寺地はるな
借犬場(しゃっけんじょう)に行ったら、ベンチで見上(みかみ)さんが泣いていた。 借犬場というのは、会社の近くの公園のことだ。もちろん正式な名称ではない。通称ですらない。「株式会社わたしのこばこ」に入社した年の夏に、奏斗(かなと)が勝手にそう命名した。 大通りからすこし入ったところにあり、遊具はすべり台とブランコのみ、あとはベンチが二基あるだけの、小さな公園だ。このあたりは一般住宅と商業施設とが混在するエリアで、昔は子どもも多かったと聞くが、最近はそうでもないようで、遊具が利用されているところを見たことがない。 奏斗と見上さんは「株式会社わたしのこばこ」というファンシー文具のメーカーに勤めている。会社は背の低いビルがごちゃっとかたまった一角にあり、この公園までは数十メートルの距離がある。 「会社の人たちに会わないから」という理由で、入社後まもなくから奏斗はほぼ毎日、昼休みをここで過ごすようになった。 けっして、会社の人たちが嫌いなわけではない。新卒で総務部に配属されて、今年で四年目だ。直属の上司である係長も先輩たちもいい人だしなにも不満はない、と断言することはさすがにできないが、すくなくとも理不尽なあつかいをされたことは一度もないし、他の会社に就職した友人たちの話を聞くかぎり、かなり良い部類の職場なのではないだろうかとすら思っている。 でも、それでも、ずっと会社にいると心がもたない。自分のことを穴のあいた瓶みたいに感じる。すこしずつなかみが漏れ出ていって、退社する頃にはいろんなものがすっからかんになっている。 昼休みの一時間ぐらい、「総務部の安部川(あべかわ)奏斗」ではなく、名も無きモブ、もしくはなにげない風景の一部として過ごしたかった。そうすることでどうにか、心の平穏を保てる気がした。 公園には夏でも冬でも、毎日十二時半きっかりに柴犬を連れてやってくる男性がいる。柴犬は、伊丹(いたみ)の実家で飼っている「つぶあん」によく似ていた。同じ犬種だから当然と言えなくもないが、犬だってよく見ればそれぞれ顔が異なる。 つぶあんは人懐っこい、かわいい子だ。散歩が大好きで、一日二回、どうかすると三回連れ出してやらねば機嫌が悪い。あまりにもかわいいかわいいと言われるせいで、自分の名前をつぶあんではなく「かわいい」だと思っている節すらあった。妹が「この服かわいいやろ」などと言うたび、「あ、今ぼくのこと呼びました?」と言いたげに寄ってくる。 あの公園に行けば、つぶあんによく似た柴犬、つまりジェネリックつぶあんに会うことができる。それが平日の楽しみのひとつになった。通っているうちに男性とも顔なじみになり、たまに撫でさせてもらえるようにもなった。男性の名はたなかさん、柴犬の名はキタロウである、ということも知った。 ペット禁止のアパートに住む奏斗は、他人の犬を愛(め)でるしかない。借景ならぬ借犬だ。借犬をさせていただけるありがたき場、ということで、公園を借犬場と命名した。 最近、たなかさんは犬を飼っている人どうしのコミュニティに入ったらしい。たなかさん以外にも犬をつれた人びとが集うようになった。和やかにあいさつを交わしあう彼らに、犬をつれていない自分が交じるのもずうずうしいような気がして、遠巻きに眺めるのみだ。 奏斗が公園を訪れる目的は、当初は「会社の人と会わずに昼休みを過ごすため」だった。それが「ジェネリックつぶあんに会うため」になり、さらに「遠巻きに犬たちを眺めるため」に変わっていくうちに、奏斗も次第に会社に慣れていった。今ではもう、自分を穴のあいた瓶のようには感じない。それでもやはり、会社の人たちと昼休みを過ごしたいとまでは思わない。見上さん以外とは。 奏斗がなぜ彼女にだけ、この借犬場のことを教えたのかというと、見上さんが自分だけの「ほっと一息つける場所」をこっそり教えてくれたからだ。いわば、等価交換というやつだ。 その名も、「壁ビュースポット」。こちらは見上さん命名だ。