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  • エピソード4 早苗の結婚式(3) 2015年1月15日更新
          ◇

「あそこは、いろんな悪い噂があるからさ。殺人事件なんかもあったんじゃないの?」
「それだったら尚のこと、近所のそんな場所が幽霊屋敷みたいになってたら気持ち悪いでしょう?」
「まあ、そりゃそうだけどさぁ」
「僕らが明るい場所に変えて、もう一回、人が戻って来れば、そんなこと気にすることもなくなりますよ」
「まあ。そうなりゃあ、いいけどさぁ」
 扉の隙間から顔を覗かせていた中年の奥さんは、浩介の能天気さに警戒を解いて、いつのまにか外に出てきていた。
「二月に、礼拝所の復活を記念したイベントをやる予定なんですよ。良かったら、来てもらえますか?」
「そうだねえ……」
 戸惑いながらも、奥さんはチラシを受け取った。
「あんたさぁ、聞いてた話ほど、悪い人じゃなさそうだね」
 中年の奥さんは、そう言って、浩介に笑いかけた。
「見えないモンに踊らされる奴は、会って話をするのが一番さ」
 礼拝所に人を呼び戻すためにイベントをやろうと言い出したのは浩介だった。浩介は、自分がビラに掲載された「有名人」なことを逆手に取って、中傷ビラが配られた礼拝所周辺の家々を一軒ずつ廻って宣伝する作戦に出たのだ。
「イベントの告知にもなって、一石二鳥だしな」
 礼拝所の名前を出した途端、扉を閉める人もいる。そんな家にも根気強く足を運び続け、浩介は少しずつ、信用を勝ち取っていった。
 礼拝所に戻ると、待っていた白衣姿の男性が、浩介に近づく。
 「浩介君、こんにちは」
「なんだよ、あんたか」
 浩介は、面倒臭そうに言って、そっぽを向く。浩介が人にそんな態度を取るのは珍しい。
「浩介お兄ちゃん。こんにちは」
 小さな男の子が、白衣の男性の背後から、ひょっこりと顔を出す。「おっ。駿坊じゃないか。元気だったか?」
「うん!」
 男の子は元気にあいさつすると、浩介に抱きついた。
 半年に一度、この国のすべての一般成人は、思念抽出センターに赴いて、思念の抽出を受けることになっている。「余剰思念」を取り除くことで体内思念状態を活性化させ、同時に集めた余剰思念を精製して「気化思念」として再利用するためだ。
浩介は、十五歳で一斉に受ける予備抽出の際に何か異常が見つかったらしく、思念抽出を免除され、専属の研究者がついている。それが彼、泉川さんだ。
「俺って、なんだか、かっこいいな」
 浩介は、そんな自分の境遇を、決してマイナスには捉えていない。だが、施される実験には辟易しているようだ。いつも泉川さんから逃げ回っている。
「早苗さんからも、彼にお願いできるかな」
 彼はそう言って、息子の駿君と遊ぶ浩介を見つめている。実験対象へ向ける冷たい眼差しではない。しっかりと人を見る温かさがあった。だからこそ浩介は、面倒くさがりつつも、彼の実験に付き合っているのだろう。
「あんたの実験受けると、アタマん中がイガイガすんだよ」
 泉川さんの実験は、痛みを伴うものではなかったが、記憶を様々に揺り動かす副作用があった。浩介が、二十年間忘れていた礼拝所を訪れる気になったのも、前回の泉川さんの実験で、幼い頃の礼拝所での記憶が蘇ってきたからだ。
「浩介お兄ちゃん、お願い、お父さんのお願いを聞いてよ」
 浩介は、困ったように駿君を見下ろした。
「きたねえぞ、おっさん。自分じゃ言う事きかせられないってわかってて、駿坊をつれて来たんだろう?」
 泉川さんは笑って答えない。駿君は、そんな父親と浩介のやり取りを、澄んだ瞳で見上げていた。
「じゃあ、お兄ちゃん、約束だよ」
 駿君はそう言って、浩介に手を差し出す。
「わかったよ、握手で約束な」
 浩介はしっかりと握手して、実験を受ける約束をさせられていた。
「ボクね、いつも、あそこに上りたいって思ってたんだ」
 駿君は、礼拝所の尖塔を指差す。扉の鍵は閉ざされたままで、尖塔に上る手段はない。
「ねえ、早苗さん、あの鐘は、鳴らないのかなあ」
 駿君は、手の届かない場所にある鐘に向かって、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
「あの鐘は、鐘を鳴らすための舌(ぜつ)って道具が取り外されているそうなの。だから、鳴らすことはできないの」
 駿君は、残念そうに口を尖らせている。説明した早苗は、心に小さな引っ掛かりを感じた。
「あの鐘が鳴ったら、街の人も、この場所を好きになってくれるんじゃないかなあ」
 鐘が鳴ったのは二十年以上も前のはずだ。それなのに駿君は、鐘の音をしっかりと心に刻んでいるようだった。

