物語がつまった宝箱
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  • 3rd marriage(1) 2017年12月1日更新
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 四月二十二日、日曜朝六時五十五分、こよりはルクソール・ホテル・アネックス館内のチャペルにいた。五分前集合はウェディングプランナーの常識だし、今回の結婚式はこの数年で最大級の規模だ。気合が入るのは当然だろう。
 それは他のスタッフも同じだった。ベストウェディング社からは営業部長の植草(うえくさ)以下六人のスタッフ、ルクソール側も本多(ほんだ)営業部長、プランナーの横川(よこかわ)を含め、六人の担当者が顔を揃えていた。
 ルクソール・ホテルには大中小合わせて七つの宴会場がある。物理的には一日に挙式と披露宴を四組まで受け付けることが可能だったが、今日は小坂(こさか)家と菊田(きくた)家が全宴会場を貸し切っていた。大宴会場三つを披露宴に、四つの中小宴会場はすべて関係者控室に充てられる。
 四組の式に対応できるスタッフ全員が、今回の結婚式のために全員出勤していた。それだけの規模だと思うと、自然と身が引き締まる思いがした。
 七時ジャスト、整列したスタッフに植草と本多がお疲れさまですと軽く頭を下げた。今回の結婚式は主催ルクソール・ホテル、共催ベストウェディング社で、メインになるのはルクソールだが、両社が提携していることもあり、お互い遠慮がある。結局、押し出されるようにして前に出た植草が、おはようございますと全員に挨拶した。
「本日の進行につきまして、僭越(せんえつ)ではございますが、ベストウェディング社を代表致しまして、不肖植草亘(わたる)がご説明申し上げます」
 堅いよ、とこよりの隣に立っていた太田原(おおたわら)がつぶやいた。誰もが同じことを考えていたのだろう。全員が肩を震わせて、笑いを堪(こら)えていた。
 わかってますよ、と開き直ったかのように植草が声を高くした。
「今日の流れは全員確認済みのはずだし、それぞれ役割分担も決まってますから、細かい点には触れません」
 植草もこの業界は長い。丁寧な言葉遣いだったが、それなりに威厳があった。
「ここでは時間の確認だけしておきます。三十分後、新婦の菊田麻弥(まや)さんがルクソールさんのメイクルームに入られます。アテンドは弊社赤星(あかぼし)、それからルクソールの蒔田(まきた)さん」
 はい、と答えた二人が一歩前に出た。久美(くみ)もそうだが、蒔田も二〇代半ばと若い。
 もっとも、実際にメイクをするのは専門のヘアメイクだし、二人がその場に立ち会う必要もない。アテンドといってもメイクルームに案内するだけだから、経験が浅くても問題はなかった。
 八時、新郎の小坂信秀(のぶひで)さんが控室に入られます、と植草が説明を続けた。
「新郎もメイクはしますが、それほど時間はかからないはずです。まあ、わたし個人の考えを言わせてもらうとですね、昨今の風潮として、新郎側も入念なメイクを要求するケースが多くなっていますが、いかがなものかと思いますね。古いと言われるかもしれませんけど、男がファンデーション塗ってどうするんだと――」
 部長、と本多に脇腹を肘でつつかれた植草が、話が逸れてすいませんと頭を掻いた。
「ええと、スケジュールの話でしたね? 新郎新婦、共にヘアメイク終了時間は九時を予定しております。その後、チャペルに移動、挙式のリハーサルと写真撮影を行います。本番は十時半からで、今回は教会式ですが、派手婚といっても挙式そのものは特別な演出があるわけじゃないですから、通常通り三十分前後で終わる予定です。ひとつだけ問題があって、列席する客が二百人以上います」
 多いね、と太田原がつぶやいた。列席者にも順番があり、新郎側、新婦側で席は分かれる。最初は混乱するかもしれません、と植草が言った。
「親族、友人、会社関係はともかく、両親との繋(つな)がりで国会議員、港区の区長、港区医師会会長なども招待されています。ああいう人たちは席次にうるさいから、注意してください。また、それぞれ控室も違います。早ければ十時前に来る人もいるでしょう。スムーズな案内を心掛けてください」
