くのが、占いなんだ」
 父の言うとおりだった。まさにあの日、真次郎のもとに、占いの世界から招待状が届いたのだろう。
「お父さん、おれのこと占ってくれない?」
 この機会に、花壇を見直そう。激しい嵐が去った後で、次はどんな花を咲かせられるだろう。

	***

 すさまじい嵐だ。
 荒天のせいで、日中から首都圏の交通機関は大混乱だった。配送のトラックも軒並み遅れてしまっていて、優三郎(ゆうざぶろう)は三時間の残業を余儀なくされた。
 ようやく作業が終わり、急いで私服に着替えた。通用口から外に出る。すぐそばのバス停まで走る間に、足もとがびしょ濡れになった。横殴りの雨で、傘がほとんど意味をなさない。
 停留所の屋根の下へ駆けこんで、一息ついた。
 誰もいない。時刻表を見ると、あいにくバスは行ってしまったばかりのようだった。駅と港を結ぶこの路線はわりと利用客が多く、もっと早い時間なら十分も待たずに乗れるところだが、午後九時台となると二本しかない。次は三十分後だ。
 ついてない。
 疲れたせいか、低気圧のせいか、頭痛までしてきた。とりあえず家に連絡を入れておこうとかばんを探っていると、道を走って来た車が目の前で停(と)まった。
 車高が低めの、赤い車だった。あたりが暗い上、優三郎は車に詳しくないので車種はわからないが、2シーターの、いわゆるスポーツカーだ。
 車の窓がするすると開いた。見覚えのある顔がのぞく。
「今、帰り?」
 運転しているのは土屋(つちや)だった。空いている助手席に左手をつき、身を乗り出すようにして優三郎を見上げている。
「乗って。家まで送る」
「いいです、おかまいなく」
 優三郎はあわてて辞退した。
「遠慮しないで。この時間だし、バスもなかなか来ないでしょう」
 遠慮しているわけではない。優三郎は車が苦手なのだ。
 父や母が運転する車に乗るのはいい。バスも問題ない。タクシーも、後部座席なら大丈夫だ。
 大丈夫じゃないのは、普通の乗用車に、家族以外の誰かとふたりで乗ることである。
「乗って。早く」
 土屋が急(せ)かす。声がわずかに険(けわ)しくなっている。こんな時間まで働いて、土屋も疲れているに違いない。
「ありがとうございます」
 優三郎は観念した。これ以上固辞するのも感じが悪いだろうし、押し問答で時間をとらせるのも申し訳ない。土屋だって早く家に帰りたいに決まっている。それなのに、親切心でわざわざ車を停めて、送ろうと申し出てくれているのだ。
「おじゃまします」
 優三郎は体をかがめて、助手席に乗りこんだ。
 なめらかな革のシートはいかにも上等そうだ。濡らしてしまわないように、急いでドアを閉める。雨音が遠のく。
 優三郎がシートベルトをしめると、車はすべるように走り出した。
「東くんって、主任と親しかったの?」
 進行方向から目を離さずに、土屋が口を開いた。
 優三郎が答えあぐねていると、「ええと、わたしじゃなくて、前の主任のことだけど」と言い直された。それはちゃんとわかっている。即答できなかったのは、質問の意味がのみこめなかったからではなく、難易度が高かったせいだ。
 優三郎にしてみれば、主任は間違いなく職場で一番親しい相手だったけれど、逆はあてはまらないだろう。主任にとって、優三郎は仲のいいほうから数えて十番目、いや二十番目にすら入らないかもしれない。一方的に「親しい」と言うのはおこがましい気がしてしまう。
「いろいろとよくしてもらってました」
 優三郎は慎重に答えた。
「東くんがバイトしてた頃からのつきあいなんだって?」
「はい」
「かなり買ってたみたいだね、東くんのこと。困ったことがあったら東に聞いてみろ、って言われたもの」
「僕に、ですか?」
「うん。周りをよく見てるし、口も堅いからって」
 ものは言いようである。優三郎がなにかと周囲をうかがってしまいがちなのは、思慮深いわけではなく臆病なせいだし、口が堅いというよりは、単に気安く話せる相手がいないだけだ。
