物語がつまった宝箱
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  • 第三回 2014年9月15日更新
 午前十一時。渋谷駅前のスクランブル交差点で、西郷卓はスターバックスのグランデサイズのカップを持ちながら信号を待っていた。背中にはSHIBUYA TSUTAYA。前方にはJR渋谷駅。さすが日曜日だけあって、アリの大群となんら変わらない人々の群れが溢れ返っている。
 パトカーがまた一台、けたたましいサイレンを鳴らして通り過ぎた。それを追いかけるように防弾チョッキを着た警官が二人、限界まで伸ばした特殊警棒を持って西郷の真横を走り抜けていく。
「やっべえ。テロだよ、テロ」
「テロじゃねえだろ。どうせ、また通り魔が誰かを刺したんじゃね?」
 西郷と同じく信号を待っていた色黒のギャル男たちがはしゃいでいる。
 違うよ。テロでも通り魔でもないよ。
 西郷は、トレードマークのえびす顔のまま心の中で呟いた。
 警察が慌てているのは、道玄坂のラブホテルで、デリヘル嬢を待っていた男の額に特大サイズの釘が突き刺さっていたからだ。その釘は、数年前に西郷が工事現場から拝借したもので足がつく心配はまずない。
 西郷の今週の仕事は終わった。一週間に一人。それ以上は殺さない。月に四人も始末すれば贅沢な暮らしができる。一度、新宿の住処に戻ってシャワーを浴びてから、優雅なランチに出かけるとしよう。今日は仕事前から新宿のヒルトン東京の中華を食べると心に決めていた。フカヒレの姿煮はもちろんのこと、西郷はアスパラガスのレモンソース煮とデザートに出て来る胡麻団子が好物だった。
 殺しの仕事のあとは決まって猛烈な空腹に教われる。前回、名古屋でホステスの額に釘を打ち込んだ日は、ひつまぶし、味噌カツ、甘辛い手羽先、味噌煮込みうどん、小倉トーストを立て続けに平らげて帰りの新幹線で気持ち悪くなった。
 皮肉なもので、世の中が不景気になるほど西郷の商売は繁盛し、ますますえびす顔になる。おかげでエンゲル係数はうなぎ上りで太鼓腹はより貫禄を増し、最近、高血圧と糖尿病が怖くなってきた。
 ウォーキングでも始めようか。本当はマラソンをやりたいが自信がない。子供のころから運動だけは大の苦手だ。運動会の徒競走で懸命に走る西郷を見て、当時好きだった女の子が「カバがスキップしているみたい」と小馬鹿にしたので、「カバは時速四十キロで走るんだ。アフリカでライオンよりも人間を殺している猛獣なんだぞ」と言い返したら、「何でカバの肩を持つの」とさらに腹を抱えて笑われたのが悲しい思い出として深く心に刻まれている。
 殺し屋に運動神経はいらない。そもそも、マッチョな体格だとターゲットに怪しまれて近づけないではないか。殺し屋の才能は、いかに普通の人間に見えるかである。どこにでもいるような典型的な日本人の風貌がベスト。個性は禁物。喩えるなら、通勤ラッシュの山手線に無理なく溶け込めるようなタイプの人間だ。この仕事は、殺すよりも、殺してから逃げるほうが遥かに難しい。渋谷のスクランブル交差点にいる誰もが、頭が禿げ上がって小太りで銀縁のメガネをかけた冴えない中年サラリーマンにしか見えない西郷を凄腕の殺し屋とは思わないだろう。たぶん、自分自身が西郷に殺されたとしても信じないはずだ。
 信号が青に変わった。西郷はスターバックスのカップを持ったまま渡る。紺のラコステのポロシャツにベージュのチノパン、足下はダンロップのスニーカー。完璧な休日のサラリーマンだ。
「すいません。部屋を間違えてはいませんか」
