こざわたまこ
ただいまご紹介にあずかりました、山口と申します。 一之瀬君、しおりさん、ご結婚おめでとうございます。並びに一之瀬家、真壁家ご両家ご親族の皆様におかれましても、心よりお喜び申し上げます。皆様、どうぞご着席ください。 こういった場は不慣れで、至らない点もあるかと思います。ご容赦いただけますと幸いです。私としおりさんは小学校の頃からの付き合いで、ともに上京してきた幼馴染です。今日は、二十年来の親友に、生まれて初めて手紙をしたためて参りました。この場を借りて、読ませていただきます。 早速ですが、手紙の中ではしおりさんのことを普段からの呼び名で、真壁、と呼ばせてください。では、読み上げます。 真壁、結婚おめでとう。こうして顔を合わせて話すのは久しぶりで、とても緊張しています。親友なんて、ちょっと照れるね。思い起こせば二十年前、小学校三年生で初めて同じクラスになったのが、私達の出会いでした。でもあの頃は、まさかこんなに長い付き合いになるなんて、考えてもみなかった。真壁だって、そうでしょう? *** 小学生の頃よく、休み時間や放課後に石川君と遊ぶ真壁の姿を見かけた。 「昆虫博士の石川君」 私達は石川君のことを、そんな風に呼んでいた。小学生らしい素直な蔑(さげす)みと皮肉、それからほんの少しの哀れみを込めて。石川君のお父さんは偉い学者さんだとかで、石川君は地元の新興住宅地の中でも一等大きなマンションに住んでいるお坊ちゃまだった。 石川君は、変わり者で有名だった。問題児と言ってもいいかもしれない。学校に来ても、友達を作ろうともせず、自分の席でぶつぶつ独り言を言ったり、授業中に手を上げたかと思ったら、「オオカマキリとチョウセンカマキリの見分け方」とか「カブトムシの交尾」について語り出すような子。男子は気味悪がって近づこうともしなかったし、女子の中にはあからさまに悪口を言う子もいた。 一学期が終わる頃すでに、真壁は教室の中で石川君の友達、もとい「お世話係の人」っていう立ち位置を確立していた。石川君が登校すると、すぐに石川君のもとへ駆け寄って、とっておきの昆虫知識を披露してもらったり、大きな声で笑い合ったり。その姿を見て、私はただ漠然と、怖くないのかな、って思ったのを覚えている。 それは例えば、教室でつまはじきにされていた石川君と接することかもしれないし、真壁が「普通の」女の子の友達を作ろうとしなかったことかもしれないし、授業で二人組を作らされる時、真壁がいつも一人ぼっちになっていたことかもしれない。 今思えば、余計なお世話だよね。だって真壁はあの頃からいつも、真っ直ぐ背筋を伸ばして、前を向いていた。やましいことなんて、何ひとつない。一人ぼっちだって、気にしない。自分がしたいからこうしてるんだ、って。いつだって、そういう顔をしていた。 私が本当に怖かったのは、そんなあなたを見て安心している自分がいたこと。私はあの頃、二人組を作る「普通の」友達がいることに心底ほっとしていたし、一人ぼっちなんてもってのほかで、気味の悪いクラスメイトの気味悪い独り言に付き合うなんてまっぴらだった。でも心のどこかでは、そう思ってしまう自分は正しくないって、わかっていたから。 小学校の卒業アルバムに石川君の姿はない。というのも、石川君は一年後、お父さんの仕事の都合で別の町へ引っ越すことになった。転校の前日、クラスのみんなから渡した色紙は当然ながらすかすかで、書いてあっても、「寂しいです」とか「元気でね」とか、形ばかりのさよならメッセージが並んでいた。それをいちばん最初に書いたのは、私だけど。 真壁はあの時あの色紙に、どんな言葉を記したんだろう。 *** こうして昔を振り返ってみて、まず思うことは、真壁は昔から変わらないってこと。天真爛漫で好奇心旺盛で、素直で、自分の考えをしっかり持っている、ちょっぴり頑固な女の子。何もかもが、私とは正反対。それが、私の中の「真壁」です。 中学生になってから卒業するまでの三年間、私と真壁は同じクラスで過ごしました。私達、その頃からようやく色々話すようになって。あっという間に、唯一無二の親友になりました。 毎日、気になったバンドの新譜を一緒に聞いたり、漫画の貸し借りをしたり、町の外れで細々と経営していた小さな映画館に映画を観に行ったり。こうしてみると、たいしたことしてないね。すごく楽しかったはずなのに。 今になって、ひとつだけわからないことがあります。それまでこれと言った接点のなかったはずの私達が、何をきっかけにそこまで仲良くなったのか。いくつかそれらしい出来事は思い浮かぶけど、どれもぴんと来ない。でも、友達って案外そういうものなのかもしれないね。 *** なんて、いいことばかりじゃ嘘くさいか。真壁とまともに口を利いたのは、中学校に上がってから。休み時間に私が雑誌を開いていたのを見て、真壁が話しかけてくれたことがきっかけだった。 