物語がつまった宝箱
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  • 第五回 2014年11月15日更新
「ツタヤならこの近くにあるけど」安志は、平静を装い答えた。
「頼む、連れて行ってくれ」
「わかったよ」
 安志は席を立ち、村上先生の手を引いた。
「おい、安志。この手は何だ?」村上先生が、戸惑った顔で訊いた。
 しまった。無意識に手を繋いでしまった。一緒にランチができたことに浮かれ過ぎて、いつも頭の中で繰り広げている妄想と現実をごちゃ混ぜにしている。
「ご、ごめん」
 顔を赤らめながら手を放した。耳が火傷したみたいに熱い。
 ぼ、暴走している……。
 安志は自分が自分でないような感覚に怯えつつも、初めて村上先生の手に触れた喜びに、そっと打ち震えた。

「この男の顔を覚えている」
 十分後。自由が丘駅前にあるツタヤで、村上先生はニコラス・ケイジと見つめ合っていた。
「名前、教えようか」
 安志は、村上先生が持っているDVDを覗き込んだ。このパッケージの男は覚えている。作品のタイトルは『天使のくれた時間』である。この映画は観たことがない。安志が知っているニコラス・ケイジの映画は『フェイス/オフ』と『コン・エアー』と『キック・アス』だけだ。
「いや、言わないでくれ。自分で思い出したい」
 村上先生は鼻からゆっくりと息を吸い込んで、必死で記憶を掘り起こしている。その切なげな横顔が、さらに安志の胸をキュンとさせた。
「思い出した」村上先生が、顔を輝かせる。「ニコラス・ケイジだ」
「正解」安志まで嬉しくなる。「その作品を観たことあるの?」
 村上先生の顔が曇る。「そこまでは思い出せない」
「じゃあ、偶然、棚から取っただけかな?」
「どうなんだろうか……。このタイトルに見覚えがあるような気がするけど、ストーリーまでは思い出せない」
 天使のくれた時間。まさに、今の安志の状況である。
 しかし、喜んでいる場合ではない。もし、村上先生の記憶が元に戻らなければどうなるか。当然、教師を続けるのは無理になるだろう。
 村上先生が自由が丘学院中学を解雇されたら、もう二度と会えなくなる可能性もある。
 村上先生を助けるためには、記憶を戻して上げなければならない。でも、そうなれば、この親密な関係ではなくなるだろう。呼び方も「安志」ではなく、「中田君」に戻るはずだ。
 ちくしょう。切ないぜ。
「すいません」
 安志の背後から、低い声がした。振り返るとやたらと背の高い、ニット帽の男がDVDの棚に手を伸ばそうとしている。
 安志が体を退けると、ニット帽の男は村上先生の隣に並んだ。
 デカい。バスケかバレーの選手か?
 身長はゆうに百九十センチはある。細身だがTシャツから伸びる長い腕は、かなり締まった筋肉をしている。デニムのハーフパンツから伸びる脚もありえないくらい長い。目が糸のように細く、顎髭を生やしている。年齢は二十代後半といったところか。
 ん? こいつ、何やってんだ?
 ニット帽の男はDVDの棚を見ずに、村上先生の横顔を凝視している。見られている本人は、ニコラス・ケイジと睨めっこしているので気づいていない。
「もしかして、村上先生の知り合いですか」
 安志は、思わずニット帽に声をかけた。
「えっ?」村上先生が、キョトンとした顔でこっちを見る。
「いいえ。違います」
 ニット帽の男は、DVDを何も借りず、大股でツタヤから出て行った。
「何だ、あれ?」村上先生が首を傾げる。
 本当に知り合いじゃないのか? ニット帽の男の挙動不審な態度は赤の他人のものには見えなかった。ただ、村上先生に訊いても何も覚えていないので無駄だ。
 何者だよ、あのノッポは……。
 安志は、説明のできない胸のざわつきを覚えた。

