物語がつまった宝箱
祥伝社ウェブマガジン

menu
  • 第九回 2015年3月15日更新
 村上先生が居酒屋から出てきた。くたびれた表情の女と一緒だ。
「どこの女なんだよ。次から次へと……」
 中田安志は舌打ちをして、ひとりごちた。
 女の年齢は三十代半ばだろうか。もう少し若いかもしれない。路地裏の薄暗さでは、はっきりとは確認できないがなかなかの美人である。スタイルもいい。薄手の白いジャケットと白いパンツが飲み屋街で浮いている。かなり大げさに言えば、プライベートのハリウッド女優がお忍びで学芸大学にやって来たみたいだ。
 セレブ女。
 安志は、女をそう名付けた。
「酔ってないわよね?」
 セレブ女が苛(いら)ついた口調で村上先生に訊く。
「ウーロン茶しか飲んでいませんよ。自分が酒をどれだけ飲めるかもわからないし、怖くて飲めません」
 村上先生は肩をすくめて答え、セレブ女と並んで歩き出す。
 セレブ女はキョロキョロと辺りを警戒している。安志は見られないように、慌てて電柱の陰に身を潜めた。
 ……誰かに追われてる?
 セレブ女は、一体、何者なのか? 左手の薬指に大きな石の指輪が見えたが、ただの金持ちの主婦ではないのはたしかだ。
 何者なのかと言えば、昨日、村上先生を襲った長身のスキンヘッドの男だ。ツタヤで偶然に会ったのではなく、村上先生をずっと尾行していたことになる。
『蛍をどこに隠している』
 頭にクモの巣のタトゥーがあるスキンヘッドの男は、村上先生にそう訊いた。
 蛍って何だ? 尻が光る昆虫のために、人を襲うわけがない。
 スキンヘッドの男は、半端なく強かった。喧嘩にほとんど負けたことがない安志を子供扱いしたほどだ。殴られた腕の痛みはまだ残っている。
 しかし、村上先生は、その喧嘩の達人を瞬殺した。指だけで……。
 気絶したスキンヘッドの男を二人で抱えて部屋から出し、マンションの前に捨てて逃げた。目撃者がいなかったか、かなり心配である。
 村上先生こそ、何者なんだろう……。
 背筋の寒さが昨日から治まらない。でも、村上先生を放っておくわけにはいかなかった。
 行き場を失った村上先生は、学芸大学のサウナに泊まった。安志も泊まりたかったが、十四歳なのでさすがに怪しまれる。一度、家に帰って仮眠を取り、学校に顔を出してから、夕方、村上先生とサウナの前で落ち合って金を貸した。村上先生は生徒から借金をするのをかなり嫌がってはいたが、無一文なのだから仕方ない。
 昼間の学校は平和だった。体調不良で休んでいる村上先生の話題は誰もしていなかった。
「駅はあっちですよ?」
「いいの。黙ってついてきて。それに敬語はやめてよ。気持ち悪いから」
 セレブ女が、足早にスタスタと歩き、駅とは真逆の大通りへと向かう。タクシーを拾う気なのか。
 張り込み役は、安志が自ら志願した。村上先生と共に食事をしたいのはやまやまだけど、謎を究明するのが先だ。必ず、村上先生の裏の顔を知っている人間が現れる。
 その直感が当たった。村上先生が居酒屋に入ってまもなく、セレブ女が登場したのである。
 しかし、村上先生が何の迷いもなく、こんな路地裏にある居酒屋を選んだのは気になる。まるで、通い慣れた店にでも行くような足取りだった。
 大通りに出たセレブ女がタクシーを停めた。マウンテンバイクでどこまで追いかけられるかはわからないけれど、死に物狂いで尾行してみせる。
 先生は俺が守るんだ。
 安志は、奥歯を噛み締めながら、マウンテンバイクを置いてある近くのコンビニまで走った。

「どう思いますか?」
 糸井夏子は、部屋の中央で腕組みをしている千葉耕平に訊いた。
「懐かしいな。この部屋に来るのはどれくらいぶりだ」
 千葉がわずかに鼻の下を伸ばす。
「真剣に答えてください」
「俺はいつでも真剣だろ」
「何があったと思います?」
 夏子はため息を押し殺して質問を続けた。耕平との男と女の関係は終わった。今はあくまでも上司と部下だ。たとえ、何度も抱き合ったベッドが真横にあろうとも一ミリも欲情しない。