社屋二階奥の第三倉庫に続く廊下の、ぼこっとくりぬいたような空間のことだ。かつてそこには、公衆電話が設置されていたらしい。今はなにもない。どこを向いても壁面しか見えない。 仕事中に「やりきれない」と感じると、見上さんはその空間に身を埋め、目を閉じて百数えるのだそうだ。 「心が落ちつくんだよね、壁しか見えないから。安部川くんも、もしよかったら壁ビュースポット、利用してみて」 働く人間には心の避難所が必要だ、という点において、奏斗と見上さんの意見は一致している。 奏斗がここに見上さんを連れてきたのは、今からちょうど一年ほど前のことだ。見上さんは「最高だね、ここ。安部川くん、いいとこ見つけたね」と絶賛してくれたのだが、その後、ここで遭遇したことは一度もなかった。 どうやら僕に遠慮しているらしいな、と奏斗は思い、そういう気遣いのしかたがいかにも見上さんだと感心し、そのあとすぐに、見上さんなら一緒に過ごしたってかまわないと思ったから教えたのになあ、とすこしさびしくなった。 だが今日は、いる。しかも泣いている。犬連れの人びとは別の場所で会合でもあるのか、今日はだれもいない。ゼロ犬場だった。見上さんはたったひとり、ベンチで背中を丸めて泣いていた。 見上さんの泣きかたは「しくしく」でも、「わーわー」でもなく、涙が「つうつう」と流れるとか、「ぽろぽろ」零れるとかという感じでもなくて、目尻にじわっと染み出ている感じの、静かな、主張の少ない、「花粉症で」とかなんとか言い訳したら切り抜けられそうな、鈍感な人ならそもそも気づきもしなさそうな泣きかただった。だが、奏斗は気づいた。 見上さんのかたわらには、おおぶりな花柄のクロスに包まれたお弁当と保温ボトルが置かれている。 「見上さん、おつかれさまです」 隣いいですか、と続けると、見上さんはのろのろと顔を上げた。 「うん。もちろん」 お弁当と保温ボトルを引き寄せ、奏斗が座る場所をつくってくれる。奏斗は途中にあるコンビニで買ってきたパスタサラダのパックの蓋を開けながら、「なぜ泣いているのですか」とストレートに訊ねるべきか、それとも「いやあ、新緑うるわしき季節になってまいりましたね」というようなあたりさわりのない時候のあいさつから入ったほうがいいのか、しばらくのあいだ逡巡した。 午前中のあいだになにかあったのだろうか。奏斗は朝からずっと秘書課にいて、社長室の空気清浄機の買い替えについて社長秘書の山口(やまぐち)さんともめていたので、総務部の様子を知らない。 見上さんは、社歴は奏斗の六年先輩なのだが、年は三つしか違わない。早生まれの見上さんは、二十歳の時に中途採用されたのだそうだ。 見上さんの第一印象は、見た目はおとなしそうだけどすごくはっきりとものを言う人、だった。総務部にはありとあらゆる仕事がまわってくる。なかには社内の便利屋のように思っている人もいる。今日もめた山口さんなど、その典型と言えよう。 「なんとかしてよ総務なんだから」が口癖で、安部川くんがもっとまめに社長室の空気清浄機のフィルターを掃除しに来てくれてたら、故障なんかしなかったはず! と地団駄を踏みそうないきおいで主張してきてうるさかった。 「社長室の備品のメンテナンスは、社長室の人たちでやってください」 「あのね、そんなことしてる暇ないの! それに、そもそも秘書の仕事じゃないでしょう?」 山口さんとの会話を思い出し、奏斗はこめかみを押さえる。それを言うなら総務の仕事でもないはずだ。 このような無茶なことを言ってくる人は、けっこう多い。無茶を言われた時、見上さんは「できません」と、はっきり言う。「できかねます」のように、やわらかいクッションをはさむようなことすらしない。 できません、と言ったうえで、代替案を出す。いつまでにならできます、ここまでならできます、というように。相手の目をまっすぐに見て、けっして声を荒らげることなく。 そしていったん引き受けたことは、粛々とこなす。尊敬する先輩。憧れの人。見上さんは奏斗にとって、いつもまぶしく見上げる存在だった。