   5

 糸井夏子が刑事になった理由は、過去のトラウマに原因がある。
 高校一年生の夏休み、複数の男にレイプされそうになったのだ。
 当時の夏子は、恋愛に対して好奇心旺盛などこにでもいるような女子高生だった。そのくせ奥手で、まわりの女友達が彼氏を作り、次々とバージンを失うのに焦りを感じていた。中学生のときに彼氏はいたが、二人ともまだ子供で、フレンチキス止まりで別れ、夏子は何とかしてこの夏休みで処女を捨てなくてはと切に願っていた。
「ねえ、ナンパされに行かない?」
 当時、一番仲が良かったM子に誘われたとき、どうして断らなかったのだろうかとずっと後悔している。
 若気の至りだ。ナンパで彼氏を作ろうとは微塵も思っていなかったが、とにかく退屈だった。
 その日は、近所の河川敷で花火大会があった。夏子の住んでいた地方都市では数少ないイベントである。そして、花火以外が目的で集まる若い男女のことも夏子は知っていた。
「ねえ、君たち高校生?」
 M子の目論見通り、花火が始まる前に四人組の大学生風の男たちに声をかけられた。
「ううん。違うよ」
 M子は、思いっきりブリッコな素振りで答えた。夏子とM子は共に可愛いワンピースでバッチリとキメていた。浴衣の子が多いだけに、私服のほうが逆に目立つ作戦だ。
「花火を見るなら特等席があるんだけど、俺たちと一緒にどう?」
 夏子とM子は顔を見合わせた。男たちは四人とも爽やかで、格好良かった。夏子のまわりの友達でも、大学生と付き合っている子は一目置かれている。
「大学生?」
「そう。四人ともW大。俺の地元で皆遊びたいって言うから帰って来たんだ」
 四人の中で、リーダー格のロン毛の男の子がニコリと笑った。
 東京の大学生だ。M子が目の合図で「この人たちでいいよね」と送ってきたので、「もちろん、いいよ」と返した。
 大学生たちは、二台の車に乗っていた。夏子とM子は離れたくなかったので、同じ車に乗った。
「花火を見るのに絶好のポイントがあるんだ」
 運転席のリーダー格のロン毛は得意げだったが、車はどんどん河川敷から離れていく。
「どこに行くの?」
 少し怖くなった夏子は訊いた。
「K高校の裏に山があるだろ。あそこの頂上だよ。夜景も綺麗だしさ」
「夜景は綺麗だけど……」
 河川敷からはかなりの距離があるし、裏山の頂上付近は道路がしっかりと舗装されているわけではなく、車で行けるかは疑問だった。
「河川敷は人が多過ぎてまともに花火が見れるわけないじゃん。ダサいヤンキーたちもウヨウヨいるしさ」
 ロン毛が夏子の不安を察したのか、爽やかに笑い飛ばす。
「だよね。私もヤンキー大嫌い」
 M子が、ロン毛に同調した。面食いのM子は、どうやらロン毛が気にいったらしい。
 ちょうど花火大会が始まったころ、二台の車は裏山の頂上に到着した。まともに車が走れるような道ではなかったが、強引に登ってきたのだ。
 たしかに花火は見えたが絶好のポイントというほどのものではなかった。M子は大学生たちがクーラーボックスで持ってきたビールを飲んではしゃいでいる。
 裏山の頂上には街灯などなく、花火の明かりで何とか隣の人の顔が確認できるぐらいだった。
 気がつくと、M子の声が聞こえなくなっていた。
「あれ、M子は?」
「車で楽しんでるよ」
 ハッとした。ロン毛もいないようだ。
「車で何してるのよ。まだ花火は終わってないのに。M子を呼んでくる」
 ロン毛の車に向かおうとした夏子の手が、強い力で掴まれた。
「邪魔しちゃダメだって。俺たちも楽しもうぜ」
 いつのまにか、三人の男に囲まれている。三人がフォーメーションを組むように、ジリジリと夏子に接近した。
 ヤバい。
 男性経験のない夏子にも、目の前の男たちが欲情しているのがわかった。このままでは犯されてしまう。
 何でこんなところに来てしまったんだろう。後悔しても遅い。大学生たちの爽やかな雰囲気にコロリと騙された自分たちが悪いのだ。
 でも、好きにさせて堪るか。死ぬ気で抵抗してやる。
 夏子は三人の大学生たちを引きつけ、目の前にいた男の股間を思いっきり蹴り上げた。暗闇の中で悶絶しながら男が倒れる。
 夏子は突っきって逃げようとしたが、そんなに甘くはなかった。うしろから髪の毛を掴まれ、砂利道の上に力任せに転がされた。
 痛い。肘を打って擦りむいたのがわかる。間髪入れずに二人の男が覆い被さってきた。
 重い。圧倒的な力の差に愕然となる。
 絶対に諦めない。犯されて処女を奪われるぐらいなら、舌を噛んで死んだほうがマシだ。幸いなことに、アルコールが苦手な夏子はビールを飲むふりをしてほとんど口をつけていなかった。
 パニックになるな。冷静に状況を判断しろ。
 一人が馬乗りになって夏子を押さえつけ、もう一人が足下からワンピースの中に手を突っ込もうとした。
 夏子は恐怖を堪え、両脚を振り回した。パンティーを脱がそうとする男の顔面を蹴り上げたいが、馬乗りの男が邪魔で見えない。胸の上に座り、夏子が暴れないように両手を押さえつけてくる。
