井上荒野
「なんか運動部の合宿って感じだね」 瑠衣(るい)が言う。午前九時、照子(てるこ)と瑠衣は朝食を終えて、別荘地内を歩いている。照子は「何が?」と聞き返した。 「あたしたち。この格好がさ」 「あはは。そうね、そうね」 「嬉(うれ)しいんだ?」 瑠衣は苦笑する。ふたりともダウンジャケットを着ている。照子が赤、瑠衣がピンク。運動部の合宿というには派手――とくに瑠衣のは蛍光色のピンク――だし、そもそも運動部の人はダウンを着て運動するかしら、という気もするが、愉快であることは間違いない。 このダウンは、月見町(つきみちょう)の量販店にふたりで行って買ったのだった。痛い出費だったが、必要な出費でもあった。十月も半ばを過ぎて気温が一段と下がったのだが、ふたりが持ってきたコート――とくに瑠衣のビリジアングリーンのフェイクファーのロングコート――だと別荘地内を歩くにはいささか目立つからだ。 毎朝散歩に出ることにしたのは、薪(まき)ストーブの焚(た)き付けを集めるためだった。薪に火をつけるためにはその前に小枝を燃やして火を熾(おこ)すことが必要なのだが、ジョージが持ってきてくれた小枝はすぐになくなってしまった。それで、別荘地内にふんだんに落ちている小枝を、散歩がてら拾っている。一キロも歩かないうちに、それぞれ提(さ)げているエコバッグは小枝でパンパンになる。毎日のことだから、それで十分だ。 「ちまちま拾ってないで、ああいうの持って帰っちゃだめなの? 車で来れば運べるんじゃない?」 白樺(しらかば)の倒木を見て瑠衣が言う。 「乾いてないからよく燃えないと思うわ。それにあんな長いの、車に積めないわよ」 照子はそう答えたが、小枝とともに倒木もよく目について、心が惹 (ひ)かれることはたしかなのだった。というのは、薪ストーブを使ってみてはじめてわかったが、部屋を一日暖めるために必要な薪の量というのが、思っていたよりずっと多いから。十月でこうなのだから、本格的な冬になったらもっともっと使うだろう。ジョージがくれた薪はもうあと少ししか残っていない。いつまでもジョージの好意に甘えるわけにもいかず、なくなったらお金を出して手に入れなければならないが、ホームセンターやファーマーズマーケットの店頭で売られている薪の値段と使用量を考えると、暖房費だけで大変な出費になりそうだ。 「あーっ、いい気持ちね」 照子は気分を上げるように、伸びをした。今日は秋晴れで、空には雲ひとつない。空の色は東京とはあきらかに違う、濃いブルーだ。ダウンのおかげで寒いというほどでもなく、空気の冷たさが気持ちいい。 「っていうかこれって高地トレーニングってやつじゃない? アベベがやってた的な」 息を切らせながら瑠衣が言った。別荘地は山の裾野にあるから、すべての道は下りでなければ上りである。ふたりは今、展望台に向かう急な上り坂を上がっているところだった。 「私たち、すごく元気になっちゃうかもしれないわね」 「すごく元気になる前に、死んじゃわなきゃいいけどね」 散歩の目的にはもちろんエクササイズもある。こちらに来てから移動手段が車だけになっているから、山にいるにもかかわらず、東京にいた頃よりも運動量は間違いなく減っている。ロコモティブシンドロームになったら一大事よ、と照子は、覚えたばかりの言葉を使って瑠衣を脅(おど)かしている。 いつものように、展望台に着いて一休みした。展望台と言っても望遠鏡があるわけでもなく、谷の上に張り出した崖の一角がロープで囲われているだけの場所だが、今はちょうど紅葉の盛りで、向こうの山のオレンジ色に染まったカラマツと、白樺の枝と、空とのグラデーションが美しい。理由がなくても、散歩は単純に楽しかった。私は今、こんなところにいるんだわ。照子はいつでも――散歩の途中にかぎらず、薪ストーブを焚きつけているときも、その炎をぼんやり眺めているときも、朝目が覚めたときも、買い物中も、「マヤ」にいるときも――ふいにこみ上げてくる思いに今朝も身を任す。そしてちらりと瑠衣を見る。瑠衣と一緒にいるんだわ、と。 