          ◇

「図書館本館の滝川さんに話をつけていますから、写真は市役所と郷土資料館の分もまとめて、この第五分館に送られてくる手筈になっています。仕事帰りに僕が礼拝所まで運びますよ」
 図書館第五分館の西山くんが、関係部局に話をつけてくれて、礼拝所や、周辺地区の古い写真を借り受けることができた。
「ありがとうございます、西山さん」
「いやあ、浩介さんの頼みとあっちゃ、断れないな」
 西山くんは、人懐っこい表情で、早苗に笑いかける。浩介は第五分館で毎年、クリスマス会のサンタさん役を買って出ている。
「次は、異邦郭との交渉ね。居留地の商品が並べば人を呼べるし、秋のお祭りで披露される舞いは人気が高いからね」
「異邦郭か……。そろそろ、借りを返してもらってもいいかもな」
 浩介は早苗を乗せてバイクを走らせる。異邦郭の楼門前にバイクを停め、異国情緒溢れる大通りから、路地の奥に入り込む。
 太い二の腕に入れ墨をした男と、まるで店の置物のように身動きしない老婆が、浩介の交渉相手だった。浩介は男と、心臓の上に拳を置く居留地様の挨拶を交わし、老婆は皺に埋もれた眼をいっそう細めて、浩介の手を握る。居留地の物産の出張販売と、居留地の舞いの踊り手の手配は、とんとん拍子に進んだ。
「恩返しだよ。阻止できたからね、異邦郭を通さないアレの流通を。いたからこそだ、お前と坂田が」
 双龍という綽名(あだな)の男は、居留地からの渡来人独特の、主述の入れ違った話し方だ。手の甲にあるタトゥーは、浩介とお揃いだった。
「なあ、早苗、次は何をすりゃいいんだ?」
「人を集めるんだったら、宣伝をしなきゃいけないでしょ? 浩介、印刷とか広告の方面で、力になってくれそうな人はいないの?」
「宣伝かぁ……、よし、任せろ!」
 浩介びいきの印刷会社の社長、そして人出が足りない時に浩介が助っ人を頼まれている新聞販売店に交渉して、宣伝チラシの印刷と、新聞へのチラシの折り込みを頼む。
「浩介君にはお世話になりっぱなしで、今まで何にも恩返ししてなかったもんでね。声をかけてくれて嬉しいよ」
 印刷会社の社長さんは、浩介のために何かができることが嬉しくて仕方がないようだ。
「あっ、3095バスだ!」
 終点の転回場に停まっていたバスに、浩介が駆け寄る。運転士の男性は休憩中らしく、真剣な表情で紙ひこうきを折っていた。
「わかったよ、業務違反にはなるけど、渦ヶ淵行きの乗車の際には、こっそり、車内放送で宣伝しておくよ」
 運転士の男性は以前、交通事故に遭った際、浩介に奥さんの介抱をしてもらったのが縁で、親しくしているのだそうだ。
 浩介が夢を語り、早苗が企画立案し、必要な人材や物資をリストアップする。そこで再び浩介の出番だ。協力してくれそうな知り合いに片っ端からあたり、約束を取り付ける。
 今まで浩介が、磁石のように引き寄せて来た人々。浩介の、ただひたすらに前進し続けて来た、闇雲な日々。それが今、実を結ぼうとしている。

