物語がつまった宝箱
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  • 第六回 2014年12月15日更新
「渋谷にスターバックスは二十六軒あります」
 夏子は、道玄坂を駆け下りながら、スマートフォンで検索していた。ギャルや水商売や古着系の若者が多く、邪魔で走りにくい。渋谷は、いつ来ても忙しない街だ。
「犯人がチャイなんとかを購入したのは渋谷だとは限らん」千葉が息を切らせながら言った。「東京にスタバは星の数ほどあるのだからな」
「チャイティーラテです」
 言い間違いを訂正した。昔は、そういう千葉の大雑把な面が男らしく見えたときもあったが、今は苛つくだけである。
「渋谷から一軒ずつ、しらみつぶしで当たっていきましょう」
「どれだけ時間がかかると思ってる」
「そこまではかからないはずです。時間帯も注文したものも絞られているわけですから」
 長くともこの数時間内で、渋谷近郊のスターバックスでチャイティーラテを買った男を各店内の防犯カメラで探せばいい。もちろん、犯人は女の可能性もなくはないが、ラブホテルを殺害場所に選んだところから判断すると、犯人像は〝地味な男〟だ。どこにでもいるような、大都会の人ごみの中にすんなりと溶け込めるような風貌のはずだ。
 あの釘男が、近くにいる。
 そう考えただけで夏子の全身は武者震いで小刻みに揺れ、居ても立ってもいられなくなる。
 この手で捕まえてやる。絶対に逃がすものか。
「わかっているとは思うが、スタバでチャイなんとかを買っただけじゃ証拠にならねえぞ」
「凶器も必ず見つけだします」
 釘男は、殺し方に拘っている。儀式なのか得意のパターンなのかは知らないが、使い慣れた凶器で犯行に及んだ率が高い。
「探すべきは、ハンマーだ」千葉が、横っ腹を押さえながら言った。「渋谷のラブホテルで殺された男も、去年、原宿の地下の空き店舗で殺された男も、左側頭部上に殴られた傷があった」
「釘男は右利きですね」
「日本の人口の九割が右利きだけどな」
 千葉は、夏子と別れてから皮肉を言うようになった。もう少し、可愛げがあったのに、運動不足といい、ただのオヤジになってきている。
「釘男は、ガイシャを正面から殴っていますよね」
 原宿で殺された遺体を視た鑑識の見解だ。今回の遺体にも左側頭部上のほぼ同じ位置に殴ったあとがあった。
「正面から綺麗に殴るのは難しいはずなんだけどな。隙を突かなければいけないが、知人でもない限り、正面に立たれたら警戒するだろう」
 駅が近づき二人は走るのをやめて大股で歩いた。人が増え過ぎたので、歩いたほうが早いからだ。
「原宿のとき、鑑識は釘男を百九十センチはあると言ってましたよね」
「ああ。ガイシャが百八十七センチだったからな。左側頭部のあの高い位置にハンマーを打ち込める奴は相当のノッポだろう」
「もし、頭を下げていたら……」
「どういう意味だ?」
「方法はわかりませんが、釘男はガイシャの頭を殴りやすいように下げさせたかもしれないと思って」
 109の前で信号待ちを食らう。日焼けサロンでこんがりと焼いたギャルの集団が写メを撮り合って無邪気に騒いでいる。何かイベントでもあるのか。
 他の通行人たちも能天気に歩いていた。まさか、ハンマーで額に釘を打ち込む殺人鬼がこの近くに潜んでいるかもしれないとは夢にも思わないだろう。
「たとえば、どんな方法がある?」
「……何かを覗かせる」
「腕時計とかか」千葉は、薄らと不精髭が生えた顎を撫でた。
「たしかに、今回のガイシャも原宿のガイシャも腕時計をしていました。でも腕時計を覗くのに、そこまで頭は下げないのでは……」
「わざわざ、ラブホテルで時間は訊かないよな」
「はい。他の方法だと思います」
「つまり、スタバの防犯カメラに写っている身長の高い男が釘男だとは限らないわけだな」千葉が顔をしかめた。「身長が関係ないのなら、チャイなんとかを飲んだすべての人間が容疑者になるぞ」
 とてもじゃないが、少人数では調べ切れない。
「なあ、夏子。スタバの線は諦めて、他の証拠を探したほうが早いんじゃねえか」
「嫌です。私は自分の直感を信じます」
「俺は付き合えんぞ」
「一人でやります」
 合理的でないのはわかっているけれど、どうしてもムキになってしまう。
 相手が千葉だからではない。一般人に紛れて、この東京を堂々と歩いている釘男が許せないだけだ。
「しょうがねえなあ」
 信号が変わった。千葉は大げさに溜め息をつき、夏子よりも先に横断歩道を渡り出した。
「現場に戻らなくていいんですか」
「じゃじゃ馬の世話をするのも俺の仕事だ」
 誰が馬なのよ!