 それぞれの担当者が自分の役割を確認していた。こよりの担当は新郎の親族のアテンドだ。
「あたしとしては、新婦側につきたかったんですけど」太田原の耳元で囁いた。「新郎とはほとんど話したこともないですし、大丈夫でしょうか」
 そこは仕方ない、と太田原が肩をすくめた。
「バランスってものがある。ルクソールさんも新郎のためにアテンドを一人出すんだから、うちも出さないわけにはいかないでしょう。人数が多いだけで、普通の挙式と変わらない。親は親だし、親戚だって何があるってわけじゃないだろうし」
 一般的な式の場合も、ウェディングプランナーが事前に親戚と顔を合わせることはない。小坂家の両親とは、何度か会ったことがある。考え過ぎても意味はないだろう。平常心で臨むだけのことだ。
「挙式終了予定時刻は十一時」植草の声が更に高くなった。「その後、アフターセレモニーを挟み、十二時から披露宴の開始です。挙式に参列した二百人の客のほとんどが披露宴にも出席するし、その他に約百人が加わります。席次表は受付でお渡ししますし、規模と人数以外、普段と変わるところはありません。ただ、時間の余裕は見ておきたいところです」
 三百人が出席する披露宴は、あまり例がない。五、六十人なら、全員を同時に披露宴会場に入れることもできるが、三百人では難しいだろう。
 優先順位を作り、順番に入場させなければならないが、その準備は整っていた。事前のプラン通り動けば問題ありません、と植草が繰り返した。
「披露宴は十二時スタート、終了は十五時半を予定しています。通常、披露宴の平均時間は二時間半前後が相場ですが、今回は三時間半の長丁場です。祝辞やら余興やらイベントやら盛りだくさんですから、それぐらい時間はかかるでしょう。下手をすると四時間超えになるかもしれません」
 うちは構いませんよ、と鷹揚に本多が言った。
「何しろ、全宴会場貸し切りです。後ろがあるわけじゃないし、無理に巻く必要はありません。時間のことはあんまり気にしなくてもいいんじゃないですか」
 そこまで長引くことはないだろう、とこよりは内心思っていた。三時間半でも通常より一時間長い。
 もちろん、その分祝辞を述べる人数や、余興、イベントなども数多く入っているが、招待客に供する食事は伝統的なクラシックスタイルの本格フレンチのフルコースで、値段こそ高いものの、他の披露宴と皿数は同じだ。
 デザートが終われば、それ以上何も出てこない。客もいつまでもワインやコーヒーを飲んでいるわけにはいかないだろう。
 ただ一点、不安があるとすれば新婦の麻弥だった。どんな披露宴でもその傾向があるが、新婦はいつまでも幸せに浸っていたいものだし、中にはいつまでも終わらなければいいとまで考える者もいる。各テーブルを回って、友人や親戚との話に夢中になってしまい、高砂に戻ってこない花嫁は過去にも例が数多くあった。
 もっとも、そのためにウェディングプランナーがいる。今日、こよりは麻弥の近くで待機し、円滑な披露宴の進行をサポートするが、重要な役目のひとつが時間配分の指示だ。
 終わりのない披露宴などないのだから、どこかで幕を引かなければならない。それはいつもの仕事と同じだった。
 十六時には終わると思いますね、と植草が本多と目を見交わした。
「長いのは確かだけど、スタッフも通常の倍以上いますからね。挙式までは私が、披露宴からは本多部長が統括責任者なので、全員指示に従ってください。トラブルが生じた場合は、すぐ報告すること。何もないとは思いますが――」
 チャペルに入ってきたルクソールの女性スタッフが、新婦が到着されましたと頭を下げた。もう来たの、と植草が唇を突き出した。
 時間は七時十分で、予定より二十分も早かった。普通、新婦が結婚式場に到着するのは、時間ぎりぎりか、もしくは遅刻する場合も多い。
 女性は支度に準備が必要だし、家を出る際には両親への挨拶などもある。麻弥もそうだとこよりは思っていたが、気が急(せ)いているのかもしれなかった。
「赤星さん、蒔田さん、新婦をメイクルームに案内してください」植草が早口で指示した。「ご両親も一緒ですよね? 親族控室まで、担当者がアテンドするように」
 あの、と女性スタッフが手を上げた。
「ご両親はもちろんですが、祖父母、親戚の方が十名ほど、それとご友人の方も来ています。どうしますか?」
