物語がつまった宝箱
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  • 第一幕(3) 2023年4月1日更新
 十五時過ぎ、昼寝から目覚めた。
 蕎麦(そば)を食べ終えて自分の部屋に戻った私は、しばらくスマホをいじっていた。そのうち眠くなってきたから、ベッドに倒れこむようにして寝た。予定も、やるべきことも、なんにもない。どれだけ眠っても、私の人生は変わらない。
 起きてすぐ、蝉(せみ)の声が耳に届いた。盛(さか)ったオスの声だと思うと不快で仕方ない。
 ――まだ鳴いてんのかよ。
 帰り道に見た蝉の交尾を思い出す。メスの蝉にとって子を残すことは本能なんだろう。その本能はたぶん、どの生物にも共通している。もちろん人間にも。だとしたら、性行為を拒絶する私には人間の本能が備わっていないのだろうか?
「うるさいな」
 つぶやきの対象が蝉なのか自分なのか、よくわからなかった。
 喉の渇きを覚えてダイニングに下りた。母はいなかった。
 玄関に置きっぱなしになっていた、手提げ袋や日傘がなくなっている。買い物にでも出たのだろう。麦茶を飲んで、部屋に戻り、またスマホをいじった。チャイムが鳴ったら、すぐに玄関で出迎えなければいけない。想像するだけで面倒だった。
 しかし十七時を過ぎても、チャイムは鳴らなかった。近所へ買い物に行っているだけなら、こんなに遅くなるはずがない。再びダイニングに下りたが、書き置きは見当たらない。
 あまり使っている形跡はないが、一応スマホは持っているはずだ。メールを送ってみることにした。
〈遅くなりそう?〉
 文面を作り、送信する直前で指が止まった。どうして、私が母の心配なんかしないといけないのか。家にいてもうっとうしいだけだ。帰りが遅くなるのは歓迎すべき事態のはずだった。それに、こんなメールを送ればきっと後で笑われる。寂しかったの? 子どもじゃないんだから。頭のなかで母の声が再生された。
 メールは送信せず、引き続き一人の時間を楽しむことにした。
 十七時半を数分過ぎたころ、唐突に電話が来た。着信は常に唐突なものだけれど、スマホの〈父〉という表示がより唐突感を増している。これまで父から電話がかかってきたことは、一度もなかった。
「もしもし」
 探るような声音で出ると、父は「俺だけど」と当たり前のことを言った。
「どうかしたの」
「救急隊員の人から電話あってな。お母さん、交通事故に遭ったって」
 あっ、と声が出た。父からの電話という異常事態と、母が帰ってこない事実が時間差で結びついた。そして、今の今まで母のことを忘れていた自分の薄情さに驚いた。母が私に関心を持たないように、私もまた母に関心がなかったらしい。
 父は落ち着いていた。市内にある総合病院の名を挙げ、すぐにタクシーで来るよう私に指示した。わかった、と答えて通話を終了しようとしたが、父は言い残したことがあるかのように沈黙していた。
「まだ、なんかある?」
「……ならないのか」
「なんて?」
「お母さんの容態、気にならないのか」
 たしかに父は、母が交通事故に遭ったとは言ったが、けがの程度までは口にしていなかった。娘なら尋ねるのが自然なのかもしれない。けど、父の言いようは私を試しているようで不快だった。
「もったいつけてないで、知ってるなら教えてよ」
「意識はない。内臓破裂しているおそれがあるんだと」
 えっ、と部屋に響くほど大きな声が出た。それって死んでいないとしても、かなり重体じゃないのか。内臓破裂という非日常的な言葉と、けだるそうに蕎麦を咀嚼(そしゃく)していた母の姿がうまく重ならない。
「なんで最初に言ってくれなかったの!」
「いきなり伝えたらショックだろうと思った。詳しいことは、後でな」
 父は逃げるように通話を切った。
 胸元に熱いものがこみあげてくる感覚があった。スマートフォンを置いて、横になる。すぐにタクシーを呼ぶべきだとわかっていた。それなのに、指先が動くことを拒絶している。
 これから病院に行って、何をすればいいのか。瀕死(ひんし)の母とそう簡単に対面できるとは思えない。きっと集中治療室とかにいるはずだ。処置が終わるまで、ずっと治療室の外で待つことになる。その間、何を考えていればいい?