「そんなことはないですけど」
 困惑している優三郎にはおかまいなしに、土屋は続ける。
「だから、東くんの意見が聞きたくて。ここでうまくやってくためには、わたしはどうすればいいのかな?」
 ちょうど赤信号にひっかかって、土屋が優三郎のほうへ顔を向けた。ひどく真剣なまなざしだった。
 車に乗せてくれたのは、純然たる厚意だけではなかったのかもしれない。そのほうが優三郎としても気は楽だが、しかし返礼として、役に立つ「意見」をのべなければならないだろう。
「今のままで、いいんじゃないですか」
 おそるおそる言ってみた。おせじではない。異動してきてから三カ月、新主任の評判は上々なのだ。
 細かいところまで目配りを怠(おこた)らず、現場のトラブルも手際よくさばいていく。取引先や本部と衝突したときも、矢面(やおもて)に立って交渉してくれる。有能なのに、ちっともいばらないのも好感度を上げていた。異動してきた当初から女性社員には歓迎されていたけれど、最近では男性社員にも一目置かれるようになっている。
「そうかな? ほんとに大丈夫?」
「はい。そう思います」
 土屋はしばし黙りこんでから、小さな声で言った。
「ありがとう」
 信号が青に変わった。
 土屋の運転は巧みだ。父のようにしょっちゅう急ブレーキをかけない。母のように飛ばしすぎない。真次郎のように他の車のマナー違反に悪態をつくこともない。加速も減速もなめらかで、ほとんど振動を感じない。目を閉じれば、車に乗っているということを忘れてしまいそうだ。
 とはいえ、上司に車を運転させておいて、のんびり目を閉じているわけにもいかない。
 その後も、ぽつぽつと会話をかわした。会話といっても、話しているのはほとんど土屋だった。さまざまな話題について、とりとめもなく喋(しゃべ)る。最初のように答えづらい質問をぶつけられることはもうなかった。優三郎はたまに相槌(あいづち)を打つくらいで、もっぱら聞き役に徹していた。
 他愛のない世間話をしているうちに気がゆるんできたのか、会社に対する愚痴(ぐち)や文句ととれるようなつぶやきもまじりはじめた。仕事中の印象と違って意外な気もしたが、優三郎がつべこべ言える立場でもない。あれだけ精力的に働いていれば、ストレスもあって当然だろう。
 それに正直なところ、優三郎は話に集中できていなかった。
 頭痛はどんどんひどくなっている。動悸(どうき)もする。土屋に気づかれないように、窓のほうに顔を向けて息をととのえた。家までもつだろうか。車の中で吐くことだけは、なんとしても避けたい。
 こんなふうになってしまったのは、小学二年生のときからだ。

 あの日も優三郎は体調が悪かった。朝から全身がだるく、頭もぼんやりしていた。熱はなかったのでがまんして登校したが、症状はおさまらなかった。むしろ、ますますひどくなった。
 ふだんは、隣のクラスの瑠奈と一緒に下校していた。瑠奈の担任はなにかにつけて話が長いので、たいてい優三郎のほうが先に教室を出て、廊下で待っている。でもその日はあまりにもしんどくて、ひとりで先に帰ることにした。同じように友達を待とうとしているクラスメイトに伝言を頼み、学校を出た。
 夏休みを間近にひかえた、暑い日だった。外はよく晴れていて、蝉(せみ)の声がやかましかった。歩いているうちに全身から汗が噴き出し、いよいよ気分が悪くなってきた。家まであと少しというところで、とうとう道端でしゃがみこんでしまった。
 そこで、声をかけられた。
「ぼく、大丈夫?」
 優三郎が顔を上げると、母親と同じくらいの年代の、見知らぬ女性が立っていた。
「立てる?」
 腰をかがめて、片手をさしのべてくる。ふっくらした指に、石のついた指輪がいくつもはまっていた。
 助けてもらうのはなんとなく恥ずかしい気がして、優三郎はどうにか自力で立ちあがった。頭がくらくらして、足もとがふらついた。
「おいで。おうちまで送っていってあげる」