「×××××、私も好き」 それは、いわゆるアート系の美術雑誌で、真壁が口にしたのは雑誌の表紙を飾っていた、派手な色使いとかわいらしい動物のモチーフが人気の女性イラストレーターだった。 「それ、季刊誌でしょ。この辺じゃ置いてないよね。どこで買ったの?」 その一言をきっかけに、私達の距離はぐっと縮んだ。真壁はよくあの時のことを、すごい偶然だねとか、運命だねとか言ってくれた。でも、本当は違うんだ。 私はあの時、新学期が始まってしばらく経っていたのにも関わらず、グループらしいグループに所属することができずにいた。小学校で仲良くしていた子達はみんな、クラスが離れてバラバラになってしまって。班分けやグループでの集団行動が始まる度に、心臓がぎゅっと締め付けられて、生きている心地がしなかった。あの頃のことを思い出すと、今でも胸が苦しくなる。 そんな時、私と同じように学校生活を一人ぼっちで過ごす真壁の姿を見つけた。真壁は、小学校の頃と変わらず、真っ直ぐ背筋を伸ばして、そこにいた。時にはけだるげに、頬杖をつきながら。私にはなんの変哲もないように見える窓の外の風景を、親の仇(かたき)でも見るような鋭い眼差しで、じっと見つめていた。 その真壁が、毎日教科書のしおり替わりに使っていた、女性イラストレーターのポストカード。そこに書かれた真っ赤な熊は、殴り書きのような筆遣いも、今まで見たことがないような毒々しい色の組み合わせも、全てが格好良かった。 真壁は知らない。私があの雑誌を買うために、町中の本屋を歩いて回ったこと。どうにかして探し当てたそれを、毎日のように学校に持って来ていたこと。隙あらば机の上に広げて、お願いだから今日こそは気付いてと、藁(わら)にもすがるような気持ちで休み時間を過ごしていたこと。 そうして私達は、友達になった。あなたが今まで知ることのなかった、「唯一無二の親友」のからくりです。 *** ここでひとつくらい、喧嘩したエピソードでも話せたら良かったんだけど。ひと晩考えてみたけど、やっぱり思い出せませんでした。普通は喧嘩するほど仲が良いって言うけど、私達は、喧嘩する暇がないほど仲が良かったってことかもしれないね。 のろけ話はここまで。そろそろ、あなたの隣の旦那さんに、怒られそうな気がするので。 *** じゃあここからは、本当の話。「思い出せない」っていうのは、あまり正しくない。というか、嘘だ。なぜならそれは私にとって、「思い出したくない」思い出だから。 あれは、修学旅行の班決めの時間のこと。私と真壁は、普段から行動をともにすることの多かった数人の女の子達と班を組むことにした。そんな風に、クラスのほとんどの人間がいつものグループに分かれていく中、女子で一人だけ、どの班にも入れていない子がいた。小宮さん。下の名前は、もう忘れちゃった。同じクラスだったあの子のことを、真壁は覚えているだろうか。 小宮さんはどちらかというと、普段から教室でも浮いた存在だった。そういう意味では、小学校の頃の真壁と似ているかもしれない。決定的に違うのは、小宮さんが決してそれを望んでいたわけじゃないってこと。 小宮さんは無口な人だったし、お世辞にも明るいと言えるような性格じゃなかった。その上、通学鞄や運動着がボロボロで、家が貧乏だとかお母さんが酒浸りだとか、そんな噂まで流れていた。 一年生の頃まで、小宮さんには友達がいた。吹奏楽部の、トロンボーン担当の子。小宮さんも小学校までは、その子と一緒に吹奏楽をやっていたらしい。でも中学生になってからは、家の事情で続けられなくなってしまって。その内小宮さんが吹奏楽部を辞めて、二年生に上がってからは、クラスも分かれてしまったそうだ。 放課後、昇降口を通りかかる時によく、下駄箱の近くで時間を潰(つぶ)している小宮さんの姿を見掛けた。友達の部活が終わるのを待っていたんだと思う。でも一ヶ月もすると、一人で下校するようになっていた。 私はそれまで、小宮さんとはろくに会話を交わしたこともなかった。ましてや、仲良くなりたいなんて考えたこともない。でもあの時、修学旅行を前に誰もが浮わついた教室の隅っこで、俯(うつむ)いたまま机の上を睨(にら)みつける小宮さんを見ていたら、ふいに思い出してしまった。昇降口の壁にもたれて、図書室から借りた本を読んでいる小宮さんのこと。 その上履きの踵(かかと)が潰れてぺたんこになっていたこととか、顔の半分が夕陽に照らされて赤く染まっていたこととか、教室のドアの開く度に、本を閉じてそわそわ廊下の方を窺(うかが)っていたこととか、人違いだってわかると、何かを誤魔化すみたいなしかめっ面でまた本を開いていたこととか。そういう色々が頭の中を駆け巡って、気付いた時には、口に出していた。小宮さんも入れてあげよう、って。 あの時、班の子達のほとんどが、いいよって答えてくれていたと思う。