 誰か教えてほしい。
 こんな時、娘ならどう振る舞うべきか。
 じんわりと涙が滲(にじ)み、視界がぼやけていく。自分が本心から泣いているのか、娘にふさわしい反応を演じているだけなのか、それすらわからなくなった。
 少し気力が湧いたところでタクシーを呼んだ。総合病院の名前を告げ、後部座席に座り、到着するまで呆然(ぼうぜん)としていた。とうに見飽きた田畑が窓の外を流れていく。内臓破裂。のどかなこの町に、そんな物騒な言葉を持ちこまないでほしかった。
 予想していた通り母には会えなかった。待合室の長椅子(ながいす)で待っていると、じきに父が現れた。最初に受付へ向かった父は少しの間、看護師と話しこんでいた。保険証がどうとか言っていた。話が終わった父は私の隣に座った。
「……看護師さん、何か言ってた?」
「意識は戻っていない。処置が終わるまではここで待て、だと」
 父は他人事(ひとごと)のように淡々と言った。
「それだけ?」
 返事はない。父は太ももに両肘をついて、手で顔を覆った。タオルで拭くようにごしごしと擦(こす)る。指の間から見える瞼(まぶた)は、現実から逃げるように固く閉じられていた。目尻に寄った深い皺(しわ)を見て、ようやく私は理解した。
 ――お父さんもつらいんだ。
 淡々と語り、私を試すような問いかけをした父も、ひそかに動揺していた。いや、動揺していたからこその態度だったのかもしれない。
 それから、さほど長い時間はかからなかった。看護師が父と私を呼びに来て、小部屋に通された。テーブル一つと椅子六つでほとんど一杯になるくらいの狭さだった。座って待っていると、すぐに医師が現れた。白衣じゃなくて、紺色の、動きやすそうなユニフォームを着ている。
 四十代くらいの男性医師は私たちの向かいに座り、無表情で切り出した。
「全力で対応したのですが」
 最初の一言で、私は結論を悟った。
 死刑の言い渡しに似ていると思う。ドラマで見たんだったか。裁判長が被告人に死刑を言い渡す時は、先に判決に至る経緯などを長々と読み上げ、死刑だという結論を伝えるのは最後にするらしい。そして傍聴席にいるマスコミの記者は、主文が後回しにされた時点で、死刑の判決だと判断して裁判所を飛び出す。
 医師は最後に主文を読み上げた。
「午後七時二十七分、お亡くなりになりました」
 母が死んだ。今日のお昼、一緒に蕎麦を食べていた母が。
 うっ、ぐふっ、おえっ。
 喉の奥から嗚咽(おえつ)がこみあげてくる。両手で口元を押さえると、手の甲の上を涙が流れた。鼻水で指が濡れる。ハンカチで顔を拭こうとしたけど、持ってくるのを忘れていた。今さらながら、自分が部屋着のままスマホと財布だけ持って家を飛び出したことに気が付いた。
 父が私の背中に手を置いた。熱い手だった。父の手はこんなにも熱を持っているのに、私の身体(からだ)は冷え切っている。その温度の差が教えてくれた。私が号泣しているのは悲しいからではない。娘なら悲しむのが自然だから。母が死んだと聞かされて泣かないのは普通じゃないから。私は、母を愛していた娘、という役割を演じているに過ぎなかった。
 意図した演技じゃない。けど、無意識に身体が反応していた。
 医師と父が何か話していたけど、自分の嗚咽で聞き取れなかった。別に聞かなくたっていいよ。どうせ、子どもには関係ない話だから。自分のなかの冷静な部分がそう語りかけてくる。
 私は思う存分、泣くことに集中した。そうしている間だけは、これからのことを何一つ考えなくて済んだから。

 夏休みはあわただしく過ぎていった。
 通夜や告別式を済ませ、母は火葬場で骨になった。私は最後まで、一度も遺体を目にしなかった。父に「やめておいたほうがいい」と言われたからだ。グロテスクな姿だったのかもしれないが、見ておいたほうがよかったかもしれない。灰になった姿だけを見ても、母が死んだという実感はまったく湧かなかったから。