 女は優しく言うと、優三郎の背中に手を添えて横を向かせた。
 見れば、建物の間に狭い路地がのび、その先に車が停まっていた。朦朧(もうろう)としながらも、優三郎は後ずさった。知らないひとの車に乗ってはいけない、と両親にも先生にも言い渡されている。
 でも、いつのまにか、強い力で肩を抱かれていた。香水なのか、おしろいなのか、化粧品のにおいが鼻をついた。
「ね、行きましょう」
 顔をのぞきこまれて、優三郎は声を失った。赤ん坊をあやすような、甘ったるい猫なで声とはうらはらに、目がぎらぎらと光っていて異様だった。
「大丈夫よ。心配しないで」
 早く逃げなければとあせるほど、体に力が入らなかった。優三郎は半ばひきずられるようにして車まで連れていかれ、助手席に押しこまれた。
 車内は冷房が利いていた。汗ばんだ手足にたちまち鳥肌が立った。女の体から漂ってくるのと同じ化粧品のにおいが車の中にも充満していて、息が詰まった。
「シートベルトをしめてね」
 運転席に乗りこんだ女が言った。
 なけなしの力を振りしぼり、優三郎は首を横にぶんぶん振った。手も足もしびれたように動かないので、それがせいいっぱいの抵抗だった。
「できないの? しょうがないわねえ、やってあげる」
 女はくすくす笑った。優三郎の体に覆いかぶさるようにしてシートベルトに手を伸ばしかけ、ふと動きをとめる。
「こわいの? 震えちゃって」
 鼻先がくっつきそうなほど顔を近づけて、まじまじと優三郎を見つめた。
「どうして。こわがることなんか、なんにもないのに」
 憑(つ)かれたような、熱っぽい目つきだった。
「ああ、かわいい」
 女は陶然とため息をつき、優三郎に頬ずりした。
「なんてかわいいの」
 そのまま、ものすごい力で抱きしめられた。体がつぶされてしまいそうだった。苦しくて、おそろしくて、優三郎は身じろぎもできなかった。
 どん、と鈍い音が響いたのは、そのときだった。
 女の腕の力がゆるんだ。優三郎は体をよじって顔をそむけ、げほげほと噎(む)せた。涙がにじんだ。
 窓の向こうに、瑠奈がいた。必死の形相(ぎょうそう)で、ガラスをたたいている。優三郎、と呼ぶ声もかすかに聞こえた。

 女はその場で逮捕された。
 瑠奈が思いきり騒いでくれたおかげで、通りすがりのおとなたちも車の周りに集まってきて、そのうちの誰かが警察に通報したらしい。ぐったりしている優三郎のために、救急車も呼ばれた。
 搬送先の病院で、優三郎は両親に付き添われて事情聴取を受けた。病室へ入ってきた刑事は、まるでテレビドラマから抜け出てきたかのような、小太りの中年男とのっぽの若者の二人組だった。
 優三郎が車の中でなにをされたのかを、ふたりは知りたがった。手当を受けて体調はいくらか回復していたものの、記憶をたどろうとすると優三郎の頭はずきずきと痛んだ。かといって、深刻そうな顔つきのおとなたちに取り囲まれて、黙っているわけにもいかなかった。
「抱きつかれました」
 優三郎はどうにか答えた。
「それはお友達も証言してくれたよ」
 年嵩(としかさ)の刑事がうなずいた。瑠奈のことだろう。
「他には?」
 若いほうの刑事が聞いた。
「体をあちこちさわられたり、痛いことをされたりしなかったかな?」
 優三郎は首を横に振った。両親も、刑事たちも、病室の中にいた全員がほっとしたように表情をゆるめた。
 それ以外にもいくつも質問されたけれど、あとは思い出せない。その後どうなったのかもよく覚えていない。あの女が優三郎の前に現れることはもう二度とない、だから心配しなくていい、と両親に言われ、それ以上詳しくたずねようという気は起きなかった。これも両親に言われたとおり、早く忘れてしまおう、と思った。
 たいしたことじゃない。
 あの日からずっと、優三郎は自分にそう言い聞かせてきた。何度も、何度も、数えきれないほど。
