佐藤青南
5 竹崎隼太はパチンコ店に入ると、迷いのない足どりで目当ての台へと向かった。 最寄りのバス停から五分、一人暮らしの自宅アパートからも五分という場所にあるパチンコ店は、竹崎にとってもはや第二の自宅だった。バスを降りると牛丼チェーン店で夕食を済ませ、その後はパチンコ台の前で閉店時刻まで過ごすのが日課となっている。 昨夜のうちに目星をつけておいた台には、先客がいた。しかたなく第二候補の台の前に腰を下ろし、千円札を投入口に差し込む。ハンドルを握り、上皿に吐き出された球を弾いた。次々と飛び出す球が、釘の上を躍りながら落ちていく。 さすがに慣れたもので、ほどなく球がスタートチャッカーをくぐり、派手な抽選の演出が始まった。赤いランプがちかちかと点滅し、液晶ディスプレイではコミカルなキャラクターたちが動き回る。このまま当たったり外れたりを繰り返しながら時間を忘れ、いつも気づけば閉店を告げる『蛍の光』が流れている。 しかし今日はいつもと違った。胸の奥がざわついて、どうも集中できない。 いや、なにも考えないでいることができない――と言うほうが正確だろうか。 発端は、今朝の朝礼だった。 いつものように正面ゲート前に集合した職員一同に、副園長の森下がプリントを配布し始めた。A4のコピー用紙には、太字でこう書かれていた。 野亜市立動物園 エンリッチメントコンテスト――。 園長の磯貝の説明によると、これから月に一度、もっとも興味深いと思われるエンリッチメントの取り組みを、飼育担当者間の投票で決めると言う。各月でもっとも票を集めたエンリッチメントについては、市民ZOOネットワーク主催のエンリッチメント大賞に応募するほか、プレスリリースの材料とすることも検討するらしい。 ――なにがエンリッチメントだ……。 液晶画面ではまだ派手な演出が続いていたが、竹崎は席を離れた。そのまま店を出てあてもなく歩き回ろうとしたが、それをするには土地勘があり過ぎた。結局、少し遠回りしただけで帰宅した。 入居するときにはピカピカの新築だった六畳一間のワンルームアパートも、すでに築十年を超えている。たぶん、新築のときから住み続けているのは竹崎だけだ。 外階段をのぼり、通路を歩いた突き当たりが竹崎の部屋だった。 靴を脱いで中に入ると、灯りも点けずにベッドに四肢を投げ出した。暗闇と静寂が、まだ続く内側のざわつきを際立たせた。居ても立ってもいられない気分になる。 「ああ、もうっ……畜生っ」 飛び起きて胡坐(あぐら)をかき、髪をかきむしった。肩で息を継ぎながら、暗い部屋の隅を見つめる。 楽しげに会話する後輩職員たちの姿が脳裏をよぎった。品川剛と坂本麻子。竹崎とともにホッキョクグマを担当する二人だ。竹崎がそうであるように、二人ともほかの動物との掛け持ちだが、エンリッチメントとなると、やはり難易度の高いホッキョクグマが話題の中心になる。 エンリッチメントコンテストを開催すると伝えられた直後から、二人はああでもないこうでもないと作戦会議を始めていた。とくに品川のほうは新園長についてあまりよく思っていない様子だったので、その反応は意外だった。二人が生き生きと話すほど、竹崎の疎外感は膨らんだ。だからと言って、不機嫌を表に出すつもりなどなかった。最低限の仕事を、就業時間内に最低限の責任感を持ってこなす。それ以上の献身をするつもりもないし、むやみに同僚との結びつきを強めて、人間関係に頭を悩ませるのも馬鹿馬鹿しい。そう思っていたはずだった。 だから意外だった。自分の感情の波立ちが。苛立ちや怒りが。 閉園時間も迫った夕暮れ、品川が話しかけてきた。 ――ネーヴェのエンリッチメントでは、やっぱり給餌方法に工夫をするのが一番だという話になったんですけど、竹崎さんはどう思いますか。 ――知らねえよ! 怒鳴ってしまった自分に驚いた。これまでの人生で声を荒らげたことなど、数えるほどしかない。もちろん後輩にたいして怒鳴ったこともなかったので、品川は怯えるより驚いていた。 「やめておけよ……」 新しい園長に期待するのなんて。 呟きは暗闇に溶けて消える。 前任者たちとは違うように見せかけても、しょせん素人だ。かぶっている皮が違うだけで、中身は同じだ。 百歩譲ってかりに磯貝という男が、品川や坂本の期待するような人物であったとして、動物園を本気で改革しようという考えを持っていたとしても、理想を実現できるはずがない。飼育担当者というのは、一種の職人だ。