 あれほど口やかましかった母は、小さい壺(つぼ)に収まって、一言も話さなくなった。
 父は仕事を休んで、諸々(もろもろ)の手続きをしているようだった。ようだった、というのは、具体的に何をしているのか、私にはほとんどわからなかったからだ。役所に行ったり、保険会社の営業と話したり、とにかく慌ただしかった。
 私のほうはほとんど無風だった。
 変わったことといえば、家事をするようになったくらいだ。見よう見まねで洗濯をしたり、炒(いた)め物を作ったりした。学校がないのは幸いだった。クラスメイトから腫れもの扱いをされないから。たぶん、母親を交通事故で亡くした女子生徒に対して、周りは過剰なまでに気を遣う。
 唯一うっとうしかったのは、一か月付き合っただけの後輩や、告白されたけど振った同級生たちから連絡が来たことだ。
〈力になれることがあったら、いつでも言って〉
〈心配してます〉
〈俺はいつでも味方だから〉
 こいつらは蝉だ。人の親の死につけこんで口やかましく求愛する、オスの蝉。頼むから黙っていてほしい。私に必要なのは静寂だった。しつこくメールしてくる男もいたけど、無視を決めこんでいるうちに連絡は絶えた。
 父が仕事に復帰したのは、八月に入ってからだった。
 毎日残業をしていた父は、定時に帰るようになった。家事は二人で分担した。私と父は、新しい生活に少しずつ慣れはじめていた。
 日曜の昼間。ごはん作りの担当は私だった。包丁を使うのは面倒くさかったから、袋のインスタントラーメンを茹(ゆ)でた。プチトマトと、コンビニで買った味付き玉子を添えた。父はその日も朝から部屋にこもっていたが、昼ごはんができたことを伝えるとダイニングに出てきた。
 父と向かい合って食べている間、基本的に会話はない。あったとしても、おばあちゃんがうちに来るとか、洗剤を注文しておいたとかいった、事務的な連絡くらいだ。
 だから、ラーメンを食べていた父が箸を止め、「ちょっといいか」とあらたまった調子で言った時には身構えた。父は思い詰めたような顔をしていた。
「怖い顔して、何」
「お前の卒業後の進路だけどな」
 そんなこと、話すまでもない。地元の私大を受験する。以前、伝えたはずだった。父は小さい目を精一杯見開いて、私を正面から凝視していた。
「お前がやりたいこと、やっていいんだぞ」
 やりたいこと。いきなりそんなことを言われても、思いつかない。
「前に言ったんだけど。私、お父さんと同じ大学に……」
「地元の大学なんか行きたくないんだろう」
 槍(やり)で突き刺すような一言だった。穂先が胸に食いこんだ私は、数秒、言葉を発することができなかった。父は返事がないことを気にも留めない様子で、「どっちでもいいけどな」と付け加えた。
「ただ、お母さんはもういない。お前が大学に行っても行かなくても、それをどうこう言う人間はこの世にいないんだ。だったら、やりたいことをやったほうがいい」
「お父さんは、どうしてほしい?」
「何でもいい。俺に、他人の人生を決める権利はない」
「そんな」
 無責任だと思った。ちゃんと要望を伝えてくれないと、ちゃんと指示してくれないと、困る。今まではそうだった。黙って母が指さす方向に歩いていればよかった。母のせいにできた。
 でも自分で決めたら、自分で責任を取らないといけない。
「お金は? お金は、平気なの?」
 学費や生活費を盾に言うことを聞かせるのが、母のやり方だった。金。それはこの世のどんな事情にも勝る都合なのだ。だがこのとっておきのアイテムも、父には通じなかった。
「大学や専門学校に行きたいなら、学費くらいは出す。そんなことより、お前がまずどこで何をやりたいかだ。金の話はそれから」
