物語がつまった宝箱
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  • 2025年10月1日更新
 学生時代に、旅先で陶芸体験の看板を見かけた。かなり興味をそそられたのだが、結局申し込まずに通り過ぎた。むずかしそう、とびびってしまったからなのだが、やっぱりやっておけばよかったと三十回ぐらい後悔し、だからいつか、またどこかで機会があれば、と思っていたのだったが、まさか縄文土器教室に行くことになるとは思わなかった。
 見上(みかみ)さんとともに参加した縄文土器教室は、会社から三駅ほど離れた街のカルチャースクールで開催されていた。参加者は奏斗(かなと)と見上さんを合わせて計五名だ。小学生ぐらいの子どもがふたり、そのつきそいの女性がひとり。小学生のふたりは顔がそっくりなのできょうだいかもしれず、となるとつきそいの女性は母親である可能性が高いのだが、はっきりたしかめたわけでもないのでとりあえず成人女性と小学生ズ、と黒沢明(くろさわあきら)とロス・プリモスのように呼ぶことにした。
 黒沢明とロス・プリモスについては、「ラブユー東京」という代表曲があり、それが祖父のカラオケの十八番であったということしか知らない。祖父の葬式で出棺のBGMとしてこの曲を流したい祖母と、そんなん絶対あかんと主張する父とのあいだではげしい口論が起こって、結局「千の風になって」のインストゥルメンタルにおちついた。
 あとは、性別年齢一切不詳のメガネをかけた人物がソロで参加している。この人がいちばん熱心で、最初の説明も細かくメモをとっていた。てっぺんがぴんと尖(とが)った、どんぐりの殻斗(かくと)のような帽子をかぶっているので、奏斗はこの人をひそかにどんぐりさんと呼ぶことにした。
 作業台はふたつあり、自然と「成人女性と小学生ズ」と「どんぐりさんと見上さんと奏斗」の二グループにわかれて作業台についた。
 木製の台の上で、粘土をころがす。「手のひらのカーブをうまく利用」し、「水平に、均一に」力を加えるんですよ、とさらりと難しいことを言う講師は、腰まで届く髪を麻ひもで束ねた老人だった。
 天然素材のもの以外は身につけません、というようなこだわりのある人なのだろうか。たまにいるのだ、そういう人が。縄文土器教室の先生は、奏斗の目には「そういう人」に見える。じゃなきゃ、令和の時代にわざわざ縄文土器をつくろうなんて思わないんじゃないだろうか。でも着ているTシャツは量販店のものだし、さきほどからペットボトルのとうもろこし茶をゴプゴプ飲んでいるし、たんに髪が邪魔だからそのへんにあったもので束ねただけという可能性もある。
 このクラスは初心者向けで、ここから中級、上級と進んでいくうちに土偶などにもトライできるのだという。
 土偶。土偶って、なんのためにあるんだろう。奏斗は粘土をのばしながら考える。オブジェとして各家庭に飾っていたのだろうか。自分がチョムスキーを連れ歩くように、土偶を持ち歩くようなことはさすがにしなかっただろう。でかいし、重そうだし、しかも壊れやすそうだし。おちおち狩猟もしてられない。
 こねてやわらかくした粘土を、ひも状にのばしていく。見上さんはあまりに粘土を細くのばしすぎて、講師に「あなたやりすぎ! やりすぎだよ!」と注意されていた。
 行く前も、はじまってからもあまり乗り気ではなかったのだが、粘土をこねているとふしぎと楽しくなってきた。
 保育園に通っていた頃、粘土を触る時間が好きだった。手の中で自在にかたちを変え、大きさを変え、ただのかたまりだったものが犬になり、車になり、ケーキになって、またただのかたまりに戻る。
 細く長くのばした粘土を巻くようにして積み重ね、器のかたちにととのえる。粘土のつなぎめを接合するのは思っていたよりも力加減が難しく、奏斗はいつのまにかその作業に夢中になった。講師のこだわりの有無とか、そもそも自分がここにいる理由はとか、そんなものがすべて遠ざかり、指先の感触だけに意識が向く。
 「いいですね。とてもいいです」
