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  • エピソード4 早苗の結婚式(4) 2015年2月15日更新
          ◇

 土曜日、二日間のイベントの初日がやって来た。
「今日は礼拝所復活記念イベント開催しまーす! 皆さんお揃いで、お越しくださーい」
 開店大売り出しの宣伝のように、仲間たちが声を上げる。だが人々の向ける視線は、建物がどんなにきれいになろうが変わらない。街の人々にとって、この場所は、理由も知らないままに、遠ざける場所として認識されている。誰もが、足を止めることもなく、むしろ避けるようにして、迂回してゆく。
「早苗、これからだ」
 浩介は落ち込む様子はなかった。礼拝所の正面に仁王立ちして、じっと待ち続ける。信じることが、彼にとってのたった一つの突破口なのだから。
 祈るような時が流れた。この一年の思いが蘇ってくる。周囲の蔑みの目に曝(さら)されながら、早苗一人で片づけ続けた日々。何度もゴミを捨てられ、落書きを繰り返されて、一からやり直した日々。浩介と早苗が乗り越えてきた日々を……。
 やがて、最初のお客様がやってきた。小さな子どもたちだ。
「こんにちは。遊びに来たよ」
「おっ、駿坊、お友達を連れてきてくれたのか?」
「だって、約束だもん」
 駿君は澄まし顔で言って、浩介から風船を受け取った。
「浩介さん、私がお役に立てるかしら?」
 駿君が連れて来た「お友達」には、秋の商店街仮装パレードで特別賞を受賞したクロダさんもいた。異国情緒たっぷりのあでやかな衣装が一際眼を引く。双龍に連れられて、異邦郭の楽団も揃い踏みした。
「じゃあ、僕たちが、お客さんを連れて来るよ!」
 楽団が居留地の民族音楽を奏でながら行進しだす。クロダさんはクルクルと独楽のように回りながら踊って人々を魅了した。駿君たちは、手に手に風船を持って、行進をいっそう華やかに彩った。にぎやかなパレードの始まりだった。 
 彼らが街を一回りし、礼拝所に戻って来た頃には、ハメルンの笛吹きよろしく、大勢の人々を引き連れていた。
「さあ、お祭りの開始だ!」
 浩介の宣言で、イベントは幕を開けた。
 前庭では、ケータリングサービスや屋台が連なり、大道芸に子どもたちの歓声があがる。異邦郭から出張販売に来た店々が、居留地でしか手に入らないお茶やお香を放出し、人々が群がっていた。
 大道芸のお兄さんがバルーンアートのパフォーマンスを開始し、子どもたちは歓声を上げて駆け寄った。
 異邦郭の楽団と踊り子たちが、会場に花を添える。
 礼拝所の中では、写真展が好評だった。この礼拝所が、人々の心の中にあった頃の思い出が、 そこここで聞かれた。かつてこの場所が、人々の心の中に確かにあったことを、地域の住民たちは心によみがえらせようとしている。
「駿坊、ありがとうな。おかげで大成功だ」
 浩介は握手したまま駿君の身体を引き寄せ、何かを耳打ちした。
「ホントに?」
 駿君が目を輝かせて浩介を見つめ、その瞳をそのまま早苗に向けて来た。
「ああ、ホントだ。だから、決まったら絶対来てくれよ」
「うん、ぜったい行くよ!」
「何を約束したの?」
 浩介と駿君は、顔を見合わせて、企み顔になる。
「秘密―!」

