物語がつまった宝箱
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  • 第四回 2014年10月15日更新
 中田安志は、自分の父親ほど男らしい人物に出会ったことはない。
 父親の名前は敬司。〝男〟より〝漢〟という字が似合う。ゴリラとゴルゴ13を足して二で割った風貌で、ヤクザや土佐犬でさえも道を譲る。角刈りでもみあげが逞しく、韓国海苔のような眉毛にぱっくりと割れた顎。首から肩にかけての筋肉に胸板の厚さ、広い背中に丸太のような二の腕を見れば、たとえどんな凶器を持っていても戦いを挑む気にはなれない。性格も豪快で、ナイーブな人間の心など割り箸みたいに簡単にへし折ってしまう。酒好きの喧嘩好きの女好き、将来の人生設計など皆無に等しく、給料は飲み屋のツケとギャンブルで吹っ飛び、警察官の分際で消費者金融のカードを並べて扇げるほどの浪費を繰り返していた。
 なぜ、そんな男が元ミス日本の美しい女性と知り合い、結婚までできたのか。
 二十五年前のその日、行く行くは安志の母親となる百合子が銀座のクラブで泥酔したヤクザに絡まれた。当時、二十五歳だった百合子は女優の卵として某芸能プロダクションに所属しており、社長から「社会勉強のために」と言われて半ば無理やりホステスをさせられていた。
 百合子は、普段は透明感のあるおっとりとした大和撫子だが、曲がったことが嫌いで気の強い面があり、「俺のコネで映画に出してやるから愛人になれ」としつこく迫ってきたヤクザの顔に、ロックグラスに入った《シーバスリーガル》をぶっかけて激怒させた。
「これは拉致されて犯されても文句は言えまい」
 店内にいる誰もがそう思ったとき、たまたま隣で酒を飲んでいた敬司が助け船を出した。と言っても丁寧に仲裁に入ったわけではなく、怒鳴り散らすヤクザのうしろから、「うるせえから寝てろ」と柔道家の絞め技の裸絞めで失神させたのだった。
 百合子は、一瞬で恋に落ちた。次の日には事務所に辞表を叩きつけて(辞めるのにそんなものいらなかったのだが律儀に用意した)芸能界におさらばし、今で言うストーカーのように敬司を付け回して交際を迫り部屋に押し掛け結婚までこぎつけた。
「いいこと、安志。男の価値は喧嘩の強さよ。どれだけ金を稼ごうと有名になろうとも、好きな女一人さえ守れないならオチンチンをちょん切ったほうがマシだわ」
 これが、百合子の口癖である。
 そんな家庭に育ったものだから、自分がゲイだということをカミングアウトなんてできるわけがない。
 安志は、自由が丘駅前の商店街にあるタイ料理店で、しかめっ面でパクチーをもぐもぐと噛んでいる村上先生を見つめながら心を悩ませていた。
 午後零時。人気店のランチだけあって、満員で入口には三組の客が待っている。安志たちが来店したときには、すでにテーブル席がひとつしか空いていなかった。男同士の客は安志たちだけ。
「どう? 何か思い出した?」
「たぶん……パクチーは嫌いだと思う」
「やっぱり、ラーメン屋にすればよかったかな」
「いや、美味いよ。グリーンカレーは絶品だった」
「よかった」安志は、胸を撫で下ろした。
 自分がチョイスした店の料理を褒められるのがこんなに嬉しいなんて初めて知った。村上先生はグリーンカレーと生春巻きのセット、安志はパッ・ガッパオ・ラーカウ(鶏肉のバジル炒め。目玉焼きとライスと混ぜて食べると最高)だ。互いの料理を分け合うのもたまらなく幸せだ。
 自由が丘に来たのは、村上先生が「勤め先の近所を歩いてみれば何か思い出すかも」と言ったからだ。駅の周りをぐるっと歩いてみたものの効果はゼロで、「おそらく、この駅近辺の飲食店には行ったことがあるだろうから食べてみれば何か思い出すかも」と言ったのでこの店に連れてきた。
「中学生なのに、こんな洒落た店に来るのかい」
「来たのは初めてだよ。立ち読みした雑誌に載ってから、いつか行きたいなと思ってたんだ」