 講師に声をかけられ、はっと我に返った。向かいで作業していたどんぐりさんが奏斗の手元をのぞきこんでくる。見上さんが「すごいね、はじめてとは思えないよ」とほめてくれる。
 「安部川(あべかわ)くん、才能あるんじゃない? 土器づくりの」
 そんなことないです、と言おうとしたが、きつめに注意されたにもかかわらずまた細くのばしている見上さんの手元を見て、そうかも、と思う。
 「細い?」
 「はい」
 見上さんはうどんぐらいになってしまった粘土をまるめて、押しつぶした。
 「安部川くんは、縄文時代に生まれていたら、土器名人として有名になれたかもしれないよ」
 縄文時代は、約一万年ものあいだ続いたという。世代間ギャップとか、なかったんだろうか。あのおっさんの狩りのやりかた古いねん、とか、近頃の若いもんは縄のあつかいがなってない、とか、そんなことでもめたりはしなかったのだろうか。
 「縄文時代の人たちは労働するとき、どうやって心を保っていたんだろうね、安部川くん。なにをモチベーションにして土器をつくったり、木の実を集めたりしてたのかな」
 「どうでしょうね。土器づくりや木の実集めこそが生きる喜びだったのかもしれません」
 労働に喜びや幸福を見出す人びとは、現代にも存在する。両親や妹がそうであるように。
 さっき自分が感じたように、粘土を触っている時間が楽しい、という縄文人もいただろう。実家の商売が回転焼き屋ではなく縄文土器ショップだったら、なにか違っていたかもしれないと思う。いやいや、縄文土器ショップってなんやねんとも思う。誰が買うねん。
 土器の成形を終えたら、こんどは表面に縄や貝殻を押しあて、模様をつけていく。
 乾燥には一、二週間ほどかかるため、今日のところはこれで終了だった。
 手洗い場で爪のあいだに入りこんだ粘土をとるのに苦労していると、どんぐりさんが隣に立った。奏斗に、直径五センチほどの、円形の小さなブラシのようなものを差し出す。
 「これ、よかったら。爪の汚れをとるブラシです」
 「あ。ありがとうございます。どうも」
 「ブラシを動かすんじゃなく、ブラシの上で指を動かすといいですよ」
 教えられたとおりにすると、爪のあいだの粘土は気持ち良いほどよくとれた。ブラシは教室の備品かと思ったら、どんぐりさんの私物らしい。ブラシの毛はシリコンのようなものでできている。
 「粘土が爪につまったらいやだな、と思って、持ってきました」
 ずいぶん用意周到な人だ。奏斗は何度も礼を言いながら、ブラシをていねいに洗って返した。
 「縄文時代の人びとの労働時間は、一日三時間程度であったと言われています」
 どんぐりさんが唐突に言った。
 「え?」
 どんぐりさんはメガネをぐいっと押し上げる。
 「すみません、さっきのお話、聞く気はなかったのですが、聞こえてしまいまして」
 すみませんもなにも、同じ作業台にいたのだから嫌でも耳に入るだろう。いえいえそんな、すみませんうるさくしてしまって、いえいえうるさいだなんてそんなことは、としばらくいえいえ合戦が続き、勝敗のつかぬまま、どんぐりさんによる縄文ミニ講座がはじまった。
 縄文時代の人びとは日の出とともに狩猟や採集をはじめ、その後の時間を祭祀(さいし)や儀礼にあてていました、とどんぐりさんは静かな口調で語り続ける。
 「平均寿命は男女ともに三十一歳ほどであったと言われています。モチベーションがどうとか考える暇はあまりなかったかもしれません」
 喋(しゃべ)りながら、どんぐりさんはハンドタオルで、ブラシの水分をていねいに拭っている。
 「なるほど」
 「人間は、生産性の向上とともに労働に拘束される時間が長くなり、悩みを増やしていったのです。ほんとうに豊かなのは当時の人びとと私たち、いったいどちらなのでしょう」
 どちらなのでしょう、と言っているが、奏斗の答えがほしいわけではなさそうだった。どんぐりさんはハンドタオルをていねいにたたみ、ブラシをポケットから出したビニール袋に入れると、どんぐり帽子の裾をぐいんとひっぱって、ブラシを頭の上に押しこんだ。収納場所そこなんや! という驚きで口が利(き)けずにいる奏斗に、「グッラッ!」と謎の言葉を残し、教室を出ていく。
 グッラッ? なに? ぐりとぐらのぐら?