身長差のせいで、物理的にはいつも見下ろすかっこうになるけれども。 見上さんは身長百四十九センチで、目鼻立ちもちまちまと小さく、骨組みが華奢(きゃしゃ)で、遠目には小学生のように見える。だからすぐなめられる、と本人は言う。奏斗にはそれが信じられない。見上さんの言うことが信じられないのではなく、身体(からだ)が小さいからという理由でその人をなめてかかる人間がいるということが、ほんとうに信じられない。 見上さんは、子どもの頃は父親の仕事の都合で住まいを転々としており、海外で暮らしていたこともあるという。現在の実家は千葉にあるが、もう何年も帰っていないという話だった。 どうも見上さんはお母さんとあまり仲が良くないらしい、ということを、奏斗はこれまでの会話の端々から感じとってきた。それが、どうやら大学を一年で中退したことに関係しているらしいことも。 奏斗はパスタサラダを巻くにはすこしたよりないプラスチックのフォークを握りしめたまま、言葉を探す。 だがさいわいにも、見上さんから打ち明けてくれた。 「じつは、一週間前からムク子さんに会えなくなっちゃってさ。どうしていいかわからなくて、落ちこんでる」 奏斗は「ああ、はあ」と頷(うなず)いて、フォークにひっかかったしなびたレタスを口に入れる。 「ムク子さん」というのは見上さんのイマジナリーフレンドのことだ。アフロヘアの陽気な中年女性であるらしい。好物は蒸しパンで、いつも鼻歌をうたっている。 現実には存在しないその人は、およそ二十年以上前から見上さんの脳内に住んでいる。一般的にイマジナリーフレンドとは、幼児期から児童期に見られる「空想上の友だち」のことを指す。その姿は、見る子どもによってさまざまであるという。自分と同じ年齢の子どもであることもあれば、大きな熊のぬいぐるみの姿をしていたり、あるいは虹色のたてがみを持つユニコーンであったりもする。 当人にとっては実在しているように感じられ、一緒に遊んだり会話をしたりすることもできるが、とうぜん、周囲の人には見えない。多くの場合は子どもの精神的発達とともに消失する。しかし見上さんはそうならなかった。今も、空想上の友人とともに生きている。 現実に存在しないということはもちろん認識しており、大人としてあまり胸をはって言えるようなことではないということも理解しているという。それでもやっぱり、自分にはムク子さんが必要なのだと見上さんは主張する。 「前は、会いにいったらわりとすぐ会えたんだけどね」 「え? 見上さんの頭の中に住んでいる人なのに、会いにいかなきゃ会えないんですか?」 奏斗はムク子さんという空想上の人物について知っていたが、彼女がどこに、どんなふうに存在しているのかということについてはちゃんと聞いたことがなかった。なんとなくいつもそばにいて、脳内で愚痴をこぼし、慰めてもらっている、というような関係性を想像していた。 見上さんは、いつも一緒にいるわけじゃないんだよ、と首を横に振る。 「私の頭の中に、一軒の家があるんだよね。ムク子さんはそこに住んでる。私の頭の中ではあるんだけど、そこは勝手に立ち入ることのできない領域なんだ。あ、子どもの頃は毎日遊びにいってたよ。でも私もいろいろあるし、仕事とかね。それに、ムク子さんにだって自分の生活がある。空想上の人物とはいえ、ムク子さんを自分に都合のいいことを言わせる装置にはしたくないんだ。だってね」 だってね、とそこで言葉を切って、見上さんは弁当の包みをほどく。蓋を開けて現れたお弁当はかぼちゃのサラダとミニハンバーグ、それにほうれん草だか小松菜だかのごまあえというラインナップで、ごはんにかける個包装のふりかけも持参していた。落ちこんでいても、こんなにしっかりしたお弁当をつめてくる人なのだ、見上さんという人は。 「そうでしょ? なにかあるたびにムク子さんに泣きついてさ、『あなたはなにも悪くないわ。