 一時間前、ラブホテル『ローマの恋泥棒』の三〇三号室に入った西郷は先客に質問した。フクロウに口髭を生やしたような男だ。
「いや、私が案内された部屋だとは思うが……」
 先客が自信なさげに風俗店のカードを見る。男が毎週日曜日の午前中に通っている性感マッサージ店は、別の場所にある受付で料金を支払い、近くのラブホテルに案内されるシステムだ。写真指名した女の子は十五分ほど遅れて部屋に来る。
 大手音楽事務所のプロデューサーらしいが殺される理由は聞いていない。いつもどおり代理人からの指示に従い、仕事をこなすだけだ。
「おかしいなあ。こっちのカードにも三〇三と書いてあるんです」西郷は左手で、同じ風俗店のカードを見せた。
 男がカードを覗いた瞬間、背中に隠していた右手の金槌を振り下ろす。ターゲットが失神したのを確認し、二度と起き上がってこないように額に釘を打ち込む。
 毎回、この殺し方だ。西郷のスタイルと言ってもいい。スタイルがなければ、ただの殺人鬼になってしまう。偉大な画家が完成した絵にサインを書き込むように、西郷はターゲットの額に釘を打ちつけた。サインのおかげで、最近は裏社会で〝釘男〟のニックネームが一人歩きしている状態だ。代理人以外、西郷の正体を知っている人間はいないので、釘男の噂の尾ひれの付き方は半端じゃない。中には、「元大工の二メートル近い巨人」というものまである。
 西郷が殺した死体は、〝掃除屋〟と呼ばれる人間が処理をしてくれるが、今日のように「わざと死体を残してくれ」とのリクエストもたまにあった。たぶん、見せしめのためだろうが知ったことではない。去年の冬も、原宿駅の近くにある貸店舗の地下の居酒屋で、西郷を案内してくれた不動屋の額に釘を打ち込んだ。もちろん、死体は発見されニュースになった。証拠は残さなかったが、夕方の情報番組で「原宿の怪事件」として大々的に取り上げられたのにはまいった。
 渋谷のスクランブル交差点を渡り終えた西郷は交番を見た。警官と目が合ってニコリと笑い返す。たとえ、職務質問で止められて所持品検査をされても愛用の小型ハンマーは見つけられない自信がある。
 ご苦労様。犯人は家に帰りますよ。
 スターバックスのグランデサイズのカップを軽く上げた。まさか、この中に殺人の凶器が入っているとは思わないだろう。

 糸井夏子は、自他とも認める恋愛運がない女である。
 マザコンの元カレは最悪だったが、その前の不倫も消し去りたい恋のひとつだ。相手の男は職場の上司。名前は千葉耕平。なぜ、あんなラクダ面野郎に溺れたのか、今となっては理解できない。
 きっかけは、これまた酒だった。千葉も大の日本酒マニアでよく二人で飲み歩き、仕事や恋愛の相談をしているうちに、男と女の関係になってしまった。体や性格の相性はさほど合わなかったけれど、酒の趣味だけでダラダラと二年も付き合った。アルコールが入ると千葉に包容力があるように感じ、ラクダ面もそれなりに渋く見えた。まさに、〝アルコールマジック〟だ。
 千葉と別れてからというもの、非常に職場での居心地が悪い。他の連中にはバレていないが、千葉との関係性がギスギスして息が詰まる。
 せっかくの日曜日なのに千葉と会うなんて、ストレスで今夜も酒に走りそうだ。
 夏子は、溜め息を連発しながら渋谷区円山町のラブホテル『ローマの恋泥棒』に入った。そこら中に、《KEEP OUT》と書かれた黄色いテープが貼られている。制服の警官が多く、鑑識の姿も見えた。
「遅いぞ、夏子」
 千葉が、腕組みをしながら仁王立ちで待っていた。こめかみがピクピクと痙攣するほど怒っている。
「すいません」
「十五分で来いと言っただろ」
「すいません」
