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  • 花束【上】 2014年11月15日更新
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 スポットライトに照らされてシャンパンピンクのドレスが輝いている。
 新婦が目をしばたたかせた。エクステで睫毛が2・5倍は増量しているので、数メートル離れたテーブルからでもよく見える。
 そろそろ来るな。
 雛壇に立つ友人を見守りながら、百合は紅茶をすすった。
 予想通りのタイミングで、美咲の垂れ気味の目が潤んできた。
「お母さん、覚えていますか。小さい頃、わたしが熱を出すたび、つきっきりで看病をしてくれましたよね」
 六十人ほどの招待客たちは新婦の朗読する手紙に聞き入っている。静かなピアノ曲が照明を落とした会場に沁(し)み渡る。
「『大丈夫よ、すぐ治るから』と頭を撫でてもらった、あのときの優しい感触は今でも忘れ……」
 いつもより一オクターブ高い声で手紙を読みあげていた美咲の語尾がだんだん怪しくなってきた。新郎の山岸正平が心配そうに新婦の顔をのぞきこむ。三十六歳にしては後頭部が少し寂しい。
 でも、背は大柄な美咲より頭ひとつ高い。顔もこぢんまり整っている。婚活パーティーで見つけたわりには上物といえるだろう。
 それにしてもあっという間だった。
 今年のゴールデンウィークに〈あたし、一生誰にも出会えないかもしんない〉と嘆いていた美咲が十一月には結婚だなんて。
 出会って四ヶ月足らず。正平は大のおばあちゃん子で「ばあちゃんが完全にボケる前に晴れの姿を見せたい」と式を急いだそうだ。おかげで美咲は三十五歳の誕生日を迎える前に辛うじて滑り込み婚を果たした。
〈今はまだ三十代前半って言い張れるけど、三十五過ぎてみなよ……〉
 五日前、ブライダルエステ帰りのテカテカした顔で美咲に言われた言葉が頭をよぎった。
〈四捨五入したら四十! アラフォーエリア突入よ。百合も急がなきゃ〉
 余計なお世話だって、そんなの。
 テーブルの真ん中にはキャンドルと白いバラの装花が置かれている。取り囲むように並んだ六つのデザート皿とカップは、ほとんどが空になっていた。
 百合はデザート皿に残っている黄金色の糸飴(シュクレフィレ)とブルーベリーをつまんで口に入れた。はずみでゴールドのブレスレットが皿の縁にあたり、小さな金属音がした。
 隣の席で新郎新婦を見守っていた真由子が振り返った。なにもこんなときに食べなくても……。昔から仕切り屋の真由子は眉根を寄せてこっちを見る。
 さっきまで飲みホ感覚でシャンパンを何杯もお代わりして、自分だってゆでダコみたいに赤くなってるくせに。心の中で言い返し、ナプキンで指を拭いた。
 新婦の震える朗読は続いている。
 中堅出版社に勤める新郎の仕事仲間のカメラマンが、いろいろな角度から、感動のシーンを「激写」している。
 同じテーブルの向かいに座る志保がそっと目頭を押さえた。しばらく会わないうちにずい分、肉づきがよくなった。母の貫禄。薬指には結婚指輪とダイヤのリングの重ねづけ。ツイードのワンピーススーツにパールのネックレス。そのまま娘の入学式に出席できそうなコンサバスタイルが板についている。
 志保が大学時代の仲良しグループ、五人の中でいち早くゴールインしたのは、八年前のことだ。三年半つきあった彼に卒業と同時にフラれ、自棄(やけ)になって職場の上司と不倫、〈あたしと奥さん、どっちが大切なの?〉と迫ったら、これまた撃沈。その後は合コンの鬼と化し、立て続けに何人かとつきあっていった。でも、恋愛寿命は平均二ヶ月。本命にはなれなかった。すったもんだの挙句、荒れたときの慰め役だった高校の同級生とくっついた。
 あの頃、志保はもっと痩せていた。そして、あたしはウブだった。
 チャペルに現れた志保のウェディング姿を見ただけで、もう感無量。失恋のショックでものが食べれなくなったことや夜中に酔いつぶれて泣きながら電話をかけてきたことが頭をよぎり、式の間中、涙腺が緩みっぱなしだった。
 でも、月日は人を変える。
 友だちのウェディングドレス姿を見て感動したのはいつ頃までだっただろう。二十代半ばの第一次結婚ラッシュが終わる頃には、「感謝の手紙」の朗読を聞いても涙しなくなっていた。
 三十路直前の第二次を過ぎ、最終駆け込み段階に突入した今では、場を盛り上げているBGMも「あざといメロディ」にしか聞こえない。あれ、このピアノ曲……。タイトルはなんだっけ? 
 半年前に行った職場の後輩の式でも使われていた、定番曲。坂本龍一が娘のために作った――、 ねえ、これ、なんていうんだっけ? 小声で訊こうと左隣に座る浩美を見た。
 やだ、浩美まで。平安時代なら、さぞやモテただろう、細く切れ長な目に涙が溢れている。大学でゼミとサークルが一緒だった浩美とは共通の友人が多い。これまで十数回、一緒に花嫁を見送ってきた。もともと感激屋ではあるけれど、いまだに泣けるなんて。ある意味、尊敬してしまう。