新人はベテランの技術を盗み、見よう見まねで試行錯誤を重ねて一人前になる。とても頑固で、意固地な人種だ。 おそらく磯貝が考える以上に、壁は高く、堅牢だ。結局はなにもできないまま異動になり、ふたたび腰かけ気分の素人園長がやってくる。 幼いころから動物好きだった竹崎にとって、動物園勤務は夢だった。高校三年生のとき、当然のように実家に近い動物園の採用試験を受けた。 ところが、結果は不合格だった。貧しい家庭に育った竹崎には進学したり、就職浪人する余裕もなかったため、北関東を中心にチェーン展開するスーパーに就職した。だが夢を諦めることができずに、独学で試験勉強を続けた。 野亜市立動物園に入ったのは、北は北海道から南は熊本まで片っ端から履歴書を送った中で、合格したのがそこだけだったからだ。社会人生活二年目で、ようやくつかみ取った夢だった。竹崎は野亜市にアパートを借り、意気揚々と引っ越してきた。 最初の数年間は無我夢中だった。先輩たちにはよく怒鳴られたが、怒鳴られるのは自分が間違っているからだとしか思わなかった。 だが自分なりに勉強して知識を吸収し、経験を積み重ね、ほかの動物園の飼育担当者たちと交流するうちに、野亜市立動物園の問題点が見えてくる。というよりむしろ、自分の勤務する動物園が問題だらけであり、先輩たちの教えが間違いだらけだったことを知って、愕然とした。 狭い檻に閉じ込められてぐったりと動かない動物、逆に落ち着かない様子で常同行動を見せる動物、どういうわけかペアリングしてもいっこうに繁殖行動を見せない動物、円形脱毛症のように一部毛が抜けた動物。すべての異状の原因が動物園の飼育方法にあり、飼育担当者の努力次第で解決できるものだった。実際に、それらの問題を解決したという、ほかの動物園の飼育担当者の話も聞いた。なんでも動物を幸福に暮らさせる、環境エンリッチメントという運動が大きな流れとなりつつあるらしい。 野亜市立動物園でも、と竹崎は思った。 だが当時の園長はまったく現場に興味がなく、平の職員とはほとんど会話すらしたことがないという人物だった。なにかを言葉で伝えるのが苦手という、竹崎自身の性格もある。動物園全体で取り組むように仕向けるのは難しい。 まず隗(かい)より始めよとばかりに、竹崎は自分の担当する動物へのエンリッチメントを試みることにした。 当時、竹崎が担当する動物は四種類いた。中でももっとも飼育環境が悪かったのが、スマトラトラだった。現在は展示場も改築されているが、当時のスマトラトラ展示場は三メートル四方の広さしかない、殺風景な鉄格子だった。当然ながらスマトラトラ本来の生息域にあるジャングルの気候、緑、土、地面の起伏とはほど遠い。 トゥリマという十八歳のオスだった。野生下でおよそ十五年、飼育下でおよそ二十年というスマトラトラの平均寿命を考えると、そろそろなにが起こってもおかしくはない年齢だった。その年齢のせいか、それとも人間が強い続けた劣悪な飼育環境のせいか、どこか悟ったような目つきの印象的な、気性の穏やかな個体だった。 まず竹崎は、トゥリマを放つ前の展示場でヤギを引いて歩くことを試してみた。獲物となる草食動物の残した臭いが刺激になったのか、展示場に入ったトゥリマは興味深そうに檻のあちこちを嗅ぎまわった。 たったこれだけのことで、動物がこんなに生き生きとするなんて。エンリッチメントの意義と重要性を痛感した竹崎は、次に、展示場の檻の隅っこに動物園の敷地から伐採してきたシマトネリコの木を置いてみた。幹の細く背の高い、観葉植物としても人気のある木だ。スマトラトラの身体の縞はジャングルで身を隠すためのものなので、なにも障害物がない状況で人目に晒され続ける飼育環境は、多大なストレスとなっているに違いないと思った。 するとトゥリマは、わずかな木陰に身を屈めるようにして過ごすことが多くなった。竹崎の置いたシマトネリコの木を気に入ったのだ。 今度はなにをしよう。あれこれ考えを巡らせながら出勤した休み明けの竹崎が見たのは、シマトネリコの木が撤去された殺風景な檻だった。そしてその中でつまらなそうに横たわるトゥリマだった。 シマトネリコを撤去したのは、先輩職員の大石という男だった。定年間際のベテラン飼育担当で、竹崎にとっては師匠とも呼べる存在だったが、そのころにはあれこれと新しい飼育法を試したがる竹崎をおもしろく思っていないような言動を見せることがままあった。