 「幸運を祈られてたね」
 離れたところから見ていたらしい見上さんが近づいてきて言った。それを聞いてようやく、ああグッドラックと言ったのか、と理解した。あまりにも発音が良すぎて、奏斗には聞き取れなかったのだ。
 「あの人、なんだったんでしょう」
 どんぐりさんが去っていったドアを見つめる。成人女性と小学生ズはとっくに帰っており、あとは奏斗たちと、もくもくと片づけをすすめるカルチャーセンターのスタッフらしき人と講師が残っているだけだ。
 「どんぐりの妖精じゃない?」
 どんぐりの妖精は、もしかしたら縄文時代からやってきたのかもしれない。

 教室を出ると、もう正午近かった。十時スタートだったから、二時間近く粘土を触っていたことになる。
 「楽しかったですね」
 「うん、安部川くん、楽しそうだった」
 ということは、見上さんは楽しくなかったのだろうか。見上さんに同行しただけの自分ばかりがひとり楽しんでいたのか。とりかえしのつかないようなことをした気分になりながら、「おなかが空(す)いているというようなことはありませんか」と訊ねた。動揺していたせいで気色が悪いほどまどろっこしい問いかけになった。見上さんは「空腹。とても空腹」と的確な返答をしてくれる。
 「ごはん食べて帰りましょうか」
 「そうしよう。ここに来る途中に、よさそうなカフェとやよい軒とカレーの店とロッテリアがあったよ」
 「よく見てますね」
 カルチャースクールの入っているビルの一階に下りると、ロビーに見覚えのある顔があった。向こうも「あ」という顔をしている。秘書課の山口(やまぐち)さん、という名前が出るまでに時間を要したのは、会社での姿とあまりにも違っていたせいだ。化粧っ気は一切なく、スウェットの上下にスニーカー履きで、髪はターバンでまとめている。
 山口さんは奏斗と見上さんを交互に、ぶしつけなほどまっすぐな目で見た。
 「もしかして、若人(わこうど)のあいだでは習い事デートみたいなん流行(はや)ってんの?」
 「流行っているかどうかは知りませんが、デートではありません」
 なぜ男女がいっしょに出かけただけで「デート」と認識されてしまうのだろう、と思いながら奏斗は答える。さあ、この後山口さんはどう出るか。奏斗の経験で言うと、二通りにわかれる。「またまたぁ、しらばっくれて」とか言って、肘でこっちの脇腹をぐいぐい突き、「みんなには内緒にしとくって。私にだけ教えて。つきあってんねやろ?」としつこいタイプか、あらあらうふふと含み笑いののち「違うの? それは失礼しました」と答えるも、はなから信じないタイプ。のちにあることないことを吹聴(ふいちょう)するのは後者である。だが山口さんは「あ、そう。それは失礼」と、とくに興味もなさそうに首の後ろをぼりぼり搔(か)いただけだった。
 「山口さんは、もうキックボクシングの教室終わったんですか?」
 「そう。あ、なんか飲まん?」
 山口さんが自動販売機を指さす。小銭がめちゃくちゃいっぱいあるので使いたい、という理由で、奏斗たちの飲みものも買ってくれた。奏斗と見上さんは無糖の紅茶を、山口さんはスポーツドリンクを買って、そのままロビーの椅子に座って話をした。
 山口さんは、もう三年近くキックボクシングに通っているのだそうだ。最初はダイエット目的だったが、次第にキックボクシングそのもののおもしろさにはまっていった。キックやパンチが思いどおりに打てた時の爽快感や、練習を重ねるうちに今までできなかったことができるようになった時の達成感はなにものにも代えがたいのだという。   
 「自分の身体(からだ)がな、ゆっくりやけど、着実に変わっていくのが楽しいねん」
 もともと育成ゲーム的なものが好きだったと山口さんは言う。
 「えっとあれ、たまごっち、とかですか?」
 「そうそう。今はその関心が自分の身体に向いてるってこと。あと私、もっともっと強くなりたいねん」
 山口さんは、仕事でむかつく相手と接する時、こっちはいつでもその鼻っ面にパンチをお見舞いできるんだぜ、と考えている、そのおかげでとびきりの笑顔がつくれる、というようなことを言った。
 奏斗は先日空気清浄機の件でもめたことを思い出した。あの時もこの人は、「いつでも殴れるぜ」と考えていたのだろうか。そんなのって、こわすぎない?