 総員配置につけ、と植草が叫んだ。戦争が始まるよ、とおかしそうに太田原が言った。

2
 予定より早く新婦がルクソールに入り、しかも両親、親族、ブライズメイドまで一緒だったため、新婦側のスタッフは混乱していた。幸いというべきか、こよりは挙式が終わるまで新郎側の担当なので、騒ぎに巻き込まれずに済んだ。
 結婚式において、スタッフの役割分担は重要なポイントになる。手が足りないからといってフォローに回ると、自分の仕事が疎(おろそ)かになってしまう。それでは本末転倒だし、もっと大きなトラブルを招きかねない。
 基本的には、何が起きてもお互いの持ち場を守るのがルールだった。それに、今回はスタッフの数も多い。こよりがフォローするまでもなかった。
 ホテルのエントランスで待機していると、新郎の小坂信秀が両親と共に車から降りてきた。八時ちょうどで、予定通りだった。
 アテンドを担当するのは、こよりとルクソールの横川だ。事前に決めていた通り、横川が両親を親族控室に誘導し、こよりは小坂本人をメイクルームに案内した。
 もう一年経つんですね、と前を歩きながらこよりは顔だけを小坂に向けた。
「小坂様と麻弥さんがうちの会社へいらしたのは、去年の三月二十四日でした。素敵なカップルだと思ったのを、昨日のことのように覚えています」
 そうですか、と小坂がうなずいた。こよりの方も、これといった話題はない。会話はそれで終わった。
 ウェディングプランナーの絶対的なルールとして、プランナーは同性の側としかコミュニケーションを取らない。こよりは女性だから、新婦の麻弥とだけ連絡を取るようにしていた。
 ウェディング会社ならどこでも同じだが、プランナーは顧客のリクエストに応えるため、パーソナルな関係を築かなければならない。細かい個人情報を聞くこともあるし、かなり踏み込んだ話をする場合もあった。
 その過程で、必然的にプランナーと顧客は親しくなる。同性同士なら問題はないが、異性の場合、何らかの間違いが生じる恐れがあった。
 女性プランナーと新郎が親しくなり、新婦が嫉妬するような例は数知れない。もっと極端なことを言えば、相談に来た新郎とプランナーが交際、結婚してしまう、というような事例もあった。映画のような話だが、本当のことだ。
 結婚式について積極的に相談するのは主に新婦だ。新婦に対応するのは同性のプランナーだから、ウェディング会社に女性プランナーが多くなるのは当然のことだった。
 ベストウェディング社では、女性プランナーが新郎とメールアドレスの交換をすることも禁じられている。細かい話だが、そこまで配慮しなければならない仕事なのだ。
 女性プランナーは新婦に寄り添い、要望に応えるため、さまざまな提案をしなければならない。熱心なプランナーであれば、何日も、あるいは何カ月も新婦のことばかり考えるようになる。
 新婦の側も、結婚式の具体的な相談相手はプランナーしかいないから、相談から結婚式までの期間、誰よりも親しくなるものだ。実際、プランナーと新婦が友人になることは多く、結婚後もその関係が続くケースは珍しくない。
 逆に言うと、新郎とはほとんど接触しないため、性格など詳しくわかっていないことも多い。小坂もそうだったが、何度も顔を合わせているものの、会話を交わした記憶はあまりない。口数の少ない物静かな人、という印象しかなかった。
 大概のカップルが同じで、小坂が特別ということではない。二人だけで話すのは、今が初めてだ。会話を交わしたというより、社交辞令的な挨拶をしただけのことだった。
 にもかかわらず、こよりの頭の中で小さな音が鳴り始めていた。何かがおかしいという警報だと気づいたのは、小坂がメイクルームに入り、ドアを閉めた時だ。
 具体的なことではない。メイクルームまでの通路を一緒に歩いただけで、何がわかるというものでもないだろう。だが、何か妙だという直感があった。
 結婚式直前の新郎は緊張している。そのため、無口になる者は多い。
 大部分がそうだと言っても過言ではないだろう。世間話ができるほどの余裕ある新郎はめったにいない。
 それにしても、小坂の様子はおかしかった。こよりの話にうなずいただけなのはともかく、気になったのはその表情だ。
 緊張しているというより、こよりの声が耳に届いていないようだった。どういうことなのか。