 どこか遠くへ連れ去られたわけじゃない。車の中に閉じこめられていたのは、たかだか数分にすぎないだろう。暴力をふるわれたり、おどされたり、命の危険にさらされたりしたわけでもない。頬ずりされて、抱きしめられただけだ。テレビのニュースでは、もっとひどい目に遭った子どもの事件が日々報道されている。
 たいしたことじゃない。いいかげんに、乗り越えなくてはいけない。あれからもう、十五年以上も経(た)っている。
「このへんだよね?」
 土屋に話しかけられて、優三郎はわれに返った。
 とっさに、窓の外に目をやる。瑠奈はいない。ガラスに打ちつけられているのは、小さな手のひらではなく大粒の雨だ。
 あたりまえだ。これは男児をねらう変質者ではなく、職場の上司が運転する車だ。そして優三郎は小学生ではなく、二十五歳の立派なおとなである。
「あ、ここで大丈夫です」
 大通り沿いで車を停めてもらった。住宅街の中まで入ってしまうと、道が入り組んでいてややこしい。
 シートベルトをはずし、ドアを開けて涼しい外気を吸いこんだら、少し気分がよくなった。雨もだいぶ小降りになっている。
「ありがとうございました。助かりました」
「こちらこそ、ありがとう。いろいろ聞いてもらっちゃって」
「いえ、そんな」
 優三郎はもごもごと受け流した。半分以上は気もそぞろだったから、聞いたうちに入らないだろうけれど、そんなことを言うわけにもいかない。
 降りしきる雨の中を、赤い車は優雅に走り去っていった。
 おじぎして見送りながら、いい機会だったかもしれない、と思った。こうやって少しずつ慣らしていかないと、いつまで経ってもこの古傷を克服できない。

	****

 降りしきる雨のせいか、早めの時間帯のせいか、店内に客の姿はなかった。
「いらっしゃいませ」
 営業用の声で出迎えてくれた瑠奈は、入ってきたのが恭四郎(きょうしろう)だと見てとるなり、しらけたように顔をしかめた。
「なあんだ。恭四郎か」
 スナック星月夜(ほしづきよ)は、カウンター四席とボックス席がふたつきりの、こぢんまりとした店である。
 初代店主は瑠奈の祖母で、現在は二代目の月子(つきこ)ママが娘の瑠奈とふたりで切り盛りしている。東泉堂からも程近く、父と真次郎もときどき飲みにきているようだ。
「なあんだ、ってなんだよ。お客様じゃん」
 恭四郎はカウンター越しに抗議した。入口に一番近い、端のスツールをひいて腰を下ろす。
「あいにく、当店はお子様向けの店じゃございませんので」
 瑠奈がわざとらしく慇懃(いんぎん)に答え、おしぼりを渡してくれた。
「お子様じゃないって。もう二十歳(はたち)だし」
 なにかと子ども扱いするのは勘弁してほしい。
「大学生はまだ子どもでしょ」
 瑠奈はにべもない。
 瑠奈は高校を卒業した後、大学には進学せず、港の近くにあるショッピングモールの服飾店に二、三年勤めていた。その後、祖母の死をきっかけに、店を辞めて星月夜で働き出したのだ。
 瑠奈も大学に行こうよ、と高校時代に優三郎はたびたび誘っていた。やだよ、勉強きらいだもん、とすげなく断られているのを、恭四郎も一度ならず目撃している。
 きらいだというだけあって、中学でも高校でも、瑠奈の成績は惨憺(さんたん)たるものだったそうだ。このままでは留年するかもしれないと聞きつけて、放っておけなくなった真次郎が勉強を見てやっていたこともあった。教えればのみこみは悪くないらしく、「やればできるのに」とぶつくさ言っていた。「だって、やる気が出ないんだもん」と瑠奈はすまして受け流していた。
「おばさんは?」
 店内を見回して、恭四郎は聞いてみた。客ばかりではなく店主の姿も見えない。
「そろそろ来ると思う。昨日飲みすぎたっぽくて、へばってた」
 年だね、と瑠奈は容赦(ようしゃ)なく言いきった。月子ママは恭四郎たちの父と同い年である。
「腹へった。なんか食わせて」
 スナックなので酒のあてが中心だが、サイドメニュウもいくつかあるし、頼めば焼きそばやお茶漬けなんかも作ってくれる。客の大半は地元の常連で、よくも悪くもなんでもありの店だ。