瑠衣は瑠衣で、照子の視線には気づかず、ぼうっと山を眺めていた。何を考えているのかしら。瑠衣が世間に見せている――むしろ見せびらかしている――見た目や言動の内側に、瑠衣が決して誰にも見せないもうひとりの瑠衣がいることを照子は知っていた。照子にしても、そんな瑠衣を見たのは一度きりだ。照子のほうから、その話を持ち出そうとは思わない。ただ、そのことに関してはいつでも考えている――いっそ、照子の余生における最大のテーマと言える。 ふたりは展望台を下り、来たときとは違う道を戻っていった。何通りかコースがあるが、いつもだいたい三キロの散歩になる。前方から子供みたいな小柄な女性がひとり、杖 (つえ)をつきながら上ってくる。近づくにつれ照子や瑠衣よりもずっと年上に――九十歳は超えているように――見えた。 「おはようございます」 まだ距離があるうちから、相手がはきはきと挨拶して頭を下げた。照子と瑠衣も慌てて頭を下げた。 「寒くなりましたことねえ」 近づくと老女はニコニコしながら話しかけた。 「もう薪ストーブは欠かせませんわねえ。焚き付けになさるんでしょ、それ?」 「はい。拾うのも楽しくて……」 照子は応じた。 「どちらにお住まい? うちは池のそばですのよ。赤い屋根の……」 「まあ。素敵なところにいらっしゃるんですねえ」 そこで少し間ができた。「どちらにお住まい」か照子たちが答えるのを待っているのだろう。このまま答えないでごまかすのと、嘘(うそ)をつくのとではどちらが安全だろうか。別荘地内で住人と会話を交わすのはこれがはじめてだった。 「あーっ、熊!」 いきなり瑠衣が叫んだ。もう、瑠衣ったら。ごまかすにしてももうちょっとやりようがあるでしょう。照子は困惑しながら瑠衣が指差す片側の斜面を見たが、その中腹に黒いものがもっさりと動いたので、ぎょっとした。 「やだ、熊! 本当に熊!」 思わず叫ぶと、老女はゆっくりと首を回した。 「ほほ。あれは、カモシカ」 「えっ、カモシカ?」 「マジ?」 黒いものは斜面の下まで降りてきて、三人をじっと見つめた。たしかに熊とは違う――黒い、毛足の長い牛みたいな生きものだ。チチチチ、と瑠衣が舌を鳴らした。カモシカはくるりと方向転換して、斜面を上って姿を消した。 「猫とは違いますし……」 照子が言おうとしたことを老女は先に言い、笑いながら頭を下げて、立ち去っていった。カモシカに救われたわ、と照子は思った。これからは、こういう場合の対応も考えておかなければならない――カモシカに遭遇するのと同じくらいの確率で、別荘地の住人にも遭うのなら。 夜が長くなってきた。 自然の摂理というより感覚的なものだ。不自由さや寒さも含めて、ここでの暮らしに慣れてきたせいもあるだろう、と照子は考える。 お風呂は夕方のうちに、温泉に入りにいく。夕食は午後七時から。今日のメニューは茸(きのこ)と鶏の丸(がん)の鍋、だし巻き玉子に里芋のバター炒(いた)めで、今は午後九時で、後片付けも終わって、照子と瑠衣は薪ストーブの前にいる。照子はソファの端に座り、瑠衣はソファには座らずに、もう片方の端を背もたれにして、床に足を投げ出している。瑠衣が立ち上がり、防火手袋――これも「必要な出費」として、ホームセンターで手に入れた――をいそいそと両手にはめて、薪ストーブにあたらしい薪をくべはじめる。薪を燃やすのが楽しいようだ。薪代について心を悩ませ、「薪ストーブの効率のいい焚きかた」などをインターネットで検索して熟読している照子としては、もう少し余熱を利用してから薪を入れてほしいところなのだが、それは言わないことにする。大きな違いがあるわけでもない。 瑠衣が立ち上がったので、照子は急いで本の上に視線を戻した。スーツケースに入れてきた三冊のうちの一冊で、イギリスの、ある国語教師の一生を書いた長編小説だ。もう何度も読んでいるけれど、何度読んでもいい。この教師の一生は、他人が遠目に見れば「冴(さ)えない、平凡な一生」ということになるのだろうけれど、読んでいて照子が思うのは、「冴えない、平凡な一生」なんてものはそもそも存在しないのだ、ということだ。 