 十五分じゃ無理に決まってるだろ。言い返したいが、他の警官の目もあるのでグッと堪えた。駒沢の総合病院からタクシーに飛び乗ったし、渋谷で降りて道玄坂を必死で走った。でも、千葉は結果しか見ない男で過程の努力を認めようとはしない。説明するだけ時間の無駄だ。
「ガイシャはこっちだ」
「管轄が違うのに大丈夫ですか」
「馬鹿野郎、協力するんだよ。去年の冬に原宿で起きた事件と同一犯だ」
「また、〝釘男〟が現れたと?」
「こんなマニアックな殺し方をする奴は他にいないだろうが」
 渋谷警察署の若手刑事に案内されて、エレベーターで三階へと上がった。深緑色の壁紙を貼った廊下は薄暗く、やたらと湿気がありカビ臭い。
 事件現場は、廊下の突き当たりの一番奥の部屋だった。
「どうも、どうも。お久しぶりです」
 開いているドアの前に、渋谷警察署刑事課の松木哲平がいた。元々は千葉の後輩で、一昨年、原宿警察署から異動となった、すこぶる優秀な男だ。少し禿げ上がった髪はハッカの匂いのする整髪料でぴったりと撫でつけられ、銀縁の丸眼鏡と夏でも着ているスリーピースのスーツがトレードマークだ。
「よう」千葉がそっけない挨拶で済ませた。松木とウマが合わないのは、原宿警察署の者なら誰でも知っている。
「二人とも相変わらず仲がいいですね。今も飲み歩いているのですか」
 千葉が、しかめっ面で首を横に振る。「夏子が酒をやめたんだ」
「嘘だろ?」松木が、かけている丸眼鏡に負けないくらい大げさに目を丸くして夏子を見る。
 夏子は、無言で頷いた。ここに来るまでのタクシーで、フリスク一箱分を食べて二日酔いの臭いは消してきた。
「失恋でもしたのかよ」
「そういうわけではありません」
「肝臓をやられたのか」
「いたって健康です」
「お前が禁酒できるなんて、隕石が落ちて来るよりも確率が低いぞ」
「私もそう思います」
 それも一年しか続かなかった。
 夏子の酒乱は原宿警察署でも有名で、三年前の隅田川の花火大会の最中、酔っぱらった勢いで屋形船から警部補を突き落とした苦い過去がある。もちろん、夏子は記憶が飛んでいて覚えていない。目撃者によれば、調子に乗った警部補が、泥酔した夏子にセクハラをしてきたところをラリアットで返り討ちにしたらしい。
「ガイシャはどこだ」千葉が、強引に話を終わらせる。
「こちらです。風俗に来て殺されるなんてシャレにならないですよ」
 松木に続き、夏子と千葉も部屋へと入った。千葉との情事に何度かラブホテルに行ったことを思い出して妙な気分になる。チラリと千葉の横顔を見ると、必要以上にふてくされた顔を作っているので彼も思い出しているのだろう。
 クリーム色を基調としたシンプルな内装だが、壁のあらゆるところに『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーンの写真やポスターが貼られている。これでは大勢に見学されているようで、落ち着いて愛を育めないのではなかろうか。
 キングサイズのベッドの上に死体があった。大の字になり、驚いた顔で固まったまま天井を睨みつけている。さほど出血はしておらず、クリーム色のシーツにわずかに血痕が付着している程度だ。
「釘は何本刺さっている?」千葉が、死体の顔を覗き込む。
「三本です。すべて根元まで埋まっていますね」
 松木が丸眼鏡を中指でクイッと上げた。集中しているときの昔からの癖だ。
「去年の原宿と同じ手口だな」
 去年の十二月に、原宿駅から徒歩三分の駅ビルで不動産業者が殺された。地下の居酒屋の空き店舗の座敷で、今回のガイシャとまったく同じポーズで発見された。
「目撃者は?」