 頭の中で過去のデータベースを検索したが、今まで一度も見たことのない表情だった。何を考えているのか、見当もつかない。
 新郎の態度にはさまざまなパターンがある。今から結婚するんだ、と無邪気に喜んでいる者はむしろ少数派だろう。
 結婚式とは、男性にとってどこか現実感がないもので、他人事のように考えている者も多い。中には、面倒臭い、早く終わらないかと言う者までいるほどだ。
 そこは男性と女性の結婚式に対する捉え方の違いで、どうして男の人ってそうなんだろうとは、こよりも思っていない。新婦にとっては夢の晴れ舞台だとしても、新郎の側はどうしても現実が先に立つ。式や披露宴の内容より、費用について相談したいと言ってくるのは、圧倒的に男性だ。
 プランナーとして十年の経験があるこよりは、それをよく知っていた。心ここにあらず、という新郎も過去には大勢いた。
 だが、小坂はどのケースにも当てはまらなかった。あの表情は何を意味していたのか。何かを諦めたような目。
 しばらくメイクルームの前で待っていたが、何も起きなかった。中ではルクソール専属のヘアメイクが小坂の髪を整え、メイクを施しているはずだ。
 麻弥は着付けのためのスタイリストを個人で呼んでいたが、小坂の方はタキシードを着るだけだから、ルクソールのスタッフでも対応できる。
 新郎のタキシードはスーツの延長だから、着こなしは難しくない。しかも今回はフルオーダーだから、サイズもジャストだ。順番に着ていけば、それなりに収まる。わかっていたが、無意識のうちにこよりはドアをノックしていた。
「すいません……入っても構いませんか?」
 すぐにドアが開いた。何度か会ったことのある女性ヘアメイクが微笑を浮かべて立っていた。
「どうかしましたか?」
「いえ、あの……進み具合はどうかと思ったものですから」
 よろしいですかとひと言断わって、メイクルームに入った。大きな鏡の前に、小坂がスマホを手にしたまま座っていた。
 プリーツの入ったウイングカラーシャツを着ているが、ジャケットはハンガーにかけたままになっている。お似合いですと言うと、振り返った小坂が照れたように笑った。
「何ていうか……着せられている感じですよ」タキシードをちゃんと着るのは生まれて初めてなんで、とスマホをメイク台の上に置いた。「カフスやらタイやら、これは何でしたっけ、カマーバンド? これも付けなきゃ駄目なんですか?」
 新婦側のリクエストですので、とヘアメイクがうなずいた。
「フォーマルな正装です。最近ではカマーバンドを付けない方も多いですが、わたしはあった方が正装感が強くなって素敵だと思います」
 セットされた髪に手を当てた小坂が、カマーバンドを取り上げた。失礼しましたと頭を下げて、こよりは通路に戻った。
 小坂は落ち着いているし、表情に曇りもない。トラブルの予兆は感じられなかった。考え過ぎだ、とこよりは頭を振った。
 口数が少ないのは最初からそうだった。心配性はウェディングプランナーの職業病だ。不安な要素などない。
 通路の奥から、横川が近づいてきた。どうでしょうかという問いに、問題ありません、とこよりは答えた。

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 予定通り、九時ジャストに新郎新婦とその両親がチャペルに集合し、挙式のリハーサルが始まった。タイムスケジュールの管理は、植草が最も得意とするところで、この辺りは経験の違いということなのだろう。
 教会式の流れは、列席者が入場するところから始まるが、リハーサルなのでその辺りは省略される。実際の進行は牧師が務めるが、代わりに植草が挙式の開始を宣言した。
 新郎の小坂は祭壇の前で花嫁を待っている。立ち位置を横川が入念にチェックしていた。
 チャペルの外で、こよりは久美と一緒に麻弥と並んで入場のタイミングを待っていた。ウェディングドレス姿の麻弥の顔に、緊張と喜びが複雑に合体したような笑みが浮かんでいた。落ち着いて、とこよりは声をかけた。
「リハはリハです。別にミスがあったって構いません。それに、結婚式って堅く考えるものでもありません。ドレスの裾を踏まないように気をつけていれば、後は何とでもなりますよ」
 わかってます、と麻弥がうなずいた。むしろ、緊張の色が濃いのは、その横にいた新婦の父、菊田正成(まさなり)の方で、今にも泣きだしそうだった。