「家で食べないの?」
「今日はみんな遅いんだって」
 父と真次郎は顧客と会食で、母は同僚と飲みに行くという。家にもなにかしら食べるものはあるけれど、恭四郎はバイト帰りに星月夜に寄ろうと朝から決めていた。瑠奈に話しておきたいことがある。
「恭四郎は、大学の帰り?」
「いや、バイト。学校は今週から夏休み」
「もう? いいな、学生さんは」
 お通しにイカの煮つけを出してもらい、まずはビールを注文した。瑠奈が冷蔵庫から重たげな黒い瓶を出す。星月夜には生ビールを置いていない。
「あたしもごちそうになっていい? 今日はひまそうだし」
 瑠奈がグラスをふたつ出した。手際よくビールの栓を抜き、なみなみと注(つ)いでくれる。プロだけあって美しい泡が立つ。
「乾杯」
 瑠奈の音頭で、互いのグラスを軽く打ちつけた。瑠奈は一気に半分ほどを、のどを鳴らして旨(うま)そうに飲んだ。
「そういえば、相変わらず女の子を泣かせてるんだってね?」
「優ちゃんに聞いたの?」
 口どめしておけばよかったと悔(く)やんでも、もう手遅れだ。優三郎はなんでも瑠奈に喋ってしまう。
「別に泣かせてないって」
 向こうが勝手に泣いただけ、と心の中で言い足した。瑠奈もとがめるつもりではなかったようで、にやにや笑っている。
「さすが、恭四郎だね」
 恭四郎はほっとしながら切り返した。
「瑠奈ちゃんのほうは? 最近どう?」
「元気だよ」
「優ちゃんとは仲よくやってる?」
「優三郎と? 別に、普通だけど?」
 瑠奈が首をかしげた。恭四郎の声に含みを感じとったのかもしれない。
「先週さ」
 恭四郎はビールをあおり、口を開いた。
「なんか変なの見ちゃったんだけど、おれ」
 瑠奈が目をすがめる。
「変なのって?」
 今日と同じ水曜日の、あれは七時前くらいだっただろうか。梅雨どきにしては珍しく一日晴れていて、夕暮れの空はまだほんのりと明るかった。
 恭四郎が家に帰ってきたら、門の数メートル手前に、真っ赤なスポーツカーが停まっていたのだった。
 のどかな住宅街のど真ん中で、色もかたちも派手な車は明らかに浮いていた。なんでこんなところに、といぶかしみつつ横を通り過ぎようとして、ぎょっとした。
 助手席に優三郎が乗っていた。
 恭四郎は歩調をゆるめて、さりげなく運転席のほうもうかがってみた。きれいな女のひとが座っている。優三郎よりもいくつか年上だろうか。ふたりとも恭四郎には気づかず、なにやら話しこんでいた。名残惜しくて別れをひきのばしている風情に、見えなくもなかった。
「ああ、職場のひとじゃない? この春から倉庫に異動してきたっていう」
 瑠奈が平然と言ったので、恭四郎は拍子抜けした。
「知ってたんだ?」
 玄関で待ちかまえていた恭四郎が問い詰めると、優三郎は視線から逃れるように目をふせて、「会社のひとだよ」と歯切れ悪く答えた。
 なにかあるなと恭四郎は確信した。単なる同僚にしては、やけに親しげだった。さらに追及したところ、前にもこうして送ってもらったことがあると優三郎は白状した。ますますあやしい。
 これは、瑠奈の耳にも入れておかなくてはいけない。
 とはいえ、勇んで告げ口するのも子どもじみている。下手な伝えかたをしたら、瑠奈もショックを受けるかもしれない。どうしたものかと迷っているうちに、一週間が過ぎてしまった。
「話は聞いてるよ。なんか気に入られちゃってるみたいだよね」
 瑠奈は落ち着きはらっている。動揺も嫉妬(しっと)も、みじんも感じられない。どちらかというと優三郎のことを気の毒がっているような気配さえある。
 どうやら、恭四郎の早とちりだったようだ。大事件さながらに、もったいぶって切り出したことが、にわかに恥ずかしくなってきた。ビールの残りをぐいと飲み干した拍子に咳(せ)きこみそうになる。
「気にならないの?」
 態勢を立て直そうと気がはやったせいか、挑発めいた口ぶりになった。