          ◇

 イベントも二日目の日曜日、朝から昨日にも増して、来場客が引きも切らない。昨日の盛況を聞きつけてか、新聞記者も訪れ、早苗は取材対応に追われた。
「ふん、大したイベントでもないのに、人が集まったもんだねえ」
 瀬川さんが値踏みするように人々を見渡す。皮肉な表情を浮かべてはいたが、二十年ぶりに人々の姿を取り戻した礼拝所に、喜びを隠しきれずにいるようだ。
「瀬川さん、礼拝所を取り壊すって話、考え直してもらえますか?」
 瀬川さんに出逢って一年、目の前を楽しげに行き交う街の人々が、早苗が約束を果たした証しだった。
「あんたたち、結婚するそうだね?」
 瀬川さんは、まったく別のことを尋ね返してくる。
「ここで、結婚式をしな。そうしたら、礼拝所は取り壊さないし、あんたたちを、ここの管理人として雇ってやるよ」
 思いがけない提案に、浩介も、すぐには返事をできずにいた。
「二月二十五日に、結婚式をするんだね。正午に、あの鐘を鳴らすんだよ」
 瀬川さんは一方的に宣言して、礼拝所の尖塔を見上げた。
「でも、あの鐘は、鳴らせないんです」
 尖塔に上る扉は閉ざされ、鐘を鳴らすための舌(ぜつ)は失われたままだ。それは瀬川さんも分かっているはずなのに……。
「大丈夫だよ、こんだけ賑わってるんだ。きっと、鳴るようになるさ」
 そう言って、瀬川さんは思惑ありげに礼拝所の外の道路を見やった。
 ――あれは……
 車のテールランプが遠ざかってゆく。それは、父が仕事に使う軽トラックのようだった。
――父さん、見に来てくれたの?
 その疑問に答えることもなく、父の車は消えた。
「結婚式が終わったら、教えてあげるよ。あんたの母親のことを」
 思ってもみない言葉だった。
「瀬川さん、ご存じだったんですか? 礼拝所にいたのが、私の母だったことを」
 瀬川さんは、何か後ろめたいことがあるように、視線を合わせようとしない。
「いいかい、二十五日の正午だよ」
 瀬川さんは念押しするように言って、立ち去った。

 午後五時、二日間のイベントは、幕を閉じた。
「ありがとうございました!」
 浩介とボランティアのメンバーたちは、笑顔で来場客を見送った。
「これからは、気楽にこの場所に来てくださいね!」
 浩介は、相変わらず能天気だけれど、そう言われた相手は、確実に、また礼拝所を訪れるようになるだろう。それが浩介の力なんだ。
 仲間内での打ち上げを終えて、二人はそのまま、礼拝所に泊まることにした。二日間、集まった人々の熱気は、今も礼拝所に残り続けている。二人はその温かさを感じながら、眠りについた。

          ◇

 何かの気配を感じて、二人は同時に眼を覚ました。夜明け前だ。
「誰か、いるぞ?」
 浩介が飛び起きた。人の気配がする。また誰かが、この場所に悪意をまきちらそうというのだろうか。
「誰か、尖塔に上ってる」
 尖塔へと通じる、閉ざされていた扉が、いつの間にか開け放たれていた。寝袋から飛び出した浩介が、螺旋(らせん)階段を駆け上ってゆく。早苗も急いで、後に続いた。上りきった場所で、浩介が急に足を止めたので、早苗はその背中にぶつかってしまった。
「……お父さん」
 浩介の言葉に、早苗は耳を疑った。だが、そこにいるのは確かに父だった。尖塔の鍵は、彼が持っていたのだ。
 父は、鐘を見上げると、乾いた布を取り出し、磨き始めた。二十年間放っておかれた鐘は、埃の中に輝きを失っていた。
「て……手伝いますよ」
 父親は無言のままだったが、浩介の手助けを受け入れた。早苗も布を手にして加わる。三人で、無心に鐘を磨き続ける。
 鐘は二十年の垢を落とし、昔の輝きを取り戻した。
「二人とも、手を出しなさい」
 言われるまま、浩介と共に両手を差し出す。四つの掌の上に、細長い金属の棒が載せられた。それは、最近父親がかかりきりになっていた鋳物作品だった。
「……これって、もしかして、この鐘の舌(ぜつ)だったの?」
 父親は、この日のために、新しい舌を造り続けていたのだ。
 浩介と二人で舌を支え、父親が鐘の中に潜り込んで、留め金で固定する。収まるべきものが収まったように、しっかりと鐘と結びついている。
 舌を揺らして具合を確かめていた父親は、得心したように頷くと、早苗を見つめた。
「お母さんの姿を思い出したよ。早苗は、礼拝所を守り続けた母さんの意志を受け継ぐんだね」
「お父さん……」
 そして父親は、初めて浩介と向き合う。娘の相手として、一人の男として、浩介を認めたように。
「浩介君。早苗をよろしく頼むよ」
「は、はい!」
 浩介は、まるで儀仗兵のように直立不動で、父親の言葉を受け止めた。
「結婚式で、この鐘を鳴らしなさい。お母さんの元へも届くように」
 父親は、遥か遠く、母のいる場所を見晴るかすように、海風の向かい来る方向に眼を細めた。