 しかし、怒りよりも胸の奥をざわつかせる、こそばゆい感覚が勝ってしまう。
 優しくされても、絶対にヨリは戻さないわよ。
 夏子は自分に言い聞かせ、千葉の広い背中を追った。

   6

「ここが夏子さんの家だ」
 村上先生が、合い鍵を使ってマンションのドアを開けた。
「何だか男の部屋みたいだな」
 埃っぽいし、キッチンには洗い物も残っている。
 勝った。俺の部屋のほうが綺麗だ。
 中田安志は心の中でガッツポーズをした。ただ、虚しい勝利ではある。村上先生が安志の部屋に来ることは、エイリアンが白昼堂々インターホンを押すくらいありえないことである。
「とりあえず、夏子さんが仕事から戻ってくるまで僕はここにいるよ」
 村上先生が、疲れた表情でフローリングに座り込む。
「その夏子さんってのは、どんな女なわけ?」
「出会ったばかりだから詳しくは知らないけど、サバサバしていて頼りがいのある人かな。妙に肝が座っている感じがしたな」
「全然、女らしくないじゃん。まあ、この殺風景な部屋を見たら大体は想像がつくけど」
 つい、口調がぶっきら棒になってしまう。
 これが、嫉妬というものか。
 安志は、女の嫉妬が大嫌いだった。歴代の彼女とは、ほとんどそれが原因で別れた。
 異様にモテる安志の周りには、彼女がいても一向に気にしないハイエナみたいな女子たちが集まってくる。安志は何もしていないのに、毎回、嫉妬に狂った歴代の彼女たちに責め立てられてはうんざりしていた。
 それが、今は安志の胸に嫉妬の炎が渦巻いている。自分でもドン引きだ。
「ありがとう、安志。付き合わせて悪かった。用事もあるだろうから、もういいぞ」
 村上先生が、笑顔で帰そうとする。当然、安志の恋心には一ミリも気づいていない。
「別に今日は暇だし、もう少し居てやってもいいぜ」
 村上先生が、軽く眉をひそめた。
「二人で何をする?」
「何もしねえよ」
 ベッドが目に入り、鼻血が出そうなほど心拍数が跳ね上がる。
 昨夜は、このベッドの中に先生とあの女が寝ていたのか。
「どうした?  すごい汗だぞ。そんなに暑いのか」
「ま、まあな」
「そんなに暑いのなら、服を脱いだらどうだ。パンツ一丁になればいいじゃないか」
「おかしいだろ!」
「男同士だ。気にするほうがおかしいだろ」
 密室で二人きり。もしかすると、これは一世一代のチャンスなのか。
 バカか、俺は。教師と生徒なんて禁断の愛だろ。
 でも、この気持ちを伝えたい。たとえ嫌われてもいい、今なら言えそうな気がする。
「先生、あのさ……」
「何だ?」村上先生が、安志の顔を覗き込む。
 緊張のし過ぎで気を失いそうになる。安志は父の言葉を思い出し、自らを奮い立たせた。
『どんな相手でも関係ない。勝ち負けは常に己の中にある』
 もちろん、父は喧嘩のアドバイスのつもりで息子に言ったのだろうが、恋愛に使わせてもらう。
 安志は、びびりまくってる自分を心から追い出した。
 よしっ。告白できる。
「俺、先生のことが」
 人生は、ときに残酷である。無情にも、計ったようなタイミングで部屋のインターホンが鳴った。