「ならない」
 瑠奈は即答する。
「すごい自信だね」
 今度は、拗(す)ねたような声になってしまった。瑠奈が微笑む。
「自信っていうんじゃないけど……まあ、優三郎のことだからね」
 自分自身をというより優三郎を、信じているということなのだろう。恭四郎が言葉に詰まっていると、背後でドアの開く音がした。
「いらっしゃいませ」
 すかさず声を張りあげた瑠奈が、またしても「なあんだ」とつまらなそうに続けた。恭四郎も入口のほうを振り向いた。
 出勤してきた月子ママが、満面に笑みをたたえて片手を上げた。娘と同じ、金に近い栗色の髪を丁寧に巻き、紫の地に七色のラメが入ったブラウスを着ている。瑠奈が派手な服装を好むのは血筋なのだろうか。
「あら恭ちゃん、ひさしぶり。元気でやってるの?」
「元気です」
 恭四郎は笑顔で答えた。不毛な会話を切りあげることができて、助かった。
「おばさんも、お元気そうで」
 二日酔いの痕跡は残っていないように見受けられたが、月子ママは大仰に首を振ってみせた。
「もうだめ。次の日までお酒が残っちゃうなんて、五年前には考えられなかったわよ。たいして飲んだわけでもないのに」
 まくしたてるところへ、「いや飲んでたよ」と瑠奈が割りこむ。
「まだまだお若いですよ」
 恭四郎はとりなした。
「恭ちゃんはほんとにいい子ね。一杯おごったげる」
 月子ママが軽やかなヒールの音を響かせて、カウンターの内側に入っていく。
「お父さんたちもお変わりない?」
「はい。おかげさまで」
「そうだ、こないだ真次郎くんが顔出してくれたのよね。商売繁盛みたいじゃない」
「そうですか」
 適当に相槌を打ちつつ、恭四郎は瑠奈との会話を脳内で反芻(はんすう)する。
 冷静に考えてみれば、瑠奈の言うとおりだった。あの優三郎が、瑠奈を裏切るようなまねをするはずがない。おおかた、同僚から一方的に好意を寄せられて、困惑しているにすぎないというところだろう。見たところ優三郎より年上のようだったから、よけい邪険にできないのかもしれない。
 優三郎のことだからね――心配無用だとばかりに言いきった瑠奈の口ぶりは、堂々としていて迷いがなかった。恭四郎の動揺を察して、気にすることはないと諭そうとしたのかもしれない。
 気にしてたのか、おれは?
 カウンターの内側で立ち働く母娘を眺めるともなく眺めながら、自問する。いったい、なにを? 瑠奈と優三郎の仲がこじれるかもしれないことを? 瑠奈が傷つくことを? そのせいで、恭四郎と瑠奈の間まで気まずくなってしまいかねないことを?
「はい、どうぞ。月子スペシャル、レッドアイ」
 月子ママがカウンターの上に、大ぶりのグラスをどんと置いた。どろっとした赤い液体が入っている。
「なんすか、これ?」
 ビールとトマトジュースを半々でまぜてあるという。まったく食指は動かなかったが、こわごわなめてみると、意外にさわやかで飲みやすい。
「旨いですね」
「でしょ? 飲みすぎた後はこれが一番なの」
「てか、二日酔いはお母さんでしょ? 恭四郎に飲ませてどうすんの」
 瑠奈がずけずけと言う。少しずつ酔いが回ってきて、恭四郎は考えるのをやめた。考えてもしかたのないことは、考えないに限る。

(つづく) 次回は2022年11月1日更新予定です。

著者プロフィール

  • 瀧羽麻子(たきわあさこ)

    2007年『うさぎパン』で、第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞し、デビュー。19年『たまねぎとはちみつ』で第66回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞。作品に『ふたり姉妹』『あなたのご希望の条件は』(いずれも祥伝社)、『女神のサラダ』『ありえないほどうるさいオルゴール店』『もどかしいほど静かなオルゴール店』『博士の長靴』など多数。