 私は絶句した。
 あんまりだ。理不尽だ。十八年間も敷いたレールの上を走らせておいて、今さら好きに進めと言われても、どこをどう走ればいいのかわからない。そもそも、好きとか嫌いとかの基準で将来を考えたことがない。
 黙りこんだ私を見かねたのか、父は「行きたいんだろう」と穏やかに言った。
「どこに?」
「東京」
 そうだった。私は東京に憧れていたんだった。本当に行けるなんて想像すらしていなかったから、自分の将来とすぐに結びつかなかった。そして、娘に無関心だと思っていた父がそれを知っていることに驚いた。
「うん。行きたい」
「だったら行けばいい。東京で何をやるか少し考えてみろ。これからは全部、お前が自分で考えて、自分で決めるんだ。いいな」
 器に残っていた麺を一気に啜(すす)りこみ、父は席を立ってまた自室にこもった。私は伸びた麺とぬるいスープを、時間をかけて食べた。食後のテーブルは綺麗(きれい)で、スープはほとんど飛んでいなかった。
 流しで二人分の食器を洗いながら、小さい声でつぶやいてみる。
「東京」
 実在しないユートピアのようなものだと、今まで思っていた。その街にはすべてがある。人も、物も、金も。栄光も挫折も、成功も失敗も、名誉も汚名も。そこにないのはただ一つ、退屈だけ。
 ――本当に、東京に行きたい?
 食器用洗剤の細かい泡を流しながら、自問する。これも無意識による演技かもしれない。東京に憧れる、片田舎(かたいなか)の女子高校生を演じているだけではないか。そう言われれば、完全に否定することはできない。だって無意識のことなんだから。
 でも、大都市の表舞台を見てみたいのは確かだった。私は修学旅行のバスで見た、海と倉庫とトラックから構成された東京しか知らない。ちゃんとエントランスから入り、客席に座って、彩られたステージを鑑賞したい。
 にぎやかな舞台の上は、底抜けの退屈とは無縁のはずだ。
 問題は何をするか。とりあえず、私の学力で合格できそうな、適当な大学を選んで受験するのが手っ取り早そうだった。地元を離れる人のほとんどが、進学か就職を理由にしている。それに倣(なら)えばいい。
 蛇口をひねって水を止めると、亡くなった日の母が蘇(よみがえ)った。誰もいないテーブルを振り返る。あの日、母はワイドショーを見ながら言っていた。
 ――東京なんか行ったって、いいことないのにね。
 冷水を浴びせられたように、興奮が鎮まっていく。あれは予言だったのかもしれない。母はこの世からいなくなってもなお、私をこの地に縛りつけようとする。流しの蛇口から、滴(しずく)がぽたり、ぽたり、と落ちていた。堪(こら)えてもなお溢(あふ)れ出る涙のように。
 目的が必要だった。東京に行くための大義名分。それがなければ、母がかけた呪いは解けない。でも、私には果たしたい夢なんかない。秀でた能力もない。野望も知恵も持っていない、ただの女。
 だからこそ、余計に東京へ行くべきだと思った。こんなに空(から)っぽの女を満たしてくれるのは、東京の猥雑(わいざつ)さしかなさそうだから。

(つづく) 次回は2023年4月15日更新予定です。

著者プロフィール

  • 岩井圭也

    1987年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。2018年『永遠についての証明』で第九回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、デビュー。他の作品に『夏の陰』『プリズン・ドクター』『水よ踊れ』『この夜が明ければ』『竜血の山』『生者のポエトリー』『最後の鑑定人』『付き添うひと』『完全なる白銀』がある。