安志と村上先生が、顔を見合わせる。
「夏子さんが帰って来たのか」
 村上先生が、玄関を見ながら言った。
「いくらなんでも早過ぎるってば」
 間髪入れずに、インターホンが二度立て続けに鳴る。
「出たほうがいいかな。宅配かもしれない」
「本人じゃないから受け取れないって」
 次に聞こえてきたのは、インターホンではなくドアを開ける金属音だった。
「安志、鍵を締めなかったのか」村上先生が小声で訊いた。
「俺かよ? 鍵を開けたのは先生じゃん」安志はさらに小声で返した。
「最後に部屋に入ったのは安志だ」
「人のせいにするなよ」
 静かな足音とともに、 一人の男が部屋に入ってきた。やたらと背が高く、ニット帽を被っている。
 ツタヤにいた男だ。
 男は小さく息を吐き、部屋を見渡した。
「ここは誰の家だ」
「そういうあんたこそ誰だ」
 男は土足だった。目が据わり、両手に革の手袋をはめている。どう見ても、遊びに来た雰囲気ではない。
 部屋の空気が、ピンと張りつめた。
「サンデー」
 男が、村上先生に言った。「蛍をどこに隠している」
「サンデー?」村上先生が助けを求めるように安志を見る。
 安志は何のことかわからずに、肩を竦めた。
「誰かと間違われてませんか」村上先生が男に訊いた。
「とぼけるな。蛍はどこだ」
「蛍とは?  あの光る虫のことですよね」
「何の真似だ」男がニット帽を脱いだ。
 スキンヘッドに、クモの巣のような刺青が彫られてあった。
「すげえ」安志は、思わず声に出した。
「蛍はこの部屋に隠しているのか」男は意味不明の質問を続けた。
「その蛍とはなんですか」村上先生が真顔で訊き返す。
「先生、今の状況をちゃんと話したほうがいいんじゃない?」安志は助け舟を出した。
 村上先生が一息つき、スキンヘッドに説明した。「とても信じられない話ですけど、実は僕、今朝から記憶喪失になってしまったのです」
「ふざけるな」
「ふざけてません。今も病院から帰ってきたとこです」
 スキンヘッドがこめかみの筋肉をヒクヒクと痙攣させた。
「お前の仲間たちを一人ずつぶっ殺すぞ」
「教師仲間のことですか?」
「そんなに死にたいか」
 スキンヘッドが、パンツのうしろポケットから光る物を取り出した。
 バタフライナイフだ。
 咄嗟に体が動いた。安志はスキンヘッドの右手を蹴り上げた。ナイフが玄関のほうへと吹っ飛んでいく。
 スキンヘッドが意外そうな顔で安志を見る。
「驚いた。なかなか、素早い動きだな。何か格闘技をやっているのか」
「やめろ。この子はまだ中学生だ」
 村上先生が、スキンヘッドの前に立ち塞がった。
「先生、邪魔だからどいてくれよ」
 安志は村上先生を押し退けようとしたが頑として動かない。
「サンデー、今ここでお前を殺す」
「あの……僕たちは知り合いなのですか」
「最後にもう一度だけ訊く。蛍はどこだ」
「僕の質問にも答えてくださいよ。それに僕の仲間って誰なんですか」
 スキンヘッドが呆れた顔で苦笑いした。
「あんないい女たちを忘れるなんて、本当に何も覚えていないのか」
 いい女たち? 