          ◇

 家の裏手の工房で、父親は仕事をしていた。先日来磨き続けているその作品に、最近の父親はかかりきりになっている。細長い棒のような形で、下部が球状に盛り上がるその鋳物は、何かの部品の一部のようでもあった。
「帰っていたのか」
 父は短くそう言うと、汚れた手袋を外し、その手袋すらも用をなさずに爪まで黒く汚れた手に煙草をつかみ、火を点けた。煙が、夜空に漂う。整頓された工房は、父親の心の内側をそのまま垣間見るようでもあった。誰にも手を出すことができない、父親だけの世界だ。
 そこに早苗は、自分を律しようとする悲しさも感じていた。母がいた頃の父は、どんな人だったのだろう? 早苗には想像するしかなかった。
「もしかして、尖塔の鐘をつくったのは、お父さんなの?」
 初めから、それを考えておくべきだった。 
 父親は、たった一人で作品を造り続けている。その独特の創作に取材の申し込みもあるようだが、それら一切を断っている。だが、父のつくるものには強烈な愛好家がおり、特定のギャラリーに出した作品は瞬く間に買い手がつく。父親は、その買い手に何ら関心を示さない。そんな孤高の姿も、愛好家を魅了してやまないのだとか。父の仕事の誠実さは誰よりも知っていたし、それで早苗は、学校にも通えたのだ。父の仕事すべてに、早苗は誇りを持っている。
 そんな父が、母がいた礼拝所の鐘をつくったとしたら、その鐘にはいったいどんな想いが込められていたのだろう。
「あの鐘と、お母さんとは、何か関係があるの?」
 ずっと聞けなかった、踏み込めなかった、父と母のこと。その一歩を踏み出させてくれたのは、浩介だった。
「くだらんことを考えなくてもいい」
 父はいつもの通り、早苗の疑問に答えない。今までは、そこで終わっていた。だが今は、そこで終わらせたくはなかった。
「お母さんのことは、下らないことなの?」
 背を向けた父親の肩が、わずかに動いた。
「私たちは決めたの。あの場所にもう一度、人を集めてみせるって。そうしたら、お父さんも私たちを認めて欲しいの」
 父親は再び仕事に没頭しだす。もう、声はかけられなかった。

          ◇

 イベントまで三日を切り、準備も大詰めを迎えた。
「西山さん、ありがとう。手の空いた人、写真の搬入と設置、手伝ってね。あっ、佐藤さん、高平さんと一緒に周辺の家へ、チラシのポスティングお願いします。山下君、前庭の区画割り、もう一回確認してね。機材関係は、業者に確認の電話して。取材対応は私がします」 
 多くの人たちが、何の見返りもないのに、忙しく物資を搬入し、飾り付けを手伝い、準備を整えてゆく。早苗は自分で計画した作業工程表と首っ引きで、人々に指示を与えてゆく。
「早苗がいてくれて助かるな。俺じゃ、何からしていいか、こんがらがっちまうよ」
「人を惹きつけるのが浩介の役目。私はみんなを動かす役目だよ」
 浩介は、デンと構えて、見守っていればいい。小さな筋道を立てるのは早苗の役目だった。
「浩介さんと早苗さんって、二人で一人って感じですね」
 写真を運ぶついでに飾り付けまで手伝ってくれた図書館の西山くんが、早苗に話しかけてくる。
「どっちかが欠けても、うまく行かない。支え合ってるからこそ、一歩を踏み出せる。僕も、そんな関係になれたらいいな」
 どうやら西山くんには、そんな風に思える相手がいるようだ。

 その夜、二人は警備のために、礼拝所に泊まり込んでいた。
「なあ、早苗。イベントが成功したら、結婚しないか?」
 突然の、浩介の告白だった。
「浩介……」
 浩介は、照れたように頭を掻いて、眼を合わせない。
「俺って、多分一人じゃ駄目なんだ。いくらでも動ける、何をしても疲れやしない。でも、ずっと自分を持て余して、空回りしてたんだ。早苗に会うまでは」
 正直な思いを伝えようと、浩介は必死だった。
「俺はいろんな人を惹きつけちまうけど、何をしてもうまくいかなかった。それはきっと、鐘があるだけで鳴らせないみたいなもんだと思うんだ。どんなに立派で、響きの良い鐘がぶら下がってても、その中の舌(ぜつ)ってやつが、鐘を叩いてあげないと、鐘は音を響かせられなくって、宝の持ち腐れになるわけだろう?」
「それじゃあ、浩介が鐘で、あたしが舌(ぜつ)ってこと?」
「ああ、二つがあって初めて、音を響かせることができるんだろう。俺たちも、きっとそうなんじゃないかって思ってさ」
 浩介はじっと早苗を見つめ、答えを待っている。少年のような……、いや、少年そのものの、素直な瞳だ。
「浩介……、私も、同じことを言おうと思っていたの」
 浩介と二人なら、一歩を踏み出すことができる。その先に何があるかは見えなくても。浩介は、早苗を抱き締める。
「結婚式は、いつにしようか」
 耳の横で、浩介の声が、優しく響いた。

(つづく) 次回は2015年2月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 三崎亜記

    2004年『となり町戦争』で第17回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。同作はベストセラーとなり映画化もされた。著書に『刻まれない明日』(小社刊)など多数。