「今のところはいません。防犯カメラも壊れていました」
「もしくは、壊されたのかもしれんな」千葉が、独り言みたいに呟いた。
 釘男は、大胆かつ慎重な男だ。前回も真っ昼間の犯行だったにも拘らず、目撃者はゼロ。証拠は凶器の釘だけ。その釘を辿ったところで、時間の無駄だった。過去の事件を遡ってみると四年前に京都で、六年前に福岡で額に釘が三本並んで突き刺さった男の死体が発見されていたが、ともに迷宮入りとなっていた。
「連続殺人鬼ですかね」松木がしきりに丸眼鏡を上げる。
「どうだろうなあ」千葉が言葉を濁す。
 管轄は違うが、自分の手で釘男を逮捕すると意気込んでいるのだ。
「この儀式というか、こだわりは変態のやり口でしょ」
「変態かどうかは知らないが、あまりにも鮮やか過ぎる殺し方だ」
「まさか、プロの殺し屋ですか。漫画みたいですね」
「どうだろうなあ」
「殺し屋なら銃で撃ったほうが手っ取り早いと思うんですけど」
 松木は納得がいっていない様子で首を傾げる。
 釘男の犯行は今回を合わせて四件。しかし、夏子は他に同じような死体があったはずだと確信していた。釘男は、プロフェッショナルだ。現場には、頻繁に〝仕事〟をこなしている人間の秩序と緊張感が残っているからだ。他の死体が出てこないのは、釘男に依頼した組織が処理したからだろう。
「ん? 何だ、こりゃ? まだ新しいな」
 千葉が前屈みになり、ベッドに顔を近づけた。シーツに直径五ミリほどの茶色い染みが付いている。
「血痕ではなさそうですね」
 夏子も千葉の後ろからシーツを覗き込んだ。千葉の背中から懐かしい匂いがする。メンソールのタバコと古本屋の匂いが混じったような……。
「夏子、シーツを嗅いでみろ」
「えっ? 自分でやってください」
 ここがラブホテルだということを考えると嫌だ。管轄外の仕事だから、給料も出ないだろうし。
「ダメだ。俺が、普段鼻が利かないのは知っているだろ」
 千葉は日本酒を飲むときだけ、嗅覚がするどくなるよくわからない体質だ。付き合っている当時、何度か手料理を作ってあげたが何を食べてもテンションの低い声で、そっけなく「うん。美味いよ」と言われたのでムカついた。
「僕も花粉症なんで」松木が、お手上げだと言わんばかりに両手を広げる。
 夏子は溜め息を飲み込み、ギリギリまでシーツに鼻を近づけた。二日酔いで自信はなかったが、匂い慣れた香りにすぐに染みの正体がわかった。
「チャイティーラテです」
「なんだ、そりゃ?」
「スターバックスのメニューです。誰かがここで飲みましたね」
「松木、部屋にスタバのカップは残っていたか」千葉が、興奮を抑えた声で訊いた。
「いいえ」
 つまり、ここで釘男が死体を眺めながら飲んで、カップを持って帰ったということになる。
「夏子、行くぞ」千葉が、飛び出るようにして部屋を出た。
 ついて行こうとする夏子の腕を松木が掴んだ。
「渋谷警察署で捜査本部が設置される。何かわかったら必ず教えろよ」
「わかりました」
 二日酔いがどこかに吹っ飛び、刑事の血が騒ぎ出した。
 なんだかんだ言っても、夏子はこの仕事が好きだ。

(つづく) 次回は2014年10月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 木下半太

    「劇団ニコルソンズ」主宰。映画専門学校中退後、脚本家、俳優として活動を始める。2006年『悪夢のエレベーター』で作家デビュー。同作品はテレビドラマ、舞台、映画化されベストセラーとなり『悪夢シリーズ』が人気を博す。他の著書に『オーシティ』『サンブンノイチ』『宝探しトラジェディー』『女王ゲーム』など多数。