物語がつまった宝箱
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  • 第七回 2015年1月15日更新
第二章 月曜日

「サンデーが行方不明ってどういうことよ」
 そろそろ、鮮魚コーナーの特売品セールが始まろうとしている午後六時、みどりは港区の白金台駅前にある大型スーパーで泣きそうな顔になっていた。
『アタシに訊かれても知らないわ。昨日から、まったく電話が繋がらなくてムカついてるんだから』
 電話の向こうの雲雀弓子がヒステリックに吠える。
 静岡みどりは、周りを確認して声をひそめた。
「どうすんのよ。次の日曜がMの日なのよ」
 Mとはミッションのことである。仲間内だけの隠語だ。
『だから、アタシに訊かないで。ただでさえ、今日の運勢は最悪なのよね』
「まさか、殺されてはないよね」みどりは、さらに小声になる。
『縁起でもないこと言わないの。言霊を舐めたら痛い目に遭うわ』
「だって、私たちの副業は油断が命取りになるじゃない」
 リスクは承知だ。いつの時代も金を稼ぐのは楽ではない。
『嫌なら足を洗うことね。みどりの今年は四柱推命では、何をやっても裏目に出る年とあるわ』
「勝手に占わないで」
『何さ。タダで診て上げてるんだから感謝すべきでしょ』
 雲雀弓子がますますヒステリックになる。精神的に不安定なのが彼女の弱点だ。
「占い師だったらタロットか水晶でも使って、サンデーの居場所を調べなさいよ」
『あのね。占いとは本来そういものではないの。この罰当たりめが』
「でも、サンデー抜きでMは決行できないじゃない」
 この数ヶ月の下準備がすべて水の泡になる。次の日曜日のチャンスを逃せば、二度とお宝は手に入らない。
『サンデーの部屋まで行って様子を見てきて』
「私が?」
『チームの中で、今日、本業が休みなのはみどりだけなの。さっさと行きなさい』
 歳下のくせに命令しないでよね。
 雲雀弓子が、高圧的な口調になる。彼女のデカい態度は占い師向きではあるが、たまにその口にセメントを流し込みたくなる。
「あのね、私は主婦なの。せっかくの休みの日くらいは愛する夫に手料理を作って」
 抵抗むなしく、一方的に電話を切られた。
「インチキ占い師!」
 思わず声を張り上げた。我先にとパックの刺身を選んでいた主婦たちが目を丸くしてみどりを見る。
「ごめんあそばせ」
 みどりは、顔を引き攣らせながら鮮魚コーナーから立ち去った。
 愛する夫には、惣菜のお弁当で我慢してもらおう。

 スターバックスの捜査で、思うような結果が得られなかった糸井夏子は、疲労感にうな垂れながら自分の部屋のドアを開けた。
 記憶喪失のもじゃ男がいない。もしかすると、すべてを思い出して我が家に帰ったのだろうか。
 それだと助かる。今夜も泊めなくてはいけないのかと気をもんでいた。
 冷蔵庫からペットボトルのジャスミン茶とアロエヨーグルトを出した。猛烈に缶ビールが飲みたい衝動を我慢する。次こそは絶対に酒断ちを続ける覚悟だ。
「何よ、これ」
 部屋の異変に気がついた。複数の人間が暴れたようなあとがある。しかも、今朝、替えたはずのベッドのシーツに血痕が残っているではないか。
 この部屋に誰がいたの?
 さらに注意深く観察すると床に靴跡まであった。
 とてつもなく、嫌な予感がする。と同時に、あの記憶喪失のもじゃ男の正体を突き止めないと気が済まなくなってきた。
 刑事の性だ。
 夏子は徹底的に部屋を調べ、ベッドの下から茶色の革製の小銭入れを発見した。
 数百円とレシート、ツタヤのカードが入っていた。
「中田安志」
 夏子は、カードの裏に書かれている名前を呟いた。
                