          ◇

 二月二十五日。
 天窓のステンドグラス越しに、光が差し込む。
「晴れたね、浩介」
「うん、晴れた」
 二人で毛布の中で抱き合い、そしてキスをする。
 この空間は、母親の胎内のように、早苗を守ってくれる。母の思い出は何もない。それでもここは確かに、母の愛に包まれた場所だった。
「お母さん、おはよう」
 早苗は、光の中に母の姿を見出すように、眼を細めた。
「お父さんも認めてくれたんだ。これから毎日、俺たちはここで街の人を迎えて、鐘を鳴らすんだ。すぐにみんな、この場所のことが大好きになるぜ」
 浩介のその言葉が、未来への約束になった。
 十一時が近づくと、仲間たちが集まって来た。広場に椅子を並べて、結婚式の列席者用の席を整える。祝福してくれるのは、いつも手伝ってくれたメンバーだ。
 女性たちに手伝ってもらって、純白のドレスに着替える。デザイン専門学校に通う仲間の一人が好意でつくってくれた、シンプルなウエディングドレスだった。
「かえって、早苗のかわいさが引き立つよ」
 浩介には、おせじって概念はない。きれいなものはきれい。率直で、真っ直ぐだ。
「ありがとう、浩介」
 正直にお礼を言った。本音を隠して生きることが当たり前になっていた。でも、浩介と一緒なら、心を解き放つことができる。
「浩介のタキシード姿も、カッコイイよ」
 浩介は照れて、せっかくセットした髪をぼさぼさにしてしまう。
 二人は、礼拝所前の広場に立った。
 結婚式と言っても、神父がいるわけでもない。誓いの言葉は、集まってくれた仲間たちに向けて、そして自分に向けて宣言する。
「ここは、早苗のお母さんが守った場所だ。そして、あそこにある鐘は、早苗のお父さんがつくったもんだ」
 飾り気のない言葉だ。だけど、美辞麗句を並べ立てて幸せを謳い上げるセリフは、浩介には似合わない。
「俺には、誇るものは何もない。馬鹿でお調子者だ。だけど、たった一つ、早苗っていう誇れるものを、手に入れた」
 そう言って、浩介は早苗に微笑みかけた。拍手の中、参列者に挨拶をしてまわる。
「浩介さん、早苗さん、結婚おめでとう」
 来賓席には、花束を手にした小さなお客様が座っていた。
「おっ、駿坊、来てくれたんだな」
「うん、だって、約束だったもん」
 どうやら、この前の二人の内緒の約束は、結婚式への招待だったようだ。
「俺たちは、今からあの鐘を鳴らす。早苗のお父さんにも聞こえるように。お母さんにも聞こえるように。それが、俺たちの結婚の宣言だ」
 二人で螺旋階段を上る。それは、二人のこれからの人生だ。長く曲がりくねって、先は見通せない。それでも、確実に、二人を新たな場所へと導く、一周するごとに、同じ景色でも、少しずつ高みへと上り、遠くまで見晴らせるはずだ。
 尖塔の頂上に辿り着く。見下ろすと、列席者たちが、花束を振り回して手を振っている。母もこうしてこの場所から、街の風景を見つめていたのだろうか。
 街外れの、丘の上。そこに、早苗の家がある。きっと父は、工房からこの尖塔を見つめているはずだ。汚れた軍手を外して、爪まで汚れた手で煙草を吸いながら。
「お父さんに、届くといいな」
「届くよ、きっと」
「お父さんだけじゃない。街の人みんなに、とどけてやろうぜ」
 浩介は、いつものように自信満々だ。その笑顔は、早苗をどこまでも連れて行ってくれる。自分の今まで知らなかった場所へ。
 二人は手を添えて、鐘を鳴らした。
 希望が、街に響き渡るように。

(了) ご愛読ありがとうございました。

著者プロフィール

  • 三崎亜記

    2004年『となり町戦争』で第17回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。同作はベストセラーとなり映画化もされた。著書に『刻まれない明日』(小社刊)など多数。