「ただの物盗りではないな。少なくとも二人以上の人間が格闘したな。シーツの血痕から推測すれば、負傷者はそこまでの大怪我ではないと思うが……」
 千葉が無精髭の薄っすらと生えた顎をなぞり、夏子を見てにやけた。
「な、なんですか?」
「二股でもかけたのか?」
「まさか」
「どう見ても修羅場のあとだろうが」
「違います」
「じゃあ、男を連れ込んではいないんだな?」
「それは……」
 千葉の射抜くような視線につい萎縮してしまう。
「嘘はやめろよ。俺に通用しないのはわかってるだろ」
「はい」
「昨日まで、ここに男がいたんだな」
 夏子は渋々と頷いた。恥ずかしさで、耳が熱くなる。
「そいつといつから付き合ってるんだ?」
「……千葉さんとは関係ないですよね」
「いいから言え」
 この男はいつも強引で、有無を言わせない。
「わかりました」
 今度はため息を大げさにつき、日曜日に出会った男について説明をした。
 ひどく酔っ払って何も覚えておらず、正体不明の男を部屋に入れたこと。そして、その男が記憶喪失だったことをできるだけ簡潔に話した。
「信じられんな」
「私が嘘をついているとでも?」
「いや……嘘をつけばすぐにわかる。そいつは今、どこにいる?」
「わかりません」
「連絡は取れないのか?」
「彼は財布から何から何まで身につけてませんでしたから」
「奴は、後頭部に殴られた痕があったんだな?」
「はい。強盗に遭った可能性があります」
「それで、何も持っていなかったのか」千葉は、もう一度ジロリと部屋を見渡した。「そいつがここに戻ってきて、また誰かに襲われたのかもしれんな」
「つまり……」
「そいつは、強盗に遭ったのではなく、誰かに狙われている」
「ごく、まともな人間に見えましたけど……」
 夏子は首を傾げた。あのもじゃもじゃ男が、そういう危険人物には見えなかった。
「人は見かけによらず、だ。刑事ならそれぐらいわかるだろ」
「すいません」
「ややこしい男に拘(かかわ)ったな」
「こんな忙しいときに、すいません」
 頭を下げて、下唇を噛んだ。昔の男に何度も謝るのは、情けなくて涙が出そうになる。
 絶対に、泣かないけどね。
「もしかしたら、メメントくんは拉致されたのかもしれん」
「メメントって何ですか?」
「昔の映画だよ。主人公が記憶障害で大変な目に遭うんだ」
「観てないです」
「ボーン・シリーズの一本目もそうだな」
「それは観ました」
 たしか、『ボーン・アイデンティティー』だ。やたらとカーチェイスのシーンが長かった覚えがある。
「こうやって映画の話をすると昔を思い出すな。久しぶりに映画館にでも行くか」
「その冗談、笑えません」
 夏子はキッと千葉を睨み返した。
「怖い顔するなよ。ただでさえ、無愛想なんだから」
「生まれつきなんです。真面目に相談に乗ってください。この部屋の状況はどうすればいいと思いますか?」
「このままというわけにはいかねえだろうが」
「なるべく、大ごとにはしたくないんです。今は渋谷の事件に集中したいし……」
 あれから、まったく手がかりは出てきていない。十二時間ぶっ通しで、スターバックスの防犯カメラの映像をチェックしたが、釘男と思しき人物は見つからなかった。
 ……人は見かけによらない。
 先ほどの千葉の言葉が脳裏を過(よぎ)る。そうだ。諦めるのはまだ早い。
「メメントくんには惚れてないのか」
「そんなわけないでしょ。会ったばかりなのに」
 思わず、敬語を忘れて声を荒らげてしまった。
「俺と二人きりのときはタメ口で構わんぞ」
 千葉がニタリと笑った。夏子に対して未練があるわけがなく、単にからかっているだけなのだ。
「相談した私が馬鹿でした」
「怒るな。若くないんだから眉間に皺が残るぞ」
「もういいです」
 さすがにくどい。夏子は千葉を置いて部屋を出て行こうとした。
「待て」
 唐突に、背後から腕を掴まれた。強い力で引き寄せられる。
「な、なんですか……」
 夏子は、両足で踏ん張って顔を赤らめた。千葉の体がすぐ側にある。
 どういうつもりなのよ!