「メモなんか取るな。仕事は頭で理解するんじゃない。身体で覚えるんだ」が口癖の、昔気質の男だった。 なぜシマトネリコを捨てたのかという竹崎の質問への返答は、檻の中に木を置いていたら客からよく見えないというものだった。そのときは、竹崎にしては頑張って抵抗したと思う。だが経験の差を盾に恫喝されると、それ以上反論できなくなった。 それから大石は、竹崎の試みるエンリッチメントをことごとく邪魔するようになった。竹崎はそれでもめげなかったし、口下手なりに大石に理解してもらえるよう、説明する努力もした。だが大石は頑として竹崎を認めなかった。エンリッチメントの趣旨や内容がどうというのではなく、たんに大石のこれまでやってきた方法とは違うという理由だけで拒絶されているのではないかという疑念は、日に日に強まり、確信となっていった。 やがてトゥリマは病気になった。目に見えて食欲が落ち、一日を寝て過ごすことが増えた。食べたものを吐き戻してしまったこともある。森下はがんだろうという見解を示した。年齢を考えると麻酔をかけるリスクのほうが大きいので、手術もできない。このまま静かに看取ってあげようということになった。 トゥリマの展示は中止された。出勤するたびに獣舎を覗き、トゥリマの横腹の動きで呼吸を確認し、ほっと胸を撫で下ろす日が続いた。とはいえ回復の見込みはない。竹崎はせめて穏やかに逝かせてあげたいと、獣舎の床に土を敷いたり、緑を置いたりすることを提案した。しかしやはり大石は首を縦に振らなかった。 そして竹崎がなにもしてあげられないまま、トゥリマの身体は冷たくなった。 死亡した動物は産業廃棄物扱いとなり、専門の業者によって処分される。機械的な作業で運び出されるトゥリマを見送りながら、竹崎はやるせなさを噛み締めた。職員たちが日ごろから目の仇にする、現場に関心のない素人園長から邪魔されたわけではなかった。現場一筋で働いてきた、本来なら動物の幸福を最優先するはずの先輩職員の妨害により、なにも手を打つことができなかったのだ。トゥリマの病気を治せたとは思えない。だが、効果的なエンリッチメントを施すことで、トゥリマの病気の発症を遅らせることができたかもしれない。死に向かうトゥリマを、もっと穏やかな気持ちにさせてあげることは可能だったかもしれない。 あるいは、下手に効果的なエンリッチメントを施したことが、トゥリマを余計に落胆させる結果になったかもしれないとさえ考えた。トゥリマは劣悪な飼育環境に慣れていた。それが改善されることも期待していなかった。だが竹崎のエンリッチメントにより、かすかな希望や期待を抱くようになった。そのせいでその後、大きな落胆を味わい、結果的に病気になってしまった。そういう可能性はないのだろうか。 もう、なにをするのもやめようと思った。そもそもなにかを変えるというのは、竹崎の性に合わないのだ。分不相応なことをやろうとした結果がこれだ。 能動的には動かない。改善や改革は、それが得意な人に任せる。竹崎自身にできる自己防衛は、仕事と距離を置くこと。定時に出勤し、定時に帰宅する。就業中も最低限、給料に見合った労働だけを提供し、それ以上はしない。残業もせず、人付き合いもできる限り避ける。飼育動物にたいしても、過剰な思い入れをしない。 同僚とも、動物とも深くかかわらない。なにもしないし、誰にもなににも期待しない。そうすれば落胆もない。心を平穏に保つことができる。 そういう自分になってから、もう何年経っただろう。同じような毎日を繰り返し、亡くなった飼育動物たちを平坦な心で見送るようになってから、どれだけになるだろう。 「エンリッチメントだと? 馬鹿馬鹿しい」 忌々しげに吐き捨てた。自己嫌悪。羞恥。憎悪。憤怒。さまざまな感情がうねり、ぶつかり合い、怒涛となって荒れ狂う。 「馬鹿馬鹿しい」 もう一度、今度はさっきよりも冷たく言い放った。 だが胸の内のざわめきは、とても収まりそうになかった。そしてその正体が何年も前に封じ込めたはずの、とっくに風化したはずの情熱であると気づくのに、さほど時間はかからなかった。(つづく) 次回は2015年7月15日更新予定です。
第9回『このミステリーがすごい!』大賞・優秀賞を受賞し、2011年『ある少女にまつわる殺人の告白』でデビュー。他の著書に『ジャッジメント』(小社刊)『消防女子!!女性消防士・高柳蘭の誕生』『サイレント・ヴォイス 行動心理捜査官・楯岡絵麻』などがある。