 どういうことだ。学校での村上先生を見る限り、まるで女っ気がなかったのに。
「だから、記憶喪失だと言っているじゃないですか」
「もういいよ。死ね」
 スキンヘッドの左腕が鞭のようにしなり、拳が村上先生の顔面にヒットした。
 ゴツッという鈍い音とともに、村上先生がベッドに仰向けにひっくり返る。まともにパンチを食らった。
「俺の大切な人に何やってんだ」
 安志は、ナイフを拾いに行こうとするスキンヘッドの右腕を左手で掴んだ。
「怪我をしたくなければ手を放せ、坊や」
「すぐに放してやるよ」
 左手を強く引くと同時に、右手でスキンヘッドの奥襟を掴み、右足で相手の内腿を跳ね上げた。
 安志が得意とする柔道技のひとつ、内股である。
 喧嘩のときに、投げ技は封印している。畳の上ではない場所で、受け身の取れない素人にかけると命を奪いかねないからだ。
 だが、この男には容赦しない。
 村上先生を殴った。それに、スキンヘッドは喧嘩慣れしているし、おそらくボクシングの経験者だ。
 安志は、フローリングに叩き付けたスキンヘッドの顔を踵で踏んだ。グシャリと軟骨が潰れる音がする。
 しかし、スキンヘッドはすぐさま安志の足首を掴んだ。
 うかつだった。ほとんどの相手は鼻を折れば戦意喪失する。
「ゆかいな坊やだな」
 スキンヘッドは不敵な笑みを浮かべ、安志の足を掴んだまま立ち上がった。バランスを崩した安志はひっくり返り、一気に形勢が逆転する。
 安志に起き上がる隙を与えず、流れるような動きで馬乗りになった。
「殴るぞ」
 スキンヘッドが、わざわざ宣言して拳を振り上げる。
 咄嗟にガードする安志の腕に、石のような拳を落とす。 骨が軋むほどの衝撃だ。
「いつまで耐えられるかな。泣いて謝っても許さないぞ」
 もう一発、強烈な一撃が落ちてくる。
 安志は、体が固まって動けなかった。自分より強い相手とは散々戦ってきた。父親や二人の兄には、逆立ちしても敵わない。
 だが、この男のように、人を痛めつけて喜ぶ相手は初めてだ。
 ガードの隙間から覗くスキンヘッドの顔は、昂奮で紅潮している。
 認めたくないが、怖い。本物の暴力は精神を削ってくる。
「うちの生徒に体罰はやめてください」
 いつのまにか、スキンヘッドの背後に村上先生が立っていた。
「生意気なガキにはお仕置きが必要だろ」
 スキンヘッドが、安志に馬乗りになりながら振り返る。
「僕は暴力反対です」
「殺されそうになってもか」
「正当防衛の場合は致し方ありません」
 村上先生が両手の親指を立て、腕を広げた。
 グーサイン?
「何だ、そりゃ」スキンヘッドが、鼻で嗤う。
 次の瞬間、村上先生の親指がスキンヘッドの両サイドの首筋を挟むようにして突き刺した。
「あがっ……」
 スキンヘッドが目を見開き、口からだらしなく舌を垂らして安志の上に倒れ込み、気を失っていた。
「い、今のは何だよ」
 安志はスキンヘッドを床に転がし、立ち上がった。
「わからない。体が勝手に動いた」
「はあ?」
 見たこともない特殊な技だ。指だけで、大男をノックアウトするなんて聞いたことがない。
「安志」村上先生が、自分の親指を見つめながら言った。 「僕は一体、何者だ」

(つづく) 次回は2015年1月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 木下半太

    「劇団ニコルソンズ」主宰。映画専門学校中退後、脚本家、俳優として活動を始める。2006年『悪夢のエレベーター』で作家デビュー。同作品はテレビドラマ、舞台、映画化されベストセラーとなり『悪夢シリーズ』が人気を博す。他の著書に『オーシティ』『サンブンノイチ』『宝探しトラジェディー』『女王ゲーム』など多数。