 心臓が爆発しそうだ。懐かしい体臭とタバコの残り香が鼻孔をくすぐる。
 もし、抱きしめようとしたり、キスを求めてきたらぶん殴ってやる。夏子は、右の拳を固めた。
 二人の愛はもう跡形もなく消えたのだ。
「俺の目を見ろ」
 千葉がさらに引き寄せる。
「い、嫌よ」
「夏子。お前、何かを隠してるな?」
 胸のドキドキが一気に吹っ飛んだ。この男はいつだってそうだ。仕事しか頭にない、生粋の刑事なのだ。
「……バレてた?」
「舐めるな。何年、刑事をやってると思ってんだ」
 千葉が鼻で笑い、夏子の腕を放す。
「部屋でこれを見つけたの」
 夏子は観念して、ジーンズの後ろポケットから革の小銭入れを取り出した。
「ほう」千葉が受け取り、中身を確認する。「ツタヤのカードか……ずいぶんとわかりやすい証拠を残したもんだな」
「私も驚いたわ」
「中田安志」
 千葉がツタヤのカードの裏に書かれた名前を読み上げる。
「中学生よ」
「さすがだな。もう調べたのか」
「発行は自由が丘の店舗なの」
「ふむ」
 千葉が興味深げに顎を撫でる。
「どうして、中学生が私の部屋にいたのかしら?」
「物証だけではいたとは限らない。たまたま、メメントくんを襲った暴漢がこれをどこかで拾って持っていた可能性もある」
 ありえなくはないが、かなり低い確率だ。
「明日、中田安志に会おうと思ってるの」
「それはどうかな……」
 千葉が大げさに眉毛を上げて、顔をしかめてみせる。
「未成年を巻き込むのはよくないのはわかってるわ」
「俺に背中を押して欲しかったんだな」
「……うん」
 図星だ。千葉は、読心術のように夏子の心が読める。
「釘男の件がおろそかにならない程度に動け。中学生に危害が及ぶことは許されない。中田安志に接触するのは一度だけだぞ」
「わかりました。ありがとうございます」
 夏子は部下に戻り、深々と頭を下げた。
「何も変わってないな」
 千葉が、苦笑いを浮かべる。
「……暴走するところがですか」
「いいんだよ、それで。お前は俺なんかよりもよっぽど刑事だ」
 どう答えていいかわからず、夏子は俯(うつむ)いた。
 ただ、千葉に初めて認められたような気がして妙に嬉しかった。

(つづく) 次回は2015年4月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 木下半太

    「劇団ニコルソンズ」主宰。映画専門学校中退後、脚本家、俳優として活動を始める。2006年『悪夢のエレベーター』で作家デビュー。同作品はテレビドラマ、舞台、映画化されベストセラーとなり『悪夢シリーズ』が人気を博す。他の著書に『オーシティ』『サンブンノイチ』『宝探しトラジェディー』『女王ゲーム』など多数。