そのままで、ありのままで、生きている価値があるのだから』なんて慰めてもらって気持ちよくなってしまうなんていうのは、不健全だから」 「不健全、ですか」 「イマジナリーフレンド道に反しますよ、それは」 そういう「道」があるんだな。奏斗は無言で頷いて、パスタサラダを咀嚼(そしゃく)し続けた。話を完全に理解しているわけではないが、ちゃんと聞いているし、最後まで聞く意思があるという頷きだと伝わっているといいのだが。 ムク子さんの前でも同じことが言えるか、できるか、というのが、自分が生きていくうえでのすべての基準なのだと見上さんは言う。困っている同僚を無視できるか。できない。だって、ムク子さんならきっとそんな時は声をかけるから。電車の中で席を譲るか。もちろん。なぜって、ムク子さんならぜったいにそうするから。 「ずるい考えとか、よくない感情とか、わりとあるのね私。それはもうしかたないと思ってんの、そういう人間だからさ。でもそれを誰かにぶつけて憂さ晴らしするとかはぜったいに違う。だって、そんなことしたら、ムク子さんに」 「怒られるんですか?」 見上さんはすこし考えて首を横に振った。 「違う。怒られるんじゃない。ムク子さんにたいして、私が恥ずかしい。顔向けできない」 奏斗の祖母はよく「おてんとさんが見てんで」と言っていた。まだ幼かった頃、祖父のカメラを勝手にいじったことがあった。問われもしないのに「ぼく、なんもしてへんで」と嘘(うそ)をついた時や、仮病をつかってスイミングをサボろうとした時などに、すぐ「あんた、おてんとさんが……」とはじまるので、幼い奏斗は「おてんとさん」を太陽ではなく荒ぶる神のように感じ、おそれおののいていた。 見上さんが今話しているのは、だいたいそういうふうなことだろう。見上さんはお天道様ではなく内なるムク子さんによって、己の邪悪な部分をコントロールしてきたのだ、きっと。 「でも、応答してくれなくなっちゃったんですね?」 「そうなの」 一般的には、イマジナリーフレンドの消失は健全な発達の証拠であるとされている。だが見上さんには、どうしてもそうは思えないのだという。 「とてもよくないことになりそうな気がする」 「見上さんの邪悪な部分が暴走するんですか?」 言ってから、「邪悪」はさすがに表現が過激すぎたかな、と反省した。「よこしまハート」ぐらいポップにしておけばよかった。だが見上さんはまじめな顔で「そう、そういうこと」と頷いた。 「私、ムク子さんに戻ってきてほしい。どうすればいいと思う? 安部川くん、なんかアイデアちょうだい」 見上さんはもしかしたら、最初から奏斗に相談するつもりで、ここで待ち構えていたのかもしれない。 これまでこちらから見上さんに頼ることはあっても、見上さんが後輩の奏斗を頼ることなど一度としてなかった。すこし誇らしくもあり、身のひきしまる思いもする。しかしそれは、つまり、それほどの異常事態だということだ。 「いったん、持ち帰らせてもらっていいですか?」 誰にも理解されなくても、自分にとってはなによりも大切な存在なら、奏斗にもいる。奏斗は無意識のうちに、上着の胸ポケットに手を当てていた。 仕事を終えてひとりぐらしのアパートに帰ると、奏斗はまず丹念に手を洗う。そして浴槽に湯をはっているあいだに、冷蔵庫を開けて夕飯のメニューを選定する。レトルトカレーか冷凍のパスタが多い。自炊したほうが安上がりだと言う人もいるが、ほんとうだろうか。スーパーマーケットの売り場を見ていると、肉も魚も野菜もびっくりするほど高い。自炊したほうが安上がりというのは、物価が上昇する以前の常識ではないのだろうか。 「株式会社わたしのこばこ」は、昨年創業五十周年をむかえた。以前は「株式会社ウメムラ文具」という激シブな社名だったのだが、二代目の社長が就任するタイミングで社名変更された。 「プレゼントの箱を開ける時のようなわくわくする気持ち、そしてその箱に、自分の宝物をしまう時のような幸せな気持ちを、商品を通じて皆様にお届けしたいのです」という社長の言葉が、公式サイトの「企業理念」のページに掲載されている。 