それを受けて私は、じゃあ小宮さんに声掛けて来る、と真壁の方を振り向いた。まさか反対されるかもしれないだなんて、これっぽっちも考えずに。 「私、絶対にいや」 真壁はそう言って聞かなかった。その態度は頑(かたく)なで、そのうちグループ内の空気も悪くなってしまった。結局、真壁のわがままのせいだ、みたいな雰囲気が漂い始めて、小宮さんの話はおじゃんになった。 「奈々子は『かわいそう』が好きなんでしょ」 あの後、真壁が私に向かって放った言葉だ。 「入れてあげよう、って何? 奈々子、小宮さんの立場になって考えたことある? 私が小宮さんだったら、そういう同情みたいなこと、いちばんされたくない」 私はその時、よくわかってなかった。真壁が言っていること。真壁がどうして怒っているのか。だって、真壁も同じようなことしてたじゃんって。小学校の頃、石川君と遊んであげてたじゃんって。私のしたことと、真壁のしたこと。一体何が違うんだろうって。そんな風に思っていた。 あの時の真壁の、ひやりとした横顔が忘れられない。怒っているのだ、と少し遅れて気づいた。怒りに震える真壁の顔は、なんだかすごく美しかった。そんな真壁に、少しだけ見惚(みと)れている自分もいた。 それが、中学生の時に経験した、たった一度きりの私と真壁の喧嘩の記憶だ。 *** 私達が生まれたのは太平洋に面した、けれど海辺と呼ぶには磯の香りもほど遠い町です。めぼしい観光地もなければ、これといった名物もない。十年以上前に大河ドラマの撮影現場になった、小さな城跡が唯一の自慢の、人口三万人に満たない小さな田舎町。私達は中学を卒業すると、徒歩で通える範囲にある、唯一の普通高校に進学しました。 高校生になってクラスが分かれてからも、私達の付き合いは変わらず続いていました。お互い自分のクラスに友達はいたから、つかず離れずの距離感ではあったけれど。部活が盛んな高校だったのに、二人とも卒業まで帰宅部を貫いたのがよかったのかもしれません。 *** 入学早々、私達は別々のクラスに振り分けられた。八クラスの内、私は学年で二クラスだけ設けられた特進クラス、真壁はそれ以外の普通クラス。放課後の帰り道、購買部で買った焼きそばパン片手に、「仕方ないんじゃない?」って笑う真壁を見て、ちょっと寂しい気持ちになったのを覚えている。 根っからの優等生タイプが多く、比較的おとなしい子達ばかりで構成された特進クラスでは、友達作りに苦労することはなかった。真壁は真壁で、昔のようなとっつきにくさはほとんど姿を消していた。それどころか、かなり早い段階で、クラスの人気者にすらなっていたように思う。 だって真壁は、話してみると面白いし、おしゃれにだって敏感で、その頃流行っていたペンケースのデコり方とか、通学鞄に缶バッチ代わりにつけた星の形のピアスとか、そういうちょっとしたこと全てが、人と違って特別で、垢抜(あかぬ)けて見えた。だから、そうなるのは当然のことなんだ。わかっているのに、私は隠していた宝物を見ず知らずの他人に見つけられてしまったような、そんな心寂(うらさび)しさを感じていた。 クラス分けからしばらく経った頃、よく廊下で新しい友達とダベる真壁の姿を見掛けた。私の隣を歩くクラスメイトが、真壁達を見て微(かす)かに身構えるのがわかった。 特進クラスの女の子達より、ずっと短いスカートの丈。セーラー服の襟元の、お洒落なスカーフの結び方。手首に巻かれた、色とりどりのミサンガやシュシュ。中学生の頃より赤茶けた髪は、日差しを受けてキラキラ煌(きら)めいて、色白で色素の薄い真壁の外見に、よく似合っていた。 そういう光景を目にする度、ああ、これで真壁とも終わりかな、なんて思った。私達は、これからの高校生活を別々の教室で過ごす。この先お互いの人生が交わることもないだろう、それぞれの友人達と一緒に。真壁の言った通り、それは仕方のないことなんだって。そう自分に言い聞かせていた。 なのに真壁ときたら、そんな私の気持ちはお構いなし。私に気づくや否や、いつも大きな声で、「奈々子」って言ってぶんぶん手を振って来た。飼い主を見つけた、ゴールデンレトリバーみたいな人懐(ひとなつ)こさで。私はそれに、うまく応えられていただろうか。周りの子達の、ぽかんとした顔ばっかり気になっちゃって。自分がどんな顔をして、どんな風にあなたに手を振り返していたのか、ちっとも思い出せないんだ。(つづく)
この作品は8月上旬刊行予定の単行本『君に言えなかったこと』に『君に贈る言葉』と改題のうえ、収録されます。続きは書籍でお読みになれます。
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で第11回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞、デビュー。著書にデビュー作を収録した『負け逃げ』がある。