瑠衣はさっきまでいた場所に座ると、外していたイヤフォンを装着した。フランス語のシャンソンを聴いて勉強しているらしい。指が膝の上でピアノの鍵盤を叩(たた)くような動きをし、唇も微(かす)かに動いている。普段の瑠衣らしくない真面目さに、本人は気づいているのだろうか。 ここへ来た最初の頃は、夕食が終わってもだらだらとビールや安いワインを飲んで、眠くなるまでお喋(しゃべ)りしたものだった。瑠衣の「助けて」の電話から駅前での待ち合わせ、双葉(ふたば)SAでの出来事、この家のドアと、照子がバッグに入れてきたドライバー。この家に来るまでの顛末(てんまつ)をふたりで何度でも思い出して、相手が思い出せないことを補足したり、それを訂正したりして、笑いながら夜が更けていった。そのあとは新しい生活のあれこれがあった。相談、計画、反省、また計画。でも、今はもうその時期も過ぎて(相談や計画や反省は、朝食か昼食のときで事足りる)、そもそも、だらだらお酒を飲むということがなくなった。経済的なこともあるし、たっぷりお酒を飲むのは特別な日だけにしよう、と何となく決めている。「ロコモでアル中」の老婆ふたりができあがってしまっても困るし。それで、ベッドに入る時間が来るまで、それぞれ好きなことをしている。こういうのっていいわね、と照子は思う。自分の結婚生活の記憶を塗り替えるように、蜜月を過ぎた後の円熟っていうところかしら、と考えている。照子はたいていは読書と、インターネットで調べもの。ときどきお菓子作り。瑠衣はたいていはイヤフォンで音楽を聴くか、フランス語の勉強(これは、最近思い立ったらしい)。それに意外なことにお裁縫(ステージ衣装に何やら装飾を施したりしている)。もちろんときには、お酒抜きでお喋りもする(酔っ払ってうっかり余計なことを口にする心配がないので、具合がいい)。 「そういえばさ」 今夜は、瑠衣が照子に話しかけた。 「あんたの連れ合いからの電話は、着拒にしてんの?」 チャッキョというのは、着信拒否の短縮形のことらしい。もちろんチャッキョしてるわ、と照子は答えた。家出――照子の中では「大脱走」ということになっているが――の嗜(たしな)みというものだろう。 「ずっと連絡取れないと、警察に行ったりするんじゃないかな」 「その心配はないと思うわ。そのために置き手紙を書いてきたんだし。あの人は見栄っ張りだから、妻が出て行ったことを公(おおやけ)にはしたくないはずだもの」 「ふーん」 とりあえず納得しておく、という表情を瑠衣はした。 「じゃあひとりでオタオタしてるのかねえ。家事も全然できないんでしょ? どうなってんのかねえ、今頃。どう? 気になったりする?」 これはどういう答えを期待されているのかしら、と考えながら、照子は「全然」と答えた。瑠衣に対してというより自分に対しての答え、いっそ決意だ。 「家政婦がいなくなったと思って、あたらしい家政婦さんを頼んでるんじゃないかしら」 実際のところは、プロの家政婦を探して選ぶような根気は寿朗(としろう)にはないし、警察に行かないのと同じ理由で、家政婦を家に入れることはないだろう、と照子は思っていた。 「家政婦さんじゃなくても、世話を焼いてくれる女の人を家に連れてきてるかもしれないし」 昔の寿朗ならそうしたに違いないが、もう、そういう相手からはとっくに見捨てられているはずだし、もちろんあらたに恋人を見つけるなんて無理だろう、とも照子は思っていた。 「じゃあ、後悔は一ミリもないわけだね」 「一ミリもないわ」 照子はきっぱりと言った。喜ばしいことに、それは本心だった。正直言えば、寿朗のことが全然気になっていない、というわけではない。食料をコンビニでしか調達できなくて、しょっぱいものばかり食べて、血圧が上がってるんじゃないかしらとか、ゴミに埋もれて暮らしてるんじゃないかしらとか、ときどきどうしても考えてしまう。でも、後悔は本当に、一ミリもしていなかった。