けっして大きな会社ではない。「株式会社わたしのこばこ」が第一志望であると話した時も内定をもらった時も、友人たちは「聞いたこともない会社」と笑ったが、奏斗は満足している。 入浴を終えたらすぐに食事ができるように、電子レンジの脇に食器をセットする。それから上着を脱いで、胸ポケットからチョムスキーを取り出し、ローテーブルの上の小さな椅子に座らせた。 「今日も一日、おつかれさまでした」 帰宅後のチョムスキーはくたびれている。人形に奏斗自身の疲労を投影しているわけではない。実際にポケットの中でよれて毛羽立ち、糸くずをまとっているのだ。 洋服用のブラシで埃(ほこり)を払ってやってから、また椅子に戻す。奏斗が就寝するまでの時間を、彼はここでひとり静かに過ごす。奏斗がベッドに移動する際に、チョムスキー専用の小さなベッドに寝かされるまでは。 こんなままごとじみたことをしなくても、とは思うのだが、習慣になっているのでやらないとなんとなく調子が狂ってしまう。 チョムスキーは白髪に口ひげ、ネクタイ姿の初老の男性のすがたをした八センチほどの人形だ。 十五年以上前、「わたしのこばこ」には「ゆかいなおじさんず」というキャラクター文具のシリーズがあった。そんなに人気があったわけではなかったようだが、奏斗は小学生の入学準備で祖母から「ゆかいなおじさんず」のペンケースを買ってもらってから、ずっとこのシリーズのファンだった。 奏斗のクラスでは、女子はサンリオかサンエックス、男子はポケモンなどゲームキャラクターのペンケースが多数派で、高学年になると皆すこし大人っぽいデザインのものに買い替えないと小馬鹿にされるという風潮があった。 しかし奏斗は卒業までずっと「ゆかいなおじさんず」のペンケースを使い続けた。祖母が買ってくれたものだからというのもあるが、単純に気に入っていたからだ。 ハンプティ・ダンプティのように丸いボディのおじさんや、シルクハットをかぶった粋なおじさんがファンシーなタッチで描かれていた。それぞれに「ジャン・ポム」とか「コラルド・フェルナンデス」といった名前と、かんたんなプロフィールが設定されている。著名な言語学者と同じ名を持つチョムスキーのプロフィールは「ものしり」と、いたってシンプルだったことを記憶している。 チョムスキーの人形はたしかペンケースについていたおまけで、非売品だったはずだ。短い線をピッとひっぱったような細い、やさしい目をしている。 悲しい時に見ると「元気を出してくださいね」と励ましてくれているような気がしたし、嬉(うれ)しい時に見ると「よかったですね」と一緒によろこんでくれているように思えた。 最初はランドセルにつけていたのだが、一度同級生に「おいあべちん、なんやこれ」と泥のついた手で引っぱられてからは、ポケットに入れて持ち歩くようになった。粗暴な男子小学生の前では、チョムスキーはあまりに脆弱(ぜいじゃく)であり、人目に触れないようにして守らなければならないと思った。その習慣が、今日まで続いている。 それなのに一度、人前でチョムスキーを落としてしまったことがある。新入社員歓迎会の場でのことで、みんなかなり酔っぱらっていた。 「え、お前、お人形持ち歩いてんのか?」 チョムスキーをつまみあげて、高見(たかみ)さんが頓狂な声を上げた。新入社員は全員、まず営業部で三週間の研修を受けることになっている。営業部のエースである高見さんは陽気な、声の大きい人で、悪い人ではないが、ちょっとだけ苦手な先輩だった。 奏斗をバカにする意図など、たぶんなかったのだと思う。なかったと思いたい。高見さんは「えー、めっちゃかわいいなお前。イマドキ男子やな、ははは。かわいー」と騒ぎだし、「見て、見て! 安部川くん、お人形持ち歩いてる」と、周囲の人に見せてまわった。 てきとうにごまかすこともできた。いやーなんかたまたま出がけにポケットに入れてきちゃって、とか、鍵につけとくのにちょうどいいんですけど外れちゃって、とかなんとか。でも、嫌だった。