 午後八時。学芸大学の居酒屋『あおぎり』のカウンターで静岡みどりは、サンデーの肩を掴んだ。
「探したわよ。何、呑気にウーロンハイ飲んでるのよ」
 家に行ったのだが、サンデーがまったく帰ってくる気配がなかったので、何軒かあるサンデーの行きつけの店を巡ったのだ。
「だ、誰ですか? これはただのウーロン茶です」
 サンデーが怯えた目でみどりを見た。
 まだ早い時間だからか、そこまで店は混んでいない。
「何、すっとぼけたこと言ってるのよ」
「僕のことを知っているのですか?」
「全然、面白くないわよ。主婦だって、それなりに忙しいんだからね」
「昨日から記憶がないんです。自分が誰なのかもわからない……」
 みどりは、思わず噴き出した。サンデーが冗談を言うなんて珍しい。
「今のは、ちょっと面白かったわ」
「ふざけないでください」
 逆にサンデーがムッとする。
「ふざけてるのは、そっちのほうでしょうが。いい加減にしてよ。早く帰って鯖そぼろ作らなきゃいけなかったのに」
「何ですか、それは?」
「鯖をそぼろにするのよ! 旦那の好物なの!」
「人妻なんですか?」
「わざわざいやらしい言い方しないで」
「もしかして、僕と不倫関係にあったんですか……」
「ないわよ!」
「じゃあ、あなたと僕の関係は何ですか?」
 真顔のままだ。そもそも、サンデーはこんなにくだらない冗談を言うタイプではない。
「ほ、本当に記憶がないの?」
 サンデーが泣きそうな顔で頷いた。こんな彼を見るのは初めてだ。さっきからのぎこちない敬語も違和感があり過ぎる。
「昨日、頭に怪我をして……」
「えっ? どういうこと?」
「わかりません。覚えてないので」
「それが原因ってことよね?」
「たぶん、そうですね」
 車にでも轢(ひ)かれたのかしら……。とりあえず、死ななくてよかったけど。
 サンデーが、ウーロン茶のグラスを手に弱々しい溜め息を漏らした。
「どうやら僕は教師らしいんですよ」
「表の顔はね」
「う、裏の顔があるんですか?」
「ちょっと待って。頭が痛くなってきた」
 ……どうすればいいのよ?  
 あまりにも想定外の事態に混乱してしまう。
「もちろん、次の日曜日のことも覚えてないわけね」
「日曜日?  何があるんですか?」
 マズい。今までの努力が水の泡になる。
「連絡を取るわ」
「誰にですか?」
「あなたの仲間よ」
「その仲間っていうのは何人ぐらいいるのですか……」
「私を入れて六人よ」
「えっ? そんなに?」
 ダメだ。こめかみの血管が切れそうになる。
「あなたがチームのリーダーなんだってば」
「一体、どういうチームなんでしょうか」
 サンデーがオドオドした口調で訊いた。カウンターにはポテトサラダがあった。サンデーの大好物だ。記憶はないくせに、食べ物の趣味は変わらないのか。
「電話いいかしら?」
 顔が引き攣(つ)ってしまう。ここが店でなければ、サンデーを殴っているだろう。
 店を出て、自分のスマートフォンで電話をかけた。電話の相手は、松尾愛生だ。この時間なら彼女が運営する料理教室は終わっている。
『どうしたの?』
 愛生は不機嫌な声をしている。彼女は男の前でしか、その独特の“いい声”を使わない。
「トラブル発生よ」
『手短に説明して。今、ご飯中なんだからね』
 どうりで、機嫌が悪いわけだ。
「何、食べてるの?」
『何でもいいじゃない』
「教えてよ。私、お腹ペコペコなんだからね」
『知らないわよ』
「どうせ、いいもの食べてるんでしょ」
『そうでもないわよ。庶民的なイタリアンバルよ』
 何だかムカつく。安くても絶対に美味しいに決まってる。ワインも飲んでるに決まってる。
 みどりは怒りを溜め息とともに飲み込み、言った。
「サンデーが負傷したの」
『どこを?』
「頭よ」
『怪我の具合は?』
「外傷は大したことないけど……」
『なら問題ないじゃない』
「記憶がないの」
『はあ?』
「記憶喪失になってるのよ」
 みどりは、ドアのガラスの部分から店内を覗いた。サンデーが不安そうな面でポテトサラダをパクついている。
『冗談でしょ?』
「そんな暇じゃないわよ。早く帰って鯖そぼろ作りたいのに」
『鯖そぼろ?』
「いいから。説明が面倒だわ」
『サンデーの様子はどう?』
「はっきりいって使いものにならないわね」
『怪我の原因は?』
「それも覚えてないのよ。事故だとは思うけど……」
『襲われたのかもしれないわね』
「まさか」
『サンデーは敵が多いわ。ありえない話じゃない』
「そう簡単にやられる男じゃないこともわかってるわよね」
『不意をつかれたのかも』
「あれほど用心深い男が?」
『もしくは油断する相手だった』
「どういう意味?」
『なんでもない。とにかく、あなたはサンデーを連れてきて』
「どこに?」
『私の職場に決まってるでしょ』
「いいの?」
『よくないけど他に方法がないでしょ』
「助かるわ」
『サンデーから目を離さないで。充分に気をつけてよ』
「了解」
 みどりは電話を切り、店へと戻った。ポテトサラダを食べようとするサンデーの手をつかんで言った。
「行くわよ」
「どこにですか?」
「ついてくればわかるわ」
「場所ぐらい教えてくれても……」
「自分の正体が永遠にわからなくてもいいの?」
「……それは困ります」
 サンデーが捨てられた仔犬のような目で、みどりを見る。
 まいったわ。
 この陽気だと、鯖が傷んでしまう。
 みどりは、深い溜め息をついた。 

(つづく) 次回は2015年2月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 木下半太

    「劇団ニコルソンズ」主宰。映画専門学校中退後、脚本家、俳優として活動を始める。2006年『悪夢のエレベーター』で作家デビュー。同作品はテレビドラマ、舞台、映画化されベストセラーとなり『悪夢シリーズ』が人気を博す。他の著書に『オーシティ』『サンブンノイチ』『宝探しトラジェディー』『女王ゲーム』など多数。