 「ミカミンは、強くなりたいって思ったこと、ない?」
 気がつくと、山口さんは見上さんにぴったりくっつくようにして座っていた。
 「女って、すぐなめられるやん? 勝手に弱い、庇護(ひご)すべき愚かな生きもの、みたいに扱われて。で、自分の思い通りにならへんってわかったら、男ってすぐ力で屈服させようとしてくるやん? 私はな、そういうの、もううんざりやねん。そういう世界をぼこぼこに、いや、ぼっこぼこにしてやりたいねん。というわけで、見上ちゃんも一緒にキックボクシング、やらへん?」
 見上さんは、うーん、と考えこんでいる。奏斗は、ぼくのことは誘わないんだなあ、と思う。べつに誘ってほしいわけではないのだが、なぜだ、という思いはある。男だから? あるいは性別に関係なく、個としての好悪の問題?
 見上さんが山口さんの勧誘を受けているあいだ、奏斗はスマートフォンで「縄文時代 土偶 なんのため」と検索した。土偶はほとんどが女性の姿をかたどったもので、五穀豊穣や安産を祈るための儀式に使われていたという。
 妹の、不安そうな横顔がよみがえった。縄文土器教室に引き続き通い、上級者コースに進み、土偶をつくってプレゼントしたら、どうだろう。妹はきっと、こう言う。どうしたん、アニー。なにがあったん。
 いや、妹は傍若無人に見えて意外と優しいところもある。いちおうは喜んだふりをして受け取り、後日両親に「アニー、ちょっとやばいかもしれんわ。見てこの土偶、手作りなんやて。普通土偶手づくりする?」などと、相談するのかもしれない。
 山口さんがとつぜん「あー!」と叫んだので、奏斗はびくりとスマートフォンから目を上げる。
 「帰ってごはんつくらなあかん! じゃミカミン、よろしくな!」
 そう言うや否や、去っていった。帰宅がてらランニングをするという。どこまでもパワフルな人だ。
 「じゃあ、ごはん食べに行こうか」
 「ですね」
 見上さんは結局キックボクシングをやるのだろうか。土偶のことを考えていて、話を聞いていなかった。カルチャーセンターからいちばん近いという理由で、見上さんの言う「よさそうなカフェ」を選んだ。五穀米のベジタブルカレーというのを注文したタイミングで、見上さんが言った。
 「じつは昨日、父にメールしたんだ」
 たしか、睦子(むつこ)さんの連絡先を訊く、という話だった。結論から言うと睦子さんの連絡先はわからなかった、と見上さんは言う。
 どこから話せばいいのかなあ、と見上さんはため息をつき、なにやらスマートフォンを操作して、奏斗に向けた。
 画面に「見上碩王(みかみせきお)」という人物のウィキペディアが表示されている。日本の画家、と書いてあった。これが見上さんのお父さんらしい。
 「有名人なんですね」
 見上さんは「そうでもないよ」と顔をしかめるが、ウィキペディアにのっているのだからどう考えても有名人だろう。お父さんの仕事の都合で日本各地、時には海外を転々としていたと聞いていたが、それは見上さんのお父さんが絵を描くために頻繁に居所を変えていたからなのだそうだ。
 睦子さんが家に来ていた期間は、およそ三年ほど。見上さんが三歳から六歳になるまでのあいだだ。当時、見上さん一家は神戸に一軒家を借りて住んでいたという。
 「睦子さんは、父のモデルをやっていたみたい。けっこう長い期間」
 それでこれはあの、と見上さんがこめかみを押さえる。
 「もうお前も大人だから、という前置きのうえで聞かされたんだけどね。父の愛人だったんだってさ」