それではチョムスキーの存在によって力や勇気を得てがんばってきた日々を否定してしまうことになると思った。受験も、就職活動も、いっしょに乗り越えてきたのに、そういう自分の努力まで、いっしょに否定してしまうことになる気がしたのだ。 だから、ちゃんと顔を上げて言った。高見さんに負けないぐらいに、大きな声が出せたと思う。 「そうなんです。落ちこんだ時とかに、ポケットから出して見たりするんです」 みんなが寄ってきた。「えー、かわいい」とか、「すごい年季入ってない?」とか、そんなことを口々に言った。自社のキャラクターであると気づいた人は、すくなくともその場にはいなかった。 「昔は考えられんかったわ、大人がお人形持ち歩くなんて」 「最近の若い子って幼稚だから」 「かわいい」一辺倒だった囁(ささや)き声に、あまり好意的ではないものが交じり出した。 引き続きチョムスキーが女子社員の手から手へと渡されていくのを見て、「もう、いい加減に返してくださいよ」と言おうとしたが、うまく声が出せなくなった。 その時、見上さんがチョムスキーを手に近づいてきた。 「ありがとうね、安部川くん。大事なものを見せてくれて」 チョムスキーは最終的に、見上さんの手に渡ったようだった。かなり離れたところにいた見上さんはわざわざ奏斗の隣までやってきて、ちゃんと手渡しで返してくれたのだった。 「自分なりの気持ちの切り替えかたを知っている人は、幼稚どころか、かなり大人だと思うよ」 見上さんはあまり声が大きくない。だからその言葉は、たぶん奏斗と、近くにいた数名にしか聞こえなかったと思う。「最近の若い子って幼稚」発言者には、確実に届かなかったはずだ。それでもよかった。それがよかった。 「チョムスキー、あの時の見上さん、かっこよかったよな。なあ」 話しかけても、当然返事はない。相手は人形なのだから。そこがイマジナリーフレンドとの違いか。 見上さんはあの時、たしかに奏斗を助けてくれた。だから今度は自分が手を貸す番だ。夕飯を済ませると、奏斗はさっそくノートパソコンを開いた。 「ムク子さん奪還計画」 自分が入力したタイトルをしばらく眺め、奪還は違うかな、と思った。誰かに奪われたわけでもないし。「奪還」を「復活」に変えてみる。まあ、計画名は後からでもどうとでもなるから、今はこのままでいいと、元に戻す。 1. ムク子さんが消滅した原因を究明する。 2. 原因に応じた解決策を考える。 3. ムク子さんを取り戻す。 まず原因究明だ。これまでに類似のケースはなかったのか。あったとしたらそれはどのような経緯で起こり、収束したのか。見上さんに聴取する必要がある。 そもそもムク子さんはどのようにして生まれたのか。そのルーツを探る必要があるかもしれない。そのことも書き加える。 4.ムク子さんのルーツを探る。 またすこし考えて、4を1の位置に移動させた。まずルーツだ。どのようにしてイマジナリーフレンドが誕生したのか、まずはそれを確認するべきだ。そして、その時と同じ状況を再現するのだ。 そこまで書いたところで、見上さんにメールで送った。 今、どんなふうに過ごしているんだろう。泣いてないといいな、と思う。見上さんが、泣いていませんように。 インターホンが鳴る。こんな時間に、宅配便だろうか。直近でネットで購入したものはなかったはずだが、と思いながらモニターをのぞいた奏斗は、「うわっ」と小さく叫ぶ。モニターいっぱいに、妹の萌南(もなみ)の顔がうつしだされていた。(つづく) 次回は2025年9月15日更新予定です。
1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。20年『夜が暗いとはかぎらない』で山本周五郎賞候補、20年『水を縫う』で吉川英治文学新人賞候補、同年同作で河合隼雄物語賞受賞。『川のほとりに立つ者は』で2023年本屋大賞9位入賞。『わたしたちに翼はいらない』『こまどりたちが歌うなら』『そう言えば最近』『リボンちゃん』など、著作多数。