「体が弱かったわたしは本当に迷惑ばかりかけたね……次の日には早く起きて仕事にいかなければいけないのに、いつも遅くまでわたしの枕元にいてくれ……」
 会場下手では、新郎新婦の親たちがふたりを見守っている。美咲の母親は、帯にはさんだ白いハンカチを取り出しそっと目にあてた。
〈うちのママと向こうのお義母さん、同い年で話も合うんだ〉
 美咲はそう言っていたけれど……。
 黒留袖に白髪混じりのショート。還暦すぎたふたりの女がよく似た身なりでスポットライトを浴びている。薄くなった分け目、ファンデーションでは隠しきれないクマと皺。美咲の母のほうが六、七歳は老けて見える。
 二十代で夫と別れ、女手ひとつで娘を育て上げた歳月は決して生易しいものではなかったのだろう。
「お母さん、わたしがきょうという日を迎えられたのも、すべてあなたのおかげです――今までわたしを育ててくれて本当に、本当にありがとう」
 大きな拍手が起こった。
 テーブルを囲む友人たちも拍手を惜しまない。百合も手を叩いてみたけれど、乾いた音しか出なかった。
 ――きょうまでの、長いようで短かった日々。大切に育ててくれてありがとう。親御様のご苦労にそんな感謝の思いを込めて、ふたり手をとりあっての花束贈呈です――。
 司会の女の物慣れた声に促され、腕一杯の花束を持った新郎新婦がテーブルの間を縫うようにして歩いていく。
 BGMが変わった。
 ミニー・リパートンの「Lovin' You」だ。
 高らかに愛の賛歌が唄われる中、花束贈呈が始まった。
 三十四歳の新婦は母親の前で、カサブランカとピンクのバラの花束に顔をうずめている。母ひとり子ひとりで歩んできた三十四年間の歳月が頭をよぎっているのだろう。母親に抱きつくようにして、花束を渡した。
 あー、あんなに泣いちゃって。メイク落ちなきゃいいけど。 
 百合は最後までとっておいた皿のラズベリーを口にほおりこんだ。思っていたより、ずっと酸っぱい。
 花束を渡し終えた美咲は母の隣に並んだ。涙も想定内で念入りに塗り込んだのだろう。メイクはほとんど崩れていなかった。
 正平が俯く美咲の背にそっと腕をまわし、耳元でなにやら囁いた。美咲は小さく頷く。
 ふたりは並んで正面を向いた。
 美咲の顔に笑顔が戻っている。
 きれいだな、と思う。
 いつもは猫背気味なのにきょうの美咲は別人みたいに姿勢がいい。〈宝の持ち腐れ〉と自嘲していたEカップが張り出している。目標通り三キロ減量に成功して、二の腕のだぶつきもすっきり、オフショルダーのAラインドレスもよく似合っている。
 伴侶を得た自信は女を変える。スポットライトの下で美咲はこれまで見たこともないような誇らしげな笑みを浮かべた。
 友がみな我よりえらく見ゆる日よ――。
 気がつけば、中学のとき、国語の授業で暗唱させられた歌を心の中でつぶやいていた。
 立身出世していく友達を見て、泣かず飛ばずの我が身を嘆いた石川啄木の歌だ。
 昔はずい分、卑屈な歌だと思ったけれど、今なら啄木の気持ちがわかる。
 十八のときから、十七年間。病めるときも健やかなるときもずっと仲良くしてきた美咲の晴れの日なのに、よかったねとは素直に思えない。祝福する気持ちよりも、羨(うらや)ましさと妬(ねた)ましさばかりが勝ってしまう。そんな自分が嫌でしょうがない……。
 っていうより、これまであたしの人生にこんな晴れやかな舞台が用意されたことがあっただろうか。
 いけない、知らぬ間に唇を噛んでいた。
 百合は急いで口角をあげた。
 なんだかんだ言ったってあたし、仕事には恵まれてるじゃないの。勤めている食品会社は業績もいいし、今いる企画部は男中心の職場で三十四歳になった今でもみんな気を遣って「女子」扱いしてくれる。
 派遣先でアンダー25の後輩たちから、お局扱いされてはブーたれていた美咲より、社会人としてはよっぽど充実しているはず……。
 でも、自分は恵まれているといくら言い聞かせてみても効果なし。どどどっと腹の下から敗北感が押し寄せてくる。
 気張ったところで、やっぱりあたしは女としては落ちこぼれ。アラフォーエリアに突入する前に、年に九百万円も稼いでくる伴侶をちゃっかり捕まえた美咲のほうが、ずっと上等に思えてしまう。
 友がみな我よりえらく見ゆる日よ――。
 あの歌は、たしかこう続くんだった。
 花を買い来て妻としたしむ――。
 浮かばれなかった啄木だって花を買って家に帰れば、優しい妻が待っていた。なのに、あたしときたら……。
 ――どうぞ皆様、きょうのよき日に誕生した新しいご家族にもう一度、盛大な拍手をお送りください――。
 新郎新婦とその親たちはゆっくりと頭を下げる。美咲の母親の腕で大きなカサブランカが揺れている。

この続きは好評発売中の『お願い離れて、少しだけ。』(四六判)でお読みにな れます。 この原稿は連載時のものです。刊行に際し、著者が加筆・修正しております。

著者プロフィール

  • 越智月子

    2006年『きょうの私は、どうかしている』で小説家デビュー。12年『モンスターU子の嘘』で注目を集める。著書に『BE-TWINS』『スーパー女優A子の叫び』『花の命は短くて…』『帰ってきたエンジェルス』がある。