 最悪のタイミングでカレーが運ばれてきた。ルーの上に素揚げのレンコンやカボチャや赤のパプリカがのっていて色鮮やかだが、「おいしそうですね」という感想を述べるにはふさわしくない。だがもちろんカレーにも、そして「ごゆっくりどうぞ」と言葉をかけてくれる店員さんにも罪はない。
 モデルになってからそういう関係になったのか、さきにそういう関係になってからモデルになったのかはわからない、と見上さんは言う。
 「ショックとかじゃないの。ただ、なんで今まで気づかなかったんだろうって、自分に呆(あき)れてる。いくら子どもだったとはいえ」
 睦子さんが来ている時には、アトリエに行くことを禁じられていた。だが、見上さんはお母さんの目を盗んで、アトリエに入り浸った。なぜなら、睦子さんが来ている時のお母さんはとても不機嫌だったからだ。
 「楽しかった」と見上さんは言う。
 「母からはお菓子を禁止されてたけど、睦子さんや父がこっそり食べさせてくれたし。でも、楽しんじゃいけなかったんだよね」
 「でも、見上さんは知らなかったんですよね」
 「そう。だけど、母はとても苦しかったと思うから。自分の夫が公然と愛人を家に招き入れてさ、そのうえ、自分の娘がその愛人になついてるって、母にとってはほんとうに、地獄だったと思うのね。あ、ごめん。冷める前に食べよう」
 見上さんがカレーの器を引き寄せた。だから奏斗も、カレーを食べはじめる。神戸の家を離れたあと、一家はフィリピンにうつったのだという。
 そこで睦子さんとの関係が切れたのかどうかは、父がはっきり言わなかったからわからない、と見上さんは言うが、そこをはっきり言わなかったということは別れたわけではなかったのだろうなと、奏斗は暗い気持ちで考える。
 見上さんの両親の仲はこじれにこじれ、毎日口論ばかりだった。ただ、離婚には至らなかった。
 奏斗は自分が考えた「イマジナリーフレンドが生まれた状況を再現する」という案が、とても残酷なものであったことに今更のように気がつく。幼い見上さんは、不仲の両親のもと、言葉も通じぬ国で、かつて優しくしてくれた女の人のことを思っていたのだろう。そうしてムク子さんを生み出した。そのうえムク子さんの原型が、父親の愛人だったと知って、どんな気持ちだっただろう。
 「それで、問題はここからなんだけど」
 「はい?」
 ここから? ここからはじまる地獄があるんですか? と訊きそうになるのを、なんとかこらえた。
 「私と父とのメールのやりとりを、母が見てしまったみたい。それで、すごく荒れてて」
 お母さんからどうしてあなたは私の嫌がることばかりするのか、という電話がかかってきたらしい。
 奏斗はどう答えたらいいかわからず、ひたすらカレーを食べ続ける。見上さんがスプーンを置いた。
 「来週、母に会ってくる」
 「大丈夫、ですか?」
 大丈夫じゃないから会いに行かなきゃいけないの、と微笑む見上さんの顔は、やや青ざめていた。

(つづく) 次回は2025年10月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 寺地はるな

    1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。20年『夜が暗いとはかぎらない』で山本周五郎賞候補、20年『水を縫う』で吉川英治文学新人賞候補、同年同作で河合隼雄物語賞受賞。『川のほとりに立つ者は』で2023年本屋大賞9位入賞。『わたしたちに翼はいらない』『こまどりたちが歌うなら』『そう言えば最近』『リボンちゃん』など、著作多数。