 花嫁の父とはそういうものだ。リハーサルだとわかっていても、心中は複雑なのだろう。
 インカムに植草の合図が入った。腕を組んでください、とこよりは指示した。
「ドアが開きましたら、そのままチャペルにお進みください。祭壇の前で、お父様から新郎にバトンタッチです」
 事前に説明はしていたが、正成は頭の中が真っ白になっているようだ。仕方なく、こよりは自分が前に立って先導することにした。ロボットのようなぎこちない足取りで、二人がついてくる。
 その後、賛美歌の斉唱や聖書の朗読などがあるが、それは割愛して、結婚の誓約と結婚指輪の交換を植草を牧師代わりにして執(と)り行った。植草の問いかけに、新郎新婦は「はい」と答えるだけだし、指輪の交換も難しいことではない。
 最後に誓いのキスがあるが、これも略した。植草が二人の結婚を宣言したところで、リハーサルは終わった。
 実際には、その後で牧師による閉式の報告と、新郎新婦の退場というセレモニーがあるが、それについては他のスタッフがアテンドするので問題ない。重要なのは全体の流れを覚えることで、牧師やスタッフもカバーするから、トラブルが起きる可能性はほとんどなかった。
 あるとすれば、やはり新婦の父親だろう。バージンロードを歩くスピードが合わなかったり、泣き崩れて歩けなくなった父親も過去にはいた。挙式のリハーサルは、ある意味で両親に心の準備をさせるために行う儀式でもあった。
 その間、招待客が続々とルクソール・ホテルに到着していた。結婚式にはさまざまなバリエーションがあるが、招待客が百人を越える場合、ホテルや専門施設で式を挙げた方がいい、とこよりは常々考えている。
 今回のように三百人もの客が出席するのであれば、ホテル婚がベストだろう。格式の問題ではなく、スタッフの数の多さと、経験が違うので、トラブルがあっても確実に対処できるからだ。
 今回、受付は親族、友人、会社、主賓と四つに分かれていたが、それぞれ専属のスタッフが対応することになっていた。この辺りも、スタッフの数に余裕があるホテルならではのメリットだろう。
 リハーサルが終わり、新郎新婦はそれぞれの家族控室に向かった。これは本人というより、両親のためで、主賓に対しては新郎新婦の側からも挨拶の必要がある。
 久しぶりに会う友人、親戚などもいるだろう。小坂家も菊田家も、両親は共に五十代半ばで、年齢的に挨拶を重要と考える世代だった。
 その後、新郎新婦はそれぞれの控室でメイク直しや着付け直しなど、細々とした最終チェックを行う。親しい友人の中には、控室を訪れて直接お祝いを言う者もいた。
 それだけで泣いてしまう新婦もいるので、メイクが崩れることを恐れて面会禁止にする結婚式場もあるようだ。実は、こよりもあまりよろしくない風習だと内心思っている。ただ、SNSで結婚式直前の写真をアップするのが流行しているから、止めることはできなかった。
 今回、挙式までこよりは新郎のアテンド担当だから、メイクの心配をする必要はなかった。もちろん、男性の友人が控室へ挨拶に来るかもしれないが、そこで泣き出す新郎はいない。その点では気が楽だった。
 リハーサル終了後、三十分が経過したところで、式に参列する客たちがチャペルへの移動を始めた、と連絡があった。VIPへの席次については現場のスタッフが適宜(てきぎ)指示するので、問題はない。
 控室のドアをノックして、そろそろですと声をかけると、出てきた小坂が軽く会釈して、チャペルへ向かって歩きだした。前を進みながら、後二分で新郎がチャペルに到着します、とこよりはインカムを通じて報告した。

(つづく) 次回は2017年12月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 五十嵐貴久

    1961年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。2002年『リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞を受賞し、デビュー。警察小説から青春小説まで幅広くエンターテイメント小説を手掛ける。著書に『For You』『リミット』『編集ガール!』『炎の塔』(以上すべて祥伝社刊)など多数。