物語がつまった宝箱
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  • 第八回 2015年2月15日更新
 午後八時。学芸大学の居酒屋『あおぎり』のカウンターで静岡みどりは、サンデーの肩を掴んだ。
「探したわよ。何、呑気にウーロンハイ飲んでるのよ」
 家に行ったのだが、サンデーがまったく帰ってくる気配がなかったので、何軒かあるサンデーの行きつけの店を巡ったのだ。
「だ、誰ですか? これはただのウーロン茶です」
 サンデーが怯えた目でみどりを見た。
 まだ早い時間だからか、そこまで店は混んでいない。
「何、すっとぼけたこと言ってるのよ」
「僕のことを知っているのですか?」
「全然、面白くないわよ。主婦だって、それなりに忙しいんだからね」
「昨日から記憶がないんです。自分が誰なのかもわからない……」
 みどりは、思わず噴き出した。サンデーが冗談を言うなんて珍しい。
「今のは、ちょっと面白かったわ」
「ふざけないでください」
 逆にサンデーがムッとする。
「ふざけてるのは、そっちのほうでしょうが。いい加減にしてよ。早く帰って鯖そぼろ作らなきゃいけなかったのに」
「何ですか、それは?」
「鯖をそぼろにするのよ! 旦那の好物なの!」
「人妻なんですか?」
「わざわざいやらしい言い方しないで」
「もしかして、僕と不倫関係にあったんですか……」
「ないわよ!」
「じゃあ、あなたと僕の関係は何ですか?」
 真顔のままだ。そもそも、サンデーはこんなにくだらない冗談を言うタイプではない。
「ほ、本当に記憶がないの?」
 サンデーが泣きそうな顔で頷いた。こんな彼を見るのは初めてだ。さっきからのぎこちない敬語も違和感があり過ぎる。
「昨日、頭に怪我をして……」
「えっ? どういうこと?」
「わかりません。覚えてないので」
「それが原因ってことよね?」
「たぶん、そうですね」
 車にでも轢(ひ)かれたのかしら……。とりあえず、死ななくてよかったけど。
 サンデーが、ウーロン茶のグラスを手に弱々しい溜め息を漏らした。
「どうやら僕は教師らしいんですよ」
「表の顔はね」
「う、裏の顔があるんですか?」
「ちょっと待って。頭が痛くなってきた」
 ……どうすればいいのよ?  
 あまりにも想定外の事態に混乱してしまう。
「もちろん、次の日曜日のことも覚えてないわけね」
「日曜日?  何があるんですか?」
 マズい。今までの努力が水の泡になる。
「連絡を取るわ」
「誰にですか?」
「あなたの仲間よ」
「その仲間っていうのは何人ぐらいいるのですか……」
「私を入れて六人よ」
「えっ? そんなに?」
 ダメだ。こめかみの血管が切れそうになる。
「あなたがチームのリーダーなんだってば」
「一体、どういうチームなんでしょうか」
 サンデーがオドオドした口調で訊いた。カウンターにはポテトサラダがあった。サンデーの大好物だ。記憶はないくせに、食べ物の趣味は変わらないのか。
「電話いいかしら?」
 顔が引き攣(つ)ってしまう。ここが店でなければ、サンデーを殴っているだろう。
 店を出て、自分のスマートフォンで電話をかけた。電話の相手は、松尾愛生だ。この時間なら彼女が運営する料理教室は終わっている。
『どうしたの?』
 愛生は不機嫌な声をしている。彼女は男の前でしか、その独特の“いい声”を使わない。
「トラブル発生よ」
『手短に説明して。今、ご飯中なんだからね』
 どうりで、機嫌が悪いわけだ。
「何、食べてるの?」
『何でもいいじゃない』
「教えてよ。私、お腹ペコペコなんだからね」
『知らないわよ』
「どうせ、いいもの食べてるんでしょ」
『そうでもないわよ。庶民的なイタリアンバルよ』
 何だかムカつく。安くても絶対に美味しいに決まってる。ワインも飲んでるに決まってる。
 みどりは怒りを溜め息とともに飲み込み、言った。
「サンデーが負傷したの」
『どこを?』
「頭よ」
『怪我の具合は?』
「外傷は大したことないけど……」
『なら問題ないじゃない』
「記憶がないの」
『はあ?』
「記憶喪失になってるのよ」
 みどりは、ドアのガラスの部分から店内を覗いた。サンデーが不安そうな面でポテトサラダをパクついている。
『冗談でしょ?』
「そんな暇じゃないわよ。早く帰って鯖そぼろ作りたいのに」
『鯖そぼろ?』
「いいから。説明が面倒だわ」
『サンデーの様子はどう?』
「はっきりいって使いものにならないわね」
『怪我の原因は?』
「それも覚えてないのよ。事故だとは思うけど……」
『襲われたのかもしれないわね』
「まさか」
『サンデーは敵が多いわ。ありえない話じゃない』
「そう簡単にやられる男じゃないこともわかってるわよね」
『不意をつかれたのかも』
「あれほど用心深い男が?」
『もしくは油断する相手だった』
「どういう意味?」
『なんでもない。とにかく、あなたはサンデーを連れてきて』
「どこに?」
『私の職場に決まってるでしょ』
「いいの?」
『よくないけど他に方法がないでしょ』
「助かるわ」
『サンデーから目を離さないで。充分に気をつけてよ』
「了解」
 みどりは電話を切り、店へと戻った。ポテトサラダを食べようとするサンデーの手をつかんで言った。
「行くわよ」
「どこにですか?」
「ついてくればわかるわ」
「場所ぐらい教えてくれても……」
「自分の正体が永遠にわからなくてもいいの?」
「……それは困ります」
 サンデーが捨てられた仔犬のような目で、みどりを見る。
 まいったわ。
 この陽気だと、鯖が傷んでしまう。
 みどりは、深い溜め息をついた。 

(つづく) 次回は2015年3月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 木下半太

    「劇団ニコルソンズ」主宰。映画専門学校中退後、脚本家、俳優として活動を始める。2006年『悪夢のエレベーター』で作家デビュー。同作品はテレビドラマ、舞台、映画化されベストセラーとなり『悪夢シリーズ』が人気を博す。他の著書に『オーシティ』『サンブンノイチ』『宝探しトラジェディー』『女王ゲーム』など多数。