他人が遠目に見れば――もしかしたら間近に見たって――私は「身勝手な女」なのかもしれないけれど、そう呼ばれたって一ミリも後悔なんかしないわ、と照子は思った。 カモシカという生きものにはじめて遭遇したせいで、照子の中に、長い間思い出さなかった男の顔がよみがえった。顔立ちも雰囲気も、カモシカみたいな感じの男だったのだ。椎橋(しいはし)先生、と照子はその男のことを呼んでいた。下の名前をもう覚えていないことに、照子はちょっとびっくりした。それほど昔のことだったし、あるいは、その程度のことだった、と言えるのかもしれない。でも、その当時――二十四歳の照子は、椎橋先生に夢中だった。これが恋だ、と思っていたし、私は椎橋先生を愛している、と信じていた。 椎橋先生は歴史研究家だった。大学で講師をしながら、古代文明にまつわる本を書いていた。当時五十三歳(椎橋先生は照子の父親の高校の同級生で、つまり父親と同い年だった)。照子は四年制大学の国文科を卒業した後、アシスタントとして彼の家に通うようになった。 資料集めとコピー、その他事務的な雑用が照子の担当だったが、仕事は面白くて、やりがいもあった。けれども間も無く、椎橋先生を愛するようになって、つらくなった。照子は自分の思いを、椎橋先生に決して気づかれまいとした。椎橋先生には妻がいたからだ。やさしくて、美しい人だった。毎日、午後三時になると、日当たりのいいリビングで、彼女が淹(い)れた紅茶やコーヒーを飲み、日替わりで用意してくれているおいしいクッキーやケーキを食べながら、三人で談笑した。子供がいない椎橋先生とその妻は、たぶん照子のことを、娘みたいに思っていたのだろう。 つらいあまりに、照子は結婚してしまったのだった。寿朗とは、照子の女友だちの別荘で出会った。彼女の兄の友だちだったのだ。夏の海辺の一日を一緒に過ごして、一日早く彼が帰るとき、東京でも会ってくださいと言われた。そんな成り行きや、東京でのデートやはじめての口づけや、それらのことを誰にも申し訳なく思わなくていい、ということが、照子は嬉しかった。その嬉しさを、恋だと思った。寿朗を愛している気はしなかったが、愛せるだろう、と思ってしまった。 照子が寿朗を愛せないことに気がついたのと、寿朗が照子を使用人のように扱うようになったのは、どちらが先だっただろう? いずれにしても照子は、長い間――まさに、瑠衣の「助けて」をきっかけにして決心したついこの前まで――そのことを理由に結婚を解消しようとは考えなかった。寿朗を選んで結婚したのは自分の意思だったのだから、その責任は取らなければならない――寿朗が結婚生活を続けたいと思っているのなら、従わなければならないと思っていたのだ。もっとも今考えれば、四十五年の結婚生活の間に、寿朗から理不尽な扱いを受けることに慣れてしまった部分もあって、責任だなんだというのは言い訳で、ただ、行動を起こす勇気と気力がなかったということなのかもしれない。 寿朗との間に、子供はできなかった。結婚三年目に、ふたりとも検査を受けた。原因は寿朗のほうにあるとわかると、彼はそれきり子供がほしいと言わなくなった。そういうことなら仕方がないと、照子もあきらめることにしたのだったが、ある日自宅に彼の同僚や部下たちを招いてもてなしているとき、子供を持てないのは妻の体に問題があるせいだと、寿朗が話しているのをキッチンで照子は聞いてしまった。その瞬間、照子の中でかろうじて灯(とも)っていた明かりが、すうっと消えるような感触があった。クラス会で瑠衣に再会したのはそのすぐあとだった。(つづく) 次回は2022年3月15日更新予定です。
東京生まれ。89年「わたしのヌレエフ」で第1回フェミナ賞を受賞し作家デビュー。2004年『潤一』で第11回島清恋愛文学賞を受賞。08年『切羽へ』で第139回直木賞を受賞。11年『そこへ行くな』で第6回中央公論文芸賞を受賞。 16年『赤へ』で第29回柴田錬三郎賞を受賞。18年『その話は今日はやめておきましょう』で第35回織田作之助賞を受賞。近著に『あちらにいる鬼』『ママナラナイ』『百合中毒』など、著作多数。