 暗闇の中、二人とも息が荒く興奮している。何も言わずスムーズに役割分担ができているということは、女の子をここに連れて来てレイプするのは初めてじゃないはずだ。もしかすると、東京の大学生という話も嘘なのか。
 許せない。怒りで、夏子の全身の血液が逆流した。でも、身動きができない。自分は何て力の弱い存在なのだろう。
 あっさりとパンティーを脱がされた。カチャカチャとズボンのベルトを外す音が聞こえる。
 悔しくて、涙が出てきた。
 少し離れた場所に停めてあるロン毛の車がギシギシと揺れているのがわかる。M子は、すでに犯されている。
「諦めろ。こんな山奥まで誰も助けに来ねえよ」
 馬乗りの男が、ビールとタバコの臭いをさせながら、夏子の耳元で囁いた。
「乱暴にしないで。私、初めてなの」
「おいおい、マジかよ」馬乗りの男がさらに興奮する。「優しくしてやれよ」
「オッケー」
 ズボンを脱いだ男が、夏子の両膝を掴み、脚を開かせようとした。
「私は優しくしないから」夏子は、ぼそりと呟いた。
「あっ? 何だって?」馬乗りの男が耳を夏子の顔に近づける。
 これを待っていた。
 夏子は首を伸ばし、目の前に来た耳に力一杯噛み付いた。容赦なく首を振り、耳を噛みちぎった。
「ぎゃああ」
 馬乗りの男が、悲鳴を上げて腰を浮かした。
「ど、どうした?」パンティーを脱がした男が動揺する。
 夏子は、自由になった両手で馬乗りの男を突き飛ばし、立ち上がった。
 足下で呻いている馬乗りの男に向けて口の中の肉片を吐き出す。
「てめえ、何したんだよ」
 パンティーを脱がした男が掴みかかってきた。しかし、暗さのおかげでしっかりと夏子を捕らえることはできない。下ろしていたズボンが足首に絡み、男はバランスを崩して転倒した。
 そのとき、ひと際大きな花火が上がった。夜空が輝き、尻を丸出しにした男がうつ伏せで倒れているのが確認できた。
 夏子は勢いをつけて飛び上がり、全体重を乗せた両足で尻丸出し男の後頭部を踏みつけた。ぐしゃりと鈍い音がして、尻丸出し男がピクピクと全身を痙攣させる。
 たぶん、死なない。死んだところで構うものか。
 早く、M子を助けなくちゃ。
 夏子は地面をじっと眺め、花火の明かりを頼りに拳より少し大きめの石を拾い上げた。脱がされたパンティーも穿かず、ギシギシと揺れるロン毛の車に小走りで近づく。
 後部座席に重なり合う人影が見えた。
「M子から、は、離れろ!」
 ドアを開け、叫んだ。自分でも酷く声が震えているのがわかる。
「邪魔すんなよ。あとでお前もヤッてやるからさ」
 ロン毛が、車内のライトを点けた。ズタボロになったM子が、ロン毛の下で泣いている。
 頭の中で、太い血管がブチリと切れたような音がした。夏子は、握っていた石でロン毛のこめかみを強打した。
「あが……」
 こめかみを押さえて俯くロン毛の後頭部に、石を連続で叩き込む。
 ゴン、ゴン、ゴン。四回目で、M子が夏子の腕にすがりついた。
「もういいから。死んじゃうから。私は大丈夫だから」
 大丈夫なわけがない。M子も処女だったのだ。
 ずっと泣き止まないM子の肩を支えながら、二人で山を下りた。真っ暗でほとんど何も見えなかったが、恐怖のあまり無我夢中だった。夏子のパンティーは見つからなかったのでノーパンのままだった。
 交番に駆け込もうとする夏子をM子が止めた。
「今夜のことは誰にも言わないで。親や学校に知られたら生きていけない」
「あいつらが逃げてもいいの。病院にも行かなくちゃ」
 今だったら、裏山にいる大学生たちを捕まえることができるかもしれない。
「私が我慢すれば済むし。私も忘れるから夏子も忘れて」
 夏子は、犯されたM子の意見を尊重するしかなかった。
 新学期が始まり、M子は前と変わらぬ明るさで学校生活を送っていた。夏子は、そんなM子の痛々しい姿を見るのが辛く、距離を置いて付き合った。
 結局、あの四人の大学生たちは野放しのままだ。今頃、またどこかの街で世間知らずの女の子たちを狙っているかもしれない。法的な罰を与えられなかったことが夏子は納得できず、高校を卒業してからもその後悔の念は消えることはなかった。
 罪を犯してものさばり続け、大手を振って一般人とともに生活している輩は、この世にゴマンといるのではなかろうか。
 そう思ったとき、夏子の未来は決まった。
 刑事になって悪党どもを根こそぎ逮捕してやる、と。

(つづく) 次回は2014年12月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 木下半太

    「劇団ニコルソンズ」主宰。映画専門学校中退後、脚本家、俳優として活動を始める。2006年『悪夢のエレベーター』で作家デビュー。同作品はテレビドラマ、舞台、映画化されベストセラーとなり『悪夢シリーズ』が人気を博す。他の著書に『オーシティ』『サンブンノイチ』『宝探しトラジェディー』『女王ゲーム』など多数。