 独身の村上先生のキャラなら、タイ料理店よりはラーメン屋に通っていそうだが、どうしても、好きな人とこの店に来てみたかった。『Hanako』の自由が丘特集号は立ち読みではなく、自分の部屋のベッドの下に隠している。十四歳の普通の男子ならエロ本を隠す場所だ。
 料理を食べ終えた村上先生が、アイスのジャスミンティーを飲みながら深い溜め息をついた。
「自分の好きな食べ物も覚えていないなんて絶望的な気持ちになるな」
「パクチーが嫌いってわかったじゃん」
「本当に嫌いかどうかはわからない。今、不味いと思っただけで、記憶を失くす前は大好物だったのかも。毎日、パクチーを食べていたのかも」
 そんな男、聞いたことがないよ。
「でも、パクチーって単語は覚えてるんだね」安志は、慰めるつもりで言った。
「そこが自分でも曖昧なんだ。何を覚えていて、何を忘れているのかが整理できていない。なぜ、勤務先の駅を思い出せないのにパクチーはわかるのかが謎だ」
 村上先生が、もう一度深い溜め息をつく。その切なげな顔を見て、安志の胸はキュンと締めつけられた。
 ……少女漫画かよ。こんなシーンを親父が見たら、怒りで頭の血管が切れて卒倒するだろう。
「ラーメンだと、醤油にトンコツに味噌のどれが好き?」
「どれだろうなあ……」村上先生が、目の間を指で揉みながら思い出そうとする。「トンコツのような気がするが、行きつけの店がまったく浮かんでこないから違うのかな……あと、トンコツといってもオーソドックスなスープじゃなくて、鶏ガラと魚介とトンコツを混ぜたニューウェーヴ系もあるだろ」
「ラーメンに詳しいね。好物なんだよ、きっと」
「学校でのおれは食べ物の話をしなかったのかい」
「まったく。他の先生みたいに授業で脱線することもなかったよ」
「そうか。おれは真面目で面白味がなくて、生徒たちに人気がない教師だったんだな」村上先生が複雑な表情になる。
「まあね」
 人気がないわけではない。女子の中に隠れファンがいるのは知っているけれど、ここはアドバンテージを頂くことにしよう。ただでさえ、男の安志は分が悪いのだから。
 村上先生の味方は、俺だけなんだよ。記憶喪失を利用して、徹底的にイメージを植え付ける。
 安志は、大げさに心配そうな顔を作った。「そろそろ、病院に戻ったほうがいいんじゃない?」
「戻る前に行きたい場所がある」村上先生が俯いていた顔を上げ、安志を見た。「安志。僕をツタヤに連れていってくれないか」
 その熱い眼差しと〝安志〟と呼び捨てにされたことで、顔面から火が出るほど恥ずかしくなり、思わず目を逸らしてしまう。
 俺は完全に乙女化している。村上先生と疑似デートしていることで、どんどんエスカレートするのを止められない。このままだとタイ料理店を出てすぐにあるアップルパイが抜群に美味しいと評判の(これも『Hanako』の情報だ)カフェに村上先生を引っ張っていくかもしれない。
 冷静になれ。アップルパイなんて食べてるところを家族の誰かに見つかったら大問題になるぞ。中田家でリンゴといえば、握り潰して握力をチェックするものだ。
「ツタヤは覚えてるの?」
 安志は脳内から甘い妄想を追い払い、話を元に戻した。
「映画をDVDで借りられるところだろ」
「好きな映画は?」
「それを思い出したい。さっき病院で夏子さんと映画の話をしたとき、少し記憶が戻りかけた気がする」
 くそっ。また〝夏子さん〟かよ。心臓を待ち針でチクチクと突かれたように胸の奥が痛くなる。
「ツタヤならこの近くにあるけど」安志は、平静を装い答えた。

(つづく) 次回は2014年11月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 木下半太

    「劇団ニコルソンズ」主宰。映画専門学校中退後、脚本家、俳優として活動を始める。2006年『悪夢のエレベーター』で作家デビュー。同作品はテレビドラマ、舞台、映画化されベストセラーとなり『悪夢シリーズ』が人気を博す。他の著書に『オーシティ』『サンブンノイチ』『宝探しトラジェディー』『女王ゲーム』など多数。